第三話 ジークの苦悩
オズワルドは口の端を嫌らしく上げ、人差し指をティアナにつきつけた。
「たしか前に団員が骨折したよな?あんたに治してもらったと嬉しげに吹聴してましたよ?あの、小生意気な精獣騒ぎの時だ」
彼女はふるふると首を横に振る。
「わたしは、ほんのすこしですが医術がわかるくらいです。以前は故郷で、診療所の助手をしていました」
「ほう?それは初耳だね。私の耳には入ってない。あんたのことは何から何まで知ってるんだぞ、クラウゼント家にやっかいになっているだろう。それに、」
目を細め、オズワルドはティアナに近づいていった。
「団員の奴らはなにも思わないかしらんが、あんたも十分変わってるぞ。……そんな、翡翠みたいな瞳に白い肌……」
息がかかるほどの距離に、ティアナは背筋がぞわりと粟立った。嫌悪感で頬が引きつる。オズワルドは、負の感情の塊をいくつもくっつけているように見えた。
「ここで働いていたかったら、隠してるものを見せなさい」
彼は傲慢な態度で手のひらを突き出した。
「な、にも、隠していません…!」
「じゃあ、わたしが見てやる。なにも持ってないなら構わんだろうね?」
腕がずい、と伸びる。
「やめてください!」
ティアナはぎゅっと両手を突き出し、オズワルドを払いのけようとした。だがその前に、管理人はぐいっと肩をのけぞらせてよろめき、ティアナから離れてゆく。
「なっ、だれだ?邪魔をするな!」
オズワルドはむっとして振り向く。そして、そのまま顔面を凍らせた。
「誰が、だれの、何から何までを知っているって?」
騎士団長ジーク・クラウゼント。滅多にないほどの低い声音がオズワルドの耳のそばで響く。
「それ以上、ティアナに近づくな」
ジークは渾身の力を込め、ぎゅうぎゅうと男の肩骨を締め付ける。オズワルドは縮み上がった。それでもなけなしのプライドをかき集め傲慢な態度をとり続ける。
「わ、私は彼女に聞いてるだけです!なぜ、あの小僧の怪我があっさり治ったのかを。田舎者の娘のくせに高級な魔石を持ってるんじゃないかと。どこかからくすねたに違いない」
「貴方が勝手に邪推して暴走しているだけだろう。彼女が魔石など持ってないことは俺が証明する」
「しかし、それでは……。この娘はあんな精獣と一緒に兵舎に現れ、そのうえここで手伝いまで始めて…。その上治療の真似事のようなことを」
とにかくティアナの全てが不満らしいオズワルドはなおも言い募ろうとする。ジークはそれを遮った。
「私が彼女を連れてきた。人員不足の兵舎に多少なりとも助けになるかと思ってのことだ。クラウゼント家で預かっている以上、彼女の潔白は私が証明する。それでは不服か?任された仕事もロクにできない管理人。人の詮索をする前に自分のこそこそした性癖をどうにかしろ」
感情のない声でそう言い切ると、彼は乱暴にオズワルドを突き放した。そしてティアナの腕を取り、「来い。馬車が待っている」とすたすたと彼女を連れ出ていってしまう。
ひとり食堂に残されたオズワルドは、屈辱と悔しさで唇をぶるぶると震えさせて肩を押さえていた。その瞳に暗い憎しみの色が溢れていく。だがそれを見ているものはいなかった。
兵舎の門口近くまで来ると、ジークは掴んでいたティアナの腕を壁へと無造作に押しつけた。背中がぴたりと冷たい石壁にあたる。彼女はジークを見上げた。
「じ、ジーク様…、ありがとうございま、す……。ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」
返事はなく、掴んだ腕にさらに力が加わった。瞳が揺れている。今朝の穏やかな色とは大違いで、黒く、煮えたつような色をしていた。
「言っただろう、あまり力を使うなと」
彼女は息を飲む。
(すごく怒ってる。ジーク様…)
「お前の優しい心根はわかる。力と記憶を失って以来、自分を役立たずだと思っていたのだろう。だからいま人助けを喜ぶのも理解できる。だが」
彼は一層低い声で近づいた。
「そのためにお前は故郷から連れ去られ、あんな目にあったんだぞ?わかっているのか?また同じ目に遭ったとして、今度も生きて戻れる自信でもあるのか?」
「も、申し訳、ありません……」
初めて見る、彼の激昂した姿。彼女はおどろき、惨めな気持ちで俯いた。
「ごめんなさい……」
「おまえは……その力を…」
ジークは深いため息とともに掴んでいた手を離した。
馬の蹄と、がらがら回る車輪の音が聞こえてくる。彼は何も言わず、ティアナの背中を押し出すようにして門へと促した。馬車へ彼女が乗り込むのを見届けると、そのまま背を向けていってしまった。