襲われたわたし
聖国という国がある。
その国の教えによると暴力は用いてはならない力とされている。
故に彼等は武力を持たない。
国内と言わず、国外と言わず、彼等は暴力をもって物事を解決することを禁じているのだ。
……いや、全然、禁止されてないじゃんって突っ込みはとりあえずおこう。
彼等と私達は思いっきり戦争中。
武力を持たないどころか、うちの国の十倍近い兵力をもってやがるんだが、今回、それについての議論は棚あげする。
とにかく、かの国には信者同士の争いごとを禁ずる決まりがあったのだ。
しかしだ。
全ての争いを話し合いで解決することは難しい。
うしても時間がかかってしまうからだ。
私も女王だからね。似たような経験がある。
いつだったか、保存食のタマネギを城のどこに置くかで激論が起きた。
私は調停役で駆り出されたのだけれど、もういっそ殴り合いできめちまえよとしみじみと思ったものだ。
くだらない事で延々議論して時間を空費することのむなしさたるや、それはもう凄まじいものがある。
なまじ殴り合いにならないとわかっていると、議論はどこまでも紛糾してしまうのだ。
それ以外でも、争う相手の根回しが上手い時なども困る。
普通の王であれば王権を背景した武力で言うことを聞かせたりできるがそれができなくなってしまうのだ。
聖国の権力者も俗界を治める人間だ。
しかし手足を縛られたような状態では、とても統治なんてできない。
故に彼等は、独自の方法でこの問題を迂回するようになった。
裏稼業、いわゆる非合法組織を彼等は利用することにしたのだ。
「恐喝、誘拐、殺人を生業とする人間を聖国は飼っている。連諜報部隊、いわゆる特務機関という奴だ。後ろ暗い仕事も含めてあらゆる手段で事態を解決する専門家集団だ。それが今夜、エリザを襲撃することになっている」
以上がオスカー情報であった。
私はどっちかというと驚いた。
基本的にその手の人たちが相手にするのはVIPだ。
ベリーインポータントなパーソンで無ければ、そもそもターゲットにはならない。
命を狙われて楽しい気分になるわけではないけれど、むしろ私は感心してしまった。
私狙ってどうするんだ。
知らせを運んでくれたオスカーが酷く落ち着いた様子だったので、つられてしまったのである。
「わかりました。襲撃の可能性があることは理解していたつもりです。つまり今オスカーは敵の動きを掴んだから、私の護衛に来てくれたと、そういうことでいいんですね」
オスカーはいささか心苦しそうな顔で首肯した。
「護衛に来たというのはその通りだ。エリザを守るなら、もっとも俺が適任だと思う。だが今日に至った経緯は違う。敵が動いたというより、俺たちがけしかけたのだ。ゆえに警備の計画など一部情報を流した。わざとな」
「わざと」
なるほど、私は思った。
「良い考えだと思いますわ、オスカー」
オスカーは驚いた顔をした。
いや、そこは驚くところではないでしょうに。
守るというのは難しい。
相応の組織力があれば、街に火を放ったり私の側近を傷つけたりするのは容易い。
私はそんなみんなを全て守れるほど手は長くないし力も無い。
でも、今のところそういう被害は出ていなかった。
敵がそうしなかったからだ。
これはなぜか。
もちろん、私の日頃の行いが良かったからとかそういう理由じゃない。
そうさせなかったということだ。
オスカー達が敵の目先を私に集中させてくれていたということなのだろう。
思い返せば、今までも、私の周囲は随分護衛が手厚かったしね。
「私を囮にしたのでしょう? 敵の動きを抑え込むために。私もその考えを支持しますわ」
「その通りだ。だが、そんなに嬉しそうな顔をされるのも困る。無論なじられたいわけではないが……」
「怒ったりはしませんよ。私の望むところでもあります。でもそうですね……。もしよければ、裏側も全部教えてもらえませんか」
私が強請ると、オスカーは苦笑いして裏の話をおしえてくれた。
「例えばだ。聖国の諜報部隊が王都に火を放ったとしよう。エリザはどうする?」
「犯人を捕まえます。それでたっぷり苦しんでもらいます」
オスカーがなぜかちょっと鼻白んだ。
若干私の答えがずれてる自覚はあるがそれでも断言する。
「絶対に許しません」
「……そ、そうか」
「まぁ、そもそも、街に火を放つのは、聖国にとっても悪手です。そんなことをすれば、私達は怒ります。王国と帝国軍の結びつきは強くなるでしょう。私も全力で帝国軍を支援して、なにがなんでも聖国を倒す方向に舵を切る。そういう動きを狙って帝国軍が自作自演をする可能性はないと思ってますし……」
帝国軍は信用出来る。
というか、信用する。
そしてオスカーは、悪いことはしない人。だから安心して背中を預けられる。
こんな私の思い込みは、コレットの調査でちゃんと裏付けがされている。
この辺りを勘案すると、聖国は下手に王国の人間を害せない。
「ですから、彼等はうちの国のみんなをねらったりはしなかった。たしかに私達も傷つきはしますが、聖国のメリットにはならないからです」
「その認識で間違いない。しかし、なんというか、エリザは急に鋭くなるときがあるな……」
「時々言われます」
部下が使えるものですから。
「連中の目標が戦争の勝利にあるとするなら、王国民を害しても無駄だ。あるいはルチアの奪還のような作戦も考えられるが、それをしても喜ぶのは彼女の婚約者と母親だけ。これもうまくない」
「たしかにメリットは薄いですね」
連れ戻されたルチアはどうなるのだろうか。
すぐさま婚姻を結ばされたりするのだろうか。
白い新郎の服を着て得意げに笑うランスロットと、ゴキブリを素足で踏んづけた時のような顔をして俯くルチアを想像して、私は考えるのをやめた。
「だが、エリザを狙った場合だけは結果が違う。まず王国は旗頭を失う。混乱は必至だ。俺や帝国軍の出征もエリザの保護が目的である以上頓挫する。今後、王国と帝国がつながりを深めていくのも難しくなるだろう。これらは聖国にとって全てメリットだ」
「随分買いかぶられている気がしますけれど……」
「全て事実だ。だからこそ説得力があった。故に聖国の機関を誘い込むことが出来たというわけだ」
「左様ですか」
あえて、反論は慎みます。
「だがいつまでも泳がせておくのはこれはこれで面倒。ゆえに今夜、エリザを襲撃させることにしたのだ」
オスカーは眉毛をへにゃりと下げた。
「以上が俺たちの事情だ。護衛を厚くしたりもしていただろう? 裏でいろいろと動いていたのだ。今まで黙っていてすまない」
「いえ、気にしないで下さいませ。私は平気です」
そんな顔をされては怒れない。
怒る気もないし。
オスカーはでもまだ不安げだ。
「後でどれだけなじってくれても構わない。エリザの事は守るから、振らないでもらえないだろうか」
思わず笑いがこぼれてしまう。
ここまで来て、なんて、情けないことを言うんだろう!
私はその言葉にこたえる代わりに、オスカーの髪を撫でた。
「でしたら私の事、ちゃんと守って下さいませ。それで全部不問にします」
私がそう言うと、オスカーはすっかり安心したような顔で頷いた。
敵の襲撃よりも私に事情を話すことのほうが怖かったのだと彼は私に教えてくれた。
護衛に来てくれたオスカーは、パーティーの時と同じ軍服姿だった。
彼は長身。
決して華奢なわけではないのだけれど、光の中に浮かんだ輪郭だけを見るとむしろ細く見える。
羨ましい。ちがうそうじゃない。
大事なのは、見た目こそ細いのに、頼りない感じがまったくしないということだ。
図体だけなら、うちの騎士団長のほうが遙かにでかい。
でもオスカーからは、見るからにやべぇって雰囲気がただよっているのだ。
今さっき人一人斬り倒してきましたって言われたら納得する雰囲気を彼はいつも漂わせている。
そんな彼が言った。
「まずは窓以外の出入り口を家具で塞ぐ。エリザは部屋の目立たないところに隠れておいてくれ」
「わかりました」
素直に頷いた私は、こそこそとベッド脇へと引っ込んだ。
彼は出入り口を塞ぐと宣言した通り、家具を使って一つしか無い部屋の扉を封鎖してしまった。
お高い箪笥や椅子でできた簡易なバリケードだ。
時価で金貨数十枚分ぐらいなりそうなノーブルな防壁である。
私も手伝おうとしたんだけど、やんわりとお断りされてしまった。
口には出さないけど、「邪魔しないで」って顔に書いてあったのだ。
私は見学していたけれど、確かに作業はスピーディーで淀みなく、私が手伝える隙は無かった。
ちょっと無念。
「でも、この状態だと、いざという時逃げられませんし、増援も呼べませんね」
オスカーは首を横に振る。
「エリザのかけっこの実力は聞いている。その足では逃げようとしても間違いなく捕まるだろう。ならば攻め手を全て片付けてしまったほうがいい。出入り口を一つにすれば向こうの出方も限られるしな」
「なるほど」
荒事に関しては彼にお任せだ。
かけっこの実力まで勘案されるとは思わなかったけど、まぁ、事実である。
私は納得の返事と共にわらってみせた。
彼への信頼感に生来のヘタレから来る怯えが混ざって、絶妙に情けない笑顔ができた。
「頼りにしています、オスカー」
「ああ、頼りにしておいてくれ。俺の数少ない取り柄だからな。ただの色ボケではないことをみせてやろう」
笑いながら、彼は部屋の明かりを全て消した。
部屋の中は真っ暗になる。
光源は窓の外から差し込んでくる中庭の光だけ。
この時、私はお祭りの時に感じた違和感を思い出した。
そういえば、中庭、やけに明るかった気がする……。
私は気がついた。
不自然なほど会場の中庭を明るくしていたのは、今日のこれに備えてのことではないだろうか。
現に会場の明かりは付けっぱなしだ。
明るい場所から暗いところに入ると一瞬目が見えなくなる。
人体がそういう風に出来てるのだ。
明るいところにいると瞳孔が閉じているので暗いところでは目が慣れるまで物が見えない。
この部屋に突入した襲撃者の目は一時的に光を失うことになる。
要は、目くらまし。
「オスカーは、夜目は効くほうなんですか?」
「ああ、良い方だと自負している。……エリザも気付いたか。さっきといい、なかなか、めざといな」
「パーティーの時に気になったんです。私貧乏性だから、ちょっともったいないなぁって」
「感覚が庶民派過ぎる……。大した費用では無いぞ」
すみません。
オスカーは用意周到だった。
照明のことといい、その他手回しの良さといい、今日のこれは本当に待ち伏せなのだろう。
たった一人で彼が現れた時は、すわ奇襲か!? 闇討ちか!? と肝を潰したけれど、どうやらすべて計算ずくみたいでわたしは安心である。
作業を終えたオスカーは、近くの家具に腰を下ろして待ちの体勢となった。
部屋が途端に静かになる。
こうなるとちょっと暇だ。
戦闘に備えている人にあれこれ話しかけるのはためらわれるし、邪魔にならないことと怪我しないことを目標に頑張ることを決意して私もその場に座り込んだ。
さて、私はどうしようかしら?
私の首元からは、彼からもらった矢よけの魔術具がぶら下がっていた。
切ったり刺したりする攻撃を殴りつけたような衝撃に変換してくれるという便利アイテムだ。
要は切れなくするだけの魔術具だ。衝撃は残る。
死にはしなくなるが一応油断はしないでくれと、彼からは言葉をもらっていた。
まぁ、石を矢の速度で投げつけられたら、当たれば酷い事になるもんねぇ。
私は顔が大きいせいか、遊びの最中はよく顔面に攻撃をもらうのだ。
鼻血を吹き出した回数なら、そんじょそこらの王族には負けない自信がある。
自分の身は自分で守るべきだ。なんか盾を用意しておこう。
周囲を見回した私は、ベッド脇にあるティーテーブルに目を付けた。
アリスが持ち込んでくれた上品な丸テーブル。
高さは私の腰よりもちょっと低いぐらい、綺麗に磨かれた丸い天板はちょっとした厚さがあった。
矢や投げナイフ程度ならこれで防げそう。
私はそれを横倒しにすると、その影に潜り込んだ。
これで、準備は万端である。
それから、一刻ほどが経過した。
ただ待つというのはそれなりにしんどい。
私は、くだらない脳内会議で時間を潰して過ごした。
「本当に敵は来るのかしら」
「くるわよ、オスカーさんがそう言ったんだから。というか今日来てくれないと、また明日も待つことになりそうだから、ちゃんと来て欲しいわ」
「ああ、それはあるわね敵がいるのは確実っぽいもの、枕を高くして眠れないわ。でもこんなのが毎日続いたら、寝不足になっちゃうわ。また小じわが増えちゃう」
「体重も増加中だし、これで顔まで老け込んだらオスカーにも振られちゃうわね」
「黙れ」
それでもついつい眠くなってしまい、体の体が勝手にボートを漕ぐ練習をはじめたタイミングで、やおらオスカーが立ち上がった。
「エリザ、起きろ。客人が来た」
「あ、はい! わかりました」
来たか!
私は意識を覚醒させる。
オスカーの背中に隠れながら、頑張れ頑張れと彼を応援する準備は出来ているぞ!
窓の方へと視線をやるが、そこにあるのはいつもの窓外の風景だった。
お城の向の壁が橙色に照らされていて、その屋根の向こう側には夜空が見える。
星はあまり見えない。それだけ外が明るいってことなんだろう。
何にも変わらないけど、本当に来るのかしら?
私が首を傾げた、その時だ。
するり。
透明なガラスの向こう側にロープが音も無く垂れ下がってきた!
数は二本。
人生、生きていても、押し込み強盗にお邪魔される決定的瞬間に立ち会う人間なんてそうはいないだろう。
流石に驚いた。心臓が止まるかと思った。
こうして居眠り中に遭遇した脈絡のない悪夢のような唐突さで、状況は始まったのだ。
ロープを伝って人間が二人降りてくる。
黒装束の小柄な賊だ。
でも外が明るい分、黒い色がかえってとても目立っていた。
敵は窓ガラスに取り付いて作業を始める。
オスカーは動かない。
大丈夫なのかしら……。
私がはらはら見守る間にも、賊は我関せずと作業を続け、窓の鍵を抜く。
そして息をあわせると、窓を大きく開け放ち二人同時に突っ込んできた。
その瞬間だ。
オスカーが動いた。
抜剣と踏み込みはほぼ同時。
音も無く肉薄した彼はただ一閃で、一人の首を跳ね飛ばした。
その勢いを返すように、刃が下へと振り下ろされる。
残る一人の右腕が切り飛ばされる。
それが床に落ちるよりも早く、刃は下から軌跡を描き残る一人を葬っていた。
賊がその場に崩れ落ちる。
バルコニーの向こうには、新たに四人の狼藉者が降り立っていた。
敵の動きはその手の稼業に従事する専門家のそれを思わせた。
近所の飼い犬にも負けるひ弱さを軟弱さを誇る私にもわかるほど雰囲気がある。
相応の手練れ、決して弱くは無いはずだ。
弱くないはずなのだ。
でも、そんな相手であってさえ、およそ寄せ付けないほどオスカーは強かった。
残る四人が散開するよりも早く、オスカーが動く。
向かって左、ただ一足で急速に間合いをつめた彼は、刃を無造作に横に振るった。
賊はそれでもオスカーの動きに反応した。
逃れようと体をたわめたその瞬間、一人が胴を腕ごと払われてバルコニーから落ちていった。。
二人目は、深く構えて体ごとオスカーに体当たりを試みたが、恐るべき早さで戻ってきたオスカーの剣に頭部をガツンと強打されていた。
三人めはよくわからん。返す刀で屠ったのか、気付いたらいつのまにかやられてた。
敵の体に彼の剣が振れる度、金属の擦過音らしき音がした。
でも、それが彼の刃を止めるのに役立ったようには思えない。
彼の太刀筋は、それぐらい鋭かった。
「すごい」
彼の立ち回りに見惚れる私。
もう、すっかり観客気分だった。
と、最後の一人が私の方へと顔を向けた。
やばい!
と思ったその刹那、私の眠れる生存本能が、ここ一番で仕事した。
私は大急ぎで顔をひっこめた。
その顔があった場所。
ナイフの軌跡が通り過ぎる。
それはそのまますっ飛んでいき、石の壁にでかい音を立てて激突した。
それからすぐ、私が盾と構えたテーブルにずがんと重い音が響いた。
二発目の刺具を賊が撃ったのだ。腕に衝撃が走る。
でもずがんて!
相当な威力じゃないの!
私は、恐れおののいた。
というか、すぐ近くで音がしたのが一番怖い。
敵にもこっちが見えてるのか!?
恐る恐る横を見れば、顔一つ分はなれた場所に、天板を突き破った鋭い刃が春先に芽吹いた山菜のごとき力強さでちいさく黒光りする頭を覗かせていた。
奴は、ちゃんと狙って撃ちやがったのだ。
うおおお、あっぶねぇ!
やっぱ、本職は恐ろしい!
重たい衝突音から察するに、まともにくらえば骨の二、三本はおられてただろう。
顔面にヒットをもらったら、べこりと陥没させられていたかもしれぬ。
しかもこの色、この照り艶!
絶対、毒とか塗ってある!
私が敵の一撃でビビっていると、外でまた音がした。
えっ、どうなったの?
おそるおそる顔をあげると、最後の一人が、オスカーに頭を割られて床へと沈み込むところであった。
どうなったもこうなったもない。
賊六人が瞬く間に全滅してしまったのだ。
敵は相応にやばかったが、オスカーには及ばなかった。
つまりオスカーが一番やばかった。
よ、良かったぁ。
オスカーがいれば大丈夫と思ってた。
でも不安がなかったわけではないのである。
私は穴が空いたテーブルからへろへろと這い出した。
最後の一人にとどめを刺してから、オスカーが急ぎ足でもどってくる。
彼はなんだか心配そうな色を浮かべていた。
「すまん、エリザ。一人押さえるのに失敗した。怪我はないか?」
「あ、はい、大丈夫です。外れたから。私こそごめんなさい。もっとしっかり隠れているべきでした。のこのこ顔出した挙げ句にやられかけるとか、不覚ですわ」
「いや、状況を確認するのは悪いことではない。だからエリザの落ち度ではない」
「なら、良かったです」
頑張って避けた甲斐があったというものだ。
見てたところで役に立たないんだから、黙って部屋の隅で震えてるべきだったかも、とも思った。
あえて口にしないけどね。
「オスカーは大丈夫ですか?」
「無論無傷だ。エリザと違って、俺にはこれしか取り柄が無い。負けたりはするものか」
「でも、多少は心配したんですよ。オスカーはちょっと抜けたところがありますから」
私は冗談めかしたつもりであったけど、オスカーは乗ってこなかった。
「それよりエリザのことだ。エリザが俺のように頑丈では無いことを忘れていた。奴らの手は届かないと油断した。敵の手を通してすまなかった」
オスカーの言葉からは、悔やむ色が濃い、
底冷えするような声音の中に、遅ればせながらにやってきたらしい恐れの色がにじんでいた。
「あまり気にしないで下さいな」
私はそう言ったけれど、彼はなにやら考え込むような風情であった。
これは目先を変えたほうが良さそうだな。
そう考えた私は、ちょっとの思案の後別のことを口に出した。
「それよりここを片付けをしなくては」
「すぐに人が来る手はずになっている。そちらは問題無い。それよりもあなたのことだ」
あなたのこと。
そう言ったオスカーの目の色が、いつもと少し違うことに私はこの時気付かなかった。
「私は無事です。ご心配なく。それよりもこれで聖国の襲撃は終わりなんですか? それとも第二陣を警戒すべきでしょうか?」
「そちらは問題無い。これで片付いたはずだ。奇襲は最初の一撃に全力を注ぐのが鉄則。敵の警戒が強くなればその分難易度が上がるからな。一度に失敗した相手に日を置かずなんども手出しをされることはまずない」
「なるほど」
私の適当極まる相づちに、これまた曖昧な頷きで返しながら彼は周囲を睥睨した。
部屋の真ん中。
血刀をさげたオスカーは、軍人姿恐ろしく様になっていて、ゆえにとっても恐怖だった。
普段から、人斬りっぽい雰囲気の彼であるが、今はまさにそれを実行したばっかりなのだ。
見た目通りの男になったオスカーは、変なライセンスとかもってそうな貫禄があった。
強い血の臭いが、私の口の中へと流れ込んでくる。
緊張が解けたせいかな。
気になりはじめると酷い匂いで、私は思わず顔をしかめた。
彼はそんな私の顔を見とがめた。
「におうか?」
「……ええ、少し。すみません」
オスカーは少し考えてから、はっとして顔をあげた。
「なら移動しようか、エリザ」
思いついた! みたいな顔をしていたけれど、提案は至極普通だ。
「移動するのは賛成です。それでどこに移ります? どこか避難場所が用意されているんでしょうか?」
「こちらでは用意していない。そうだな……。出入りが難しい場所、できれば袋小路の先にあるような部屋はないか? 壁は厚くて立てこもりやすいと良い。外からは入り込みにくく難しく、音が漏れないとありがたい」
オスカーの注文に私は首をひねった。
守りやすそうな場所だ。でもなぜかしら。
条件だけ並べると牢屋みたいな場所である。
どこか無かったかなぁ……。
あっ、そうだ。
条件に合う場所を思いついた私は、その場で手を打った。
「あります。籠城線の最中に使っていた仮眠室! あそこなら入れる扉は一つですし、壁は石造りで安全です」
「わかった。ところでその部屋は掃除はしてあるか?」
えっ、そこ、気になります?
「多分、大丈夫かと思います。ここしばらくは使ってませんけど、お城で働く人が増えたのでどの部屋もお掃除はしているはずですから」
「よし、それなら問題無いな。今から向かうぞ」
「はい」
入り口を塞ぐ家具を退け、私はオスカーと連れだって仮眠室へと向かうことになった。
オスカーさんは私のベッドから敷き布団を抱えると私の後から付いてきた。
なぜ、敷き布団?
寝る時用かな?
なんてことを私は暢気に考えていた。
ああ、ほんとにのほほんとしてる……。今から思い返してみて恥ずかしいことこのうえないよ。
廊下を進めば、あちこちに警備の兵士さんの姿があって、いつもの調子で敬礼を返してくれた。
オスカーは小脇におふとん抱えて答礼していた。
敵は窓から来た分だけだったのだろう。城内は安全そうで私はほっと一安心。
でも、オスカー直々の護衛は継続中なんだよね。
過保護だなー、なんて私はこの時考えていた。
階段を降り、少し薄暗い通路を歩く。
籠城戦の最中は何度も行き来したので、よく知ってる道だ。
ただ、オスカーは終始、押し黙ったままだったので私はちょっと居心地が悪かった。
階段を降り、廊下を歩き、お城の寂れたほうへと進んで行く。
城壁近くだから今は人もいない。
少なくとも、王族や将軍閣下が平時に行くような場所じゃなかった。
通用路を抜け、袋小路へと入り込む。
私達は、私が寝起きしていた仮眠室に私達はたどり着いた。
地階、今はすこし寒い。幸いお掃除はちゃんとされていて、部屋の隅にケセランパサランが住み着いているということは無かった。
寝台と書き物机に、粗末な衣装棚が置いてあるだけの粗末なお部屋だ。
大人が二人で過ごすにはちょっと手狭だけれど、注文通り壁と扉だけはぶ厚くて信頼出来る。
私は部屋の中にオスカーを招いた。
「ここです。ここなら、だれも入れませんわ。安全です」
私の後から部屋に入ったオスカーは、扉を後ろ手に閉めると周囲を見回した。
「ああ、良い部屋だな。たしかにここなら邪魔者も入らない。でかしたぞエリザ」
「ええ。警護がしやすいからと私の寝所に選ばれた場所ですもの」
褒められた私は気をよくして返事した。
彼は一つ頷くと、おもむろに後ろを振り返った。
それから扉の鍵を閉める。
がちゃりとかんぬきまでかけた。
その音が、やけに大きく私には聞こえた。
「これで二人きりだな」
「あっ、そうですね」
そう言われて、私はようやく気がついたのだ。
ここは密室。
しかもちょっと薄暗い。
部屋には、さっき持ち込んだランタンの明かりと、小さな採光窓があるだけだ。
そんなところで私はオスカーと二人きりになっていた。
私の胸が胸郭の奥でジャンプする。
落ち着け、エリザベート! こんな時に何考えてる。
オスカーもオスカーだ。
変な事は言わないで欲しい。
「まぁ、もうすぐ朝ですけど」
「いや、まだ深夜だ。夜明けまではあと三刻ほどある」
あれ、思った以上に時間が経ってない!
私がびっくりしていると、彼は私のほうへと歩き出した。
彼の顔は、とても真剣で。
それですごく、なんていうか情熱的な雰囲気だった。
心臓が軽快なビートを鳴らす。
いろいろな思いを抑え込んで、私は口を開く。
「オスカー、それで、私達は朝までここで待機ですか? それとも誰か迎えにくる手はずに……」
「だれも来る予定はない。書き置きは残したが、朝までは戻らないと告げてある。」
「そうですか。でしたら、少しお話ししませんか? ここならゆっくりできそうですし……」
「エリザ、聞いてくれ」
オスカーは私の言葉を遮った。
「今日の戦いで俺はしくじった。いつものように戦い、君がいることを失念していた。君の身の守りは安全だとそう錯覚していたのだ」
「あれは私が悪かったんです。部屋の隅でじっとしているべきでした。それにあれが当たっても多分死んだりはしませんわ。以前、効果はみせてもらいましたもの」
オスカーは寝台に布団を放りながら首を横に振った。
「死ぬかどうかは、この際問題ではない。俺が、あれを見て怖くなったのだ。たった一度の事故で、君は、いとも簡単にいなくなってしまう。今日、俺はそのことに気付いた」
私は彼に迫れて後ろへ後ろへと後ずさる。
体が寝台にぶつかった。
やばい。もう、さがれないぞ。
「あの、オスカー。でも、私、こう見えて結構しぶといですから、そう簡単に死んだりはしません。ご心配には……」
「心配にはおよぶぞ、エリザ。君は脆い、本当にしぶとい人間というのは俺のようなものを指すのだ。とても安心はできない」
今や、彼の顔は私のすぐ上にまで迫っていた。
彼と視線がぶつかる。
落ち着いた褐色の色の中に、強い光が踊っていた。
二人きりの時に時々みせてくれた、つまり、そういう時の顔だ。
彼を見て狼みたいと思ったことを私は、ふと思い出した。
狼さんが口を開く。
「エリザ……、俺は男だ」
「はい、知ってます」
「そして、君の事を好いている」
「えっと……、それも知ってるつもりです」
「そして今、俺は君と二人きりになった。ここへは誰も入り込めない」
「……あの、オスカー、待って、待って下さい」
「邪魔者は片付けた。背中から切りつけられることを心配して、俺が我慢する必要は無くなった。そして今さっきの戦いで君を失うことの怖さにも気が付いた。俺はもう待つつもりは無い」
「あ、あの、オスカー、でも、わた」
私、今日、お風呂に入ってない。
私の言葉は彼の唇に塞がれた。
彼の腕が私の体を捕まえる。
それから彼は強引に私を寝台へと押し倒した。
さっき持ち込んだ敷き布団の上で、彼の手が乱暴に私の体に触れる。
「君は無防備すぎる、こんなにも脆いのに」
オスカーはそう言って、私の事を責めた。
私はその晩、聖国の機関に襲撃されて、オスカーに助けられ、その後彼に襲われた。
彼は私を一晩かけて私のことを好きにした。
私も彼の事が好きだったので、頑張って彼の事を受け入れた。
その晩、王国では沢山の男女が結ばれたことだろう。
狼さんに急かされて、私も予定より一日早く、その仲間入りを果たすことになったのだ。




