第二章57『代理遠征隊の実力』
「遠征隊の信頼を取り戻す方法、ですか?」
そう白衣の少女が聞き返すのに、翔は頷き返す。その翔の様子に少女──アンリは、ため息混じりに言った。
「なんでまたそんな質問を私に聞きに来たんですか。私、カケルさんに『基地で安全に、ぬくぬくと暮らしてやがる』とか言われてませんでしたっけ?」
「うぐっ……! その説は本当に悪かった……、……です」
そうアンリに痛いところを突かれた翔は、苦い顔でそう謝罪する。途中でその言葉が敬体になった所から翔のその謝罪が本心のものだと悟ったのか、アンリは仕方なさそうに翔に向き直る。
「……それで? 天才少女に頼る前に、カケルさん自分の頭で考えたりしなかったんですか? ちょっと考えればわかる事だと思いますケド」
「いや、それは考えはしたんだけどさ……」
散乱物の目立つ机に腰を掛け、足をぶらつかせながらそう問い掛けるアンリに、翔は渋い顔をして答えた。
「……遠征で成果をあげるしかない、それは分かってる。でも、具体的に何したらいいのか分かんなくてさ」
そう自信なさげに翔が言うのを、アンリは黙って見つめる。
「秘訣とか、心掛けることでもいいからさ。とにかく今は何かを成すための手も、何かを考えるための頭も足りないんだ。お前の意見も、聞かせてくれないか?」
その翔の頼みに、アンリは複雑な顔をしてから、先程よりも深いため息をついてから呟いた。
「……『余計なことをしない』ことですよ」
「余計なことをしない……?」
そのアンリの言葉を、翔は復唱する。そのイマイチ内容の掴めていないような翔の様子に、アンリは呆れ目になりながら続ける。
「カケルさんどうせヒナ辺りに『時間跳躍を使うな』みたいなこと言われましたよね?」
「ぐはっ……! 何故それを……」
「知らなくてもだいたい分かりますよ。ここ三年の遠征隊の不在がカケルさんのせいとわかれば、そもそもカケルさんを遠征に参加させるのも厳しそうなものですが……。まぁそこは人数不足からですかね」
まるでフィルヒナーとの会話を聞いていたかのようなそのアンリの言葉に、翔は苦笑いする。翔自身がわかりやすいのもあるが、その完璧な推測を成り立たせたのは彼女の並外れた頭脳のお陰であろう。
──三年の月日を経ても尚アンリは天才少女、ってことか。ホント相変わらずだな、こいつは。
翔がそのことを再確認したその時、アンリは再び口を開いた。
「信頼なんてのは短時間で積み上げることは難しくても積み上げること自体は難しくありません。基本的なことですよ。礼儀正しくする、指示にきちんと従う、そして……」
「……『余計なことをしない』、か」
そのアンリの言葉尻を取って、翔はそう続ける。アンリのその理論に翔は大部分納得するが、それでもその言葉の中には少しの疑問が残った。
「……それでも、そんなことで本当に遠征隊の信頼を取り戻せるのか? なんかもっとこう……凄いことしなきゃ俺は許してもらえない気がするんだけど」
その翔の疑問に、アンリはため息をついて答えた。
「その『そんなこと』すら出来ずに結果信頼を失ったのはどこの誰でしたっけ?」
「うぐっ……」
「たかが『そんなこと』、されど『そんなこと』ですよ。さっきから言ってますけど、信頼取り戻すのに特効薬なんてありませんから。地味なことを地道にやっていくしかないんですよ」
そのアンリの理論に、翔は苦い顔で納得する。その顔を見たアンリは、翔の方に顔を突き出して付け加えた。
「いいですか、『絶対に』余計なことしちゃダメですからね! 『時間跳躍』に関する力を使うのはもちろん、指示に従わないだけでも論外ですから!」
「お、おう……」
──なんでこんなに強調してくるんだ……?
そのアンリの剣幕に押し切られながら、翔は内心そう疑問に思ったのだった。
そんな遠征前日の出来事を思い返した翔は、雪原の大地を進みながら改めてその言葉を復唱した。
「……『余計なことをしない』」
アンリに言われたその第一原則を改めて心に留めた翔は、改めて辺りを見渡した。
見渡す限り白しかない大地に、色とりどりの防寒着を来た遠征隊が列を為して歩いている。その視界は良好とも不良とも言えない。今日の空模様はそんな、翔の心に似た微妙なものだった。
──とはいえこの降雪量なら遠征隊がはぐれる危険性もないはず。となれば注意しておくのは……
そこまで考えてから、翔はその因縁の白い獣のことを思い出す。
──『新種』の存在……か。
翔の脳裏に蘇ったのは、ランバートに致命傷を与え、フレボーグを殺したその『新種』の獣の姿であった。
遠征隊の『新種』との遭遇は幸か不幸か翔の『時間跳躍』のせいでフレボーグ以外の犠牲者を出さずに終わった。しかし三年の月日を経ても、『新種』がこの世からいなくなった訳ではないだろう。
──むしろあの実力なら、三年の間にこの吹雪の世界の王者になってそうだな。
翔は『新種』のあの高い戦闘能力を思い返して、そう考える。
なんであれ、恐らくこの三年後の世界にも『新種』は存在する。ということはつまり、遠征隊は再びあの『新種』と遭遇する可能性があるということだ。
──今度は、負けない。
翔がそう覚悟を決めたその瞬間、その耳に通信が届いた。
「総員警戒! 剣歯虎です!」
その声は翔の後方に居るキラのものであった。その通信に遠征隊は全員戦闘態勢に入り、キラが指示した方向に立つ剣歯虎に正対する。
──相変わらず、半端ない威圧感だな……。
目の前で唸り声をあげる剣歯虎に向き直った翔はその獣の威圧感に思わず圧倒される。『新種』の獣の登場により雪原の王者の肩書きが剥奪されたにしろ、依然剣歯虎が雪原の強者であることには変わりがなかった。
──なら、俺は。俺が、すべきことは。
翔は一瞬の思考の後、隊長に通信を繋げて言った。
「……隊長。俺に囮をやらせてください」
「…………」
翔の出した案は、三年前翔がいつもしていた遊撃を買ってでたものであった。その翔の言葉に、元二は押し黙って考える。
「…………お前に、やれるのか? 絶対に無理をしないと誓えるか?」
元二のその言葉は、アンリの助言で言う『余計なことをするな』というものと同義なのだろう。フィルヒナーの言葉通り、元二にも今回の遠征での翔の制約は伝わっているらしい。
「はい、約束します。無理も無茶も無視も、絶対にしません」
だから翔ははっきりとそう答えた。遠征隊の信頼を取り戻すために、元の日々に戻るために。翔は今、誠実になる他ないのだ。
その翔の返答に、元二は結論を出さんとする。
「……よし。分かった。では……」
「隊長、俺が出ます」
しかし元二がその言葉を言い切るより前、キラのその通信が元二に届く。
「キラ……。いや、しかしな……」
「三年も時差があるんじゃ、きっと代理と遠征隊の間に連携も信頼もあったもんじゃありません。なのでまずは僕とコハルの実力をお見せします。そのために、この敵は僕とコハルにやらせてもらえませんか?」
元二がそう止めようとするのを遮って、キラはスラスラと自らの考えを語った。キラのその尤もな理論に、元二は苦しそうに悩んでから、決断した。
「…………分かった。この剣歯虎は、お前らに任せる」
そしてその結論は、全員に繋がっていた通信によって翔の耳にもすぐに届いた。
「……了解、です」
その元二の結論に、翔は歯がゆい思いをしながらもそう了承の意を示した。翔は心の奥底までは元二のその結論に納得していなかったが、それでもその脳裏に残っていたアンリの一言が翔の足を留めていた。
──『余計なことをするな』、だよな。分かってるよ、アンリ。だから……
心の中でそう呟いてから、翔は剣歯虎に向かっていくキラとコハルの後ろ姿に視線を当てた。
「……ひとまずは代理遠征隊のお手並み拝見と行こうか」
そうして遠征開始早々、雪原での戦闘が開始したのだった。
唸る剣歯虎に、静かに向かっていく一人の青年。その手には何の武器も握られていない。その足にも特異なものは見当たらず、つまりは完全な徒手空拳である。
──キラ、大丈夫なのか……? それとも、これもキラの戦闘スタイル……?
そう固唾を飲んで様子を見守る翔にも、スタン警棒という自分の武器は存在する。そもそも人間が素手で猛獣達と戦うということ自体が無理難題なのである。そのためキラがなんの武器も持たずに剣歯虎に向かっていくのを、翔は正気と思えなかった。
その数秒後、キラの手によって剣歯虎の身体が割られるまでは。
「…………え?」
翔はその光景に呆気に取られていた。そしてそれは身体を割られた当の剣歯虎も同じであった。
しかしさらに数秒後、その剣歯虎も否が応でも自らの命の危機に気付かされた。その身体が再び、キラの拳によって割られたのだ。
「ガァァァァァァァァ!」
けたたましい鳴き声とともに、剣歯虎はその場から後退する。その剣歯虎の行動を読んでいたのか、キラは瞬時にその距離を詰めんと駆け出した。
「…………あれは……」
翔は目を凝らしてその剣歯虎の身体を見る。割れた、という表現は事実正しかった。剣歯虎の身体は、キラの拳が当たったところからひび割れ、崩れ落ちていっていたのだから。
しかし翔はその事実に困惑する。無論、剣歯虎の身体は殴って割れるような陶器のようなものでは無い。スタン警棒を当てれば痺れ、ランバートの凍刃で突けば刺さる。むしろそれが、普通の獣の身体である。
「…………っ! まさかあれは……!」
しかし、獣の身体はキラの拳でどんどん砕けていく。キラのその戦闘に目を凝らした翔は、その理由にようやく気が付いた。
そのキラの拳はただの拳ではなかった。その身から常に溢れ出ている、凍気を伴ったものであった。
「……キラ……っ!」
キラの戦闘スタイルは至極単純なものであった。身体から溢れ出る凍気を拳に一点集中することで、打撃の瞬間敵の身体の一部を一瞬で凍てつかせ、そしてその打撃の威力でその氷を『割る』。単純だがとても強力なものであった。
そんな芸当を可能にしているのは、一つにはキラのその特異な凍気が挙げられるであろう。キラの凍気の力の強さは、三年前翔は身にしみて実感していた。
──でも、それを拳に集めるなんて芸当、三年前は出来なかったはず……。
翔が気付いたその点こそ、キラの戦闘スタイルを可能にしているものの二つ目であり、同時にこの三年間でのキラの成長の一端であった。
「……逃げないでくださいよ、剣歯虎。始末が面倒です」
そう呟いて剣歯虎を追い詰めるキラの顔には、翔が三年前見たような子供らしさは残っていなかった。
『強くなれたんじゃないんです。強くならざるをえなかったんです。』
翔は数日前キラに言われたその言葉を思い出していた。
「キラ、お前……」
そしてその目まぐるしい程の成長は、他でもない翔が引き起こしたものだったのだ。
「……俺は、俺は……っ」
しかしそんな翔の嘆きなどに反応することはなく、キラは一目散に標的との距離を詰めていく。その勢いからキラが自らにトドメを刺さんとしているのだと悟った剣歯虎はその場から逃げようとするが……
「逃がしませんよ。なんたって、私もいるんですから」
その剣歯虎の前足が、突如棒状のもので貫かれる。その足を貫いた半透明のそれは、氷で出来た槍のようなものであった。
「……っ! あんな武器……」
翔がその氷の武器を見て驚愕したのは無理はなかった。この人類の文明が大きく衰退した世界において氷の武器を作れるのは凍気という特殊な能力に他ならない。しかしそれでは同時に矛盾も発生する。普通の人間では、凍気であれほど精巧な武器を作れるはずがないのだ。
そう、普通の人間の凍気ならば。
「……コハル……っ!」
翔が口にしたのは、三年前はただのあどけない少女であった戦士の名前だった。その戦士は両手を擦り合わせたかと思うと、その手に氷の槍が創造された。
「……出来上がり」
創造された氷の槍を見て満足層にそうつぶやくコハルを見て、翔は三年前その少女が言っていたことを改めて思い出す。
『えへへ。私、こういうことだけは得意みたいなの』
彼女の凍気の操作の精密さは、三年前から片鱗があった。しかし、手のひらサイズの氷像一つを作るのが精一杯だった三年前と現在とでは、ひとつ決定的な違いがあった。
──凍気の総量、つまりは純粋な強さも上がってる。もうきっと、遠征隊の皆ともそんなに差がないくらいに。
翔のその分析はつまり、コハルがもう立派な凍気使いの戦士であることを表していた。遠征隊と張り合うほどの総量の精密操作可能な凍気のことを考えれば、少女であることによる身体能力の欠点は十分補えるほどの戦闘能力を持っているのは明白だった。
そして、翔はその時再度思い知らされた。三年前は幼気な少女であった彼女を戦士にしたのは、一体誰なのかということを。
「……俺、だ」
彼を、彼女を、その二人の代理遠征隊を戦士にしたのは、他でもない翔自身であったのだった。
「そろそろ終わらせましょう。おい、氷女」
「……その呼び方やめろって言ってんでしょ、キラキラ君」
そのなんとも険悪な呼び方によって息を合わせたその代理遠征隊は、その言葉通り剣歯虎にとうとうトドメを刺さんとする。
「たあっ!」
掛け声と共に、コハルは剣歯虎のもう一つの前足に氷の槍を突き刺した。それによっていよいよ逃げる手段を無くした剣歯虎に、キラはトドメの一撃を加えた。
「これで終わり、です」
キラのその凍気を帯びた拳はしっかりと剣歯虎の胴を砕いた。そうして力なく倒れた剣歯虎を見、元二は思わず感嘆の声を漏らす。
「……キラくん、コハルくん。
強く、なったな」
その元二の言葉に、二人は何の気もなしに答える。
「……まぁ、曲がりなりにも三年間遠征隊の代理をしてきたので」
「こんなものは朝飯前ですよ。さぁ、先を急ぎましょう」
そうして無感情に戦闘を終わらせた二人の戦士を見て、翔は奥歯を噛み締める。
──キラとコハルは、二人は、本当に強くなった。それは嬉しい。
──でも、そうさせたのは、二人を戦士にしたのは、他でもない俺だ。
翔は未だに三年前の二人のあどけない姿を昨日のように思い出すことが出来た。もし翔が遠征隊を連れて三年間の時を超えなければ。もし彼らが『代理遠征隊』として戦うことを強いられていなければ。
──あの二人が戦わない、戦わなくていい未来もあったはずなのに。
翔はその事実に顔を苦くする。
「………………」
その様子を、傍に立つ獣の少女、フィーリニは静かに見つめていた。まるで、目の前の翔が限界に達した時、それをすぐ助けようと待ち構えているかのように。
しかし、その直後フィーリニは目を丸くした。目の前の翔が、突如嗤ったからであった。
「……上等だよ。俺よりも強い後輩達? 頼もしい限りじゃねぇか」
笑った瞬間、もう翔は俯いてはいなかった。今になって疼き出したのだ。親友に貰った背中の熱が。
「もう俺にはしょぼくれてる時間なんかないんだ。こんな悲劇に負けてたまるかよ」
その残酷な事実を前にしても、翔の心には静かに闘志が宿ってきていた。それは親友から力を貰ったことによって翔が成長したその片鱗に過ぎなかった。残酷な運命に抗うかのように、翔はそう不敵に笑った。
その翔の様子を見て、獣の少女は少し微笑んで翔から目を離した。杞憂であったその心配を、心の中から抹消しながら。
「…………?」
しかし、その時翔は変な違和感を覚える。フィーリニは再び前を向いて遠征隊の列に並ばんとしている。しかしそれでも、誰かが自分を見ているかのような感覚があったのだ。
「…………」
その視線の主は、遠征隊から遠く離れた場所で、静かにその動向を見守っていた。
そうして代理遠征隊を混じえた初めての遠征にも、また動乱が訪れることとなるのだった。




