第三話 幼馴染み2
「癒し手?」
「癒し手だ」
ユリウスは手にした紅茶のカップを落としそうになった。あまりに突拍子のない単語に、形の良い唇が半開きになる。だが、目の前で足を組むジークはいたって真剣な顔でユリウスに頷いてみせた。
応接室、どちらかというと私室に近い広さの部屋に招き入れられると、家令がティーセットを運んできた。館の主を失ってまだ二週間と経たないこの家はひっそりと喪に服していた。使用人ももともと少ないのだろうが、豪華な装飾品や調度品で飾られた屋敷はやはりすこし暗い雰囲気に感じられる。
そんな静かな室内で、ジークとユリウスは向かい合わせになり、ありえない言葉を二人して口にしている。
「えっと…、君の言うのはその、あれかな?癒し魔法を使う、ええと、いわゆる魔女、のこと?」
「まぁ、そうだな。その呼び名はあまり好きではないが。それに彼女はそんな恐ろしげなものではない」
「僕たちの国ではもう存在が伝説化しすぎてて、逆に怖がられてるからね」
お茶が溢れなかったことにほっとしつつ気持ちを宥めるために、ユリウスはひと口温かな液体を飲み込んだ。
ジークやユリウスが使う魔剣は主に火や水の力が込められている。当人たちの好みや性質に合わせて支給されるわけだが、全て攻撃系の魔石だ。癒しの魔法というのは存在しない。
存在しないというのが一般通念だ。
「俺の左腕を彼女は、ティアナは治したんだ。というかくっつけたに近いな」
ジークは黒の衣服の袖をめくり剥き出しにして見せた。なるほど傷ひとつない。いつもの引き締まった腕に、ユリウスは見覚えのある痕がないのに気づいた。
「初陣のときにやられた傷痕が消えてる。僕もカイリもまだバッチリ残ってるのに」
まだ十代のころ三人揃って初陣を果たし、勇み足になりすぎ揃って見事に負傷。担架で運ばれたのは三人の決まり悪くもいい思い出だ。今でも酒が入ると赤痒くなる。
「今朝までは俺にだってあったんだ。彼女が古傷まで消したんだろう」
彼は館の焼け跡に記憶を失くしたティアナを連れて行ったこと、そこで魔獣に襲われたことを話した。
「最後のやつにカギ爪でやられたんだ。彼女が取り乱してこっちに飛んできた。そして俺の手を掴んだ。そこから、光があふれだして……、細胞がつながっていく感覚があって…、目が覚めると治っていた」
ジークは眉を寄せ、ひとつひとつの記憶を確かめるように言葉を繋いでゆく。凛として精悍そのものではあるが、戦いの時と酒に酔った時以外はほとんど表情筋に動きのない騎士団長のそんな様にユリウスは目をみはってしまった。
大きく息を吐いてカップを置き、長椅子にぐったりと背を預ける。驚いた。これは坊ちゃん呼びを揶揄ってる場合じゃないぞ。
「癒しの力も驚きだけど、正直君が無事でなによりだよ。そんなひどい怪我だったなら剣が持てなくなってもおかしくない」
額に手を当てて天井を仰ぐ。
「無茶したんだね?君のことだから」
「五匹いたんだ。応援を呼ぶ暇もなかったのでやり合った」
「ご、五匹……?ひとりで5匹?」
ユリウスは眉を吊り上げた。紫の瞳がきっとジークを睨む。
「一度退却できたはずだ。騎士団長どの。馬車も待たせていたんだろう?」
「そんな暇はなかった。それに、野放しにするなど言語道断だ」
「突っ込むのは構わないが、一人では決して行くなと何度も言っている」
強い視線に、ジークも同じように睨み返した。
「あいつらを見たら倒すのが仕事だ」
「君ひとりの問題じゃないんだよ。騎士団の規律は守ってほしい」
無言で二人は暫し睨み合う。滅多に怒ることのないユリウスの厳しい表情に、ジークは唇を噛みしめ視線を逸らした。
「……気をつける」