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第九話 クラウゼント家にて3

 翌日から、ティアナは少しずつアレンについて広い屋敷内を見て回った。主棟と別棟のうち、ほとんど使われていない別棟の調度品の目録を作るのが、いわゆる彼女の「助手仕事」となった。


この街に伝手もなく、交流も持たない彼女は結果的に助手としては適任だったと言える。こういった管理業務では、しばしば高級な品がいくつか知らぬ間に目録から消えていたりするものだからだ。ティアナは頭も良くすぐに仕事も覚えた。たまに迷子になってしまうようではあったが。




しばらくは養生のためじっとさせておけというジークの命令に頑なに首を振ってもう休みましたから!とアレンについてゆくティアナ。孫ほども歳の離れた娘の、役に立ちたいという意気込みを微笑ましく感じたのか、アレンは時おり厨房仕事の手伝いも頼むようになっていた。



「では、ジーク様は今日もお帰りにならないんですね?」


皿を一枚ずつ拭きながらティアナは聞いた。使用人は昼過ぎで帰っており、今は二人で夕食の下ごしらえの最中だ。厨房は大人数の食事にも対応できるような広い造りだが、今はその一角しか使っていない。屋敷全体に漂うがらんとした空気に、彼女も何度となく寂しさを覚えた。


「ええ。残念ながら。北の森で魔獣が何度か見かけられたそうですよ」


ティアナと助手の話をした翌日、兵舎からの使いが来てジークは慌ただしく出かけて行った。そのまま一週間、北の森で任務にあたっている。騎士団には大きな街ごとに兵舎が用意されており、彼もそこで寝泊まりしていた。


本来なら遠征後の休暇中である第五騎士団だったが、王都の命により引き続き任務にあたることになったと使いから知らされると、家令は少し残念そうな顔をした。


「ジーク様は十年以上こちらには寄りつかなかったので、これを機に少しは屋敷で過ごして頂ければと思っていたのですがねえ」


食材を調理台に並べながら、家令はため息をつく。ティアナは初めにジークが言った言葉を思い出した。疎遠だったこの家に帰る気はなかったと。皮肉にも、父親の死が彼をここへ引き寄せた形になっている。


どう返していいかわからず、ティアナは彼の気を紛らわす話題はないかと頭を巡らせた。


「ジーク様は、小さい頃はどのような方だったのですか?」


白髪の混じった眉尻を下げ、アレンは天井を仰いだ。


「それはそれは聞き分けの良い、利発で賢い方でした。笑うとこう、えくぼがくっきりとあらわれて天使のようでございましたよ」

「天使、ですか?」


黒髪をさらさらなびかせ、瞳をきらきらさせたあどけないジークを想像しようとしてもなかなかにティアナには難しかった。魔獣へ向かう勇猛な姿や不機嫌に足や腕を組む姿しか浮かばない。そして、揺れる紫の瞳と。

彼女はかすかに頭を振った。ちがうちがう。


「なかなか想像つかないですね。小さい子はわたし、大好きなんですけど……」


両手を広げるティアナのもとへ駆け寄ってくるたくさんの小さな子供たち。そんな場面が頭にふわりと浮かんだとき、


「あの頃の小さなジーク坊ちゃんの笑顔を貴方にも見ていただきたかったですね。とてもとても可愛らしくて、お母さまとそっくりだったのですよ」

「お母さまと?」

「ええ、美しい方で、ジーク坊ちゃんをとても大切に」



「だれが坊ちゃんだ?」


低い声が鋭く飛んできた。


「ひゃ…」


ティアナが飛び上がって振り向くと、厨房の裏口に真っ黒な人影が寄りかかっている。風呂を使った直後なのか、黒髪が無造作に額に垂れていた。おなじみの少し物憂げな立ち姿に、皿を抱きしめたティアナの胸はとくんと高鳴った。


「ジーク坊ちゃま。そこから入ってきてはいけませんと何度も申し上げたでしょう?」

「いくつの時の話をしている?俺はもう火かき棒を振りまわして喜ぶようなことはしない」


盛大にため息をついて、不機嫌にアレンを見ながらブーツの音を響かせジークはこちらにやって来た。黒い外套から、剣の紅い魔石がきらりと覗く。


「おかえりなさいませ。ジーク様」

「ああ」


深々と頭を下げたアレンに倣って、ティアナも同じように声をかけた。


「お、おかえりなさいませ」


ジークは一瞬目を瞠って、そのまま視線をそらしてしまう。妙な沈黙にティアナが不思議に思って顔を上げると、彼は不自然な咳払いをして小さく頷いた。


「今日はお帰りならないと先ほど連絡を頂いたので、残念に思っていたのですよ。ジーク様」

「ひと段落して時間に余裕ができたから帰ってきた。……何か食事はあるか?」

「ええ、もちろんご用意いたします。お部屋にお持ちしますので、楽になさってお待ちくださいませ」


アレンは嬉しそうに頭を下げた。ジークは小さく、よろしく頼むとひとこと告げてそのまま行ってしまった。

が、数歩いったところでこちらを振り返る。ティアナの方を見ながら、


「アレン、二人分にしてくれ」


と告げて再び歩きだす。アレンはにこやかにもう一度頷いた。


「かしこまりました」


恭しくいってから、


「では、ティアナさん。お食事をお持ちしていただきましょうね」


穏やかな瞳を少し悪戯っぽく煌めかせて老いた家令はティアナに伝えた。


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