不思議な少女
帰りの途中で食材を買い集め、ダリルは意気消沈したまま地面ばかり見ていた。雨音を聞くとさらに気が滅入る。結局、報酬も前金分しか貰えなかった。
しかし、客の望み通りに仕事をするだけでは、それこそ機械仕掛けのサイクルの一部になってしまう。誰かがあえて外さないといけないのだ。噛み合わない歯車が一枚でもあることで、世界は命令通りにただ回ることを辞めて、初めて考えようとする。失敗し、努力し、改善するのだ。それこそ人間の本質であり、きっと一番楽しい生き方なのではないか。
下ばかり向いて歩いていたせいか、帰路から外れ、小道に出ていた。
小道から繋がっている路地裏の暗がりに小さな影が見えた。雨傘を少し持ち上げると、そこには雨に打たれている小さな少女が足を折り曲げて座っていた。
とても綺麗な白い長髪に整った顔立ち。白い肌には青く大きな瞳。身体をすっぽり覆った白いワンピースを着ていた。年齢は背丈から察するに十歳程度だろうか。
こんな錆くさいデイゼルの町にはそぐわない不思議な雰囲気を醸し出していた。
まるで、少女の周りだけがこの町から切り離され、独りそこで何かを期待して待っているような……。その青い瞳と目が合ったとき、そんな感情をダリルは抱いた。
「なんだ、お前こんなところで何してるんだ」
明らかに異質な空気を醸し出しているその根源に、ダリルは声をかけた。
「…………」
少女はダリルの顔をじーっと見つめたが、何も返事はしなかった。
「ちっ、なんだよ、口付いてねーのかよ、お前は」
こんな小さな少女にさえ冷たくあしらわれ、ダリルは半ばいじけていた。
舌打ちをし、そのまま少女を横目に路地裏を通り過ぎる。
「…………」
路地裏を出たところで一度立ち止まる。ダリルは、あの異次元空間から出現したかのような少女の存在が気になり頭から離れなかった。
迷子か、捨て子か、様々な感情が頭を飛び交う中、そっとダリルは後ろを振り返る。しかし既に少女は居なくなっていた。
「夢でも見てたのか?」
しかし、所詮は他人。自分の人生とは全く接点の無い人物である。あの少女が何処へ行こうがダリルには関係が無かった。
……と、言いつつもやはり気になるもので。
「何処行ったんだ……」
頭を悩ませながらも再び帰路に着く。
一度通り過ぎてしまった小道を戻り、いつも通るジャンクショップ街に出た。ダリルの自宅はこの街の端くれの高台に位置する。商売の立地条件としては最悪だが、庭からは町全体が見下ろすことが出来、その景色を見下ろしながら吸う煙草は格別に美味いのだ。
現在は雨が降っている為、殆どの店がシャッターを半分ほど下ろしている。中に居る店主はダリルの足音に反応するが、何だお前か、と言わんばかりの顔で溜息をついた。
自宅へ続く錆付いた鉄骨の階段を上っている途中で、先ほどの少女が前方に見えた。
この辺りでは悪い意味で名の知れている、ダゼラというジャンク技師の男が少女の手を引いて歩いていた。
ダリルは少し悩んだが、買い物袋をその場に投げ捨て、ダゼラを追いかけた。
雨傘も差さず走る。レザーの上着が張り付いて気持ち悪い。
「おい、ダゼラ。その子供何処へ連れて行くんだ?」
ダリルが背後から声をかけると、ダゼラに手を引かれている少女も無表情に振り返った。少女は、これから酷いことをされるのが分かっているのに構わず付いて行っているような目をしていた。
「あ? ダリルか。拾ったんだ、さっきそこで。汚れてはいるが近くで見ると上玉だぜ、こいつ。きっと高く売れる。これで俺はもう、うっへっへだ」
ダゼラは、年齢よりずっと老けて見える四角張った顔で、気味が悪い笑みを浮かべた。
隣の少女は表情を変えない。ダゼラの言っている意味が分からないのだろうか。それとも、分かっていてなお無表情なのか。ダリルには分からなかった。
「なんだよ、お前もこの話に乗っとくか? 二割なら分け前をやっても良い」
本当に自分は治安の悪いところで育ったのだな、と実感しダリルは頭を抱えた。
「やめとけ」
「そうか、じゃあこの話は聞かなかったことにしてくれ、あばよ」
ダゼラはダリルにそう告げ手を上げた。反対の手は少女の手を強引に引いていた。
「おい、子供。お前はこの後自分がどうなるか分かってんのか?」
「…………」
少女は表情を変えず、ダリルを見つめた。
本当にこの子供は何を考えてるんだ、とダリルは思ったが、ダゼラにもう一度「やめておけ」と忠告した。
ダゼラは訝しげにダリルを睨みつけると、分厚い唇を開いた。
「……お前のことは昔から気に食わなかったが、悪友同士、仲良くやってく道もまだ残ってるんじゃないのか? もう一回聞く。この話、乗るか?」
「乗らねえよ」
ダリルがそう答えたときには、ダゼラは腰のポケットに忍ばせていたナイフを取り出し、刃を光らせていた。少女を突き飛ばすと、重心を落とし、真っ直ぐにダリルの方へと向かってきた。
「物騒だな、そんなに嫌われてるとは思わなかった」
「うっせえ、黙ってろ!」
大きな身体を上下させながら、全速力で向かってくるダゼラ。表情を野生動物のそれと同じにさせると、足首のスナップを利かせ、器用に身体を捻る。ナイフを背面からぐるんと突き刺そうと、ダリルの首元を狙う。
――だが、その刃先は銀色に鈍く光るスパナによって止められた。お互いの力が鉄の反響音となり、辺り一面に振動を伝えた。
ダリルは楽しそうに、頭をぼりぼりとかいた。
「その顔が気にいらない」
「俺はお前のそんな顔も、好きだけどな」
ダリルは殺気立った相手を茶化すように笑うと、太めの腰ベルトから自作の半田ごてを取り出した。
「は? 何だ、お前ふざけるのか、そんなもん取り出しやがって」
ダゼラが怪訝そうに睨みを利かせると、ダリルは鼻歌を歌いながら半田ごてを雨に当てるように空にかざした。
「クソが。余裕綽々なのも今だけだ。見せてやる、俺の超絶奥義をな! とうっ」
ダゼラは自信満々にそう叫び、バックステップを踏むと、瞬時にその巨体で高く飛び上がりナイフを振り下ろす。
ダリルはそれをぼーっ眺める。ふと思い出したかのように、手元の半田ごてのスイッチを押す。すると中身の芯棒が伸びて、ダゼラの身体にぴとりと触れた。
「な……っ」
「おいおい、飛び上がってナイフ振るのが超絶奥義なのか? 面白いなお前」
急にダゼラはその場に倒れこみ、海から上がってきた魚のように、ぴくぴくと身体を痙攣させる。
「これは電気うなぎごてだ、弄った電気回路を内部に仕込んでる。スイッチを押すと芯棒が伸びるオプション付きだ。雨の日にしか使用できないのが難点だが。ちなみに、一発浴びたら一日はまともに動けないレベルの電圧に設定してある。どうだ、欲しいか? 買う?」
「買うっ……か、ふざけ、んなっ」
「こいつのポイントはこの芯棒の部分さ。良く見てみろよ、ここ電気うなぎの顔になってんだぜ!」
「……こんな、むちゃくちゃ……あるかよっ……がはっ」
ダゼラは脇役ならではの捨て台詞を吐くと、やがて気を失った。
次第に雨は小降りとなり、雨雲はそよ吹く風に流されていく。
ダリルは少女に身体を向ける。相手の瞳が真っ直ぐにこちらを向く。少女の表情は何一つ変わらなかった。まるで、蝋人形のようだ。
「そんなつまらなそうな顔で、お前、生きてて楽しいか?」
少女の表情が初めて、ぴくりと動いた。
この言葉はダリルにとって、機械仕掛けのサイクルの中で動き始めている自分自身への問いかけだったのかもしれない。「じゃあな」と踵を返すと、地面に出来た水溜りに反射する、自分のつまらなそうな顔が見えた。
雨は止み、どす黒い雨雲は生まれ変わったように色を薄くしていく。
ダリルは、自分の家の階段手前まで帰ってきていた。脳内の思考はあの少女に埋め尽くされている。
何故、自分があんな行動を取ったのか、ダリルは考えていた。あの少女は、絶望している訳でも、自分と同じく機械仕掛けのサイクルの一部になっているようにも見えなかった。
まるで、自分の感情を上手に操ることが出来ない、生まれたての赤ん坊のように見えた。
これからいくらでも花咲ける蕾が、何か転機を待っている。そんな風にダリルには見えたのだった。
「……」
何となく、どこからか視線を感じる。見られている気がするのだ。
「気のせいか……?」
後ろから小さな足音で少女が近づいて来る。やれやれと、ダリルは仕方なしに後ろを振り返ると、少女が驚いた表情でこちらを見つめていた。その距離約三メートル。
「……」
ダリルは少女が後を付けて来ていたのには気づいていた。だが、先程の視線は彼女のものとも違う気がしていた。
「なにか用か?」
「ついてきた」
少女は、外見に見合ったとても可愛らしい声と、その声色に見合わないたどたどしい言葉遣いでそう言った。
青い宝石のように綺麗な瞳が、真っ直ぐにダリルと向かい合う。
穢れを知らない純粋な瞳を見ていると、ダリルの視界から周囲の物が消え失せて目の前の少女だけが残った。
少女の瞳はまるで大空のような青。ずっとそれだけを見ていたい欲求に駆られる。
ダリルは、自身が目の前の少女に心を奪われていることに気が付くと、思い出したかのように、口を開いた。
「呼んでねえよ」
「でも、きた」
「……勝手にしろ」
ダリルは髪の毛をかき乱し一言そう言うと、少女は高い靴音を鳴らし階段を駆けあがった。
ダリルの家の錆付いた扉に空から夕色の贈り物が射しかかった。