十八話 森へ2
「見えてきました。あそこです」
暗い森の切れ目が現れる頃、先頭のカイリの声がジーク達のところまで届く。
「確かに体表から白い炎を出しています。だいぶデカい。あれはおそらく一角獣ですね」
「いったん止まれ。報告してきた偵察隊と合流できそうか?」
「だいぶ離れてますが、周りで待機しているようです。魔石灯の明かりが見えます」
カイリの所まで行くとジークは望遠鏡を受け取った。森が開けた先に、水辺がある。湿気ともやで霞んではいるが、そこに大きな白い獣が横たわっているのが見てとれた。
「だいぶ動きが鈍いが、あれが暴れていたのか」
「怪我をしているのかもしれません」
カイリも目をすがめ水辺を注視する。前方から蹄の音がしてきた。ジークはティアナとルルを隠すように黒の外套で覆った。
「団長!」
馬上の人物は嬉しそうに小さくひと声上げる。
「来てくれたんすね!よかったです。俺ら、あんな暴れっぷり見たことなかったんで、魔獣と間違えそうになりましたよ」
「射掛けたのか?」
「こちらから攻撃はしていません。森の奥へ戻そうとして脅しで矢は放ちましたが。全く怖がる様子もなくどんどん平地の方へ向かってたんです。そのうちあそこで止まっちまって」
ジークは労いの言葉をかけると若い団員に尋ねる。
「こちらの方の被害は?」
「数人、怪我してます。あっちが暴れた拍子に落馬させられて骨折した程度ですが。命に別状はありません」
そこで彼は声を潜めた。
「あの精獣。俺たちが見つける前にかなりやられてたみたいです。角も折られてます」
ジークはカイリと目を合わせた。外套の下からルルの声が聞こえたかと思うと、精獣の子はそこから飛び降りた。素足で地面を走りながら、小さな翼を羽ばたかせて飛ぼうとする。翼に力を入れるようにギュッと目を閉じたルルは、もどかしそうに駆け出していった。
「ルル!待って!ルル!」
あっという間に見えなくなる白い姿にティアナはあわてて手を伸ばす。もたもたと馬から降りようとする彼女の腰をジークがぎゅっと抱きとめた。
「お前の足で追いつけるはずないだろう?相手は精獣だぞ」
「だって!ジーク様!ルルがいっちゃいました」
ジークの腕を叩くようにして、ティアナは降りようともがく。必死な姿はルルを追いかけることと母獣のことでいっぱいに見えた。見回り班の団員は驚きのあまり声も出ない。
「い、今のなんです?子ども?それにおんな?どうしてここに…」
「カイリ、後から追いかけてこい。ティアナを連れて先に行く!」
「了解した。気を付けろ」
ティアナを片手で楽々と抱き上げるとジークはまた馬の背にきちんと彼女を乗せ手綱をとる。
「おとなしくしていろ。今からルルを追いかける。ちゃんと連れていくから暴れるな。いいな?」
低い声で言い聞かせるようにして、彼女の腕に触れた。そして、行くぞ、と愛馬に声をかけ森の中をかけて行った。
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白い光を纏った姿が、森の中で見え隠れする。夜明けの森を飛ぶように駆け抜けていくルルをティアナは不思議な気持ちで見ていた。背中の翼は心なしか大きくなった気がする。やっぱりルルは人間とは違う生きものなんだ。でも、家族に会いたくてたまらないのは、みんないっしょだね。
「あそこです、ジーク様!」
あたりを包む靄よりもさらに濃い白の光が見えてきた。
「かあさま!かあさま!」
鈴のようなルルの声が後ろのティアナたちに届く。だが、嬉しげな響きは一瞬で悲痛な鳴き声に変わった。嫌な予感に背筋がぞわりとして彼女は身を固くする。それはジークも同じだったようで、手綱を握る腕がぐっと筋張った。
「もう馬を降りたほうがいい」
そう言ってジークは水辺の近くに馬を止めた。ここで待っていろと鬣を撫でてやる。
ティアナを下ろし、彼女の手を取って水辺へと近づいた。二人がたどり着いた場所は小さな湖ほどもある池のほとりで、そこここに枯れた白木が重なり合って倒れている。夜明けの光が水面をきらきらと照らすなか、水辺近くに大きな大きな白い獣がいた。
馬に近い見た目だが、はるかに大きい。小さな小屋ひとつぶんはありそうだ。ティアナは精獣の大きさに目を丸くした。全身が白く燃える炎で覆われているのが遠目でもわかった。
「あれが…、お母さん?」
ルルの姿と全く異なった見た目に彼女はうろたえた声を出した。
「一角獣だ。精獣は子と親で姿が違うこともある。ルルの角と翼は母譲りだな」
そこへ木陰から兵士がひとり出てきた。魔石で淡く光るランプを掲げて二人を照らす。ジークは片手を上げて合図した。
「状況は?」
「数刻前まで暴れてたんですが、今は動かなくなってます。住処へ帰してもおそらくもうダメでしょう。ずっと、何かを探すみたいに歩き回っていました」
ルルの鳴き声が聞こえてくる。ティアナは水辺に向かって歩き始めた。
「ティアナ、待て。俺も行く」
ジークは彼女にぴたりとつきそった。夢を見るようなぼうっとした表情で前を向いているティアナは周りのものが目に入っていないようで、ひたすら精獣を目指す。
「かあさま、かあさま」
悲しげな声に近づいていくと、だんだんとその理由がジークにも明らかになる。水辺に横たわっている白い獣の様子にジークは息を呑んだ。一角獣はその角と美しく大きな翼が特徴だが、目の前の獣にはそれがどちらもなかったのだ。
角は根元近くで折れてなくなっており、血が混じり黒く変色した跡にぎざぎざとくっついた白い破片がその名残をとどめるだけだ。背中には、無理やり皮膚を引きちぎられたかのような大きくえぐられた深い傷跡。翼骨がいくつも突き出し、翼の残骸がみじめにひらひらとぶら下がっている。血が流れきったのか、白い体は青味を帯びている。ぐったりと横たわる精獣は、辛うじて腹を浅く上下させていた。
「こんな……。酷い」
目を覆いたくなるような惨状に、怒りがこみ上げてくる。ジークは拳を握り固め、ティアナの肩を抱くようにした。彼女は一心にその姿をみつめている。
「傷口から見て、数日経っている。おそらくルルといた所を親子で狙われたんだ。角と、両翼を持っていかれてる」
「そして、大切なルルも、です……」
母親に寄り添う小さな姿を見つめる。ルルはくすんくすんと鼻を鳴らして母獣の鼻面を抱きしめていた。微かに、母獣のその眼が開かれた。それが嬉しそうに細められる。
「ルル。ぼうや…」
「かあさま!」
ルルは顔を輝かせて夢中で母親をぎゅうぎゅうと抱きしめる。体毛を覆う白い炎がすこし力を増したように見えた。ルルは彼女の周りをそろそろと歩き回り、背中の怪我を見つけた。
「ティアナ!ティアナ!」
ルルが突然こちらを見た。後を追ってきた二人の気配を知っていたかのようにティアナに呼びかける。彼女はまた誘われるように一歩を踏み出した。だがジークが腕を優しく掴んだ。
「もう、あれには時間が残っていない。二人にさせてやれ」
硬い表情でそう告げられてティアナは首を横に振った。
「でも、呼ばれています。ルルが、呼んでるの」
「ティアナ…」
見ると、彼女の黒いペンダントがゆらゆらと輝きはじめている。ティアナは自分に何ができるかを悟っているようだった。
背後にカイリたちの気配を感じてジークは振り返った。到着した団員たちがティアナのことを興味深そうに見つめている。彼はため息をついた。
「わかった。一緒に行こう」
「え?」
「ひとりで行かせるわけがないだろう?役には立たないだろうが、お前のそばに居させてくれ」
彼女はにっこりと微笑み、ありがとうございますと彼の手を取った。
「ルル、今行くね。お母さんを治そうね」
彼女はそう呟いて、キラキラと輝く夜明けの水辺へ歩き出した。