第二十話 ティアナの力とペンダント2
次に二人の前に現れた光景は、緑の草がまばらな河べりだった。少女と大人の中ほどの時期に入った姿のティアナが、必死の表情であたりを見回している。そばには人が倒れていた。
『助けて、ティアナ!先生が!先生が死んじゃう!』
彼女はうずくまり、倒れた人物の血だらけの背中を必死で押さえている。怪我をしているのは彼女たちの教師、ブラッド青年だった。青白い顔のその隣でもうひとり、小さな女の子が激しく泣き喚いていた。
『ごめんなさいごめんなさいわたしのせいで怪我しちゃったの!』
『……大丈夫、だいじょうぶよ。リル。ブラッド先生はすぐ助けてもらえるわ。リルのせいじゃないよ。だから、お願い、院長先生に早く知らせて……!』
優しく少女を宥め、人を呼んでくるように指示すると、ティアナは厳しい表情になる。
『先生!ブラッド先生!しっかりして!お願い!死なないで』
ひどい出血量に、ティアナの表情はどんどん青ざめていく。血を止めようとしても白いシャツの背中はみるみる赤く染まっていった。泣きそうな顔をしながら彼女は
先生、先生、と呼びかけ続ける。
と、ティアナの手から光が湧き出てきた。
『な、に?なんなの……』
驚く彼女の前で、みるみるうちに光のベールが傷を覆ってゆく。苦しげなブラッドの顔がだんだんと穏やかになっていくのと、傷口が塞がっていく背中とを信じられないように見ているティアナ。
こちら側で、ティアナがぽそりと呟いた。
「あのとき、初めて人の怪我を治したんです。真っ赤な血が怖くて、とにかく必死で、心の中で、お願い、止まってって叫んでいたら、急に光の粒が手から出てきました」
ジークを見上げる。
「ほんとうにびっくりしたけれど…。でも、すごく、嬉しかったです。これからは『いらない子』だった私を大切に育ててくれた孤児院や、村のみんなの役に立てるって思いました」
そう言って彼女は微笑んだ。
時は移り、以前にジークが見た光景が流れてきた。人々の怪我を治すようになった彼女のもとへ、噂を聞きつけて毎日のように人が訪れる。癒しを受け取り、驚きと感謝を表すその中に、あの邪な目をした男も混じっていた。
「あいつ…!」
ジークは男の顔を目に焼きつけようと、思いっきり睨みつけた。どこかで出会ったら容赦なく剣を突きつけられるように。ふと見ると、ティアナの表情が曇っている。
「わたし、捕まってしまったんですね。……少しだけ、思いだしました」
ジークはティアナの肩を抱く。場面はすでに、人間の荷を積んだ馬車へと移り、森の中をごとごとと進んでいた。向こうに、あの焼け落ちた娼館が見えてきた。
「大丈夫か、ティアナ」
「はい…」
彼女は祈るようにぎゅっと胸の前で手を握り合わせた。
暗く狭い小部屋の中、手足に枷をはめられうずくまるティアナの横には、痩せこけた老人がいた。彼は繋がれたまま、同じところを何度もせわしなく歩き回る。その度にじゃらじゃらと鎖が耳障りな音をたてた。見張りらしき男達は苛立ちと怯えの混じった表情でそれを遠巻きに眺めている。
ここは、あの娼館のなかだ。もしかしたら、生前の父の姿が見えるかもしれない。ジークは知りたいような、でも、知るのが怖いような、そんな気になった。
『そうら、これがお前らの大好きな炎の魔法だ!ぜんぶ、ぜんっぶくれてやる!俺の残ってる力全部でお前たちを燃やしてやるよ。焼け焦げの跡さえ残らないくらいに!』
老人は、枷をはめられた手からしゅうしゅうと火花を散らす。ぼわっと燃え上がる炎をこれ見よがしに見張り達へと振ってみせた。彼らは火に怯えながらも、にやにやと笑い合う。
『黙れ!枷を嵌められてここから出られない老ぼれが何言ってんだ。今から始まる取引で、お前らにはものすごい値段がつくんだ。お偉方や戦好きな連中はお前達を大事にしてくれるさ。むしろ、俺たちに感謝したほうがいいぜ』
記憶の中のティアナはそれを聞いて、顔をこわばらせている。老人は男たちに向かって唾を吐いた。
『どこの誰かもわからないところへ連れて行かれ、この力を、人を殺すために使われる。大事にされるだと?どんだけおめでたいんだよ。今までどれだけ搾取されたと思ってんだ?奴らは俺を道具としか思ってねえよ』
しわがれ声で吠える老人の目はだんだんと虚になっていく。
『関係ねえな、そんなこと。俺らにはアンタは金の成る木にしか見えてねえし。そこの女なんか魔女だぜ?人間を生き返らせることもできるんだってよ。本物の宝じゃねえか』
下卑た笑いが男達の間で沸き起こる。老人はぶるぶると口を震わせ黙り込んだ。
『死んだものは、誰だろうと生き返らせることはできない。癒し手は、文字通り、癒すだけだ。そんなことも知らないのかクソ人間どもが……!人間のクズ、ゴミ以下の奴等め』
凄みの増した眼に狂気を宿して老人は立ち上がり、炎を口から吹き出した。自分を繋ぐ足枷に炎を吹きつけていく。明るい赤い色が、だんだんと黒に染まってき、そしてとうとう彼は鎖を焼き切ってしまった。
狂った老人は悲鳴のような笑いをあげながら前に進みだした。まず手始めに見張りの男達に向かって大火を投げつける。あっという間もなく、文字通り黒焦げの山が出来上がる。
ティアナは声にならない声をあげ、やめて、と叫ぶ。だが老人はもう何も聞こえていない。人間たちが灰になる様子を満足げ眺めると、扉の外へと向かう。
『ちょっと行ってくるよ、お嬢ちゃん。ぜーんぶ、燃やしてくる』
続く阿鼻叫喚のなかで、老人の狂った笑い声が重なって響いていた。
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「ジークさま…」
総毛立つ光景を目の当たりにして我を忘れていたジークは力のない声にはっとしてティアナを見おろした。彼女の瞳には涙が浮かんでいる。顔色が良くないし、ふらふらとしている。
「ごめんなさい、わたし、もうちょっとがんばって、先を知りたいけど、すごく、すごくねむいんです……。ルルのお母さんのところに戻っていいですか?」
「ああ、もちろんだ。急ごう」
「ごめんなさい、ジークさま、もうすこしで、おとうさまのこと……、わかったかもしれないのに……」
目蓋がだんだんと閉じてゆく。ジークは倒れ込んでいくティアナの腕をとっさにつかんだ。ペンダントの黒曜石は急速に光を失い、彼の視界もぼやけていく。
気づくと記憶の空間は消えさっていた。目の前にはルルの母親、一角獣の巨体がある。湿気を含んだ朝の空気が二人を現実に戻し、「かあさま。かあさま!」と懸命に母を励ますルルの声が再び聞こえてきた。
✳︎ティアナの記憶の中の会話は『』で表しています。一応目を通してはいますが、間違いを見つけたらその都度修正しております。また、文脈やストーリーの流れなどである程度語句の修正や書き足しなどの変更部分もあるかと思います。よろしくお願いいたします。




