after story後編
そういえば、休日はあまり好きではなかったな。
雨の日は特に、剣の手入れだけして過ごしていた気がする。
魔剣を取り出し、腰に下げた短剣と共に広げた布へと並べる。鞘から抜き出した剣身は鈍く落ち着いた光を発しながらも、使われることを待っているように見えた。
ところどころ刃こぼれを起こしている。柄頭にある魔石は眠たげな暗い色だ。
騎士団の法令で魔獣を見つけに外に行くことも出来ず鬱々と過ごしていた休日を思い出しながら、手入れ道具を取り出す。すると、先ほどとは違う慎重な足音が聞こえてきて、自然と表情がゆるんだ。「未来の奥方」はなにか運んできたらしい。
ドアを開けて待っていてやると弾んだ表情をしたティアナが小さなワゴンを押しながら帰ってきた。
「お礼を、言ってきました!」
そう言ってにこにこと笑う。おかえり、と笑顔で返す自分と、あの頃の自分は果たして同じ人間なのか我ながら疑わしい。
「これから夜は冷えますから、って、アレンさんが作ってくれました」
分厚いグラスに湯気のたつ赤い液体がふるると揺れている。
「あたたかな葡萄酒だそうです。お砂糖やレモンを入れて飲みやすくしてくれました。カイリさんが教えてくれたレシピなんですって!」
とってもいい香りですね、と目を細める。ホットワインは遠征中にカイリがよく作るものだ。飲み残しの葡萄酒が劇的に美味く変わるので、疲れた団員にも好評だった。
元気を出してと言われたのだろう。彼女は少しきまり悪げに聞いてきた。
「わたし、そんなに落ち込んで見えたでしょうか?」
笑って答えない俺に、少し頬を膨らませて彼女は長椅子にちょこんと座り込む。
「このお屋敷では、王都と違ってすごく、安心してしまうので……、なんだか皆さんに申し訳ないです」
「あちらでは今、なかなか自由がきかないからな。だからといって、館の完成を急ぎすぎて欠陥がでることは避けたい」
分かっていますと小さく頷いて彼女は熱い葡萄酒をこくりと飲み込んだ。ぱっと表情が輝く。
「とっても美味しいです!ジーク様もどうぞ」
「ああ。これが終わってからもらおう」
刃こぼれを砥石で直している俺の手元を、彼女は長椅子から首を伸ばし興味深そうに眺めている。
「もうちょっと近くで見ても、いいですか?」
「ああ。手は出さないように」
小さな椅子を持ち出してきた彼女は俺のそばで手元と、俺の顔とを交互に見ている。
「なんだか、楽しそうですね」
「そうか?確かに、剣の手入れ自体は好きだな。魔石も、真摯に向き合えばそれだけ力を貸してくれる気がする」
「魔石が、ですか?」
「ああ。魔術師の手から創り出されるものだが、これらには意思があるような気がする」
柄頭で紅い石が応えるようにきらりと瞬いた。その光でふと、あることを思い出した。
「ティアナ、見ていろ」
嵌め込んである箇所から魔石を外してみる。ころりと大人しく手のひらへとのった石を彼女へ見せた。
「昔、寮でユリウスたちとやっていた遊びだ」
暖炉の小さな火に魔石をかざすと、それは炎をふわりと飲み込んでゆく。魔獣に対する獰猛な焔を吐き出す時と違い、石は少し楽しんでいるようにもみえた。
「おいで」
ティアナに声をかけると、彼女は怖がることなく素直に俺の隣へと身を寄せてくる。その小さな肩を抱き寄せながら、部屋の明かりを一つずつ消してゆく。
やがて、部屋には暖炉の光が小さく揺れるだけとなった。窓の外、雨の音がやけに大きく聞こえる。
手のひらの載せた魔石を上に掲げ、そっと揺すってみせた。すると、小指の先ほどの微かな火花がちらちらとあたりに降り始める。
金色の雪の結晶のような形をした火花はやがて、少しずつ大きくなって空間に弾けだした。ぽん、ぽん、といくつも花のかたちに開き、舞い上がっては落ち、また美しい形に咲く。
ティアナは目を大きく見開き、その様子に釘付けになっている。
「わ……。こ、れ、火、ですか?」
「魔石の火で創る、幻影のようなものだ」
「今夜の花火はこれの何百倍もの大きさだろうが、雰囲気は出せていると思う」
「……すごい!とっても綺麗……」
言葉をなくす彼女は、しばらくぽうっとしたように部屋の中に踊る魔法の花火を見つめていた。
おずおずと手を差し出して、触ろうとする彼女の腕をそっと掴む。
「熱くはないと思うが、あまり触るな」
「……はい。素敵すぎて、手が出ちゃいました。どうやって創っているのですか?」
「なんとなく、イメージを魔石に伝えてみるんだ。刃に火を纏わせるのと同じ感じで…。うまく伝わりにくいな。見習い時代に寮で、ユリウスが教えてくれたんだ。三人でたまにこうやって遊んだ」
彼女は嬉しそうに俺を見上げた。
「三人は仲良しだったのですか?」
「いや?そんなつもりではなかったが……。ユリウスは、はじめすごく鬱陶しかったしな。だがいつのまにか三人で過ごしていた」
「ジーク様と、仲良くなりたかったのでしょうね」
俺は彼女に首を振って見せる。
「今でも、ユリウスとカイリが俺みたいな愛想のない人間になぜ纏わりついたのかわからない。魔獣を倒すだけしか興味がないような奴だぞ?」
彼女はくすりと笑う。
「なんだ?」
「なんだか少し、おかしくて。ご自分のことを愛想がないなんて」
「事実だ。笑う必要なんてなかったし、俺の毎日は剣をふるう事でしか満たされなかったから」
すると、彼女は少し得意げに鼻をつんと上に向ける。
「では、ユリウス様とカイリさんはとても凄い方たちですね?」
「なぜ?」
「愛想がない奥の方では、ジーク様がとても真摯で、純粋で、優しい方だというのをきちんとわかってらっしゃったんですもの。まだ少年の頃から」
人差し指を唇に乗せ、ね?と眉を上げて瞳を煌めかせる。その仕草になぜか胸の底が小さく疼いた。
「二人を褒めているのか?お前はカイリの料理の腕を褒めちぎるし、ユリウスの気遣いをいつも嬉しそうに伝えてくるが」
拗ねたような声音に愕然として、慌てて打ち消そうとした。
「いや、なんでもな」
「ジーク様、だいすきです」
大好きです、ジーク様。
囁く彼女は俺に背中を預けてきた。胸にすっぽりとおさまる身体は優しくて、あたたかい。
何もかもを曝け出してなお、彼女に全てを委ねたくなる。
「すまない。お前があんまりあいつらを褒めるから、少し妬けた」
光に照らされて、時おりうなじが白く光る。甘えるように唇でそっとなぞると、彼女はくすぐったそうに身をよじった。
ティアナはまたこちらに向き直り、俺の頬へ指をするりと滑らせた。舞い踊る金色の光が、緑の瞳にちらちらと反射する。
「わたしには、ジークさまだけです。いまも、これからも」
かつて硬く凍っていた心を溶かした彼女の声は、今は柔らかく俺を包み、甘く焦がしてゆく。何度でも。
煌めく花火はいつまでも、二人にやさしく降り注いでいる。
fin