愛と正しさ
愛シリーズ
私の考える最低最悪の主人公は人の気持ちを理解できないやつだ。例えば自身の想定以上の力を示し、物を破壊した時に私の嫌いな主人公はとぼけた顔で「なにかしたか?」と言った。周りの人々が思っているのはあくまでお前のもたらした災害レベルの被害に対する落胆や、悲嘆であってお前の力に関してはその二の次である。まずはお前はその被害に関して謝罪すべきだ。
私の語彙では到底紡ぐことなど不可能ではあるが、しかし、私の悲嘆は彼らに等しい。
つまるところ、私は嘆いている。彼の言動に、彼の羞恥心のなさに、彼の自己中心的な性格に、彼の私の理解の外にあるような行動に嘆いているのだ。意味がわからない。得体がしれなければ、そいつは化け物だ。
化け物の絶対条件は正体不明であると偉い人が言っていた。
なるほど、頷ける。私の彼に対する恐怖や悲嘆はまさしくそれである。
だから、彼が死んだ時、私は喜んだ。なんで喜んだか、それまで私に相談されていた友人達は理解しただろう。そう、私からすれば彼が死んだということは化け物─つまり、私の中でのある意味でのボス的存在を倒せたあとのゲーム主人公的な気持ちだった。
私は彼の葬式に出席した。もちろん顔はほくそ笑んでいる。それを私は隠しもしない。こんなに喜ばしいことなのになぜ隠す必要があるのだろうか。
私は理解をできない。人死は等しく悲しいことなど馬鹿らしい考えかだ。私にとってそれは非常識である。
今の私を見て一体何人が貶すのだろうか。私には知る由もないが、私の考えを理解できない者達も幾人かはいるのだろう。まぁ、いた所で私の知るよしではない。世界に私が一人いればそれが常識であり、私以外の考え方は全て非常識である。そこに疑問の余地はなく、そこに問いが介在することも無い。純然たる真実がそこに横たわっており、それを揺さぶるものを私は許さない、そして、赦さない。ゆるすことなど出来るはずもないのである。
参列者の中には泣く者がいた。泣く人々がいた。彼らは一様に私の彼氏であったモノに対して涙を向けていた。演技だろうか。彼は生前それほど惜しまれるほど聖人君子であっただろうか。
そうであるはずがないが、そうなのであれば私の目はそれが嘘くさく見えていたのであろう。
まぁ、私が構うような事でもないだろう。気にすることではない。いま、涙を流している人々は一様に頭がおかしいのだから。モノに涙を流すなんて人間的におかしい。これは私の持論だが、モノに対して感情移入する人は脳に障害を持って生まれてきている。これにも私は疑問を持つ必要が無い。なぜなら私の考えであり、私の考えは全て正しいのだから。
さて、次はモノを焼却処分する。
ゴミ捨て場に着いた。
正式には火葬場というらしいが、まったくおかしなことをいうものだ。モノを燃やすのは焼却場以外に言えるとすればそれはゴミ捨て場以外ないだろうに。いや、そもそもなぜ彼らはこんなくだらない決まりを守っているんだろう。
私の気に入る形で物事を運べばいいんじゃないか?
だって、私は正しいのだから。
燃えるゴミを燃やしに私は飛び込んだ
テーマ【無愛】