王国とオスカー
今回の遠征はエリザのためのものであった。
王国を救ったのはついでだ。
正直に言おう。
俺はこの時、王国人に腹を立てていたのだ。
聖国軍にエリザが囚われていたのは、城兵の身命と引き換えに彼女が投降したせいであったか。
エリザの命と引き換えに王国の連中は自分の身の安全を買ったのだ。
俺はそう考えていた。
許しがたい!
勝手な思い込みで腹を立てた俺は、実務者協議の席上で言いたいことを口走った。
「予め明言しておく。俺の目的はエリザの身命の保護だけだ。彼女の無事が確保できればそれでいい。この国がどうなろうとも俺の関知するところではない」
今思い返してみても無礼な言葉だ。
エリザが大恩ある者達に対してこの物言い、穴があったら入りたい……。
だが、緊張の面持ちで俺と正対していた王国の閣僚達は、この俺の言葉に心底安堵したような顔をした。
「おお、なんとありがたい」という声が聞こえる。
一部の男は、喜びの笑みすら浮かべてみせた。
マゾかな?
訝しむ俺に宰相のボルワースなる男が代表して口を開いた。
「失礼。まさかそちらから、そのような申し出を頂けるとは思っておらず、みな望外のことに驚いてしまったのです」
「……どういうことだ?」
「我らの求めるところは、エリザベート陛下の身の安全ただ一つ。厚かましい願いではありますが、どうか陛下をお守り頂きたい。陛下を帝国で保護してもらえるというのであれば我らにはこれ以上望むことはございません」
それからこの男は頭を下げた。
それからも話はトントン拍子に進んだ。
有事に際しての亡命の手はずや、エリザの身元保証人の準備などだ。
王国への援助の話など一切出てこなかった。
彼等がおれに見せたのは、女王エリザベートとの信頼と絆であった。
エリザが俺に見せた王国の者達への親愛を、彼等はそのまま裏返しに俺に示してみせたのだ。
しかしならばなぜ。
俺は訝しく思った。
「一つだけ聞かせてくれ。なぜ、お前達はエリザを一人投降させた? 女王を奴らに差し出せばどうなるかなどわかっていただろうに……」
俺のとがめる様な言葉に対して、ため息交じりの閣僚達が答えてくれた。
「陛下に泣かれてしまったのですよ。『もう私が助かる道は無い。ならばせめて自分の命を自分のみなのために使うことを許してくれ』と。……我らには、お止めすることできませなんだ」
「そもそも、陛下がこの城に残られたのも同じなのです。せめて国の最期には殉じたいと泣き付かれて、我らは駄目とは言えなかった……。今思えば首に縄をかけてでも、城を出てもらうべきでありました」
「姫様は泣き落としばかり上手くなる。困ったものだ」
「もういい歳だからと、尻を出す様に言っても逃げられてしまいますしな」
そう言って王国のもの達は笑ってみせた。
陛下という敬称に混じって、姫様という慕わしげな言葉が漏れる。
俺が促せば、彼等はエリザについての昔話をしてくれた。
俺の知らないエリザの姿がそこにはあって、悔しいことに、俺にとってはなかなか有意義な時間であった。
「国は我らで立て直します。いつの日か陛下に見て頂けると思えば、努力する甲斐もあるというもの。なんの困難がありましょうか」
「エリザ無しで王国はもつのか? エリザのいない王国に俺は支援する義理など持ち合わせていないぞ?」
男達が笑う。
「それならそれでよいのではありませんか? もう陛下は十分に尽くして下さった。これで、陛下がいなくなった途端に滅びるというのなら、それだけの国だったということ。自らの足で立つのが王国民の誇りでございます。それが出来ぬなら野垂れ死ぬなりすれば良い」
そう言って笑う彼等の顔に、虚勢の色は見られなかった。
覚悟などとうに済ませた人間の面持ちであった。
「ただこれだけは申し上げておきます。……もし陛下を泣かせたら、絶対に許さん」
王国民も数だけなら五十万はおりますこと、ゆめゆめ忘れてくださいますな。
そう底冷えする声で俺を脅して、この会談における一番大事な話し合いは終わった。
まぁそれはそれとして、エリザに見せるためにも別口の協定が必要だった。
こちらは最大限彼女の希望を汲んだ内容で、表向きの外交協定が結ばれることになった。
資金援助、食糧援助、安全保障の三本がその主たる内容だ。
まぁ、エリザの喜ぶ顔を思い浮かべれば楽しい話し合いだ。
連中もあれが欲しい、これが欲しいと遠慮無しに並べ立て、おれは大変気前よくその全てを受け入れた。
会談を通じて俺は、この閣僚共とすっかり意気投合していた。
俺の仕事は金とモノの調達だ。
王国の連中はそれらを使って、エリザを喜ばせるべく骨を折ってくれるらしい。
「しかし中将殿、援助を受ける我らが言うのもおかしな話ではありますが、本当にこの内容でよろしいのですか。如何に辺境の小国とはいえ、相応の額になりますぞ?」
「問題無い。俺が口先だけの男で無い事、見せてやろう」
金のあてならあった。
すぐ近くによく肥えた教皇とかいう豚がいる。
脂ぎる教皇庁は、俺たちにとっていい貯金箱だ。
「最後に謝罪させてくれ。無礼な口を聞いた。済まなかった」
「なんの。我らもまったく同じ気持ちです。もう二度とあのような真似はせんでしょう」
こうして実務者同士の協議は終わった。
俺の付き添いで来ていたマルノイは、結局最後まで何も言わなかった。
話し合いが済んでから「上手くいって良かった」とだけ口にして、でかい腹をゆすったのみだ。
調印式。
エリザははらはらと涙を流し、「ありがとうございます」と何度も何度も礼を口にした。
彼女を囲む王国の人間達の一部は涙を浮かべながら、それでも皆笑っていた。
こんな光景を見るのは初めてのことで、俺はなんともいえない居心地の悪さを味わった。
俺たち帝国軍は、王国の人間にそれはもう大変な勢いで歓迎された。
かえって恐縮するぐらいだ。
気前の良い王国人は、哀れな騎士団長から奪い取った王国軍最高司令官の肩書きを俺に寄越してくれさえした。
俺に地位を奪われた男はバルトルトという老将だった。
エリザの守り役でもあったらしいこの男は、むざむざエリザを死なせかけた自責の念で、すっかり憔悴していた。
思うところはあったのだろう。
俺の実力を確かめるという名目で挑まれた一騎打ちを俺は受けた。
腰を痛めた老人を打ち倒すのには、鋼鉄製を疑われる俺の良心にも痛みが走ったが、それはそれとして俺は油断なく相対し、瞬殺した。
ひと思いにやってやった方が痛みは少ないからな。
せめてもの慈悲だ。
やすらかに、(医務室のベッドで)眠れ。
「貴様ごとき若造に、姫様は絶対に渡さぬぞ!」
などと言われてムキになったわけでは無い。
断じてない。
そうして王国で地位を得た俺は、王城の一室に執務室を与えられることになった。
王城で二番目にましらしい粗末な部屋だ。
日当たりと風通しだけは良いという触れ込みの通り、ゆがんだガラスが嵌められた窓の他にはなにもない一室であった。
その晩のことだ。
俺はその新しい部屋で一人の客人を迎えた。
小柄な体を黒い装束に包んだ招かれざる客人だ。
「見た顔だな」
「コレットよ。二度も名乗らせないで」
怜悧な顔をした、小柄な娘であった。
たしか、エリザの付き人だったな。
侍女服を擬しているが、膨らんだ袖口やスカートの下には固いものの存在がうかがえる。
本職だろう。
だが、表情にはわずかな緊張もうかがえた。
俺が相手だからなぁ。
実力差は歴然だろう。
「それで、わざわざ何の用だ?」
「まだるっこしい話をする気は無いわ。なんでエリザに近づいたの?」
「そんなことを聞くために、深夜のこのこ俺の部屋まで来たのか、貴様は?」
怒気が閃く。
虚勢を見抜かれたことに気付いたのだろう。
だが、間諜が逆ギレするんじゃない。
まったくもう……。
「そうさな。例えば、貴様の手元に一万の軍勢があったとして、そしてそれを動かすと自分の首が飛ぶとして、貴様ならどうする?」
「動かすわ。間違いなく」
「そういうことだ。俺もそうする」
コレットは口を真一文字に引き結んでもぐもぐさせた。
案外、交渉は慣れてない様だ。
あるいは少し空回り君なのか。
だとしたら俺のご同類である。
空回ることにかけては、帝国中探しても俺の右に出る人間はいないだろうからな。
「実績で貴様の希望に沿って見せたのだ。信用してもらいたいな」
コレットは俺の言葉を受けとってから首を傾げた。
「昔、エリザとなんかあったの? 随分とこだわるわね」
「十年以上前に世話になった。王国の内戦の時だ」
「そう。エリザは知らなかった様だけど」
「ああ、当時の俺は頭を丸めてたからな」
十年前の当時、俺は坊主頭であった。
実用重視。
だが少しはげ頭が見事すぎたのだろう。
エリザは俺と話すとき、いつも視線を俺の頭の上にさまよわせていた。
また髪のとこ見てる……。
俺は彼女に診てもらう度、一抹の寂寥感とともにそう思ったものだ。
あるいは頭の毛を剃って見せれば思い出してもらえるかも知れないが、そこまでする気にはなれない。
これでも恋を知るお年頃なのだ。
さすがにまたはげるのはちょっと……。
コレットはしばらく考えていた様だが、ようやく納得した様に一つ頷いた。
「……悪く無さそうね。もう一押し欲しいのだけど、貴方の想いをきかせてくれないかしら?」
「いいとも。望むところだ」
ならばと俺は、エリザへの思いを四半刻にわたってこんこんと説いてやった。
もはや部下は誰も聞いてくれないからな。
ちょうど良い。
うんざりするまで聞かせてやろう。
俺の予想に反してコレットとかいう侍女は、実に楽しげに俺の話に聞き入っていた。
物好きな奴だ。
俺のこの女に対する信頼と好感度はうなぎ登りだ。
だが、朝まで続けるわけにも行かないな。
切りが良いところで話をやめると、この女は満足げに頷いた。
「なるほど。私の次ぐらいにはエリザを大事に思っているみたいね。仕方ありません。交際を許可します」
「なにを偉そうに。貴様の許可など無くとももらっていく」
「いいわよ。その時は取り返すから」
良い性格をした侍女であった。
後で褒美をくれてやろう。
なにが欲しいかと聞けば、菓子をくれという。
エリザと一緒に食べるそうだ。
俺が羨ましげな視線をやると、優越感に満ちた笑みを浮かべてコレットは去って行った。
入れ替わる様にマルノイが部屋に戻ってきた。
この男があの女の侵入に気付かなかったとは思えない。
おそらく余計な邪魔が入らぬ様、外で見張りをしてくれていたのだろう。
「いい人達だよねぇ」
「そうだな」
良き国、良き民、そして良き女王。
彼等は善良でその絆は本物で、しかして残念ながら単純な暴力の前に無力だった。
だから滅びかけた。
そこを俺たちに救われたというわけだ。
となると俺たちはそれを守るためにやってきた正義の軍隊ということになる。
なんとも滑稽な話だ。
「まるで護民軍だな。珍しい役どころが回ってきたものだ」
「たまにはいいじゃない。みんなもいつも以上にやる気になってるし、僕も久々にわくわくしてるよ。戦い甲斐がある戦場はいいもんだ」
「そうだな」
士気が高いのは良いことだ。
戦争をするのに、悩みは少ない方が良い。
◇◇◇
俺にとっての状況が変わったのは、明けて翌日すぐのことだった。
エリザの俺に対する態度が、あからさまに固くなったのだ。
多忙を理由に、俺からの会見申し込みはやんわりと謝絶された。
聖国の追撃に出る俺たちの激励に訪れた彼女は、将兵たちには丁寧に礼を尽くしてくれた一方で、俺との会話は必要最低限のものだけに留めて自室へと戻っていった。
避けられてる……。
心あたりならあった。
山ほどあった。
先日の協議でも、俺は王国に対する隔意を隠さなかったのだ。
王国を愛するエリザからしてみれば酷い裏切りの様にも見えたはず。
あるいは、どこからか俺の前歴を聞きつけたのか?
いつかはそうなると覚悟していた。
しかし覚悟していたが、地味に傷つくな……。
好きな女に冷たくされると、こうもがっくりきてしまうのか。
もう娼婦に振られて涙を流す兵士のことを笑えない。
仮説の本営で作戦の最終確認をする最中、俺はマルノイから微妙な態度の変化を指摘されて俺は素直に理由を述べた。
マルノイは首を傾げた。
「うーん、エリちゃん、そんなことでスカさんを避けるかなぁ。スカさんのこと大恩人だって言ってたよ?」
「だが他に思い当たる節が無い」
「まぁ、僕もエリちゃんのこと詳しく知ってるわけじゃ無いから、断言はできないけどさ」
いずれにせよ避けられている以上は仕方ない。
俺は俺の仕事をするだけだ。
俺はそう言い聞かせて仕事に向かった。
さてここで、うじうじ悩む俺の尻をひっぱたきに、最も頼りになる男がやってきた。
日も暮れかけた頃合い。
俺が日課に近い出撃準備を進めていると、我が師ユリウスがあらわれたのだ。
奴は出し抜けに言った。
「話は聞いたよ、オスカー君。すぐにエリザ君に会いに行きなさい。どうせつまらん誤解があるんだろう。さっさと解いてきたまえ」
いきなりやってきて、知った風な口を聞くな。
俺は内心で、それはもう凄まじい勢いで反発したが、偉い先生の言うことなのでぐっと我慢して飲み込んだ。
クールになれ、俺。クールクール……。
「機会がないのだ。出立は明日の早朝で今日ももう遅い。いまからエリザに会見を申し込んでも間に合わない」
「そんなことで諦めるのか……。馬鹿馬鹿しい! 君のその強靱な体はなんのためにある? 寝室でもなんでも忍び込みなさい。そこでじっくり好きなだけ話してくればいい。君の腕力があればどうとでもなるだろう」
馬鹿な!
それでは夜這いではないか!
例え師匠の言葉であっても、聞くわけにはいかない!
「……彼女は女王だ。例え今、保護下にあるとしても狼藉は許されん」
「それで君は良いのかい?」
どう返事すれば良いのかわからなかった俺は、とりあえず沈黙を守った。
用が済んだなら出て行ってくれと俺が言うと、ユリウスは。何も言わずに部屋を後にした。
俺は一人、部屋の中に取り残される。
馬鹿なことを考えるなよ、オスカー。
これは時間をかけて解決すべき問題だ。
事を急げば取り返しがつかないことになるぞ。
俺は自らに言い聞かせた。
そしてその晩。
気付けば俺はヤモリのごとき体勢で城の壁に張り付いていた。
次回、這い寄るオスカー




