捨てる神あれば☆拾う神あり
「え? 俺なんかが本当に良いんですか?」
ゴールデンウィークの最終日に日程を合わせリリア達の最後の相手を探していたのだが、俺の情報量ではさすがに間に合わず、出来るだけ早い調整を目指して忙しい日々を送っていたある日、俺の引退を知ったエリシア様からお声が掛かった。
当初は何故呼ばれたのかは全く見当が付かず、怒られるのだとばかり思い憂鬱だったのだが、お会いしたエリシア様から出た言葉はまさかのものだった。
「はい。此度のセレスティアの対応は、あまりにも粗悪で度が過ぎています。アズガルドがあの二人との誓約にまで至った経緯を知れば、女神と言えど許しがたい事実です」
エリシア様と女神セレスティア様は、噂によると恩師の関係にあるらしい。セレスティア様が女神様へと昇格なされたのも、エリシア様のお陰だという。そんなエリシア様だからこそ俺が天界を追い出された事を知り、その償いというわけではないがこうして俺をお気に掛けて下さったようだ。
「ですから、私の下へ仕えるのなら、私が女神となった暁にはアズガルドを天界に戻し、大天使として迎え入れると約束致します」
「本当ですか!」
「はい。アズガルドが望むのなら、今まで通りラフを育てる任を与えても構いませんよ」
「ありがとう御座います!」
時期女神候補と呼ばれるエリシア様の下に付けば、この約束は確実に果たされる。だけど……
「しかしエリシア様。ご存知の通り俺は人間と誓約をしてしまいました。折角のお誘い痛み入りますが、俺ではお役に立てません」
正直エリシア様のお言葉には感極まった。神様は寛大だがその分不必要なものには遠慮は無い。だけどエリシア様は違った。こんなしがない凡天使の俺にさえ救いの手を差し伸べて下さった。エリシア様こそ神となるべき偉大な存在だ。
それなのに、今の俺はその期待に応えられない。
「エリシア様のそのお気持ちを頂けただけでも俺には十分なご加護です。どうかこの愚かな天使の頭ですが、これでご勘弁頂きたく存じます」
頭を下げるしか俺にはできなかった。例え後百年あるとしても、そんな短い時間では何も成しえない。何より俺自身がもう生を諦めてしまっている。俺がエリシア様の下に就いたところで迷惑を掛けるだけだ。
「アズガルド。その件に関してなのですが、このまま誓約をした二人をラフとして育て、天使にまで昇華させることは出来ないのですか?」
「それは……」
それは確かにやろうと思えば可能だ。リリアとヒーなら時間を掛けて大切に育てれば間違いなく天使になれる。だが俺としては二人の気持ちを最大限汲んでやりたかった。
「アズガルドの気持ちは良く分かります。アズガルドは私が知る限りでは最もラフを大切にする天使です。そんな貴方だからこそ誓約までした二人が辞任すると言っても、ラフを想い自分が天界を追い出された事も言わず背負い込むのですよね」
エリシア様は本当に偉大な御方だ。ほとんど面識の無い俺の事もしっかり見ていてくれた。なんと慈悲深い方なのだろう。
「しかしアズガルド。忘れてはいけません。誓約とは互いを尊重し生涯を共にする誓いです。今アズガルドが行おうとしている事は、二人への裏切りなのではないのですか?」
「そ、それは……」
エリシア様のお言葉は尤もだ。これでは俺は、二人をただ利用した罰を受けたに過ぎない。
「本当の想いというのは、互いに疎通していなければただの自己満足にしか過ぎません。例え二人が何も知らず幸福な生涯を終えても、その裏で大切な者の犠牲があるのなら、二人は満足すると思いますか? あの二人はたった一度の人生などと愚かな事をいう人間ではありませんよ。今のアズガルドなら分かるはずです」
俺だけでなくリリアとヒーの魂まで知っているエリシア様は、もう神様と言っても過言ではない。もしかしたら俺はエリシア様の従者となる為生まれた存在なのかもしれない。それでも……
「エリシア様のお言葉は御尤もです。俺は結局自分が汚れる事を恐れていました。それでもここまで貫いた信念はそう容易く変える事は出来ません。例え残り僅かな余生でも、二人にラフを強要するような事はしたくありません」
エリシア様は慈悲深いお気持ちで生き残る術を授けてくれた。だからこそ寛大なご慈悲を受け取るには自分の信じた清らかな心を捨てられない。
「誠に残念ですが、エリシア様がお望みになられているアズガルドは、今の俺ではありません」
例え天罰を受けようとも今この場で易々と信念を変えるようなら、俺は今まで出会ってきた全てのラフを裏切る事になる。
「…………」
下手をすれば即刻審判が下される可能性はあった。それほど今の自分の発言は失礼極まりない物だと分かっていた。それはエリシア様にとっては失礼どころか無礼と言わざるを得ない。そんな俺の態度にエリシア様が沈黙するのは当然だった。
それでも寛大なエリシア様なら分かってくれると信じ、頭を下げ続けた。
「アズガルド。頭をお上げなさい」
しばらくの沈黙が続くと、ここでやっとエリシア様のお考えがまとまったのか声をお掛けになった。しかしその声音からは負の感情は感じられず、とても穏やかだった。
「はい」
どんな罰でも受ける覚悟はあった。それは今まで出会ってきたラフへの想いと、こんな俺でも最後までご慈悲をお与え続けて下さったエリシア様への感謝の前では、些細な事に過ぎないくらいだったからだ。
「貴方は合格です。私が望むのは今のアズガルドです。是非私の下へ来て下さい。お願いします」
「えっ!」
エリシア様はあろうことかこんな俺に対して深々と御頭をお下げになられた。
「ちょ! おやめ下さいエリシア様! 何をなされているんですか!」
エリシア様の懇願には背筋が凍った。これはある意味死刑宣告と変らない恐怖だ。
「いえ。アズガルドが私の下へ奉公に来ると言うまで止めません」
「ええっ!」
それはズルくない!? これで断れる奴なんてこの世に存在しないよ!
大天使エリシア様のまさかの行動に、もう断る事の出来ない状況が出来上がってしまった。しかし不思議なもので、それが分かっていても何故か否定的な言葉が出てしまう。
「し、しかし……」
「是非」
「いやしかし……」
「是非お願いします」
さすが百戦錬磨の大天使様。全く俺が逃れる隙など与えない。これにはもう承諾以外の道は無かった。
「わ、分かりまし」
「ありがとう御座います」
早っ! たを言う前に感謝されちゃったよ! これじゃ譲歩もくそも出来ないよ!
「ではこれよりアズガルドは、大天使エリシアの従者と名乗る事を許可致します」
「あ、ありがとう御座います……」
これが権力者の力! 弱者など太刀打ちできる相手ではない!
まるでここに至るまでの全てが掌の上だったかのような錯覚をしてしまう手腕に、大天使様のお力の怖さを知った。
「ではアズガルド」
「はい」
「早速ではありますが、これより貴方に任を与えます」
「はい。何なりとお申し付けくださいませ」
早い。手駒にされたのは自分だが、もう従者として仕事をお与えになられようとするエリシア様に、底知れぬ畏怖を感じた。
「貴方は引き続き、今の二人が辞任するまで付き添いなさい」
「え? あっ! はい!」
てっきり早く二人を引退させろと言われるかと思っていたのに、思わぬ任に驚きを隠せなかった。
「ただし、二人にはきちんと自分が天界を追い出された旨と寿命の事を話なさい。それはアズガルドの生を永らえさせるためではなく、お二人への敬意と、アズガルドがアズガルドらしく存在するためのものです。例えアズガルドの生が短くとも、私は今のアズガルドを望みます故」
「は、はい! なんと勿体ないお言葉ありがとう御座います!」
素晴らしい! 素晴らしすぎる大天使様だ! 承諾したときは一瞬この人ヤバイ? と思ってしまったが俺はなんて愚かだったんだ。やはりエリシア様は素晴らしい御方だ!
「残された時間は限られていますが、最後までラフとの時間を大切にし、全員が笑って終われるようゆっくり尽力しなさい」
「はい!」
「しかし焦っては駄目ですよ。あくまでゆっくりです。あまり急ぐと私がアズガルドの誓約を解約する法を見つけるのが間に合いませんから」
「あ、ありがとう御座います!」
凄い! 凄すぎるぜエリシア様! 今まで仕えて来た女神様は一体なんだったんだ!
こうして俺は大天使エリシア様の従者となった。そして残り僅かだがやり残した仕事も最後まで任された。
そんな寛大なエリシア様から頂いた有難い任だったが、結局俺は二人に寿命と天界を追い出された事をなかなか言い出せなかった。
 




