第五話 癒しの魔女1
ユリウスは静かに響く足音に、恐るおそる振り返った。さっきは気まぐれに、ティアナちゃんなどと呼んでしまったがティアナ様かもしれないのだ。または師ティアナとか?
癒し手が魔女と呼ばれるようになったのはいつのことからか、誰も知らない。女だけがその力を持つとか、怪我や病気を治してくれる代わりに大事なものの命を奪うとか。あるお伽話では報酬次第で死者を蘇らせることもできたという。絶世の美女、または醜い老女。だが会ったことのある者などいない。回復魔法が使えるものはそれだけ稀有な存在だったのだ。民衆は畏れから癒し手を、しばしば命を操る恐ろしげな魔女として伝えてきた。騎士団本部の魔法史料でさえ、癒し手についての記録は曖昧だ。
「失礼します…」
覚悟を決めて振り返ったさきには、か細い声とともにこわばった表情の娘が立っていた。栗色のふわりとした肩までの髪、白い肌にグリーンのドレスが映える。ユリウスよりいくつか下だろうか。ドレスの裾をつまんで腰を引いて頭を下げる。なんともぎこちないその仕草に、ユリウスはぽかんとして答えを忘れて見つめるばかりだ。
「ティアナ。こちらへ」
「はっ、はっ、ハイ」
今度はこちらから聞き覚えのない声音がする。ジークの声は低めで抑揚があまりないのだが、いま聞こえたのは恐ろしく穏やかな響きだ。思わず彼の方を振り向くと同時にティアナがぎくしゃくとジークの方へ足を踏み出す。そして何もないところで緊張のあまり、彼女は前に蹴つまずいた。
「おっと、だいじょ」
「きちんと下を見て歩け」
彼女を支えようと咄嗟に手を差し出したユリウスよりも素早く、ジークの腕が力強くティアナをとらえる。彼はそばにそのまま引き寄せた。
「ご、ごめんなさ…いえっ、ありがとうございます…」
「まだ本調子ではないのだろう。しっかり休めと言ったはずだ」
叱責の言葉に彼女は顔を赤らめ、恐縮して肩を竦めた。そしてユリウスに向かい、
「て、ティアナ、と言います!よろ、よろしくお願いいたします!」
「あ、うん。うんっ。よろしく。ユリウスだよ。ジークのこと、あ」
治してくれてありがとうと伝えそうになり慌てて口を噤んだ。ぴくりとジークの眉が上がったからだ。彼は咳払いをして、何事もなかったように続ける。
「今回は大変だったね。ジークからすこし聞いてるよ。魔獣に襲われたんだよね?怪我はなかった?」
「は、はい。ジーク様やお屋敷の方にご迷惑ばかりおかけして本当に申し訳なく思っています…」
「火事のときは、僕は現場には行けなかったんだ。けれど、一人でも無事に見つかって良かったと思ってる。助かった命、だいじにしてね」
彼女はぱっと顔を上げ、ユリウスを見つめた。翆の瞳だ。珍しいな、と思う間もなくみるみるその表情が歪む。涙を堪えるようにお心遣いありがとうございます、と絞り出した。
彼女の肩越しにジークと視線が絡む。彼は何も言えなかった。どう見たって無害な娘だ。街や王都の華やかな女の子たちともすこし違う、田舎のあたりによくいるような。これが、恐れられる魔女ね。人の命を弄んで喜ぶようにはとても見えない。言い伝えとは恐ろしく歪んで伝えられることがままあるものだ。
「先日の火事のことや自分の出身のこと、あんまり覚えてないそうだね?」
「は、い。申し訳ありません」
彼女は視線を逸らす。ジークの言葉通り、彼女の胸にはまるくて黒く輝くペンダントがかかっていた。ユリウスはつかつかと歩み寄り、「失礼」と断って屈みこみそれをしげしげと見つめる。なんとなく魔力のようなものは感じられるが、微細なものでユリウスにもはっきりとはわからなかった。
「ユリウス」
「ああ、すまなかった。不躾だったね」
「い、いえ、とんでもないです…」
何度も頭を下げるティアナに、ジークは
「彼は俺の信頼する部下であり仲間だ。これからも会うことがあるかもしれない。俺が不在の時、なにか困ったことがあればユリウスを訪ねるといい」
「は?」
「え?」
面食らったユリウスとおなじようにティアナも不思議そうに首を傾げてジークを見上げる。彼は二人を無視して、アレンに声をかけた。
「ティアナを部屋へ送って行ってくれ」
「かしこまりました。さ、こちらへ」
にこやかなアレンに促され、ティアナは疑問を浮かべた表情のまま、深くお辞儀をして入ってきた時とおなじようにぎくしゃくと部屋から出て行った。それを見送るジークの瞳に、見たこともないような柔らかな光が浮かんでいる。やがて彼は唇を引き締めユリウスを振り返った。
「ちょっと、ジーク?」
「なんだ」
「どういうことかな、僕を訪ねるって」
「そういう機会があればということだ。彼女は身寄りがない。記憶もいつ戻るかわからない」
「それはそうだけど…」
「力を自覚して、人目に触れるようなことがあったら」
「それは…。また捕まるかもしれないね」
ユリウスは小さく同意した。ジークはつかつかと窓へ近寄り、紺色になりかけた空へ目を向ける。
「父が」
黒髪の奥は表情が見えない。
「父の遺体だけ、綺麗だったと言ったろう?」
「…うん」
彼はすこし言い淀んでから、また口を開く
「あの娘が、綺麗にしたのだと思う。力を使ったんだ」
「……うん」
「彼女は父を助けようとした。だが自らも炎に巻かれ、助けきることができなかった。そして息子の俺は、彼女に腕を繋げてもらった」
俺は、彼女を保護する義務がある。
そう言ってジークは揺るぎのない瞳でユリウスを見つめた。
「ユリウス、頼みがある」
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