第六話 黒翼の騎士
何事かと数人が立ち止まる。ティアナは左右を見回し背伸びをして、ジークの耳もとに話しかける。焦った囁き声は驚きでかすれていた。ジークはちらりとその子の背中を確認すると素早く布地をかけなおした。そして、鋭い目を男たちに向ける。
「お前の身内ではなさそうだぞ?どこから攫ってきたんだ」
「甥っ子だっつってんだろ。痛い目見たくなかったらさっさと渡せよ」
男は小狡そうな表情を浮かべ、下卑た笑いを貼りつけている。数人がじりじりと近づきながらジークとティアナを裏路地の方へと追い込んでいった。
「兵士さん、この人数に勝てるわけねえよな」
ニヤニヤと笑みを浮かべる横で、ひょろ長い一人が驚いたように声を上げた。
「兄貴。この男、剣を持ってます!」
「ああ?そりゃそうだろ。どこぞの格好だけの剣士様だろうよ。綺麗な顔しやがって女まで連れてる。適当にぶちのめしたらその剣もついでに貰っとけよ」
ジークは眉をぴくりと上げ、
「なんだ。結局力づくで取り返しに来るのか。甥っ子だという設定はもうやめたんだな?たしかに、精獣が身内など、汚らしいお前たちにはおよそ似合わないものな」
侮蔑を含んだ口調に、男はかっと声を荒げた。
「ごちゃごちゃうるっせえな!ソレの正体わかってんならさっさとよこせってんだよ!」
低く叫ぶと周りにむかって吠えたてた。
「男はぶちのめせ!あの獣と、女を捕まえろ」
そして、いっそういやらしく笑った。
「どっちも怪我させるんじゃねえぞ。あの女、ぜってえ高く売れる。見ろよ、色も白いうえにめっずらしい瞳の色してる……か、ら」
最後まで言い切らないうちに、男はどさっと地面に頽れた。腹の辺りを押さえ呻いている。ジークの強烈な蹴りが鳩尾に入ったのだ。左腕に抱えた子どもをティアナに預けると、男の前髪を掴み苦しげな表情を覗き込んだ。
「二度と、その、汚らしい口で彼女について話すな」
一言一言に力を込め、男の頭を揺さぶる。砂塗れになった顔で辛うじてジークを睨み付けていた。
「おい、アレをどこから拐ってきた?」
「うる、せえよ」
男の襟首を掴み、もう一度地べたへ頬を打ちつける。ぐっと喉を鳴らした男の目の前で、剣を引き抜いた。紅の魔石がぎらりと光る。
「薄汚いその性根ごと焼き尽くしてやろうか?魔獣を相手にするよりよっぽど楽だ。あんな小さな精獣、まだ親と一緒にいたはずだろう?どこだ?」
ぎらぎらと瞳を怒りでいっぱいにしながら、ジークはなおも問い詰める。魔石がどんどん赤くなるのを見て、男の眼にしだいに恐怖が滲んできた。
「ま、せき…。くそ、騎士団かよ」
「そうだ。当てが外れて残念だったな。お前もこの炎で焼き尽くすことができるぞ?早く言ったほうが賢明だ」
「俺じゃない…。別の野郎から…っソレが突然逃げ出したんだ…」
ジークは目を細め、柄を握りしめる。剣の刃がゆらりと赤く色を変えた。
「話にならない。死ぬ気で思い出せ」
「ま、まって…まってくれ!思い出す!思い出すからっ!ええと…そう、国境近くの…。み、湖!湖って言ってた!」
男の焦った声は、あとはわかんねえ、ほんとだよぉと情けない泣き声に変わる。ジークは立ち上がり、周りの男たちをぐるりと睨みつけた。
「どうする?まだやるか?こちらはまったく構わないが。この男は第五騎士団が預かる。奴隷商人または人身売買と関わりがあると分かれば即座に役人に引き渡す。スールは拷問が厳しくて有名らしいぞ?」
剣を閃かせ大きく一歩を踏み出したジークに、残りの数人はあとずさる。騎士団、と言う単語で既に彼らは縮み上がっていた。普段魔獣相手に戦う命知らずの剣士とやりあうほど馬鹿ではないし、彼らのリーダーが捕まり、情けない姿を晒している。
変わり身の早い彼らは一斉にどたどたと暗い路地の奥へと消えていった。反対から、騒ぎを聞きつけた役人が笛を吹きつつかけてくるのが見えた。
ち、来るのが早いなと舌打ちをしてジークはティアナに駆け寄った。
「怪我はないか?」
子どもを抱きしめ何度も頷くティアナの頬を大きな手でつつむ。彼は早口で伝えた。
「そのコドモ、役人に見せるとややこしくなる。フードをかぶせてしっかり隠しておいてくれ」
再び男の腕を掴んで、ジークは役人を待ち構える。厳つい顔をした二名はジークの容貌を見るなりハッとしたように顔を見合わせた。ジークに向かって一礼する。
「これは…!クラウゼント様、いや騎士団長どのでしたか!騒ぎがあったと聞き駆けつけました。お怪我はありませんか?」
「ああ。問題ない。こどもを連れ去ろうとしていた所に出くわしたんだ。おそらく奴隷商人の下っ端かなにかだろう」
役人の一人が顔をしかめながら、ぐったりとしたままの身体を重そうに抱き起こした。
「それは…!そうでしたか。お手を煩わせてしまい申し訳ありません。こちらでしっかりと預かります。で、その、子供は…?」
ティアナは胸にぎゅっと小さな身体を抱きしめた。銀髪をちらりと覗かせた男の子は雰囲気を悟っているのかひとことも発しない。ティアナの瞳を真剣に見つめ返してきた。
ジークは彼女たちの方は見ずに、平坦な口調で答える。
「ああ、逃げてしまったようだ。すまない。何をしようとしたかはそこの男から聞くといい」
人間はもちろん、珍獣売買の罪は相当重いからなと何気なくつけたす。男の肩が震えだした。ジークは裾の土埃を払って翻すと、
「今日は私用でこちらに来ている。あとは任せても構わないか?」
「もちろんです。今日は市の日ですからね。町の外れの方も灯りを絶やさないようにしています。どうかごゆっくり楽しんでください!」
もともと騎士団は街の自治には無関係だ。役人二人は生真面目に礼を言うと、男を引きずりながら連れて行った。
裏路地からその姿が見えなくなるのを待って、ジークはティアナのもとへ急ぐ。彼女は怯えた目をしながらも、しっかりとこどもを抱きしめている。だが、その胸のペンダントの中身が微かに揺らめいた気がした。
「ジークさま、あれ、は、この子は… 、あのひとたち…」