第六話 閉じられた部屋1
クラウゼント家へ向かう道、ぼうっと外を眺めるティアナだったがふと、大きな飾り文字が目に飛び込んできた。『魔石』という文字となにやら紋章めいた商号に惹きつけられて、彼女は思わず前の小窓を叩き御者へ声をかけた。
「あの!すみません。今横に見えているお店の看板。あれはなんですか?」
車輪の音に負けないよう大きな声で話す。
「あれは魔石屋ですよ。いろんな種類の魔力を石に込めて売ってるんです」
「え?魔石って、売ってもいいのですか?」
彼女はオズワルドに魔石を持ってるんだろうと詰め寄られたのを思い出した。だが、ジークの剣の魔石は魔術庁で作っているという。彼の剣は生き物のように炎を吐き出していた。そんな威力の強い石、普通に買えるのだろうか?彼女がそう尋ねると、御者は驚いたように首を横に振った。
「とんでもない!市場に出回ってるのは騎士団が使うようなたいそうなもんじゃないですよ。どっちかっていうとお守りに近いですね」
「お守り?」
「護身用になりますから、貴族や金持ちの間で人気なんですよ」
彼女は興味津々といった顔で話を聞いていた。そして、御者に頼み込む。
「……あのお店に、連れて行ってくれませんか?お願いします!」
すこし渋い顔をして御者は考えていたが、結局わかりましたと答え、馬車の速度を緩める。
「あまり長居はだめですよ。心配されますから」
彼女はしっかり頷いてから馬車を降りた。どきどきしながら店内に入る。店員はちらりと彼女のドレスに目を止めるといそいそと寄ってきた。
「お嬢さん、どんなものをご希望で?」
「いえ、あの、すこし、見てもかまいませんか?」
「もちろん。これなんかどう?ランプにもなるよ?火の魔石だ。すこしだが火も出せる。護身用にもなるし実用性もバッチリ兼ね備えてる」
宝飾店のように飾り台に並ぶ石たちが色とりどりの輝きを放っていた。ひとつひとつに微かな魔力が感じられた。彼女は魔力のざわめく部屋のなかを息を詰めて見回した。
「あの、お守り、というのは… ?」
「お守りはここ。いろいろ揃ってるがほら、これは大昔にいた癒しの魔女の力を込めた石だよ」
きらきらと輝く美しい緑色の石と小袋がセットになって売られている。彼女はそっと、石に触れてみた。少しだけ、温かいような気がする。
「これさえ持ってれば不幸を避け、幸運が転がり込むっていう代物だ」
「幸運?癒しの力じゃなくてですか?」
店員は苦笑いした。
「癒しの力はそうそうお目にかかれるものじゃない。何百年も現れてないんだ。だから、癒しの魔女の魔石、っていうのはまぁ、昔から魔除けと幸運の印として売ってるんだ。でも心配しないで。きちんと魔術庁で守護の力を込めているから」
「あの、この魔石って、どうやって作られたものなんですか?」
「もちろん魔術庁で作ってるんですよ。ああ!お嬢さんは外国の方かな?この国ではね、魔術師が石に魔力を込めて魔石にしているんだ。それをこちらは卸してもらってるってわけだよ」
(魔術師。あの館のお爺さんも魔術師だったのな。……わたしは、どうなんだろう)
彼女は、台の上に並ぶ癒しの石のお守りを手に取った。新緑のなかの光粒のようなそれは、ティアナを歓迎するように一瞬煌めいた。
「これを、ひとついただけますか?」
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結局その週末、二人の姿を市で見ることはなかった。
ジークが帰らなかったからだ。その朝に早馬が屋敷へ彼からのメモを運んできて、帰りが遅くなるので市には行けないことと、夕食も待つ必要がないことを詫びる内容だった。
(なんだか、ジーク様に避けられているような気がする)
そう考えると、どうしても落ち込んでしまう。けれどもティアナは、今夜はなんとしてもジークに会うつもりだった。小さな絹の小袋を鏡台から取り出して、中を確かめる。先日買った魔石のお守りは控えめな輝きを見せていた。これはジークに渡すつもりなのだ。アレンに見せると、「それはジーク様も喜ばれるでしょう。きっと仲直りできますよ」と元気づけてくれた。胸もとで石をぎゅっと抱きしめる。
(私はみなさんの役に立ちたい。でも、ジーク様を困らせたくない。だから、きちんと話し合わないといけなんだわ)
夕食も済み、湯も浴びたあと彼女は寝巻きには着替えずに贈り物のドレスを身につけた。淡い空色の生地が彼女の肌の色をさらに白く際立たせる。ティアナは窓の外、暗がりのなかから聞こえて来るであろう馬車の音に何度も耳を済ませた。
夜も深まったころ、ベッドに腰掛けていた彼女はいつのまにかこっくりこっくりとうたた寝をしてしまっていた。アレンの小さな「お帰りなさいませ」の声が階下から聞こえてぱっと目を開ける。
(いけない。寝ちゃってた!)
しばらく待ってから彼の自室へ向かう。ティアナは深呼吸をしてノックした。ところが返事がない。何度か試したが応答がないため、彼女は首を傾げつつ階下のアレンの元へと向かった。
「あの、アレンさん。ジーク様はお戻りになりましたよね?」
備品室で背中を向け、燭台の点検をしていた彼はこちらを振り返った。顔には影が差している。
「ええ。さきほど」
「あの…。お部屋にいらっしゃらなくて。わたし、あの、どうしても今夜お会いしたくて」
彼は悲しげな表情を浮かべて首を横に振る。
「鍵を、お渡ししましたので、そちらに向かわれたのでしょう」
「……鍵、ですか?」
「ええ。お父上の書斎の鍵です。どうしてもみたいとおっしゃって。何度も要求されていたのです」
あの、誰も入れないという部屋のことだ。アレンは自嘲気味に顔を歪める。
「なんとも私の覚悟ができずに、長い間お待たせすることになってしまいました」
「では、ジーク様はその、お部屋にいらっしゃるのですね?」
「ええ。お一人で向かわれました」
彼女は急に、ジークのことが心配になった。そこに何があるのかはわからないが、一人にしてはいけない気がする。
「あの、わたし、わたし。行ってもいいでしょうか…?」
「もちろん。貴方なら。……ジーク様を、お願いいたします」
アレンの苦悩に満ちた声に背中を押されるようにしてティアナは再び上の階へと向かった。
何度も通った屋敷の廊下が、今日はなぜか見知らぬ場所に思える。ところどころ灯る橙のランプは風もないのに震えて揺れていた。重たげな扉の前に立ったティアナは、さっきよりももっと深く深呼吸した。祈るようにゆっくりと扉をたたく。
(ジーク様……)
返事はない。彼女は唾をごくりと飲んで、取手に手をかける。扉は思いの外簡単に開いた。ランタンの淡い光が満ちた室内を予想していたが、明かりはない。開いた窓から穏やかな夜風が流れて、彼女の頬をかすめる。月の光が直接差し込み、部屋を照らし出していた。
正面に堂々とした書物机が設えてあり、その前に佇む背の高い影が目に入った。闇よりも濃い黒を纏い、漆黒の髪を夜風に靡かせてジーク・クラウゼントはこちらに背中を向けていた。
「ジークさ、ま」
黒い静寂を、彼女のちいさな呼び声が破る。ジークはこちらを振り向いた。月を背にしたその表情は全く窺えない。だが、彼女を捉えると大きく揺れたように見えた。
「ティアナ。ここへ来ていいと言ったか?」
「いえ、勝手なことをしました。申し訳ありません」
深く頭を下げるが、ティアナは辞去しようとしない。彼女の強い瞳にジークは自嘲気味な笑いを漏らし、こちらへとティアナに手招きした。「本だらけだ。つまずくなよ」