霧の森
どっちを向いても木々が生い茂り、辺りに立ち込める深い霧は森の規模を把握させない。誘眠の魔女はリンボ全体を完全支配しているようで、侵入したリンボは拒むような不気味な空気が流れていた。
「では~早速~、戦闘開始です~!」
「はい!」
見た目とは違い経験値は高いようで、すっかり森の空気に呑まれてしまったリリア達とは違い、イルの掛け声が掛かると暴走族は力強い返事をした。
イルの話ではチーム全員が一度は昇華しており、ラクリマ、バイオレット、トリスに関しては二度クリアしているらしい。そのうえ三人はまだ拙いが翼を出現させられるらしく、チームとしては相当レベルが高い。
そしてこのチームの一番の特徴は、エーデルワイスという獣人化だ。個々によってどの獣に変わるかは様々だが、イルのチームは全員が狼へと変化が可能らしい。ただ、チームとしての属性は偏りがあり、天属性の粋を持つバイオレットがいるが、然属性の響が二人、雷、風とバランスはかなり悪い。
それでも最上位の魔女を討伐するほどの力のあるチームに、リリア達が見学するには申し分無い先輩達だった。
「じゃあ作戦通りに行くわよ。ラクリマ、トリス、準備は良い?」
チームリーダーはラクリマだと言っていたが、どうやらバイオレットが本命らしく、普通に陣頭指揮を執り始めた。
その適任能力は高く、先ほどまでチャラチャラした雰囲気を出していた彼女達の集中力を高め、誰一人として口答えさせないオーラがあった。
バイオレットがそう言うとラクリマとトリスは頷き、バイオレットに背中を見せた。するとバイオレットは釘バットをしまい、両手に天使力を集め二本の光の棒を作った。
あ、釘バット使わないんだ……
バイオレットの持つ粋という力は、柔らかく混じりっ気のない非常に透明度の高い天使力を利用して、然属性までのほとんどの属性を作り出せるという超レアな力だ。鍛錬次第では二つまたは三つ以上の性質を混ぜた属性を作り出せるもので、自然界では作り出せないものまで扱えるようになる。
バイオレットが今作り出した二本の棒も、恐らくいくつかの性質を含んでいるようで、光の棒からは圧のような物は全く感じないし、使用方法も全く分からない。
それでも次の瞬間、バイオレットはその棒をラクリマとトリスの背中に突き刺したのを見て、何かしらの恩恵を与えるものなのだなと思ったのだが……
「よし! 準備はオッケー。じゃあ頼んだわよ」
「ありがとうバイオレット。後は任せて!」
バイオレットが棒を刺すと、そこから鎖のような物が伸び、バイオレットと二人を繋いだ。それは良く言えば命綱とも言えるが、俺にはまるで猿回しのように見えた。
「よし! 行くわよトリス!」
「うん」
彼女達にとってこれは普通の事のようで、ラクリマ達は全く気にせず作戦に入ろうとしている。一応俺はイルとリンボに入ったら結界で自分たちの身を守るという打ち合わせはしていたが、作戦に関しては全くしていないため、この光景には大丈夫なの? という不信感しか抱かなかった。そんな俺にリリアが小声で訊く。
「ねぇねぇリーパー? あれは一体何をしているんですか?」
「え?」
「あの鎖ですよ? あれは何の意味があるんですか?」
俺が聞きてぇよ!
「た、多分、迷子にならないようにしたんだと思う……あの二人は広範囲を動くタイプなんじゃないかな?」
「そうなんですか? なるほど。確かにこの霧なら逸れそうですもんね?」
「あ、あぁ……」
戦闘中に迷子になるようなラフなんて誰も連れ歩かないよ! でも御免リリア! 俺も良く分かんねぇんだもん!
そんな俺達の読みとは違い、鎖が繋がれるとラクリマとトリスは二人だけで結界の外に出てあっという間に霧の中に消えて行った。
「え!? リーパー、二人だけで行っちゃいましたよ!? 良いんですか!?」
俺もびっくりだが、きちんと勉強しているらしいリリアは少しでも戦略を理解しようと問いただす。
「あ、あぁ、あれで良いんだよ。二人は響っていう属性持ちだから、索敵能力にも優れてるんだよ。だから先ずは誘眠の魔女を探しに行ったんだよ」
「二人だけでですか!? もし何かあったらどうするんですか!?」
それは自分で言っていて矛盾していると思っていた。もし先に誘眠の魔女に見つかった場合相当危険だ。だが今日の俺は冴えていた。
「だ、だから鎖で繋いだんだよ。もしピンチになっても鎖を追い掛ければすぐに戻って来られるだろ?」
「なるほど! さすがはベテランチームですね!」
「だろ?」
本当にそうなの? ねぇ誰か教えて!
先ほどまではのほほんとしていたイルだったが、リンボに入ってからは天使としてしっかり仕事をしているようで話し掛けられるような雰囲気ではない。打ち合わせをもっとしっかりしなかった俺が悪いのは分かるけど、もう少しくらい気を遣って欲しい。
そんな俺のせいで、訳の分からぬまましばらく二人が戻るまで微妙な時間が流れた。
――二人が飛び出し、しばらく結界の中で鎖を眺めていた。その間イル達は誰一人喋らず、ただ結界の中で霧の中に伸びた鎖を見つめていた。それは早朝の釣りをしているようで、全く揺れない鎖にBGMが欲しくなった。
そんな中だった。突然バイオレットの右手に持つ鎖が大きく揺れ出し不規則な大きさに変わった。するとバイオレットは両手の鎖をブオンという音が出るほど高速で引き戻し始めた。
「レイダー! ラクリマの方!」
「分かった!」
何か不都合が発生したのか、バイオレットは声を荒げて指示を飛ばす。そしてレイダーも何かを察したのか腰を据えて構えた。
ラクリマ達はかなり遠くまで行っていたのか、かなりの速度で鎖が戻されるがなかなか姿を現さない。
「レイダ~! 来ま~す!」
「はい!」
メンバーにはマーキングしているだけあって、イルがラクリマ達を感知したのか叫んだ。そしてレイダーが返事をした瞬間、霧の中から背中を引っ張られたラクリマが飛び出してきた。
「やってレイダー!」
「やぁあああっ!」
バイオレットはこの距離に来てもラクリマを引っ張る速度を変えず、そのままの勢いで結界に引っ張り、指示を受けたレイダーがキャッチでもするのか迎えに行くように飛び出した、が、何を思ったのかレイダーはラクリマ目掛け一撃を加えた。
「ぎゃああああっ!」
レイダーの一撃には何故か雷属性まで加えられ、それを受けたラクリマが女の子らしくない悲鳴を上げ、そのまま結界の中へ倒れ込んだ。
ええええっ!? 何してんのこの子ら!?
「リ、リーパー……私達、ほ、本当に大丈夫なんですか……?」
あり得ない光景に、完全に縮こまったリリアが帰りたさそうに言った。
「だ、大丈夫だ……」
そんなリリアが口を開いたせいか、恐怖が伝染したヒーまでもがおかしなことを言い始める。
「し、しかし……あ、あれがヤキというやつなんじゃないですか?」
「ま、まさか? 今は戦闘中だぞ? そんな必要ないだろ?」
「も、もしかしたら、あのラクリマさんという人が隠れて煙草を吸ってたんじゃないんですか?」
「ま、まさかよ!? それはそれで凄いぞ? まぁとにかく一回落ち着け。あんまり変な事聞かれたら、それこそ俺達狙われるぞ?」
「!?」
これには二人は相当ビビったのか、ガクブルという表現がピッタリなくらい落ち着きが無くなった。
どうやら煙草を吸っていたのはラクリマだけだったらしく、同じく引き戻されたトリスは優しく止められ、結界の中へ戻って来た。
「大丈夫ラクリマ?」
「大丈夫ですか~?」
「ごめんラクリマ、ちょっと強く打ち過ぎた」
ヤキとしては度が過ぎたものだったようで、全員が頭から煙を出し倒れ込むラクリマを心配する。
「だ、大丈夫……あ、危うくハンバーガーのお化けに、食べられるところだった……レ、レイダーのお陰で……助かったわ……」
どうやらラクリマは誘眠の魔女の幻術に落ちていたらしく、あれだけ手痛い歓迎を受けたのにも関わらず礼を言った。それでもハンバーガーのお化けって? どんな幻覚見てたの?
「でも困ったわね。やっぱり全員でやらないと駄目か? トリスの方はどうだった?」
とても頼りになるリーダーバイオレットは、未だ倒れ込み煙を出すラクリマが大丈夫だと聞くと、もうそっちのけで次の策を練り出した。
「なんの成果も無し。結構広範囲を探したけど、多分あっちもこっちの気配に気付いたみたいで動き回ってるみたいだから、ここからは一人じゃ危ないと思う」
「やっぱり……仕方ないわね。ちょっとキツイけど、やっぱりエーデルワイスを使うしかないみたいね」
この深い霧に加え幻術を使う誘眠の魔女相手では、さすがにキツイらしい。それでもここまで育っただけあるチームだけあって、戦術パターンはいくつか持っているようだ。
それを聞いて、ここでやっと立ち直ったのかラクリマが言う。
「そ、そうみたいね。でも一つだけ言わせて」
頭の湯気は消えたが、ボサボサの髪の毛がレイダーの本気を残すラクリマは、そんな姿でも真剣な表情を見せた。
「どうしたのラクリマ?」
「さっき探索した中で一つだけ分かった事があるわ」
「何?」
今のところ頼りなさしか感じなかったラクリマだが、二回の昇華と翼を出現させられる実力者だけあって、しっかり情報を得て来たらしい。
「どうやらここにはコンビニは無いようよ」
ラクリマー! お前は本当に実力者なのか!?
「あ、そう。皆聞いて! ここからは全員でやるわよ!」
バイオレットー! お前はもう少しラクリマを労わってやれ!
恐らく普段からこんな感じのチームに呆気に取られたが、実力のあるチームなのは確かなようで、バイオレットが作戦を伝え出すと全員が真剣な表情を見せ、何の問題も無く話がまとまった。そして話し合いが終わるとイルも入って円陣を組んだ。
「じゃあ行くわよ皆! ウェアウルフ~……」
「ファイッ!」
スポーツチームの掛け声のような事を始めた彼女達に、少し緊張感が足りないと思った。だが声を上げた瞬間、彼女達のギアが一気に上がったのか、空気がピリピリするほどの物凄い威圧感を放った。




