聖女ルチアとわたし
十年ほど昔の話になる。
私達に王国を追われた先王とその一家のその後について、私は詳しく知る機会を得た。
情報源は聖国出身の女の子だ。
十年前の革命の後、先王リチャードとその愛する妻リンディは聖国に亡命した。
彼等は元王族として丁重な扱いをうけることになったそうだ。
そして半年後、元国王リチャードは変死した。
一方で残されたリンディは半ば公に認められた教皇の愛妾となった。
……色々察してしまうね。
ご想像の通りだ。
なんと聖国の教皇までもがリンディに一目惚れしてしまい、邪魔者のリチャードは始末されてしまったそうである。
リンディもまた古い男をあっさり見限って、新しい宿主に鞍替えをした。
聖国を治めていた教皇ベネディクゥスは当時三十五歳。
彼もまた真実の愛に目覚めた男の仲間入りを果たしてしまったのだ。
そして聖国は乱れた。
やっぱり乱れた。
なぜ歴史は繰り返すのだろうか……。
魔性の女リンディ、ところ変われど変わらぬ吸引力であった。
王国以上に大きな聖国であればリンディの欲望を支えきれるかと思いきや、贅沢の規模も一緒にが拡大してしまい、結局聖国も傾いてしまった。
「お父様は変わってしまわれました」
語り終えた客人は、寝台の上、両手で顔を覆い言葉を切った。
場所は私の寝室。
またしても急患だった。
今度はルチアちゃんという女の子だ。
オスカーさんに無体な扱いをされたかわいそうなお姫様である。
ピンクブロンドに小さな体躯。
年の頃は十六、七か?
やんごとない身分の方なのだけど、ベッドの上で萎びてる姿は、年相応の女の子に見える。
なんでも彼女は丸一昼夜、ほとんど飲まず食わずのまま、オスカーにくくりつけられて王都まで運ばれてきた。
この扱いはいくらなんでもかわいそすぎると同情したこの私が、例によって例のごとく私の私室へ運び込ませたという次第である。
幸いルチアはちょっと胃腸が弱ってるぐらいで命に別状はなさそうだった。
暖かい薬湯とおかゆを用意して食べさせたところ、それで人心地ついてくれたようだ。
そして動けるようになるや否や、女王陛下とお話したいことがあると訴えてきた彼女から、私は事情を聞いていたのである。
私の袖を後ろからコレットが引っ張る。
なんだい?
「エリザ、そもそもこの女が誰かわかってるの?」
「知ってるわよ。聖国の皇女様でしょう? 聖女っていわれてるらしいね。評判は聞いてるよ」
私の言葉に、ルチアはびくりと身を震わせた。
おや、心配はいらないよ。
「悪いようにはしないから安心して。わざわざ私の部屋に来てもらったのも、トラブルを避けるためなんだから」
「ちょっとエリザ! 私は納得して、もがもが」
「アリスちゃん、書記、頼める?」
「はい、お姉様」
ごちゃごちゃうるさい腹心の口を両手で塞ぎつつ、素直な新妹に手伝いを頼む。
アリスはにっこり笑って筆記具を取りに行った。
見て、この素直さ。
コレットは少し反省して。
ルチアは聖国の抱える事情を語りながら、なんども私に頼みがあると言った。
もちろん対価も用意するとのこと。
私としても聖国の人間に聞いておきたいことや話し合いたいことが沢山あった。
単身、敵地に乗り込んできたルチアの根性も加味したうえで、有意義な話し合いができるのではと勝手に期待し彼女を助けたのだ。
「さて、ルチア。本題に入りましょうか。はるばるここまで自分の国の窮状を語りに来たわけでもないんでしょう? あなたのお願いとやらを聞かせて頂戴。あらかじめ言っておくとリンディとランスロットの返品はお断りよ」
「はい。それはこちらで機会をみて処分します」
「ならよし」
ルチアの頼みはもっと深刻で急を要するものだった。
彼女の顔が真剣なものへと変わる。
「陛下。今、聖国では病がはやっております。その病を駆逐するために、陛下の援助をお願いしたいのです」
「病?」
ルチアは沈痛な色をにじませた。
「はい。およそ三年ほど前からなのですが、聖国ではお腹で悪さをする病気がはやっているのです」
アリスが私を見る。
「私がつい先日かかった病気でしょうか?」
「多分ね。うちの国でもちょっと前にはやったのだけど、こっちはすぐに終息したわ」
「おそらくそれです。王国ではすぐに終息したのですか……。でも私の国では、駄目だったのです。多分、街が汚かったことが原因だと思うのですけど……」
「それは大きいわねぇ」
聖国の衛生環境は、悪い。
理由の一部は、彼等の国の信仰にある。
聖国の中では、神様への強い信仰があるのだけれど、この教えの一部が悪く作用した。
「清貧」の教えだ。
なんでも清貧とは何もしない状態を指すそうで、宗派によってはお掃除やお風呂まで贅沢だと否定してしまうことがあるのだそうだ。
当然不潔になる。
結果、細菌大繁殖。
南の方から新種の感染症が侵入し大流行することになったのだとか。
この時点で予防はむずかしい。
そうなると対処療法的に、患者さんに治療を施すことになる。
「それで王国で作られている薬を援助して頂きたいのです。効果が高いことはわかっております」
この言葉にコレットが意地悪く笑った。
「聖国にだって薬はあるじゃないの。ほら、奇跡の水とか言うやつがさ」
「あんな物は効きません」
ルチアが吐き捨てるように言い捨てた。
ここで聖国は二つ目のぽかをやらかしたのだ。
もう一度言うが、環境が悪くとも、薬で症状を抑えることは可能だ
だが彼等は教会のお墨付きで、病に効く奇跡の水なるものを高値で売り始めたのである。
これ、うちの国も聖国から試供品を押し売りされたんだよね。
だから成分は調べた。
塩水っぽいなにかだった。
少しバニラっぽい匂いがしたので、香料をいれてたのかもしれない。
水銀みたいな有毒物質混ぜられたりしてなかっただけマシともいえるが、薬効は無さそうだった。
うちの国の聖水はその日のスープに解けて消えた。
金貨数枚もしたんだけどね……。
邪推になるが、リンディの贅沢で聖国の財政も傾いてきていたのだと思う。
それで、この聖水の販売で金策に走ったのだ。
原価タダのみずで稼げりゃたしかにぼろい商売だ。
問題は、国の危機がそれで解決しないってことだけである。
「聖国でも地位がある人間はみな、帝国から輸入した薬か、あるいは王国から横流しされた薬を使っています」
「へぇ……」
「……戦争がおきた理由の一つも、これであろうと私は考えています」
「ほぉ……」
考えてみて欲しい。
塩水を聖なる薬と題して高く売っている国の隣でがっつり効力を発揮する本物のお薬を作ってる人間がいたらどうなるか。
塩水のほうは売れなくなる。
だって塩水だから。
故に聖国は、自分たちの商品の信頼性(?)を守るため私達の王国に襲いかかってきたということなのだ。
ついでに薬や製造法を奪おうとでも考えたのかもしれない。
とんでもない奴らだ。
同じ結論にいたったコレットが嫌そうに顔をゆがめた。
「要するにさ。戦争でうちの国からいろいろ奪おうとしたら上手くいかなかった。だから今度は泣き落としにきたってことでしょう? そんな馬鹿な話が通ると思ってるの?」
「……そう仰られるお気持ちはわかります」
「じゃあ、答えも決まってる。そっちを助ける義理はうちの王国には無い。とっとと帰れ!」
「そこをお話しさせて頂きたいのです……!」
「いいや、だめだね! 聞く気なんてないよ!」
すっかり女王の貫禄である。
でもまぁ、言いたいことは言ってくれたかな。
眉毛つり上げたコレットと涙目のルチアのぶつかりあいに私は体ごとわりこんだ。
「はい、コレットそこまで。確かに私達に聖国を助ける義理は無い。でも、助ける理由はあるんだから、その辺にしておきなさい」
コレットはぶー垂れつつも引いてくれた。
彼女も気付いているんだろう。
私達王国にとって忘れてはいけない重要な事実があった。
私達の王国は聖国のとなりから動けない。
当たり前だね。国は土地の上に建ってるんだから。
そんな私達の立場からすると、戦後の事が問題になるのである。
完全に滅ぼすというのでなければ、聖国とは和平が必要になる。
嫌いだろうが恨みがあろうが信用出来なかろうが、どこかで折り合いを付けねばならないのだ。
和平。
これを考えると、聖国の皇女様から提案をもらえたのは大きい。
「ルチアちゃんが私と王国に協力してくれるなら、話し合えること、助け合えることは沢山あるの。だからあなたが来てくれたこと歓迎するわ。しばらくはゆっくりしていって」
「エリザ! あなたまた、もがもが」
コレットが不平を言おうと口を開いたところ、アリスがさっと押さえ込んだ。
だんだん、アリスが私の意図を汲んで動いてくれるようになってきた。
この子、よく気がつく。お姉ちゃん助かる。
「それに、ルチアちゃんのことについてもいろいろと聞きたいしね。単身うちの国に乗り込んできたこととか、ランスロットから逃げようとしてたこととか、いろいろね」
「はい! ……ご厚情、感謝いたします、陛下!」
ルチアは目を潤ませてから頭を下げた。
ピンクブロンドの髪がながれて、ほっぺたからぽとぽとと涙がこぼれる。
それから掛け布団を顔のまえに押し当てて、肩をふるわせ泣き出した。
よかった、よかったって聖国語がとぎれとぎれに聞こえてきたので、私達はお部屋を後にした。
「素直な子な良い子じゃないの。優しくしてあげて」
「エリザ、何あまいこと言ってんの!?」
「そうです、お姉様! 話し合いで懐柔するのと信じるのは別ですわ!」
ひゃー、怒られた。
二人ともしっかりものの妹でそのことは嬉しく思うのだけど。
でも迂闊な発言が多い身としては、ますますおこられる機会が増えそうだねぇ。
苦笑いする私の前で、二人がそっくりの怒り顔で私のお人好しぶりをなじっていた。
まったくもう。
私だって結構蓋をしてるんだから、ちょっとは優しくしておくれ!




