アリスとわたし
申し訳ありません。
お食事中の方注意おねがいします。
やってきたアリスのドレスは下半身が汚れていた。
悪い臭いもする。
わかりやすい症状だ。
苦痛に顔をしかめながら、呻く様にアリスが言う。
「……お水を飲んだんです。……そしたらお腹が、痛くなって」
「わかったわ」
はい確定。
井戸水にやられたんだ。
聖国の兵士達は衛生なんて考えずにそこら中汚していった。
だから今は生のお水が危ないのだ。
一見大丈夫そうに見えちゃうのがさらにまずい。
沸かせば良いんだが、簡単に沸かせる物でもないのだ
私はすぐに仕切りがある場所へと彼女を案内させた。
「まずいわね」
私は唸った。
この状態だとしばらくは症状が続く。
だが、彼女をどこに寝かすべきか?
施療院のベッドはすべて相部屋なのだ。
カーテンで仕切るぐらいはできるだろうけど、音も気配も漏れてしまう。
神経太そうな兵隊さんならともかく、お姫様には辛すぎる。
治るまえに衰弱してしまうだろう。
私は気にせずにしちゃうけど、自分を基準に考えちゃ駄目なことぐらいはわかってるつもりなのだ。
うーん。
「アリスさんを私の寝室に運びます」
彼女の馬車を使うことも考えたが、お城に運んでもらった方がなにかあったときに対応がしやすいからね。
緊急措置。
すえた匂いの彼女の体を担架で担ぎ上げ、私は王城へととって返した。
さて、私の数ある異名の一つをご紹介しよう。
下り最速。
意味については聞くな。
私も話す気は無い。
でも、おかげさまでこういう事態の対応力には自信があるのだ。
なにせ年季も経験も違うからね。
私の胃腸薬コレクションは質も量も兼ね備えた強力なラインナップを誇るのだ。
効き目についても自分の体でバッチリ検証済みで、出すも止めるも自由自在。
胃腸のことならエリザにお任せだ!
というわけで、すぐに診断を下す。
今回は悪い物を体の外に出すのが先決だな。
薬を準備しつつ、アリスちゃんのお付きの人となぜかついて来てくれた帝国兵(元患者)の人たちに指示を飛ばす。
「お湯を沢山沸かしてちょうだい! あと綺麗な布も沢山準備して!」
「了解です!」
私が彼女のドレスに手をかけると、弱々しい力でアリスが抵抗した。
「……やめて。恥ずかしい」
血色の薄い手で、必死にスカートを握りしめる。
その姿が痛々しい。
気持ちはわかる。
でも今は、私にお世話させておくれ。
「もし、恥ずかしいなら、私のことをお姉ちゃんと思って」
彼女の目は涙で潤んでいた。
綺麗な顔に小さな体、すこし震えているみたいだ。
歳は見る限り、十代の半ばだろう。
知り合いが誰もいない場所にたった一人で病気になる不安は痛いほどわかる。
「私はあなたの親戚のお姉ちゃん」
「……」
「エリザお姉ちゃんは、昔、アリスちゃんのおむつとかを替えたことがある。お世話をするのだって初めてじゃ無いし。おしめを替えるのももうなれっこ。だから、アリスちゃんも恥ずかしがらないで大丈夫。そう思って、ね」
気分の問題だけどどうかな?
お父さん、お母さんなら、平気だよね。
いや、多感な年頃じゃ逆効果か?
わたしは十代半ばぐらいまで、おっぱい放り出したまま川で泳いでたけど都会っ子だと事情が違うかも。
もう一度、アリスの服に手をかける。
幸い彼女はもう抵抗しなかった。
よしよし、良い子。
コレットと二人でアリスのドレスと下着を脱がせてから、下半身を清潔な布で拭く。
体を冷やすのは駄目だ。
毛布で上半身をくるんでから部屋を暖めた。
アリスが持ち込んでくれた帝国製の魔術具のおかげで部屋はすぐにぽかぽかになった。
すごい!
こんな時だけど感心しちゃう。
譲ってくれないかしら。
私が帝国の技術に感動していると、間もなくお湯と布が運ばれてきた。
流石軍属と精鋭っぽいお付きの人たち、手際が良い。
体に吸収しやすい様に塩などを混ぜて調整し、アリスの口元に運ぶと、彼女は素直にそれを飲んでくれた。
落ち着くまではしばらく辛い時間になる。
それまで頑張れ、アリスちゃん。
「我慢しないこと。体が悪いものを出したがってるの。あなたはただ自分のことだけ考えてればいいわ。必要なことはお姉ちゃんが全部やってあげるから」
私が耳元で励ますとアリスは小さく頷いた。
彼女がようやく落ち着いたのは、夜も深夜近くなってからのこと。
おしめをして、私の寝台の上に寝かせ苦しそうな彼女を介助しながら、私はその晩を一緒に過ごした。
少しだけ落ち着いたアリスは体を丸める様にして、ようやく眠りについてくれた。
ふー、やれやれだよ。
翌日、朝早くにユリウスさんが来てくれた。
アリスちゃんはしっかり寝ている。
こっちも一山越えたといえるかな。
彼からは帝国側の事情も説明してくれるとのことなので、お互い情報を交換することになったのだ。
ユリウスさんは取り澄ました顔でお腹の中がわかりにくい人だなー、と思っていたのだけど、今日の彼はちょっとお疲れぎみだった。
醸す雰囲気が勤め人っぽくて、親近感を持ってしまう。
そちらも大変だったようで。
お手間おかけしてしまって本当に申し訳ない、と頭を下げつつ、ユリウスさんはアリスちゃんのことについて教えてくれた。
アリスちゃんはブレアバルク家という、帝国でもとても大きなおうちのお嬢様らしい。
彼女の実家の大きさもだけれど、何より皇帝陛下の親戚ってのが一大事で、帝国の皆さんの間でも騒ぎになっているとのこと。
ひぇぇえええ……。
マジモンのお姫様でございましたか……。
バッタモンの女王としては恐れおのくばかりだ。
ちゃんと手当て出来て良かった。
あと、相部屋に放り込まなくて本当に良かった……。
私ナイス判断である。
もっともユリウスさんからは、「女王陛下の私室を借りるのも、それはそれで問題」とお言葉をもらった。
良いのです。
私が許可を出したのだから。
「彼女の面倒はしばらく私のほうで受け持ちます。同性のほうが頼りやすいはずですし」
「本当に助かります。何分想定外の事態でして。なんとお詫びして良い物やら……」
ユリウスさん平身低頭。
よいのよいの、持ちつ持たれつだよ。
あ、それはそれとしてこれは確認しておかないと。
「彼女はオスカーさんの婚約者だって言ってましたけど、ユリウスさんは何かご存じですか?」
もしそうなら、オスカーさんにも連絡を入れないと。
そう思っていたのだけれど、ユリウスさんからは「いや、まったく存じ上げません」とわかりやすい返事が返ってきた。
「帝国側の話は私のほうで全て処理します。陛下はアリス嬢のことだけお願いいたしたく」
「承知しました」
なんでもオスカーさんは聖国軍に対する追撃以外の作戦も予定しているらしく戻るまで時間がかかるらしい。
助かります。
あと、ついでなので、私のお手紙も届けて下さいませ。
こんな時で恐縮だけど、ラブレターを書いたのだ……。
医者同士で情報交換を終えた私がお部屋に戻るとアリスは目を覚ましていた。
ぺたりと寝台の上に座っている。
そんな仕草も可愛い。
今日は動けそうかな?
「おはよう。気分はどう? 少しは楽になった?」
「はい。おかげさまで大分楽になりました」
「なら良かった」
ほんとよかった。
昨日はすごく辛そうだったからね。
思いのほか早めに回復できたことに私が相好を崩していると、アリスは表情を曇らせた。
「……それと、あの、申し訳ありませんでした。昨日のこと」
「昨日のこと?」
「はい。いきなりの無礼な物言い、さぞご不快な思いをさせてしまったかと……」
そう言って眉毛を下げる。
「私、少し突っ走ってしまう癖があるみたいで」
「気にしないで。なんか事情がありそうなのはなんとなくわかったから」
これでも察する力は人並みにあるからね。
「それより、まずは自分のことをなんとかしよ。薬草茶を運んでもらうからね。まずは横になって。お話しできるようならお話ししましょ」
「はい」
私が促すと、アリスは素直にベッドのうえに横になる。
おでこに触れる。うん、熱はないな。
私にぺたぺた体を触れながら、アリスはわたしの顔を見上げた。
眉毛はへにゃりと下がったままだ。
「私、オスカーさんの婚約者では無いんです」
「うん、それは聞いたよ」
「実はただのファンなんです……」
「それは初耳だなぁ……」
そして完全に予想の斜め上だ……。
遠い目になる私の前で、アリスは彼女が王国まで来た理由を教えてくれた。
アリスは旅行好きな令嬢だった。
しかも筋金入りの。
長距離旅行用に自分の馬車を改造してしまうぐらいの入れ込み用で、帝国中あちこち旅して回っているそうだ。
筋金入りだ。
可愛い子には旅をさせろというが、それでも十代ちょっとの女の子に自由にさせるあたり、彼女の実家はなかなかすごい家である。
そんなアリスであるが、今から三年ほど前トラブルに見舞われた。
彼女が訪れていた北部の街が、突然越境してきた蛮族の軍に襲撃されたのだ。
そしてこれまた、たまたま馬車を修理中だった彼女は、物の見事に逃げ遅れた。
包囲される街、焦るアリス、城壁外の蛮族達。
そんな時、救援に来てくれたのがオスカーだったそうだ。
正確にはちょっと違ったみたいだけど、とにかく彼の働きでアリスは窮地を救われることになる。
オスカーは、街の安全を確保すると、待ちを出る人たちの護衛などでも大活躍したそうだ。
アリスも帝都まで護送してもらうことになり、その道中で話をしてもらったりと、とてもよくしてもらったのだそうだ。
そして、アリスはオスカーのファンになった。
最初はビジュアルから入ったそうだ。
あの人は誰なのかしら。
気になって彼の事を調べるアリス。
すると出るわ出るわ、すごい逸話が。
十倍の敵中に孤立させられて生きて帰ってきた話とか、十倍の敵に追撃されながら味方を逃がすために戦い抜いた話だとか。
その出自も含め、あまりの悲劇の英雄っぷりに、アリスは入れ込んじゃったそうである。
わかるぞ。
私も今、メロメロだからな。
こうしてファンから追っかけへと華麗なる転身を遂げたアリスは、聖地巡礼と称する古戦場巡りとかもにまで乗り出したそうだ。
まぁ、この辺は直接は関係ない。ちょっと羨ましいけどね。
そんなオスカーだけど、彼を取り巻く帝国内の状況はあまり良くないのだそうだ。
「オスカー様は帝国で疑われているのです。あの方は強すぎるから……。そんなオスカー様がもし他の国の女王と結ばれてしまったらどうなるか」
うん、疑われるね。
超強い将軍が他国の女王と結婚。
もうこれだけで、諜報役の人たちに目を付けられそうだ。
その国と手を組んでなにか悪巧みしてるようにしか見えないもの……。
でも困るぞ。
うちほどの弱小国、世界中探してもそうはない。
悪巧みなんてもってのほかだ。風評被害だ!
大挙して押し寄せる帝国軍の討伐隊を想像して震え出す私を尻目に、アリスは続けた。
「それで私、皇帝陛下とお話しさせて頂いたんです。オスカー様を帝国につなぎ止めておくにはどうしたらいいのかって。やっぱり婚姻が一番だろうという話になって……。もし必要であれば養子縁組も考えるから頑張ってこいと言われたのです」
そんなアリスは実家からも檄を受ける。
そしてオスカーの立場を守るべく帝都を出発したのだそうだ。
アリスは愛用の馬車をとばして山を越え、川を越え、王国まで急行。
そして汚れた井戸を水を飲み、腹を下したという次第であった。
「お恥ずかしいです……」
しょぼんと頭を下げる姿はとても素直だ。
出てくる言葉も、申し訳なさで溢れていた。
「本当に、失礼な口をきいてしまって申し訳ありませんでした……」
「ううん。気にしないで。私も気にしていないから。アリスちゃんはオスカーさんを守りたかっただけなんだよね」
「はい……」
彼女は、話してみれば良い子であった。
すこしだけ元気になったアリスの体を抱きしめる。
ほんのりと暖かい。
熱は無いみたい。
「もう大丈夫そうだね。よくなったら、今度は一緒にお風呂に入ろうね」
「はい」
良いお返事です。大変結構。
私が掛け布をととのえてあげると、アリスが私の指を掴んだ。
「……あの、ありがとうございました。このご恩は忘れません」
良いのかな?
そんなことをこの貧乏女王に言っっちゃって?
「そんなこと言うと、私はずっと覚えてるよ。エリザお姉ちゃんは記憶力がいいうえに恩着せがましいからね」
「はい、エリザ……お姉様。必ずお返しします」
アリスはそう言うとふわっと微笑んだ。
年相応に見える可愛い笑顔だ。
まだ幼い感じがする。
昨日までは気が張っていたのかもね。
私は、アリスを寝かしつけた。
彼女は素直に横になって眼を閉じた。
「ふー、やれやれだよ」
おおきなあくびがでた。
一晩中看病してたからね。流石に疲れたのだ。
医者って結構激務なのだ。
他人に都合を合わせるからさ。
仮眠でも取るかー。
私が立ち上がったその時だ。
コレットが物言いたげな顔で私を見ていた。
彼女のジト目が物語る。
(エリザがまた変な子拾ってきた……)
うん、言いたいことは、わかった。
とりあえず、直接脳内に思念を送り込むのはやめようか。




