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第一話 目覚め1

 ……い、おい。


 頬をぺちぺちと叩く音がどこかで聞こえる。やけに冷たい手だ。


「おい…。俺の声が聞こえるか」


 聞こえる、けど。ほっぺた触らないで、いたい。


「団長、その娘…」

「ああ。心臓がまだ動いている」

「信じられません。この火の中で……。ですが、肺にひどい火傷を負っていると思われます」


 ティアナの耳に、低い話し声が少しずつ流れ込んでくる。言葉の意味を捉えようとしたが、激しい胸の痛みを感じて、喉もとに手をあてようとする。けれど思ったように腕は上がらず、虚しく空を掴んだだけだった。


 その彼女の腕を、がっしりとなにかが支える。今まで彼女の頬に当てられていたのと同じ冷たさに肩が震えた。


「つ、めた……」

「っ!おい!目を開けろ。意識をしっかり持て!」


 ティアナの肩を乱暴にゆするその声の主に彼女はかすかにまぶたを動かそうとした。けれどもうまくいかない。

 カラダ、全部痛いし、苦しいし、胸がすごく重い。どこか奥の方で目を開けたくないと、このまま眠ってしまいたいと叫ぶ声まで聞こえる。ティアナはその悲痛な響きに従って意識を手放そうとした。


「俺の目を見ろ!目をあけるんだ!こら!」

「団長…」


 思い切り怒鳴りつけられて彼女は思わず目を開けた。こら!って怒られるなんて何年ぶりだろう。いったいこの乱暴なひとはだれ?


 痛みのなか、眉をひそめてその顔を確かめようと頭をすこし持ち上げる。彼女を覗き込んでいる瞳と目があった。まっすぐな、紫がかった墨色。気遣わしげに揺れる綺麗な色がなんとなく嬉しくて、ティアナの表情はかすかに和らぐ。


「よし、いい子だ。そのまま楽しいことだけ考えていろ。ピクニックやら、花やら、菓子でもなんでも」


 彼女は上体がふわりと持ち上がったのを感じた。手首と足首にはめられていた鎖はいつのまにか消えている。


 お花やお菓子って。こどもみたい。それにこの人、いい子だって……。いったいわたしをいくつだとおもってるんだろ。彼女は不満げに顔をしかめた。

 あれ、わたし、いくつなんだろ。なんでこんなに体の中も外も痛いの?わたしが失敗したから?


 混乱する記憶をかき集めようとしても、なにかが邪魔をして頭のなかに大きな壁があるみたいだ。揺れる景色の中、ティアナは再び意識が遠のいていくのを感じた。


「アレン!アレン!どこだ?馬を回せ!」

「死ぬなよ。お前に死なれては唯一の手がかりがなくなる」


 焦りを含んだ厳しい言葉とは裏腹に、傷だらけの身体を優しく力強く抱き込む腕に安心したのか、ティアナは穏やかな眠りに引き込まれていった。


 ✳︎✳︎✳︎✳︎


 風がさわさわと優しくカーテンを揺らし、そのたびに穏やかな光がティアナのまぶたの裏で踊る。彼女は何度か瞬きを繰り返してようやく目をパチリと開けた。ちらちらした光は窓から漏れ出る陽光で、そこでやっと自分が恐ろしくふかふかのベッドに横たわっていることに気づく。


 なぜ自分はこんなところで目を覚ましたのだろう、ぼんやりとした記憶をめぐらせていると、側でかさりと音がした。彼女は視線をそちらにむけて息を飲む。そばに大きな黒い塊があったのだ。


「……ひ、」


 声にならない恐怖が胸の底で再び湧き上がる。身体を起こし逃げる態勢を取りたいのに動けなかった。だが、目を凝らしてみると、黒いシルエットはどうやら人間のようだった。真っ黒な衣服を纏った黒髪の男性が俯いて椅子に深く腰掛けている。やたらと長い脚を組んで、腕組みをして、うたた寝している。


 穏やかな陽のひかりが整った横顔を照らす。閉じた目蓋を縁取る長い長い睫毛にティアナは恐ろしさを忘れ、男性をじっと見つめた。このひとどこかで見たような、気がする。

 視線に気づいたのかぴくっと肩を揺らして、彼は目を開けた。



「あ」


 今度は彼の方が驚きで目を丸くする。がたりと立ち上がって扉の方へ大股で向かうと、大声を張り上げた。


「アレン!目を覚ました!何か食事を!」


 そういうとまたこちらへ戻ってきて、デカンタからグラスへ水を注ぎ、彼女へずいっと差し出した。


「水だ、娘。飲むといい」


 無造作に差し出されたそれを、彼女は重たい身体を引きずるように起こしながら腕を伸ばして受け取ろうとする。自分の手首に黒い痣がついていることにぎょっとして思わず男性へと目を走らせた。


「どうした。早く飲め。五日ぶりに目を覚ましたんだ。喉が渇いているだろう」


 男は不思議そうな表情で彼女を覗き込む。ティアナはその仕草でやっと彼のことを思い出した。眠りに落ちる前に見た人だ。恐ろしい場所から自分を優しく抱き上げてくれた人。こら!って子どもを叱るみたいな声をあげたひと。


 おそろしいばしょ?ってどこのこと?


「まさか口がきけないのか。火傷を負って声帯をやられたか?それだと困るな」


 男性の不満げな声が響く。ティアナはぴくりとして首を振った。


「いえ……。あの」

「なら早く飲め。ほら」


 肩に腕を回され、上体を起こされる。少し乱雑なその仕草に彼女の頭がぐらりと揺れた。


「ジーク様。そのように乱暴に扱ってはなりません。やっと目を覚ましたばかりですよ」


 軽いノックと共に、五十がらみの男が部屋へ入ってきた。ワゴンを押しながらベッドへと近づく。


「だが、水を飲まねば口もうまくきけないだろう」

「それはそうですが、そのように慌てて物事を先へ進めてはなりません。ほら、娘さんが怯えてしまっています」


 グラスを持ったまま固まっているティアナに視線を移す。彼女は呆気に取られた様子で二人のやりとりを見つめていた。ジーク様、と呼ばれた男性はかすかに舌打ちをして、ティアナの肩を支える。彼女は無意識に震えていた。


「そう怯えるな。聞きたいことは山のようにあるが、まずは目が覚めて何よりだ。何かあればここにいるアレンに伝えろ。俺は兵舎へ戻る。いいな、アレン」


 肩に置いた手をぱっと離すと腰から下げた長剣がかちゃりと音を立てる。長身を黒いチュニックと脚衣で包んだ青年は軍人らしく、てきぱきとした身のこなしで衣服の乱れを整えた。黒髪をかきあげ、下から覗く紫がかった瞳を真っ直ぐにティアナに向ける。


「また、夜に訪ねる」


 それだけ言うと、ブーツの足音を響かせて部屋から出て行ってしまった。



「いってらっしゃいませ」


 恭しく頭を下げたあと、アレンはティアナに向かって穏やかに微笑んだ。


「さて。お嬢さん。温かいお茶と、卵たっぷりのお粥はいかがですか」

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