第十一話 炎を後にして
揺れる景色が、小窓の向こうで流れてゆく。ティアナはぼんやりとそれを眺めていた。
なんだかすごく身体がだるい。全身から力が抜けてるみたいで、目を開けるのも閉じるのも億劫な感じがする。でも、とても心地良くて、あたたかい。
紫墨の瞳と目が合った。
あれ、ジーク様だ。なんだか前もこんなことがあった気がする。助けていただいたときに、こんな風にジーク様のお顔がずっと近くにあったような…。
彼女はぱちりと目を見開いて、頭を上げた。いつの間にか馬車のなかで思いっきり寝ているし、また、彼に横抱きにされていたのだ。焼け落ちた館でのことや、魔獣との遭遇が一気に蘇る。
「す、すみません…!またこんな、すすすみません!」
両腕を突き出し、彼から離れようとする。だが、一層強く肩に腕を回されてしまい、堅い胸板に頬を埋める形になってしまった。わけがわからず、ティアナは恥ずかしさにあたふたと足をばたつかせ僅かな抵抗をこころみる。だが、口を開いたジークから出たのは切羽詰まったような声音だった。
「…大丈夫か?どこも痛むところはないか?」
「…え?いえ、ど、こも、だい、じょうぶです……」
「そうか。だが、かなり疲れた顔をしている。だいぶ力を使ったのだろう」
「ちから?」
ふう、と息を吐いたジークは、彼女の胸元のペンダントをちらりと見て唐突に聞いてきた。
「このペンダントは、お前のものだな?いつからつけているんだ?」
「えっ?あ、ええと、ずっとです。わたし、孤児院で育ったので…。預けられたときにはこのペンダントをつけていたそうなんです。お守りみたいな感じで」
けれども最近、この石は熱くなったり冷たくなったり、なんだか生きているみたいに思える。ジークにこんなことを言ったら笑われるだろうか。ティアナはちらりと彼を見上げた。彼はティアナのことをずっと見つめていたようで、真剣な眼差しに思わず瞳を逸らしてしまう。
そうとは知らず、大事なものなのだろうな、と呟きジークはやっと馬車の外へ顔を向けた。しばらく沈黙した後、
「魔獣が出て怖い思いをしただろう」
と聞いてきた。彼の、何かを探るような目つきには気づかずティアナはまたがばりと頭を起こした。
「そ、そうですっジーク様!怪我!ケガをっ!わたしを庇って…。ジーク様こそ大丈夫ですか?見せてください!」
「いや、怪我は大丈夫だ。大したことはなかった」
ほら、と左腕を軽く振って見せる。外套の下から覗いた剥き出しの腕はたしかにぴんぴんとしていて、傷は見当たらない。ティアナはすこし面食らった。
確かにひどく血が流れていたはずなのに。
「あれ…。ほんとうに?でも、確かに腕を」
ジークの剣の腕も、立ち回りも尋常ではない強さだった。戦闘には無知なティアナでさえその圧倒的な力と気迫に飲み込まれそうになったのだ。自分がもっと上手に隠れていれば魔獣に見つかることもなく、彼は易々と倒していたに違いない。
私を庇ってジーク様はあのとき魔獣の鋭い爪を受けてしまったはずなのに。
「かすった程度だった。気にするな」
妙に素っ気なく答えるジークに、ティアナは唇を噛みしめ、
「それでも、も、申し訳ありません。もっと上手に隠れていれば」
「いや、本当に大した怪我などしていない。心配するな。むしろ、お前のおかげで命拾いした」
「わたし?わたしはなにも…。結局また、なにも思い出せなくて、お役に立てなくて…お父様のことも」
彼女はぶんぶんと頭を振る。自分が情けなくて仕方ない。
「いや。俺は、お前に命を救われた。これでまた心置きなく剣を振るえる」
彼は、ティアナの前髪をすくって揃えてやりながら語りかけた。
「覚えてなくてもいい。火事のことも、無理に思い出さなくていい。父のこともあまり気に病むな」
「そんなことできません!それではジーク様が…」
すこし思い詰めたような表情でティアナを見つめて、
「お前が悪い人間ではないことが、よくわかったんだ。だからそんなお前が忘れ、思い出せないことがあるとしたら、それはきっと、理由があるからだと思う」
自分に言い聞かせるように、ジークはゆっくりと言葉を紡いだ。
「ジーク様…?なにか、お分かりになったのですか?」
彼は黒く輝くペンダントに視線を落とした。
「屋敷に着いたら起こしてやる。まだもうしばらくあるから、寝ていろ」
それだけいうと外へと顔を向け、後はもう口を開かなかった。ティアナは何度か口を開けては閉じ、彼の真意を尋ねようとしたが頑として無視されてしまう。やがて彼女は諦め、目を閉じた。あたたかい腕のなかは煙と血の匂いが混じっていて、それでもティアナは不思議と心地よく感じていた。
✳︎前話でのユーリ副団長の名前をユリウスに変更しております。よろしくお願いします。
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