救出作戦とわたし
「へぶぅぅぅぅうう!!!!」
それは、謎の叫びであった。
歯を食いしばる私の前で、顔面を一撃されたランスロットが、もんどりうって吹っ飛んだのだ。
アクロバティックな横回転も交えつつ、金髪頭の全身鎧が壇の上から転がり落ちる。
奴は受け身にも失敗し、どぐしゃっと間抜けな音を立てて地面の上に着地した。
見事な顔面スライディングであった。
対する私であるが、突然の出来事にまったく身動き取れなかった。
びっくりしちゃったのだ。
いや、普通びっくりするでしょ。
突然、目の前の敵に空中三回転半決められたらさ!
目が点になっちゃったよ。
びっくりした拍子に、涙まで引っ込んじゃった。
◇◇◇
さてさて、皆さん、こんにちは。
私はエリザベート・シフィールド。
今さっきまで酷い目に遭っていた女の子だ。
職業は女王、年齢は二十七歳。二十七歳は女の子。
一応、一国の主である。
在位は十一年ちょっとだから、王様としてはそれなりにベテランになるんじゃないかな?
敬え。
実態は小国の女王だから、あまり偉くはないのだ。
仲良くしてもらえると嬉しいです。
目下、私は大ピンチに陥っていた。
つい半月ほど前、私が治める小さな王国は、前王の遺児であるランスロットを旗頭にした聖国という隣国から侵略を受けたのだ。
腹立たしいことに、私の治める王国は小国で、まともに戦っても勝ち目は無い。
そこで私は、国民が避難する時間を稼ぐため、王都に籠城していたのだが、いよいよもって限界が近づいたので、城兵の助命と引き換えに投降し、そしてお約束のように裏切られた。
それで、その、これまたお約束の展開として、エッチなことをされそうになったのだ……。
まさに絶体絶命!
ランスロットの初飛行は、まさにそんなタイミングの出来事であった。
びっくりする私、騒然とする聖国兵、その動揺を低い声が切り裂いた。
「そこで転がっておけ」
だ、だれ?
私がおそるおそる見上げると、黒い騎士が一騎、忽然と姿を現していた。
黒衣黒装、巨大な黒鹿毛の悍馬に乗った重騎士が、聖国の隊列の中、静かに異様な存在感を放っている。
いつからそこにいたのだろうか。
それはよくわからない。
影よりも黒々とした騎影が、まるで幽鬼の様に夕日の中に佇んでいた。
彼は今、その手に持った長槍をゆったりと揺らしている。
あれでランスロットは飛ばされたんだ。
良く飛んだよなぁ。
どこか他人事みたいに私は思った。
「何者だ!?」
誰何する聖国兵。
黒騎士は重槍による一撃をもって返答に代えた。
巻き込まれた聖国兵の数人が、ただ一振りで肉塊となる。
旋回は止まらず、彼へと向かう敵兵が次々と倒されていく。
すごい攻撃力だ。
圧倒的な物理の力であった。
力とか私の三十倍ぐらいありそうだ。
あの騎士さんのレベル幾つぐらいだろうか?
いいなぁ……。
私は思った。
戦いを通じて、自らの非力に二桁回数以上は歯がみした憶えがある私としては羨望を禁じ得ない強さであった。
だって強さこそが正義、力こそがパワーなのだ。
そして力があれば、今の私みたいに地べたに這いつくばったりする必要もないのである。
羨ましくない訳がない!
私が物欲しげに見つめる前で、黒騎士は、何かを探す様にその兜をさまよわせていた。
その視線が私の方を向き、ピタリと止まった。
見つめ合う私と黒騎士。
私は涙と鼻水まみれのぶっさいくな泣きっ面で彼の視線を受け止めた。
これが私と彼との邂逅だった。
そこからの騎士の動きは劇的だった。
ダンゴムシのごとき体勢でうずくまる私に向かって、この騎士が凄まじい勢いで駆けだしたのだ!
ものすごい加速。
最初はどんって音がした。
一方の対する私であるが、こちらはこちらで天啓に見舞われていた。
この死神っぽい装束をした黒騎士さんが、なぜか自分の救世主のように見えたのだ。
それは、もうほとんど反射だった。
私は三ヶ月ぶり五回目となる一世一代の賭けに出た。
前回の賭けは、コレットとシフォンケーキを奪い合った時だ。
その時は負けた。
走る私、近づく騎影、すれ違うように騎士の左手が差し出される。
そして私は彼の腕めがけ、繁殖期のカエルのごとき必死さでとびついた!
びよよんと、私の身体が宙を舞う。
なぜ私は、この完全武装の重騎士が私を助けてくれると思ったのか。
それは、今でもわからない。
とにかく、私は彼に救われることになったのだった。
平均よりちょっとだけ重めの体を持つ私は、軽々と彼の元へと引き上げられてその前鞍へと乗せられた。
そして私の細めの、もう一度言うけど細めの腰に太い腕が回されて、身柄を確保されたのである。
私は、つい三十秒前まで死にかけていた。
そんな崖っぷちのエリザベートは、この瞬間に馬の上のエリザベート(黒騎士のおまけ付き)へと華麗なる転身を遂げたのだ。
「いやおまけはエリザのほうだよね」と頭の中のコレットが冷静な突っ込みを入れてきたけれど私はそれを黙殺した。
この際、どっちでも良かった。
◇◇◇
そして騎士さん主導の大逃亡作戦が始まった。
聖国の肉の壁を突き崩し、切り崩していく重装騎士。
一方でお荷物状態の私であるが、耳元で旋回する槍の音がぶおんぶおんとうるさい以外は意外と快適に過ごせていた。
お腹に回された彼の腕が、私を捕まえていてくれるからだろう。
安心感がある。
ときどき赤いしぶきが飛んでくるけれど、そういうアトラクションだと思えばそう悪くもない。
……いえ、嘘です!
超怖いです……。
この状況もそうだけど、実はもう一つ心配事があるのだ。
実は私、助けてもらえる心当たりが一切無い……。
いや、だって、今私達を囲んでいる聖国軍は二万もいる。
二万ってすごいよ。
ほとんど地面を覆い尽くさんばかりの数だ。
最初見たときおしっこもらしそうになって、生き残る希望も一緒に捨てた。
そのぐらいの数だ。
そんな相手にたった一人で立ち向かって、足手まといの女を一人抱えて逃げ出すなんてとてもじゃないが考えられない。
うちの王国は弱小だ。
その小さな国に、こんな超人が生息しているとは思えなかった。
だっていたら有無を言わさず徴兵してたもの!
女王の強権を発動したはずだ。
「貴様、何者だ!? こんなことをして、ただで済むとおもぶぅぅぅぅぅ!!!!!」
「貴様に名乗る名などないわ。死ね」
そんな正体不明の黒騎士さんであるが、ゆがみ無いレベルで容赦がなかった。
そして滅茶苦茶強かった。
もう、暴れる暴れる。
とんでもない暴れん坊将軍だ。
何か叫んだランスロットが追撃をもらい、顔面ど真ん中に投槍の直撃を受けて、地面に二度目の接吻をくれていた。
今度のジャンプは二回転半、奴の顔から青い火花が飛散する。
「ちっ、矢よけの魔術具か。殺し切れんな」
物騒なつぶやきを発しつつ、騎士さんは私のお腹をぎゅっとした。
「まぁ、ミス・シフィールドが無事ならそれでいい。怪我はないか?」
なぜか私には優しい。
一応お断りしておくと、ミス・シフィールドって私の事だ。
この姓は父ではなく祖父の名字なのだけど、私のお気に入りである。
少なくとも私の事、知ってる人みたいだ。
とりあえず、途中で放り出されたりはしなさそうで、私はほっと一息ついた。
素直に返事する。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「なら結構。一度ひこうか」
頭の後ろで満足げに頷く気配がして、それから彼は周囲の聖国兵をなぎ倒し、今度は王都の城壁へと馬首を向けた。
繰り出された槍の穂先を切り落とし、剣を腕ごと切り落とし、そして漏らさず敵兵の首を切り落とす。
そのまま包囲を突破して、あれよ、あれよと戸惑ううちに、私は安全な場所へと運ばれていた。