トラーニの聖女とオスカー
俺たちは、小高い丘の上から港湾都市トラーニを見下ろしていた。
トラーニは聖国東部一の港町。
今後、帝国と王国の連携を考える上で是非とも押さえておきたい要衝だ。
王国と帝国は遠い。
エリザも語ったとおり、王国と帝国の間には山脈があり、これが両国との行き来を難しくさせているためだ。
これに対する解決策は二つ。
一つは、内陸を走る大陸公路までの地域をおさえる手。
もう一つは、港湾を押さえ海路によって両国を結ぶ手。
王国は辺境にあり、公路からは遠く離れている。
ゆえに平坦な陸路で王国と帝国をつなぐには広大な領土を聖国から奪う必要がある。
これは骨が折れるのだ。
一時的に獲得するならともかく、維持するのは兵力もいるし、統治も面倒だからな。
その点、港町一つを得るのであれば守るのが容易い。
貿易港は、多ければ多いほど良い関係で帝国にもメリットがある。
俺も言い訳がしやすいのだ。
東部方面軍とかに。
故に唯一にして最良の選択肢として、俺たちはトラーニの攻略を図ることになった。
そして、到着早々、俺たちはこの都市攻略戦で勝利をおさめていた。
「城門は爆破した。勝ち確だ」
ライナーだ。
この男が、城門を抜いたのである。
「そうか、ご苦労。これで何連勝だ」
「さぁなぁ。確か十一だったか? よく覚えてねぇよ」
よく覚えてねぇと言いつつ、すぐに数が出てくるあたりがライナーだ。
機の無さそうな口ぶりだが、得意げな顔が隠せていない。
もちろん立派な手柄だ。高く評価しているとも。
俺が手放しで褒めてやると、この男も面はゆそうな笑顔を浮かべて鼻の頭を掻いていた。
都市の一般的な攻撃方法は包囲攻撃だ。
遠投投石機などで間断なく攻め立てながら、破城槌や攻城塔でもって大規模な攻撃を仕掛ける。
うちの軍の陣容はあつく、地方の都市一つ攻めるのであればおよそ負けることはありえない。
だが、包囲攻撃は戦闘が大規模になるし、損害も出る。
時間も金もかかってしまうため、俺としては好まざるところであった。
結果、財政と都市環境にも配慮した攻撃手法が模索され、最終的に潜入工作員の手による城門爆破が主たる手法としてとられることになった。
その担当がライナーだ。
今回もまんまと任務を完了してくれた。
見事だ。
「都市の封鎖がこれっぽっちもされてなかったからな。工作員も送り込み放題だったぜ。陽動の西門も爆破に成功したのは予定外だが、突入口が多い分には問題無いだろう?」
「そうだな。十分な成果だ。よくやった」
得意げに時分の手柄を語るライナーは、なかなかに可愛い。
この褒められたがりめ。
無自覚な褒めて褒めてオーラを振りまくお子様ライナーを生暖かく見守っていると、うちの部隊で一番の大人も一仕事終えて帰ってきた。
丸い男マルノイだ。
だが、こちらは渋い顔をしている。
「行ってきたよ、降伏勧告」
「そうか、どうだった? すぐに応じそうか?」
「これがわからないんだ。とにかく反応が鈍くって。状況に気付いてるのか疑わしいぐらいだ。勧告自体は届いてはいるみたいだけど、返事はもらえなかった」
マルノイがもっちりした二重顎を撫でつつため息を吐く。
「場合によっては少し時間がかかると思った方がいいかもねぇ」
「そうか、余り期待してなかったが、それよりもさらに遅くなりそうか」
「うん」
敵の大軍に城の城門が崩されたとなれば、中の人間に取れる手は二つだ。
防備を固めるべく兵を集めるか、可及的速やかに白シーツで旗を作って交渉に赴くだ。
だが、トラーニ関しては、望む方と望まぬ方いずれのリアクションも返ってこない。
俺たちの襲撃が連中にとって不測の事態であるにしろ、確認の使者ぐらいは出すと思っていたが、こちらとしては予想が外れた格好だった。
せっかちなライナーは不満げだ。
「もう少し兵を進めないか? 連中からはこっちがよく見えてないかもしれないぞ」
「そう焦るな。仕事を無視されて臍を曲げる気持ちはわかるがな。落ち着け」
そんなんじゃねぇっつーの、と言いつつも、ライナーはそっぽを向いた。
図星か。わかりやすい奴め。
「トラーニ側も対応で揉めてるのかもしれん。半日待っても動かなければ、示威攻撃をしかける。それで向こうも動くだろう。兵の半数には設営準備をさせておけ」
「了解だよ」
のんびり返事をしてから、マルノイが幕舎を出て行った。
すぐに各連隊長集合! とよく響く声が聞こえてくる。
部隊は奴に任せておけば良いだろう。
となると、あとは待つばかり何だが……。
さて、トラーニの聖国軍はいつ動くのかな?
トラーニから使者が来たのは、その日の太陽が傾き始めた時分であった。
示威攻撃に際して等石器で放り込むのは、普通の石弾がいいか、インパクトがある贈り物にするかで俺とライナーが言い争っているところに、マルノイが使者の来訪を告げたのだ。
遅い、といらだつ気持ちに蓋をせずに俺は使者がまつ幕舎に向かった。
平伏する僧服姿の小男を目線だけで威圧する。
男はあからさまに怯えて首をすくめた。
俺の凶悪な顔はこういうとき効果的だ。
前は便利なばかりだったが、今はエリザに怯えられたりしないかがちょっと気になっている。
「まず確認したい。そちらでは状況はわかっているか? 貴様らは今、俺たちに攻囲されているんだが……」
「はい、その事は承知しております」
結構。
間抜けな確認なのであるが、時々急に襲撃されたせいで、状況を理解してない都市があったりするんだ、これが。
今回はそうでは無いらしい。
まずは一安心。
「ならば、返事を聞こう。降伏かそれとも抗戦か。そちらの考えを聞かせてもらおう」
使者の男は、冷や汗をかきながら上目遣いに俺を見た。
若干、亀を思わせる仕草だ。
「その、降伏はいたします。ですがその前に一度お話しさせてもらえませんでしょうか」
「だから今、その話し合いをしてるんだろう? 使い走りではないと聞いたから直接会ったのだ」
「いえ、違うのです。私どもの代表が直接お話しをさせて頂きたいと。……その、我が市の政庁にて」
周囲の幕僚達から怒気が上がる。
降伏する側が、させる側に出てこいという。
常識外れだ。
馬鹿にしている部類の要求だろう。
その非常識さを使者もわかってはいるようで、顔に貼り付けた怯えと困惑の色をさらに五割ほど増量した。
人間の眉はここまで下に垂れ下がるんだな。
「申し訳ありません。無礼は承知の上、この通りです。ですが、その方は今、表だって動けぬ立場なのです。何卒ご寛恕を頂きたく」
「その動けぬお方とやらは、一体誰だ」
俺の言葉に使者は周囲に目配せをしてから、心持ち顔を寄せてその名を言った。
「我が国の皇女殿下であられます、聖女ルチア様でございます」
と。
はて聖女?
場にも疑問の空気が広がる。
記憶をさぐると一人だけ思い当たる人物がいた。
そういえば、先だって蹴散らしたランスロットが聖女なる言葉を叫んでいたな。
たしか奴の婚約者であったろうか。
とりあえず事情を話させてみたところ、それなりに切実な話であるようだった。
聖女殿は、父親とランスロットの目を逃れながら、お忍びでこの街まで来たとのこと。
そしてなんでもエリザと話したいことがあるらしい。
こちらにとって都合が良い、聖国の裏事情の気配をさせた話であった。
「良かろう。会うだけなら、会ってやる」
結果から言おう。
会談は成功裏に終わった。
理由は多数ある。
聖国有数の港湾都市でありながら、活気に乏しいトラーニの様子。
潮の香りに混じって、街に漂うただよう悪臭。
そして、都市の守備隊はほとんど身動き取れない状況であった。
俺との会談に臨んだ聖女は、少なくとも話が通じる女で、俺の悩みの種だった聖国との戦後処理についても役立ちそうな様子であった。
そしてなにより、聖女が口にした次の言葉が決め手となった。
「王国の女王陛下に取りなしをお願いできませんか。聖国にはびこる病いについて陛下のお慈悲を賜りたいのです」
折しも俺は、ユリウスから連絡を受けていた。
「エリザニ、モンダイハッセイ、シキュウモドレ」とのこと。
聖国の重要人物の身柄を王都まで護送する。
ちょうど良い口実じゃないだろうか。
「わかった。直接会って話す機会を用意してやろう。その気があるなら運んでやるが、貴様はどうしたい」
ルチアは一瞬逡巡したが、俺に待つ気がないことをすぐに悟ったらしい。
「承知しました」と短く言葉を口にして頭を垂れた。
大変結構。
ならば王都まで同道してやろう。
俺にとってトレーニから王都までの行程は、いそげばおよそ一昼夜の行程だ。
俺はルチアを背中にくくりつけて王都まで急行した。
多少しんどくとも死にはしないだろうという判断だ。
溢れんばかりの合理性が俺の数少ない取り柄である。
聖女は半死半生になりながらも、およそ一日の行程を無事生きたまま運搬された。
最初は少し騒いでいたが、じきに大人しくなったので楽であった。
エリザに苦労をさせた国の皇女なのだ。
多少は死ぬ思いをするといい。
おれは馬に拍車をかけながら心中でそう思っていた。
ようやく戻った王都には、既に活気が戻りつつあった。
復興作業の賑やかしい雰囲気が、帰還した俺の気持ちを浮き立たせる。
避難していた王都の民も続々と戻ってきているようで、平服姿の男達が威勢良く怒鳴り声を交わし合う姿がそこかしこで見受けられた。
真新しいかまどからは煙がのぼる。
人々の、俺はエリザの笑顔を思って嬉しくなった。
彼女は今、どうしているだろうか?
街に溢れる陽気さを見るに多分元気にしているはずだ。
エリザを思でばどうしても俺の気ははやってしまう。
折角エリザと良い関係になれたのに、逢瀬は足かけ三日にすぎなかったのだ。
短すぎると思うだろう?
少なくとも俺は思う。
以来、十日以上もお預け!
待てされた長さだけご飯は美味しいというが、犬にだって我慢の限度というものがあるのである。
要するに忠犬オスカーは、エリザに会いたかったのだ。
わんわん。
そんな俺の帰還をエリザは自ら出迎えてくれた。
これまた修復作業中の王城を囲む外壁前。
エリザは、若草色のドレスにみをつつみ、わずかばかりの供回りで俺を歓迎してくれたのだ。
彼女の優しい顔から華やぐ笑顔がこぼれ落ちる。
「おかえりなさい、オスカー! ご無事をお祈りしておりました。怪我などございませんでしたか?」
「ああ、今もどったぞ、エリザ。俺は無事だとも。俺も会いたかった」
エリザは俺の姿を認めると、嬉しそうな様子も隠さずに走り出し、そして体を強ばらせて固まった。
それからエリザは、悲しそうな、本当に悲しそうな表情を浮かべたのだ。
俺は彼女の視線が、俺の後ろに向かっていることに気が付いた。
「あの、オスカー。その後ろに連れている方はどなたですの?」
聖女ルチアの体が俺の腰に縛り付けられていた。
落馬されると面倒だったから。
そんなルチアの腕は今、固く俺の腰に回されていた。
俺が落ちなきゃいいや程度の気遣いしかしなかったせいで、この女は自助努力で必死にしがみついていたのである。
一見仲睦まじそうな姿に見えなくもない。
エリザが儚げに微笑んだ。
「いえ、オスカー。どういった事情であれ、私、受け入れる覚悟はしています……」
「待ってくれエリザ! 早合点しないでくれ!」
俺は馬からあたう限りの早さでもって飛び降りた。
うげっと背中で声がした。
知ったことか。
乱暴に紐を切り捨て放り出す。
俺がエリザに向かって走り出すと、エリザもまた俺の方へとかけだした。
聖女はべしゃりと地面にくずおれて、そのまま動かなくなったようだった。
エリザー!
と広げた俺の腕をかわし、地面につぶれたルチアのもとへと駆け寄っていく。
さっと彼女の側にしゃがみ込んだエリザは、慣れた手つきで脈などをとる。
そしてエリザが叫んだ。
「担架! すぐに木陰にはこんで! それから水を」
「了解です!」
エリザの随員が号令一下動き出す
ただ、立ち尽くす俺に向けられた周囲の視線が、如何に冷たいものだったかは敢えて語らずにおこうと思う。
俺が固まっている間に、エリザはテキパキとルチアを介助すべく指示を出し、ルチアは身柄を保護された。
「女性にはすべからく優しくすべきです。でないと意中の女性にも嫌われますよ」
ユリウスの言葉だ。
どうやらこれは真理であるらしく、後におれはエリザからたっぷりと説教された。
たとえ敵国の姫であろうと、女の子は丁重に扱えと。
エリザは本当に出来た女性だなぁ。
俺は彼女への想いを新たにしつつ、エリザの足下に這いつくばって寛恕を請うた。
幸い優しいエリザは、すぐに俺の事を許してくれた。




