差
猛烈なジャブの応酬で始まった酔闘の魔女との戦い。天使の俺でさえ捉えられない激しい打ち合いだったが、フィリアが先取した。これにより優勢を掴んだフィリアは、より攻撃的なスタイルへと構えを変化させた。
先ほどよりも軽やかによりリズミカルにステップを踏むフィリア。それに対して先手を取られた酔闘の魔女は、いまだ構えを変える様子はなく再び手堅い構えを取った。しかし先ほどとは違い、両者相手を軸に左に回り込むような動きは見せず、その場で相手を待つように呼吸を整えていた。
『これは一体どういうことですかねリーパーさん?』
『はい。恐らくここからはお互い大砲を警戒しているのでしょう』
『大砲? 右という事ですか?』
『はい。酔闘の魔女は今までほぼ全ての挑戦者を拳で倒してきています。その威力は一撃必殺と言っても過言ではないでしょう。そしてジャブであれほどの威力を見せたフィリア選手なら、下手をすればブロックの上からでもKOを狙えるパンチを持っている可能性が十分あります。そんなハードパンチャーの二人ですからなかなか攻め入れないのでしょう』
『なるほど。これは下手をすれば次の一撃で終ってしまう可能性がありますね?』
『はい。ここからは目が離せませんよ』
“風雲告げるコロシアム。そこに舞い降りた不敗の魔女。立ち向かう挑戦者は過去最高の破壊力を持つ重戦車。今流れる静けさはいつ荒波に変わっ! フィリア選手が前に出た! 先に仕掛けたのはフィリア選手! ここからどうっ! 右―! まるで閃光のような右―! チャンピオン間一髪避ける~! そこから両者足を止めての打ち合いだー! 速い! 速すぎるー!”
「リリアごめん。今どうなってんの?」
大砲みたいなフィリアの右ストレートを酔闘の魔女が避け、そのまま再び激しい打ち合いに入ったのまでは見えた。しかし今現在マシンガンのような轟音を言わしながら打ち合う二人の拳は全く見えない。
「さっきと違って、今度は両手で殴り合っています」
「そ、そうなの? じゃああの物凄い音は何?」
「両手だからもう避けるのは無理みたいで、ガードしたり避けながら殴り合ってるからです」
そうなの!? じゃあもう終盤戦!?
「じゃ、じゃあさ。フィリアは結構パンチ貰ってんの?」
「いえ。わざとなのか、二人ともガードにしか当たってません」
それはわざとじゃないと思うよ? それだけ二人の技術が高い証拠だよ?
見えてはいるが、リリア達には理解出来無いほどの差があるようで、折角の手本が台無し。それでもまだ俺よりは見えている為文句は言えない……頑張って何かを学んで!
しかしそんな中だった。優位に事を運んでいると思われていたフィリアだったが、ここに来て一発を貰ってしまったのかガードを崩しながら大きく弾かれた。
「ああっ! フィリア! 大丈夫ですか!」
「フィリア! 今のはたまたまです! 落ち着いて立て直して下さい!」
この危機にリリアとヒーが激を飛ばす。だけど大丈夫かと叫ぶリリアと、まるでセコンドのような声を飛ばすヒーは、もうすでにただの観戦者にしか見えなかった。
乱打戦に負け大きく弾かれたフィリアが離れた事によって、再び仕切り直しが行われるのか、酔闘の魔女は追撃を試みない。そんな落ち着きのある戦いに今のはヒーの言う通りたまたまだと楽観した。しかし、どうやらそうでもなかったようで、再び構えたフィリアには先ほどの軽やかさを感じなかった。そのうえかなり疲労しているようで、肩で息をしているのがここからでも分かる。
酔闘の魔女は熾天使のフィリアでさえ苦戦する相手なの!? これは読みが甘かったんじゃないのかフィリア!
天法を含めた総合的な戦いなら間違いなくフィリアの方が強い。それでも徒手格闘において熾天使をも凌駕する酔闘の魔女の実力に不安を感じた。しかし熾天使のフィリアが絶対大丈夫だと言った相手。これも作戦の内だと払拭しようと思う事にしたのだが、その矢先フィリアが鼻を擦ると頬まで赤く染まり、鼻から出血していると分かるとこれはかなりマズイ状況だと分かった。
フィリアはリリア達とは違い、通常は天使力で肉体を強化している。それに今までの戦いから見ても、始まってからずっとフィリアはリリア達並みに強化を持続させている。そんなフィリアが出血するのなら、当然リリア達が戦えば大きなダメージを受ける。これは信じたくはないが、完全にフィリアの読み間違えだ!
これに気付いたリリアとヒーも先ほどまでの観戦者のノリは吹き飛び、息をのんだ。
「おい! お前ら助太刀に入れ! このままじゃフィリアやられちまうぞ!」
「は、はい!」
思わぬ緊急事態に今はとにかくフィリアの救出が優先された。しかしいざリリア達が飛び出そうとすると、それに気付いたフィリアが手を向け来るなと合図を送った。
「ど、どうしますリーパー? フィリアは来るなって……」
理解出来なかった。フィリアにはまだ何か考えがあるのかもしれないが、このままではどう転ぼうと二人に自信を付けさせるという目的は叶えられない。それでもまだ一人で戦うと主張するフィリアは、殴られて頭に血が上ってしまったのかもしれない。
「も、もう少しだけ様子を見よう。もしかしたらフィリアは何か秘策があるのかもしれない」
目的は分からないが、総合的な実力なら間違いなく酔闘の魔女に勝るはずのフィリアなら、いざとなれば正体を明かせばなんとでもできるだろう。そう思うともう少しだけフィリアに任せる事にした。というか、仮にピンチでも今指示に従わなければ後が怖い。
俺達が指示に従ったのを確認すると、やはりフィリアには考えがあったようで、大きく一呼吸置くと前後に足を開いて腰を落とし、空手の後屈立ちのようなどっしりした構えを取った。
その構えには静かさと力強さがあり、地面に喰い付くような足腰から放たれる重厚感は、次の一撃に勝負を賭けるのが分かった。
これを受けて酔闘の魔女も危険を感じ取ったのか、左手を大きく前へ出し古武術のような構えを取った。
対峙する二名の達人による睨み合いは息をも飲むほどの緊張感があった。それはまるで剥き出しの真剣を向け合っているようで、未だ射程距離より遥かに遠い間合いだが、刹那で勝負が付きそうな勢いだった。
お互いこの距離からでも既に高度な間合いの取り合いを行っているのか、徐々に呼吸が小さくなり些細な動きを制御する。それはしばらく続き、全く動きの無い状態でも見ている俺まで息苦しさを感じるほどだった。しかし突然見えない駆け引きが終わったのか、両者が一斉に飛び出した。
その速さは弾丸のようで、蹴り出された地面が舞い上がりきる前にあっという間に互いの間合いに入った。そして一瞬だけだが近距離で互いが打ち込む体勢が見えたと思った瞬間、強烈な衝撃波が二人を覆い隠し、次に視界にとらえたときには倒れるフィリアの姿があった。




