第四話 炎の跡へ1
車輪の音は砂利の上を走る音から、さらに荒れた道をゆくごとごととした揺れに変わっていた。今朝も相変わらず外はどんよりと重苦しい色で満ちている。この時期、この地域は太陽があまり出ない、ただでさえ塞ぎ込みがちな天気に、遠出とはいえピクニックとは程遠い空気が馬車の中に満ちている。もっとも、ジークはピクニックなど行ったことはないのだが。
クラウゼント家はジークの父親が一代で財を成した豪商だった。美しい妻と二人の息子に恵まれ幸せな家庭生活を送っていたが、妻と次男を早々に亡くしてしまう。幼いジークは母と赤ん坊だった弟をいっぺんに失ってしまったのだ。失意の父親は仕事に没頭し、ジークを見ると二人を思い出すからと、幼い長男を遠ざけるようになっていた。広い屋敷でジークはいつも一人、剣の稽古をして過ごした。
十五になったその日に彼は一人王都へ赴き、王国騎士団の入団試験を受ける。見事最年少で合格したジーク少年はその日から今まで、この屋敷に帰ることはなかった。
横目で彼女の様子を再び観察する。俯いて下唇を噛みしめている娘はいま、アレンがどこかから調達してきたドレスを着ている。上品なモスグリーンの生地を見て驚き、「こんな豪華なドレスはとても着られません」と恐縮して返してきたのを無理に身につけさせた。
淡い栗色の髪、瞳はこの国では珍しい深い緑だ。他国の血を引いているのだろう、肌も淡雪のように白い。ぎゅっと握られた小さな拳。擦り傷の跡がそこここに残っている。
この娘が言い出さなくても、ジークは彼女を現場へ連れて行くつもりだった。魔力の跡も確認できたため、魔獣に襲われた不幸な事故として早々に処理されているが、ジークは納得していなかった。
辺鄙な場所とはいえ魔獣が出るには街に近すぎる。それに、自分の父親がなぜあんなところに用があったのか。生き残った娘に望むのは、ショックで忘れ去ったらしき記憶を思い出してほしいと言うことだけだった。 父を偲ぶ気持ちは全くと言っていいほど湧いてはこない。魔獣絡みならば騎士団長として見過ごせない、それだけだ。
アレンは長年父に仕えてきたにも関わらず、なにも知らなかったという。「旦那様はここ何ヶ月も、お屋敷にはほとんど帰ってこられませんでした」と悲痛な面持ちでいうばかりだ。
「知らないって。そんなわけないだろ」
肘をつき、顎に指を当てながら吐き出された低い呟きは小窓の向こう、荒れた林道へと吸い込まれていった。
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やがて、馬車は速度を落とし大きくひと揺れしてからとまった。いがらっぽい匂いが馬車の中にまで入り込んでくる。ジークは御者が扉を開ける前に素早く外に降り立って固くなった背筋を伸ばした。ティアナはドレスをつかんで車上でもたもたとしている。ジークは王都でたたきこまれた慣習上、恭しく手を差し出した。
その彼の手をティアナは目を丸くして見つめている。どうしていいかわからないようだ。
「手を」
「はっ…?」
一人で降りられるのか?と聞くとふるふると首を振って、すみませんごめんなさいと恐縮しながらおそるおそる腕につかまりやっとのことで降りてきた。王都の女性は当然といった具合に手を重ねてくるものだが。
最低限は心得ているつもりだったが、普段魔獣と騎士団の連中ばかり相手にしているジークは、このような街娘をどのように扱えばいいのか全くわからない。なぜかそれが腹立たしく思えて、彼はずんずんと先へ進むことにした。
そんなことより、早く思い出してもらわねば。
館は黒々とした塊となって灰色の空のもと横たわっていた。煉瓦造りの建物は右側のほとんどが焼け落ちている。辛うじて残っている骨組みも、何かの拍子に崩れてしまいそうに見えた。
御者にしばらく待つように告げてから歪んでいる鉄の門を難なく開け、ジークはティアナをともなって中へと向かう。大きな正面玄関だったところで暫し黙祷を捧げる彼に倣い、ティアナも下を向き、目を閉じた。
だが、目を閉じると燃え盛る真っ黒な炎の情景が目の前にちらつく。ティアナは動悸がだんだんと激しくなるのを、気のせいだからと自分に言い聞かせ前を行くジークを追いかけた。
「足元に注意しろ」
「は、はい」
短く声をかけて、彼女と父の姿を見つけた場所へと向かう。焼け落ちた部分とは反対の、建物の裏手の方まで進んで、ジークはあたりを見回した。ティアナは彼の視線を追いかける。
「あのあたりだ」
ティアナはこくりと唾を飲み込んだ。
しっかりしなきゃ。なにがあったのか、きちんと見ないといけないんだから。
「はい!……ありがとうございます」
さっきから火傷しそうなほど熱を持ちはじめたペンダントを宥めるようにドレスの上から握りしめて、ティアナはじっとそこを見つめる。
あそこで、倒れてたんだよね、手と足を鎖で繋がれて。そして、ジーク様のお父さまが…。じゃりじゃり、ざくざくと焦げた板切れや家具だったものを踏み越え一歩ずつ近づいていく。そのティアナの後ろ姿をジークは厳しい顔つきで見守っていた。
曇り空の下の焼け跡、黒と灰色の世界に紛れ込んだようだ。そのなかで栗色の髪とモスグリーンのドレスがふわふわと移動している。彼女の周りは、なんとなく明るいベールがかかっているように見えた。そのとき。
-お嬢さんはなんのチカラ持ってんだ?ー
突然、老人特有のしゃがれ声が響く。彼はとっさに剣の柄に手をかけ、あたりに用心深く視線を走らせた。だが人の気配はない。すぐ目の前でティアナが放心したように空を仰いでいるだけだ。
「おい、」
彼女はジークを振り返った。首を傾げてこちらを見ているが、その瞳には何も映っていない。濃い緑の眼球が小刻みに揺れている。「おい、おまえ…だいじょう」手を伸ばしかけたとき、再び声が聞こえてきた。
ー俺なんて、何年もなんねんも連れまわされて、戦争の手伝いさせられてさぁ!ー魔力を持ってるってだけで人間扱いなんかされたことねえよ。誰も俺のことなんて見てねーんだ、アンタだってそうなんだろ?ー
耳障りな愚痴は止まることなくあたりに満ちてゆく。油断なく注意を張り巡らせていたジークは、声の出所がティアナの周りからであることに気づいた。彼女の胸元が、異様な光を帯びている。なにも見ていない瞳からぽろぽろと涙が溢れ出てきた。
ーだからさ、お嬢ちゃん、俺は今度こそ奴らに仕返ししてやろうと思ってんだ。こんな鎖付けられて、商品としか思ってねえからなあいつらよおー