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病根切除とわたし

リンディは傾国の女だ。


だが、彼女が悪事に手を染めたわけではない。

彼女はおねだりしただけなのだ。


彼女はパーティーの会場で、自分を一番満足させてくれる男を探し、好きな事を強請っただけである。

王国のリチャードは彼女に愛を乞うとき、全てを差し出すと誓った。

その誓いの通り、彼女は全てをもらい受けたのだ。


聖国の教皇も同様だ。


小さな王国のリチャードでさえ、私を満足させてくれた。

なのにあなたはだめなんて……。


そうおねだりしたところ、なんだってしてくれたとのことである。


一応お断りしておこう。

王国は王の私物ではないし、その事情は聖国も一緒である。

要するに奴の主張はおかしい。



そんなとんでも論理を展開したリンディは、なんとオスカーが突入したとき、聖都の城壁にいたそうだ。

教皇を見限って聖都から逃げようとしていたらしい。

城壁にいくつもある秘密通路を彼女も知っていたのだそうだ。


なんて奴!


彼女は見目麗しい騎士と二人、夜陰に紛れてにげようと城壁の一室に潜んでいた。

だが、その騎士は若さゆえか、あるいはリンディの魔性によるものか、二人身を寄せ合っているうちにその場でいたし始めてしまったそうだ。


本当になんて奴!


で、そのリンディのあえぎ声をオスカーの地獄耳が探知してお縄と相成った次第。

突っ込みどころが多すぎるが、「この状況で、まぐわってるなんて、これは噂のリンディに違いない」とオスカーは確信。

男は斬りかかってきたので切り捨てて、リンディには縄を打ち、引っ張ってきてくれたのである。


「経緯はともかく、手柄首だ。ルチアは話たがっていただろう。もう好きに扱ってくれ」


「オスカーは興味なさそうですね」


「エリザも大して興味は無いだろう?」


「ええ、まあ、それはその通りです。別に話したい相手じゃありませんし」


捕虜用の馬車の中、私達はリンディと対面していた。

まぁ、私の立ち位置はオブザーバーに近い。んだけど

ルチアがリンディと対決するというので、その付き添いなのだ。


どうにも、ルチアは恨み骨髄で、一言言わねば気が済まぬと、折に触れて語っていた。


今、彼女の目にはいろんな感情が豚骨スープの油膜のようにどろどろと渦巻いていた。

どろどろルチアちゃんである。



対するリンディだが、こちらは冒頭のような発言でけろっとした顔をしている。

悪びれた様子は見られない。

連れの騎士がオスカーの手で屠られたのだが、彼女は動揺の欠片もみせず、無邪気にオスカーに縋ったそうだ。


ちょっと普通の神経じゃない。


くるくるした綺麗な巻き毛に白磁の肌。

年齢を感じさせない容貌は人形を思わせる。

少なくとも四十路近い熟女には見えぬ。

人の生き血で育まれたスミレ草のごとく、もはやその美しさは邪精の類いに近かった。


美容の秘訣だけは聞いてみたいかな。

この女のアンチエイジング法が世に出れば、それだけは彼女の偉大な功績となるだろう。


ルチアが震える声を出す。


「リンディ。ようやくあなたの罪を鳴らせるのね」


「私の罪? なんのこと?」


まさに、きょとんって感じであった。


「とぼけないで下さい。王国と聖国、二つの国を傾けたこと、知らないとは言わせません。両国とも、あなたの身勝手な振る舞いで酷く疲弊させられたのです。その罪、あなたに理解してもらいます」


リンディは衝撃を受けたように目を見開いた。


「そんな……。私、身に覚えがありません!」


「はぁ?」


おっと、ルチアの地が出たね。

一瞬ビクッとしたもののリンディはそのまま言い募った。


「だって、私はお願いしただけよ。リチャードや教皇様は、なにかしてたみたいだけど、でも、私は無理強いなんてしてない。それなのに、責められるなんておかしいじゃない。私、あなたたちを苦しめるつもりは無かったのよ」


なんだろうか。


言葉とは裏腹に、リンディは、私達下々が苦しんでるのをわかっていて贅沢をしていたんだな、と私は確信した。

だって、言い訳の文句がよく練られてる。

本当に心当たりが無かったら、もっと狼狽えるとか怒るとかすると思うんだよね。

でも、わりととってつけた感じの言い訳が飛び出してきた。


やっぱり、リンディは酷い奴だったんだ……。


私はちょっとだけ安心した。


だが、しかし、ルチアは激おこだった。


「そんな理屈が通るわけないでしょう!? あなたのせいで、どれほどの犠牲が出たか……。この戦争で数え切れないほど沢山の人が命を落としたのよ!」


「……そう。そうだったのね、ごめんなさい。でも、私、本当に気付かなかったの。だって、ほら、私、そのちょっとおばかだから。あまり難しい事はわからなくって。でも、でも、今度から気を付けます。だから、ごめんなさい」


「あなたが、気付かなかった? そんなわけがないでしょう!? 私達が何度嘆願したと思ってるの!? 私は直談判だってした。まさか忘れたとは言わさないわよ!」


「ええ、それはもちろん覚えてます……。でも、あなた怒っていて、怖かったんだもの。嫌だったし、教皇様も気にしないでいいよって言って下さったから。でも、大変な事だったのね。今度から気を付けるわ。だから許してください」


ルチアの拳が握り込まれた。


顔面グーパンチの体勢だ。

物理で攻めるのか、ルチアちゃん。

私は止めないぞ、ルチアちゃん。


でも、それをやったら口げんか的には負けだけどな!


ルチアもそのあたりはわかっているようで、ぷるぷると震えている。


まぁ、のれんに肩押しという奴だね。


しかし、リンディ、とにかく度胸はすごいな、と私は感心させられた。


私にルチアにオスカーに、コレットと護衛の騎士三人、それにルチアのお付きの坊さん一人の計八人でリンディ一人を囲んでいる。

そして、リンディは、反省の色を浮かべて可哀想な感じで俯いてる。


この時点でおかしい。


これだけの人間に囲まれたら普通は怯える。

私とかぶるって口も利けなくなりそうだ。


でもリンディは、可哀想オーラを振りまいている。

主演女優の貫禄なのだ。


おかげで、絵面がすごいちぐはぐだった。

結果、ルチアはペースを取られっぱなしで、ちょっと可哀想なかんじになっている。


反面、リンディは、小動物っぽい雰囲気でぷるぷるし、たしかに庇護欲をそそりそうな風情である。

まぁ、調子はかなり良さそうだ。


男の人はこれで騙されてきたんだろうな。


私はオスカーをみた。

彼は眠そうにあくびをした。


よし、オスカーはオスカーだ。

私はちょっと安心した。


オスカーが私の視線に気付いて、キリッとした顔をすると、リンディが眉毛をぴくっと動かした。


お、意外とこっちを見ているぞ、この女。


リンディはしかし、すぐに可哀想モードへと復帰。

彼女は何食わぬ顔で続けてくれた。


「そんな事よりもこれからの話をしましょう? 私死にたくないわ。これからは心を入れ替えて、あなたたちのために働きます。だから許してくださらない?」


「なにを言い出すの!? あなたに許される余地があると思って?」


「だって、私、悪い事はしてないわ。さっきから何度も言ってるじゃない」


まさにいけしゃあしゃあだ。

ルチアが怒る。でも、リンディは彼女を見ていない。


ねぇ、お願いよ、許して頂戴。


潤む瞳は私のとなりのオスカーをロックオン。

この女は、今、私の相方を籠絡する気満々なのだ。


リンディは美人だ。

そして、実年齢より十歳以上は若く見える。

ぶっちゃけ、一時期しわしわになっていた(最近は瑞々しさが復活しつつあるらしいけど)私よりも若く見える。


そんな美女に誘われたオスカーは。


「気色の悪い女だ」


と一刀両断にしてくれた。


「おい、ルチア。気は済んだか? もう斬り捨ててしまおう。さっきから会話が成立してるようには思えん。これと話すのは時間の無駄だ」


「……いえ、もう少しだけ」


「そうか、まぁ、好きにしろ。付き合うだけなら付き合ってやる」


それから視線を私の方に向けると、じっと顔を見つめてきた。

ん、急にどうしたんだ?


「? 私の顔になにかついてますか、オスカーさん?」


「いや、この女が俺に媚びを売っているのはわかったんだ。だが、俺はとんと興味がわかなかった。エリザに媚びを売られたら、俺はきっと興奮する。それで、エリザとこの女で何が違うのか、不思議に思ったのだ」


「そうですか。それで何かわかりましたか」


「いや、さっぱりだ。エリザは目の保養だった」


「それは、ありがとうございます」


なんかわからんが口説かれた。

オスカー的には、もうどうでもいいって感じなのだろう。


よくわかります。


「閣下、こんなところで惚気ないでくださいませ!」


ルチアが癇癪を起こしたので、私はルチアを宥めてあげた。


ルチアはとにかく理性的な女の子だ。

理詰めで考えて、決断し、王国にまで飛び込んできた。

意思力と決断力と、命の賭け時を知る女の子だ。


彼女は聡い。


でも、世の中には論理で理解できない相手ってものもいるんだよ?




さて、私がこれから言う事はあくまで病理学的な見地に基づくものだとお断りしておこう。

結構酷い事を言う。

あしからずご了承願いたい。


リンディの野郎、絶対に調伏してやるぞ、と息巻くルチアの襟首を掴み私達は別の天幕へと移動した。

いや、埒が明かなそうだったので、私がひっぱりだしたのだ。


リンディとの不毛な対話は、ルチアの満足感が問題なのだ。

そこを解決しなくては意味が無い。


なんとなくだけど私は彼女の気持ちがわかる。


「ねぇ、ルチア。あなたは癌という病気を知っている?」


「ええ、もちろん知っています」


「じゃあ、簡単なところだけ。癌、変異原性による悪性腫瘍ね。これは宿主の体の一部が変異して体組織を浸食、傷害する病気なの。そして最終的には、本来の主である宿主を殺してしまう。多くの場合、酷い苦痛を与えながら、ね」


「……話が見えません。それがどうしたんですか?」


「はっきり言うわ。リンディはがん細胞なのよ」


オスカーが笑った。

コレットも嗤った。

ルチアは口をへの字に曲げた。


「誹謗するわけじゃなくて、私は彼女の性質を指摘したつもり。がん細胞に悪意はないのよ。だから宿主が『なんで私を苦しめるの!?』なんて叫んでも、がん細胞は聞いてくれない。ただ、宿主を加害する、癌とはそいう存在なの。まるでリンディそっくりでしょ。彼女が癌で、国は体」


まぁ、実際のリンディはがん細胞と違って、悪意もありそうだけど。


「私、思うのよ。あれに罪の意識を持たせてもしょうが無いんじゃないかなって。処断する以外に道は無い。だから反省をもとめても仕方が無い。もしリンディを苦しめたいってだけの話なら、もっと直接的な手段を取るべきよ」


ルチアは悔しげに唇を噛む。


「……私は、あの女に、自分がした事の罪を認めさせたかったのです。私、宮廷で良い様に言われてました。父もあの女の肩ばかり持って」


ああ、やっぱりか。

でもねぇ。


「悪性変異細胞を口でやりこめるのは相当に骨がおれるわよ?」


部屋には苦笑に近い空気が満ちた。


私が周囲を見回すと、オスカーが代表して発言した。


「なにげに酷い事を言っているな」


「なにげにのつもりもなく、酷い事を言っています。でも一般的なお話しではありますよ」


そもそもリンディの言葉に意識を向けてしまうこと自体、よろしくないのだ。


あれは、ある種の病気だ。


多分、好意だけではない。煮えたぎる憎悪もあの手の輩を喜ばせるだろう。

彼女は主演女優なのだ。

そんなリンディは、舞台中央で視線を浴びてこそ自らの存在意義を実感し、充足を感じるのだ。

要は注目の的になれるなら、向けられる感情の正負はあまり気にしないものなのである。


「ルチア、優先順位をつけましょう? トリアージを考えて」


「トリアージって何ですか」


「非常時の優先順位付けのこと」


まぁ、死にそうな人間が複数いたとき誰から助けるのかって話だ。

見捨てる順番を決めるのである。


「今のルチアは医者よ。聖国という国を治す医者。聖国で蔓延る疫病はまだ止んでいない。食糧だって不足しているし、今回の戦役で財政だって傾いてる。そんな国を背負う事になった貴女が、今一番優先すべき事はなにかしら?」


ルチアが私をじっと見る。


「……少なくとも、あの女にかかずらわることでは無い。陛下はそう仰りたいのですね」


「ええ、がん細胞に人間の心を取り戻させる作業は、後に回してもいいと思う」


今、聖国は危機なのだ。

疫病が蔓延し、国は傾いている。

遠征の課程で聖国の主要都市を経由した私は、その衛生状況の悪さを目の当たりにした。


ルチアは聖国を継ぐ。

そんな彼女が今一番すべきことはなんだろうか。


地獄のような消毒薬で雑多な毒や細菌を滅却し、国の再生を促すのが彼女の仕事だ。

がん細胞には優しく問いかけるのではなく、ざっくり切除するのが正しい対処法。


「あれと根気よく対話して更生させるか、それとも市井の人たちのために時間を費やすのか。あなたの希望はわかるけれど、優先順位を違えないで。聖女ルチアの時間は宝石より貴重よ」


「……そうでしょうか」


「ええ、そうよ。あなたの時間は貴重なの。リンディよりもずっと、ね」


まぁ、あれだ。

ルチアは、聖国の宮廷でいろいろとあったんだろうな、と思う。


国のために献身を続けたルチアは、でも教皇から報われる事は少なかった。


リンディの方が価値がある。

リンディの方が正しい。


そんなことを言われてきたんじゃないだろうか。


まぁ、私も似たようなことを思ったからね。

そう言うときは「そんなことはないよ」って言ってもらえることが本人にとっては大事なのだ。


私も実感あるから、知っている。

私にとって、それはオスカーだった。

案外、自分の価値ってわからんのだ。


誰かに保証してもらえて初めて実感できる。

人間は社会的な動物であるのだから。


ルチアは彼氏がいない。

なので、代わりに私が代わりに言ってあげたという話。


強ばっていたルチアの顔がふっとゆるみ、泣き笑いが瞳からあふれ出す。

それからルチアは頭を下げた。


「わかりました。そう思うようにします」


それから、ありがとうございますと、小さい声で付け加えた。

大分すっきりした顔をしてくれた。


その様子を見ていたオスカーが笑う。


「とりあえずは納得したか。それで、あれはもう処分しても構わないかね、ルチア嬢?」


「はい。二度と悪さが出来ぬようにして頂けるとうれしいです。お手数をおかけいたしました」


「了解、処置しておくわ」


ルチアのリクエストに私は鷹揚にうなずいた。

戦場で磨き上げた病根切除の腕前を見せてあげましょう!




では、準備をしよう。

といってもお酒を一瓶と手持ちの眠くなるお薬を用意するだけだけど。


私はとある将校さんから、彼が隠し持っていたそこそこ上等なワインを巻き上げた。

信号弾は青しか上がらないなどとのたまった無責任な大隊長だ。


私をびびらせたことに対する慰謝料である。


そのワインにちょちょいと薬を混ぜてから、私はリンディのもとをたずねた。


まぁ、私が直接手を下すべきかは議論の余地があるだろう。

でも、ルチア的にはエリザベートがリンディを倒したほうが溜飲がさがるんじゃないのかなって。


言ってみれば、ちょっとした外交上のサービスだね。

今後のお付き合いをする上で、ルチアちゃんとは仲良くなっておきたいのだ。


あと、もう少し自分の目でリンディを見てみたいなという思いもあった。


後学のために。

ある種のサイコパス的なサムシングを彼女から感じたのだ。


「ほんとに行くの?」


「うん、護衛はお願いね」


防備はもちろん完璧にする。

侍女服の下に、刺殺防止用の鎖入りババシャツを著た。

馬車の外には弩弓を装備したコレットと重剣装備のオスカーを待機してもらう。


二人とも話の種だと私の仕事を見学したがったのだ。


リンディは「暴力なんて野蛮よ。なんでも話し合いで解決できる。だから解放して」などと吼えてたから、襲われたりはしないと思う。

でもこの言葉に、二人はカチンときたらしい。

オスカーは戦争がお仕事だし、私とコレットは戦争ふっかけられた側だから。


今更お前何言ってんだって思ったんだよね。


馬車に入ると、リンディは案の定ぶすくれていた。

薄暗い粗末な馬車に一人ずっと放置されて、彼女は憤っているのだ。

私が天幕の中に入ると、きらめく瞳に敵意を籠めて、私の顔を睨めつけた。


おーおー、怖い怖い。睨んでる睨んでる。


「こんばんは。召使いさん。随分と手際が悪いのね。私、王族なの。もう少しまともな待遇を求めたいわ」


おっと、召使いと思われてたか。

失礼失礼。


あと、それはそれとして、お前は王族じゃないからな。

いちいち指摘はしないけど。


「あなたに、一つ聞ききたいことがあるの。答えてもらえるかしら?」


「いいえ。面倒そうですのでお断りします」


「はぁ!?」


わたしゃお話しをしに来たんじゃ無いんだよ。


「あなた、私に口答えする気なの。身の程をわきまえなさい!」


「はぁ、まぁわきまえてるつもりですけれど」


「それで? あなた馬鹿じゃないの? ……まぁ、いいわ。それで、利きたいんだけど、あなた、オスカー様とどういう関係? 愛人、それとも一時的なお世話係?」


すごい一方的である。

こちらはお話しすることなど一切ないとお断りしたのだが。

あと、随分と張っちゃけた物言いだ。


ただ、内容はちょっと私の予想を超えてきた。

どうやら、会談の席上で、私より魅力が無いと言われたことを彼女は気にしているようだ。


まぁ、オスカーから気色悪いと言われたとき、リンディは般若をぶん殴って可愛く成形したような顔をしていたからね。

彼女的には相当な屈辱であったのだろう。


「さぁ? オスカーは私のこと大好きみたいですけど」


リンディが唇をゆがめた。

お怒りがしろい素顔の後ろ側でどろどろと渦巻いているのがわかる。


どろどろリンディだ。


「召使いさんは、地味な見かけによらず見栄っ張りみたい。でも、はっきり言うけど、あなたの見た目じゃ、あの方と釣り合ってない。あなた鈍そうだから気がついてないかもだけど、陰で絶対言われてるわ。なにあの不細工って」


おいおいおい。

この後に及んでマウントですか。


しかし、なんていうかいまいちこうぐっと私の心をえぐる言葉が出てこないな。

もうちょっと稀代の悪女らしい、気の利いた台詞を期待していたが、正直陳腐である。


あと、そもそも論として、それは今、この状況で口に出すべき事なのだろうかとも思う?


いや、むしろこれこそが彼女にとっての最重要事項なのかもしれないな。


なにしろリンディは美しかった。


そして、その美しさ故に、世界は彼女に優しかったのだ。

つまり、彼女にとっての容姿とは、自らの生存可能性に直結する重大事なのかもしれない。

なるほど。であれば、彼女にとっては、「目の前の召使いより綺麗」ってことはとても重要な事なのだ。


地味女に劣ると言われて、彼女なりに気にしているのだろう。


まぁ、私達は別基準の世界で生きてるんだけどね。


「左様ですか。まぁ、どちらでも良いです。それはそうと、こちらがお夕食になります。どうぞ」


私が持ち込んだのは、謎の銘柄の赤ワイン。

それと、黒パンに適当な野菜の酢漬けだ。


虎かライオンにに餌やりをする気分でお盆を出す。

幸い手を噛まれはしなかった。


私から、盆をぞんざいに受け取ったリンディは、粗末な食事には目もくれず酒瓶を手に取った。

ボトルのラベルに目を通すと、可愛く唇を尖らせた。


「ふぅん。なにこれ? エヴァーモートンって、聞いた事無いわ。なんか安っぽい……。もっと他のにして頂戴。帝国軍なら、帝国産のワインがあるでしょう? 八年物の赤が良いわ」


「ご用意できるのはそれだけです。お気に召さないようでしたら、口になさらなくても結構です。では、失礼いたしますね」


渡す物を渡したので、私はとっとと背を向ける。

リンディは慌てた。


「ちょっと待ちなさいよ! まだ、話は終わってないわ。私を誰だと……」


知ってるよ。

今から、半日以内に歴史の表舞台から退場する予定の人だ。


私達の言葉が彼女に届かないように、彼女の言葉も私には届かない。

彼女が言いたい事ばかりいうように、私もやりたいようにやって撤収した。


やっぱり対話は成り立たなかった。

その確証が得られたので、私は満足であった。


私が馬車を後にすると、闇に潜んでいたオスカーが私の隣に来てくれた。


「お疲れエリザ」


「ええ、ありがとうございました。お手数をおかけしました」


「お安い御用さ。それより、エリザ、君はなにか感じたか? 折角だから聞かせてくれ」


「やっぱり特に感慨は湧きませんでした。私も、ルチアみたいに胸にこみ上げるものがあるかとおもったのですけど……。強いて言うなら、『話しても何も思わなかった』って事がわかったのが収穫ですね」


「これが最後の機会なのだ。十分な経験だろう」


「私は、一発ぐらいぶん殴るシーンを期待してたんだけど……」


「私のパンチじゃ、手の方が折れちゃうよ。面の皮は相当厚そうだったしね」


二人は、私のつまらない冗談に笑ってくれた。


自分用の天幕に戻ると、中はぽかぽかに暖かかった。

肌寒い馬車の中とは快適さが違う。


あの人とは立場が逆転したんだな、とぼんやり私は考えた。


私はほっと息を吐くと、隣にオスカーが腰を下ろす。


「それで、エリザ。あのワインに何を混ぜた?」


「良くある睡眠導入剤ですわ。体質にもよりますけど、よく眠れます。寝覚めは最悪なのですけど、ね。深い眠りに落ちていれば、苦しまずにすむでしょう。私なりの思いやりです」


「まぁ、騒がれるのは面倒だからな」


オスカーは愉快そうに歯を見せる。

犬歯が見えた。

彼の笑顔は、獰猛さがよく見えるので、ちょっと物騒だ。

私と彼の間に子供ができたら、きっとパパ怖いって泣くんだろうな。


「残りの作業はこちらで済ませておく。結果は明朝知らせよう」


「ええ、お願いします。それと、オスカー。これでまた一つ厄介ごとが片付きました。改めてお礼します。ありがとうございました」


「礼は受け取っておく。正直面倒だとおもったが、先に懸案を片付けられて良かったのだと考えよう」


国王とは、防疫官だ。


国に佞や毒が蔓延るのを防ぐのもその仕事。

リンディはまさにその類いの存在だと私は考える。


彼女は、私の立場からすると邪魔だ。


できるだけ他の人たちの良心に傷を残さない形で退場してもらいたい。

なのでそうした。


素早く、確実に。

外科治療の基本である。


私は、それからぐっすりとお休みした。

前日夜更かした事も手伝って、この日はとてもよく眠れたのだった。


まぁ、もう一月も軍の野営地で眠っているからね。

いい加減、私の体臭が染みつき始めた毛布の匂いや、竪穴式のぼっとんお便所にも慣れてきたところだ。



翌朝、リンディの死亡が確認された。

死因は縊死。帝国軍は自殺と断定した。


彼女の公的な身分はない。

防疫にだけ配慮して、遺体を処分する事が決定した。


まぁ、具体的な話をすると、遠征軍は一万人からの人を擁するじゃない?

だから、結構有機的な廃物も出ちゃうのだ。

それを処分するための穴を少しだけ深く掘り、そこにまとめて埋葬した。


生前は散々贅沢をして、沢山の人を苦しめたのだ。

彼女は多分、苦しむ人間の数も知っていて、その不幸と自分の立場の差を楽しんでいたのだと邪推する。


なら、彼女の最期の弔いにちょっとだけ手を抜かれても我慢すべきじゃないかなって私は思う。

これが、私達なりの復讐だ。



ルチアには昨晩のやりとりを話してあげた。

彼女は、「もう少し陛下にやりこめてもらいたかったです」と口では不満を言って、でも満足そうに笑っていた。


「すぐに忘れるに限るわ。ああいう人達は、忘れ去られるのが一番辛いらしいから、早めに記憶から抹消して」


「では鋭意努力します。公文書にもあまり残さずにおきますわ」


「ええ、うちでもそうするわ」


こうしてリンディは、王国と聖国の歴史書からもその名前を抹消されることが決まったのだった。



この日、城壁を抜かれた聖国は、素っ裸になって降伏した。


リンディを失い、国も失った教皇は服毒して果てた。

宮殿に先んじて入城したオスカーは、彼の残した遺書に目を通すと、すぐにそれを焼き捨てる。

それから、彼は宣言した。


「後継にはルチアを指名するとあった。彼女しか指導にあたれる者がいないのだから当然だな」


ルチアが聖国における私のカウンターパートに就任し、この王国と聖国の戦争は終結したのである。


そして、私達の、というか私の戦いが始まった。

人道支援担当のエリザベートにお仕事が回ってきたのである。

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