第五話 ティアナの悩み
今日の兵舎は昼近いにも関わらず、閑散としていた。
食堂も比較的静かで、手伝いの必要がないくらいだ。もちろんジークやユリウスたちもいない。珍しくのんびりとした雰囲気の厨房で、コック長たちが仕込みをしている。
「今ね、王都から偉い人たちが来てるんだそうだよ。魔獣がよく出る地域とかの調査だと。だから騎士団もそれについて出払ってるんだ」
ジャガイモの皮をするするとむきながら、コック達が話している。
「偉い人たちって?」
「ああ。魔獣や魔石や、そういうのに詳しいんだってさ。魔術庁の連中だよきっと」
「魔術庁ねえ、私らには遠い世界の話だね。まったく。あそこは世界中から魔術を使える人間を集めてるって話だろ?なんだか怖いよね」
皆の話に軽く相槌を打ちながら聞いていたティアナはふと手を止めた。魔術庁という聞き慣れない単語を耳にしたからだ。
「魔術庁って、どういう所なんですか?」
「おや、ティアナちゃんは知らないのかい?王都にあるんだよ。うちに来る騎士団は魔獣討伐用の剣を持ってるだろ?あれは魔石が嵌め込まれてるんだ。その魔石を作ってるのが魔術庁だよ。魔法使いや妖術士もいるんだってさ」
ジークやユリウスの剣で煌めく魔石。あの魔剣を作るのが魔術庁らしい。他にも魔獣についての研究や調査など、彼らの仕事は多岐にわたっているとコックたちは教えてくれた。
「この国では魔術庁の存在を知らない人はいないけれど、でも中の仕事を詳しく知ってるってひともそうそういないんだよ。なんだか気味が悪いしね、魔法なんてさ」
「そうなんですね……」
ティアナは自分の胸元にそっと手を置いた。自分の力はみんなを助けられると思っているけど、人を怖がらせてしまうこともあるのかもしれない。
(けれど、ジーク様は私を気味悪いなんて言ったことはないわ。ずっと心配してくださっていた)
なのに、そんな彼を怒らせてしまった。そう考えただけで、彼女はしくしくとした寂しさで身体中が締め付けられそうになる。あわてて目を瞑り、軽く頭を振っていやな考えを振り落とそうとした。やっぱりきちんと謝らなくちゃ。
「お姉さん!やっと会えた!」
食堂の中を掃除し終えもう帰るだけとなった時、少年が駆け寄ってきた。
「あ、君は!もう大丈夫?」
ティアナの目の前で嬉しそうに笑いながら、少年は手を振って見せた。
「もう全然だよ!ありがとう。ほんとに助かったんだ…!」
「よかったね。わたしも嬉しい。でも今度からは気をつけてね」
少年の笑顔に少しだけ励まされた気持ちになって、ティアナは元気良く手を振って、帰りの馬車の待つ正面玄関へと向かった。
車輪の揺れに合わせて、小窓から見える街の景色も緩やかに流れていく。午後のスールも賑やかだった。空気が楽しげな笑い声や熱気で満ちている。ティアナはアレンの話を思い出していた。
(ジーク様、お父様のことをどう思っていらっしゃるのかしら)
魔獣によって家族を失っただけでなく、残された親子の絆までも歪んでしまったのだとしたら、なんて悲しく、痛ましいことだろう。だから彼はあんなに憑かれたように激しく剣を振るうのだとしたら。
ジークの行く着く先はどこなのだろう。
彼女は深くため息をついた。