エピローグ
その日、スールの街にあるクラウゼント家の屋敷は何年かぶりに大勢の客を迎えていた。
屋敷の主であるジーク・クラウゼント第五騎士団長が、婚約者のティアナを伴ってひと月ぶりに戻ってきたからだ。折しもスールでは三日に渡って催される大きな花祭りの最中で、街全体が華やいだ雰囲気に彩られていた。
屋敷内の厨房では、ティアナがエプロン姿で使用人とともに忙しく立ち働いている。指揮をとっているのは第五騎士団副官のカイリだ。
「ソースを煮詰めすぎるな。苦味が出る」
「もう少し、香辛料を入れよう」
普段寡黙なカイリが珍しく饒舌に指示を出す。次々と仕上がり庭園に運ばれてくる料理の数々に、招待客も目を輝かせていた。
「ティアナさま!ティアナさま。本当に、もう結構です。これ以上は、私たちがジーク様に叱られてしまいますから」
皿を積み上げカトラリーを揃え、厨房で仕事をしているティアナに、家令のアレンが何度目かの説得を試みている。だがティアナは笑って取り合わない。
「アレンさん、やめてください。そんな呼び方。それに、ジーク様も手伝っていいとおっしゃいましたよ?」
アレンは困ったように入り口に立つジークに近づいた。館の主は壁に寄りかかり、楽しそうに動き回るティアナを目を細めて眺めている。
「ジーク様。婚約者様にこんなことをさせてはクラウゼント家として示しがつきません。どうかお願いいたします」
「無理だ。彼女がやりたいといったものを俺が断ると思うのか?」
困り果てたアレンの様子に、ジークはにやりとしながら首を横に振った。
「ひと月前、スールの兵舎食堂を何も言わずに辞めた形になったのがどうしても嫌だったらしい。今日、騎士団の連中を招待したがったのも彼女だ。内内の小さな宴なんだ。そう大げさにとらえるな」
「ですが、そういう問題では……」
「それにしても、だいぶ見違えたな。別館の方」
ジークはさらりと話題を変える。アレンはとたんに若々しい表情になった。
「あ、はい!もういつでも使っていただいて構いません。寝具もすべて運び込んであります」
深々と頭を下げ、主人に謝意を示す。
「お屋敷はすべて、お売りになられると覚悟していたのですが」
「ティアナが、ここを売るとお前が悲しむと言うからな。それに、俺も考え直したんだ。あの頃とは違う気持ちで…この屋敷に向き合うことができるようになった」
敷地内にある別館を兵舎の宿舎として提供することにジークが同意し、クラウゼント家は本館もそのまま維持することになったのだ。
「しばらく私も忙しい日が続きます。本当に、ありがとうございます。……ジークぼっちゃま」
「俺も、なるべく顔を出すようにする。大事な家族の家だ。管理をよろしく頼む」
涙声になる家令の肩をポンとたたいて、新たな主人は庭へと向かった。
「ティアナ。準備は済んだか?」
「はい!ジーク様。見てくださいこの、美味しそうなお料理!カイリさん、まるで魔法のように手際がよくて」
「これは、経験と技術によるものだ。ティアナもなかなか筋がいいぞ。教えがいがある」
腕まくりをしたカイリも満足げに料理皿の並ぶテーブルを見た。真っ白なテーブルクロスには赤や黄、オレンジやブルーなど季節の花があしらわれており華やかさが一層増している。
爽やかな陽光が緑いっぱいの庭に降り注ぐ。使用人たちが運ぶトレイから皆思い思いの飲み物を選んで談笑していた。そこへ、ワインのグラスをひょいと三つ受け取り、ユリウスがのんびりとやってきた。
「賑やかだね。女の子があんまりいないのが残念だなぁ」
「お前は実家で嫌っていうほど年頃の令嬢と引き合わされてるんだろう?」
「そんなことないよ。このご時世、貴族なんて称号にほとんど意味はないんだから」
彼はくすりと笑ってグラスをジークとカイリへ手渡した。
「それより、団員たちは普段の様子と違う君にやたらと浮き足立ってるね。ご機嫌の良すぎる騎士団長なんて、こんな時じゃないと見られないからかな」
「俺は至って平常通りだが?」
「よく言うよねえ。しかめっ面してないだけでも彼らには驚きだよ」
カイリが横でわずかに頬を緩め、同意を示す。
「今回は慰労も兼ねてる。あいつらが楽しんでるならそれでいい。今回の遠征は長かったからな。それに」
向こうで、使用人とおしゃべりを楽しんでいるティアナを優しげに見つめ、彼は柔らかく言った。
「やっとスールの市にティアナを連れて行ける。何度も機会を逃したからな」
「しばらくこの街に来れるかわからないもんね。今日がいい天気で本当によかった」
さて、とユリウスはカイリに目配せする。
「婚約おめでとう、ジーク」
「二人の幸せに」
二人はグラスを掲げ、幼馴染みの幸せを祝した。太陽の光が反射してグラスが煌めく。
「君の時間が、動き出したことに乾杯だね」
ジークは一瞬驚いて幼なじみの二人を見る。やがて、その言葉を噛み締めるようにユリウスとカイリに小さく頷いた。
「ありがとう」
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ジークはティアナを探して館の中へ入った。彼女はかつての自分の部屋の前で、懐かしそうに扉に手を触れていた。
「ティアナ」
名前を呼ばれ、彼女は驚いてこちらを振り向く。
「疲れていないか?朝から動きっぱなしだろう」
「いえ、全然大丈夫です。とても楽しくて…!」
それはなによりだ、と頷きながら手を伸ばし彼女の後れ毛を整えてやる。
「では、すこし休んで、あとで着替えてくるといい。スールの花祭りでは夜通しランタンの光が花の道を照らすそうだ」
「素敵ですね…!」
顔を綻ばせて、ティアナはジークの胸に頬を埋めた。
夕方、ティアナは用意してあった白いドレスに身を包んでジークを待っていた。宴席は恙無く終わり、今はごく近しい者たちがゆったりと過ごしている。皆、花祭りに出かけているのだ。
花祭りは色鮮やかな花々が主役のため、人は伝統的に白やベージュを身につける。ティアナもそれに習い、華美すぎない装飾のものを準備した。
控えめに肩を出したドレスは、胸もとに小さなリボンと真珠をいくつもあしらっている。高い位置での切り替えからシフォン生地がふわりと流れ、華奢な彼女を柔らかく包んでいた。
花祭りには欠かせない花冠を頭に乗せ、角度を変えては鏡で確認していると、ドアの向こうでジークの声がした。
ティアナ、入るぞ。
「はい」
慌てて立ち上がった彼女に、ジークは大きく目をみはる。感嘆の面持ちで己の婚約者を見つめた。花の冠をつけた栗色の髪をゆるく編んで首もとに垂らし、ふわりとしたドレス姿のティアナは、まるで愛らしい花の妖精のようだ。ジークには思わず呟く。
「似合ってる」
ところが、ティアナのほうは彼を凝視したまま動かない。唇を震わせ、ジークの姿を見つめて固まってしまった。
「ん?おかしいか?」
彼は訝しげに自分の全身を見下ろす。そして苦笑いした。
「慣れないものだな。やはり」
ティアナは首を横に振り続ける。涙で瞳を真っ赤に染めて。
真っ白な衣装に身を包んだジーク。彼が黒以外を身につけるのを、ティアナは初めて見た。出会ったときに纏っていた黒い影はいま、どこにも見当たらない。光を纏い凛々しく立つ彼の傍らで、魔剣が誇らしげに煌めいている。
「……とても、とっても。お似合いです」
「そうか。お前が気に入ったなら、これからも着てみよう」
彼は愛しい女性を抱き寄せる。黒曜石がきらりと揺れた。
fin
ジークとティアナのお話、読んでいただきありがとうございました。
嬉しい感想やブックマークや評価、どれもとても励みになって、楽しく完結させることができました!
みなさまも楽しく、ちょっとでもきゅんきゅんしていただけてたらすごくすごく、嬉しいです!
ティアナの故郷や魔術庁、などなどそのうち「王都編」を書いてみたいなと考えています。
二ヶ月近く、ここまで来れてとっても嬉しいです。ほんとうにありがとうございました!!