会談とオスカー
俺は本営の陣幕にてエリザを迎えた。
俺のもとを訪れた彼女は美しかった。
昔見た幼さは今は無く、優しい面差しが印象的な素敵な女性になっていた。
俺の文学的素養の無さを露呈するようで恥ずかしい事この上ないが、その姿は慈母を思わせた。
ただ以前に見せてくれた明るさは、深い憂いの色に隠されていて、その事が俺の胸を締め付けた。
彼女の心からの笑顔をもう一度取り戻したい。
そう強く俺は思った。
以上が、後から振り返っての感想だ。
その時の俺はそれどころではなかった。
彼女の艶姿にやられたからだ。
エリザの胸から腰にかけての柔らかな、そう、柔らかとしか言い様のない曲線につかまって、俺は視線を動かせなくなっていた。
この時ほど、自分が男であることを思い知らされた事は無い。
白いブラウスと深い色をしたハイウェストのスカートは、むしろその下に隠された肢体を強調する様で、触れることを許されない身には酷く目に毒だった。
童貞を殺しに来ていた。
ふとエリザの傍らに目をやると、付き従う栗毛の侍女と視線がぶつかった。
その端整な顔にふっと小さく笑みが浮かぶ。
勝利と優越をにおわせるその表情に、俺は内心の動揺を見抜かれた事を悟った。
同時に確信する。
この女の仕業だ!
今日のエリザの装いはこの女の手による物に違いない!
忌々しい。
忌々しいが、よくやった。
素晴らしい働きである。
次もよろしくおねがいしまぁす!
互いに挨拶を済ませてから席に着く。
もう既にドキドキしていた。
なに話すか忘れてしまった……。
俺があれこれと思案しているうちに、エリザが口を開いた。
会談は彼女の謝罪から始まった。
「申し訳ありません。まずはお詫びをさせていただきたいのです」
そしてエリザが語ったのは、俺たちへの謝礼のことであった。
多大な恩を受けながらそれに応える術が無いと、彼女は謝罪に訪れたのだ。
訥々と王国の窮状を語るエリザの目には、涙が浮いていた。
エリザは王国を背負って、この場へとやってきたのだ。
彼女からの会見申し込みは戦費の支払いについて猶予を嘆願するためだったのだ。
「何卒、戦費の支払いについてご猶予を頂きたいのです。この通りです」
予想だにしない展開だ。
なにがどうなって、そういう流れになったなったのだ?
押しかけてきたのはこっちだぞ。
勿論、「国から出てけ」などと言われたら、ぷんすかおこる自信があるが、謝られる筋では無い。
マルノイの視線が俺を刺す。
さっさとエリちゃんの誤解を解けと奴の丸顔が語っていた。
いつもの五割増しは怖い顔だ。
つまり割と本気だ。
無論だ。
言われるまでも無い!
「待ってくれ。それは杞憂だ。我々の戦費をそちらに負担させるつもりはないし、今後もありえない。我々は我々の自由意志でここにいるのだ」
「……それは本当ですか?」
「ああこの剣にかけて誓おう」
「良かった……」
心からの安堵の声だった。
綻ぶ様な笑みを浮かべて、エリザの頬を涙が伝う。
それを見て、俺は恥じた。
色々と恥じた。
俺はこの会談に際してただ自らの願いのみを考えていた。
ぶっちゃけ、仲良くなってお付き合いすることばかりを考えていた。
だがエリザは女王として、窮地の王国を救うために俺の元へと赴いたのだ。
この意識の差!
いかんともしがたいものがあるな!
自分がえらく卑小な物になった様な気分になった。
実際卑小だ。
エリザは敬意を払うべき女王になったというのに、今の俺は思春期の学生のごとき有様である。
ただ、それとは別に俺の男が、この弱り切った女を自分のものにしたいと強く自己を主張していた。
ちょっと静かにしていなさい!
今、大事なお話し中です。
普段は完全に俺の意思の支配下にある我が体であるが、この時はどういうわけかなかなかに聞き分けが悪かった。
全部エリザが可愛いのが悪い。
具体的な王国との協定については、実務者同士の話し合いに譲ることになった。
悪い様にはしないと再三にわたって念を押したところ、ようやくエリザは納得してくれたようだ。
お願いしますともう一度頭を下げたエリザは、少し安心した様だった。
事務的な話が一段落したので、俺たちはようやく個人的な話をできるようになった。
話の中でわかったことだが、エリザは食べることが大好きらしい。
ならばとマルノイは非常用のケーキバーを渡したところ、エリザは嬉しそうに抱きしめていた。
「戻ったらこっそり食べます。ありがとうございます!」
彼女は本当に嬉しそうな笑顔を向けていた。
マルノイに。
恋愛強者のマルノイに。
俺は内心で切歯扼腕した。
この男が最大のライバルになりそうな気がする。
包容力とか、優しさとか、俺が持ち合わせない属性をいっぱい持っているのだ。
強い危機感が俺を襲った。
俺は慌てて追随し、とりあえず手持ちの全てを貢いでおいた。
エリザは大喜びしてくれた。
物量は正義だ。
俺は用兵の常道にのっとって無事、エリザベート獲得競争における前哨戦の勝利をおさめることに成功した。
「味は保証する。食べたくなったらまた言ってくれ。いくらでも横流しするぞ」
俺の言葉を冗談と思ったのだろう。
エリザは楽しそうに笑った。
ああ、なるほど、これは餌付けしたくなるな。
エリザは可愛い女性であった。
やはり最初は緊張があったのだろう。
徐々に打ち解けたエリザは笑顔を見せる様になり、時として涙をにじませた。
その言葉の端々からは、彼女の王国への思いがうかがえた。
子供時代の思い出や、復興の苦労話をするエリザは、とても楽しげでまた誇らしそうな様子であった。
「王国のみんなにはいつも助けられているのです。だからそれを返したくって。恩返し、とはちょっと違うんですけど……。でも、なかなかうまくいかずに困っています」
そう言って彼女は笑った。
俺は特に王国そのものに、なにかしらの思い入れがあるわけではない。
彼女が楽しそうに語る王国の人間達に、多少の嫉妬を覚えたのは致し方ないところであった。
対抗心を燃やした俺が、「ならば俺の恩も覚えていてくれるか」と尋ねたところ、「一生忘れません!」と本気の返事が返ってきて俺は多少の溜飲を下げた。
先に恩を受けたのは俺の方である。
図々しい言葉であったと思う。
最後に、話の中で彼女からの個人的な礼について話が及んだ。
「エリちゃんからなにかお礼をもらいなよ」
と、我が腹心、マルノイの提案してくれたのだ。
エリザの態度を見る。
少し困った様な顔を見せたが、嫌な訳では無さそうだった。
まぁ、彼女の気持ちがどうであろうと俺は欲しかった。
戦人たるもの、攻め時はのがさないものなのだ。
さて、何をねだろうか。
俺の前で、エリザは落ちつか無げな様子を見せる。。
俺を見てマルノイを見て傍らの侍女を見て、頼りなげに視線をさまよわせた。
彼女の困った様な表情と柔らかな体の線が俺の目に映った。
その時、俺の脳裏に二つの選択肢が閃いた。
その内容をここに記そう。
1.手を許してくれないか?
2.おっぱいをもませてくれないか?
……ああ。
この場に、マルノイとコレットなるエリザ付きの侍女がいたのは本当に幸いであったと思う。
俺は無事、最初の選択肢を選ぶことができたのだ。
「手を許してくれないだろうか」
俺の言葉に戸惑いながらも、エリザはおずおずと手を差し伸べた。
そこに口づけを落とす。
エリザは恥じらって俯いた。
愛らしい仕草であった。
もしこの場に二人きりであったなら、俺は間違いなくエリザの胸を望んでいた。
おそらくエリザは羞恥の涙を浮かべながら、それでもその体に触れることを許したに違いない。
その時、エリザはどんな顔しただろうか。どんな声を聞かせてくれたのか。
今でも想像することがある。
会談は無事終了した。
俺は、体面を保ちつつ、エリザの好感度を稼ぐことに成功したのだ。
「ありがとうございました、オスカーさん。あの、……いろいろと。嬉しかったです。これからもよろしくお願いしますね」
はにかむ様にエリザが笑う。
来たときよりもずっと明るいその笑みに、俺は内心、舞い上がらんばかりであった。
「ああ、俺も有意義な時間を過ごせた。感謝する」
キメ顔で答えつつ、俺は内心で快哉を叫んだ。
先生!
ユリウス先生!
俺、やりましたよ!
エリザと仲良くなれました!
俺的に大変有意義な会見であった。
俺は大満足の面持ちで、陣幕を去る彼女の後ろ姿を見送った。
さて、この会談で素晴らしい成果を挙げた俺であるが、一つだけ俺にとって不本意な事態が発生した。
部隊でしばらくの間、「手を許してくれないか(キリッ)」とかいうごっこ遊びがはやったのだ。
兵士二人で一組になり、片方が手を出しもう片方がそこに唇を寄せる、いわゆるチキンゲームだ。
万が一男同士でやらかすことになった場合、精神的な打撃は計り知れない。
恐ろしい戦場遊戯である。
しかし、軍人にとって臆病物のそしりはもっとも忌まれるところだ。
結果、攻守両名ともに譲らずに、事故って不運な接触に至る事例が相次いだ。
中には禁断の何かに目覚める馬鹿まで出現した。
俺は風紀維持の名目で、この非生産的な遊びに興じる馬鹿共を潰して回った。
摘発した連中の名はしっかり名簿にひかえておいた。
次の戦では、突撃の最前列に配置してやるつもりである。
エリザ「恋愛脳の父親を追い出したら、恋愛脳の軍人さんが来ちゃった……」