機械仕掛けのサイクルの出会い
鉄と油、ぜんまいばねと蒸気で溢れる少しくすんだ真鍮色のこの町は、デイゼルの町と呼ばれている。人口はそれほど多くもないが、程ほどに活気づいている町である。湿度が高く、雨が降る頻度は多い。
デイゼルを住処にしている人間にとって、雨は日常茶飯事である。そんな雨を窓越しに、今にも瞼を閉じてしまいそうな男が居た。毎日憂鬱な気分でこの曇り空を眺めていると、どうも気持ちは重く沈んでいく。ダリルは自分の根城である、緑青色にくすんだジャンクショップの二階の小さな窓を見ながら、煙草を吸っていた。
時間と共に、幾層にも重ねあっていくどす黒い雨雲をぼんやりと見つめる。
毎日降り注ぐ陰湿な雨と同じように、ダリルはいつも退屈だった。同じ仕事をこなし、似たような食品を口にし、睡眠をとり、同じ朝を迎える。
夢はあるが、心から目指している訳でもなく、気が向いたときにだけ熱中するようなものは果たして夢と呼べるのか。
そんな機械仕掛けのサイクルを延々と繰り返している生活をしていては、果たして人間として生きていると呼べるのだろうか。
自分はいつの間に、こんな機械仕掛けのサイクルの歯車になってしまったのだろうか。もう少し、自分は面白い人間だと思っていた。
ダリルは肩を落とすと大あくびをして、埃かぶった赤色のソファに倒れ天井を眺めた。口から放出された煙草の煙が天井に広がり、次第に消えていく。
「そういや、今日は依頼品の納品日だったな」
ダリルは天井に話かけるようにそうぼやいた。
彼はジャンク技師だ。ジャンク技師とは、壊れた物質の修理はもちろんのこと、改造、再利用など、ガラクタとなった物質が本来持っていた機能に、別の機能を付与し取り扱う技術屋でもある。得手不得手がはっきりしている技師も多い。
引き受けていた修理依頼の仕事が終わったのが、昨日の晩のことだ。そして今日は依頼物の納品日。雨が降っている為、届けに行くのは一苦労だ。億劫すぎてもう何もやる気がおきない。そんな日はごろ寝をしよう。と、言ってられる訳もなく、生活する金を貰わなくてはこの機械仕掛けのサイクルさえも生きていけなくなってしまう。
果たして自分は何の為に生きているのか、正直分からなくなっていた。
耳には雨音と共に、うんざりする程聞き慣れた鐘の音が一定の感覚で鳴り始めた。
この町のシンボルである大きな時計台がこの町に定刻を知らせている。
聞いているだけで気が滅入ってしまう。いつも決まった時刻に鳴り響くこの鐘の音もまた、自分は機械仕掛けのサイクルの歯車として日々を生きているということを、改めて突きつけられている気がするのだ。
鐘が鳴っている間、しばらくはうだうだと意味も無く部屋を徘徊していたダリルだったが、やがて重たい足取りでバックパックに修理した依頼物を詰め込んだ。
ダリルが製作した、石突きを人の顔の形でデザインしたナイスな雨傘を手に家を出た。
憂鬱を奏でる雨音が傘の上で演奏されると、ダリルは気が滅入り、歩く速度を次第に下げた。
ダリルは面倒くさそうに髪を掻いた。
雨が嫌いな理由の一つは、寝癖っぽいこの頭が湿気を吸いさらに爆発するからでもあった。
足元を濡らしつつ、依頼人の自宅に到着すると、依頼主が顔を出した。
中から現れたのは、短めに刈上げた白髪が光る体格の良い初老の男性だった。
「おお、ダリルか。こんな雨の中悪かったな。さ、中に入ってくれ」
「ういーっす」
ダリルの気だるそうな返事に依頼主は眉を顰めたが、そのままリビングへ案内した。綺麗な装飾が施された高そうなテーブルと椅子が向かい合わせに並べられていた。
「例の物は修理できたのだろうね?」
「もちろん」
ダリルは背負っていたバックパックから包みを取り出し、テーブルの上に置いた。
「さ、確認してくれ」
自信たっぷりに顎で依頼主に確認を促すダリル。依頼主は言われるがまま包みを開くと、中からはかなり年数の経った自動巻きの置時計が現れた。
「おお……見事だ。完璧に直っている! 他の名高いジャンク技師に依頼しても、引き受けてくれはするものの、毎度途中で返されてしまうのだ」
「ふ……」
まだまだ俺のジャンク技術はこんなものではない、と言わんばかりに腕を組み、何かを待っているかのようにダリルはそわそわしていた。
「む? なんだか、前よりも重くなっているような……」
依頼主が両手で持っている時計を少し振ってみると、突然時計の中のぜんまいが奇怪な音を上げ、時計自体が変形し始める。
「来たか、これが今回の大目玉、機械仕掛けの蜘蛛時計だ!」
本体から尖った脚が生え、時計は蜘蛛のような形になった。そのままぜんまいばねの力を利用し、前方にかちかち音を立てながら進む。
「な、な……何ということをしてくれたんだ! ふざけるな! 馬鹿物が!」
依頼主は激怒し、椅子から立ち上がるとダリルに掴みかかる。
「百五十年以上前の我が家の家宝とも言われとる置時計だぞ、何してくれたんだ、意味が分からん! なんだこの機能は!」
「だから機械仕掛けの蜘蛛時計……」
ダリルは頭をぐらんぐらんと揺さぶられながら、そう答えた。
「やはり噂は本当だったんだな、腕は確かでもそのセンスがどん底で、修理を依頼した筈なのに妙な機能が追加されていたり、全く違う物品になってたりする滅茶苦茶なジャンク技師が居るって言うのは」
「いやいや、最高だぜ親父さん、見てくれよこのフォルム、この輝き。蜘蛛の尻の曲線。ぜんまいの巻き上げ方。特にぜんまいが巻かれることでここを立体的に組み上げて駆動させるのに苦労したんだよ」
「知るか、馬鹿物が! 帰れ!」
依頼主は頭から蒸気を上げて顔を真っ赤にし、ダリルをつまみ出そうとする。
「おいおい、待ってくれよ。なんでこの素晴らしさが分からねーんだ、俺は絶対あんたが喜ぶと思って……」
気がつけば、目の前の扉は閉められ雨に打たれていた。いつも寝癖ではねている髪がぺたんこになっていた。
頭に装着している自作のゴーグルが濡れる。
「白髪頭のクソ親父が! なんでこの俺の芸術が分からねーんだよ、禿げちまえ!」
ダリルは追い出された依頼主に罵声を浴びせると、壁に手をついた。
「ち、なんだよ、自信作だったのによ……」
ダリルはしゅんと肩を落とし、雨に打たれくたびれたバックパックを背負い、帰路についた。
自分の、格好良く素晴らしい芸術を理解してくれる人は、この世の中に居ないのかもしれない。そう思うと、とても悲しい気持ちになるので、ダリルは考えるのをやめた。
彼は、とても落ち込みやすい性格なのであった。