第一章12『確率0』
『氷の女王』。先程の女の話によれば、この世界に吹雪を連れてきた者。それが基地に近付いているとなれば、その事の重大性は言うまでもないだろう。
目の前の女はその報告をした男に何やら色々と指示を出しているようだが、その顔色は悪い。彼らにとっても不測の事態で、恐らく最悪の事態であるのだろう。
それを察したと同時に、翔はこの状況から脱する方法を思い付いた。それはあまりにも馬鹿げているものであったが、この切羽詰まった状況で、それは一筋の光に違いなかった。
翔は意を決し、口を開いた。
「……おい、あんた」
あんた、とぞんざいに呼ばれた目の前の女は冷たい視線をこちらに向ける。
「……おかしいと思わないのか?氷の女王が、突然ここに向かってきてるなんてさ」
──さぁ、ここからが勝負だ。
これから翔が口にする言葉一つ一つが偽りである。しかもそれ自身に翔も根拠がある訳では無い。どこかで間違った何かを口走った瞬間、翔の信頼など吹いて飛ぶだろう。
だが、その問い掛けは確かに目の前の女を揺さぶった。
「……分からねぇのか? 俺が、氷の女王を呼び寄せたんだよ」
──それは明らかなハッタリであった。氷の女王というのが実際どのような人物なのか、どのような力を持っているのかは今の翔には推し量る他ない。しかし、このはた迷惑な猛吹雪の原因でありながら、今日まで生きながらえているということは並大抵の強さではないのだろう。
それを呼び寄せる、など普通に考えれば不可能だ。よってこの翔の発言は、何を言っている、なんて一言でバッサリ切り捨てられてもおかしくない。しかし、その時は状況が状況だった。
「……俺を解放するなら、外に出すならあいつを追い払ってやろう。どうだ? 悪い取引ではないだろ?」
翔の格好は傍から見れば原始人、加えて折角得た三つの質問のチャンスを「ここは地球か」「何があったんだ」「今は何年だ」などといったものに費やすのは、地球の人間からすればちゃんちゃらおかしい。おまけに隣にいるのは、この世界では普通の存在なのかもしれないが、人と獣の混じったようなフィーリニである。今、目の前の女には翔はとても「異質」なものとして映っていることだろう。だからこそ、その発言を疑うことが頭から外れていた。
しかし、やはり大きな賭けである。目の前の女が翔を信頼するほどの何かを翔は成し遂げてもいない。だからこれが一世一代の大勝負。このハッタリに、女が伸るか反るか。
女はしばらく翔を見つめ、そして口を開いた。
「……いいだろう。おい、この牢屋を開けて中の奴らを連れ出せ」
女が傍にいた男に合図するのを聞いて、翔の緊張はプツリと切れた。
「……とりあえず、第一段階突破だ」
翔はそうボソリと呟いた。嘘を真実と思い込ませることには成功した。ならば次は、嘘を真実にするしかないだろう。
もちろん言うは易し行うは難しだ。この世界に来てからわずか一週間あまりでラスボスと戦うなど無茶ぶりが過ぎる。ましてや翔は何か特別な力など持っているわけでもない。ただ時間跳躍に巻き込まれただけの男子高校生だ。装備も貧弱、仲間も一人だけの状況で、ラスボス戦など馬鹿げている。
──けれど、翔は諦めなどしなかった。
「舐めんなよ神様とやら……」
思えばこの世界に来た時の方が絶望があっただろう。右も左も分からない状況で猛吹雪の中、ただただ呆然と立ち尽くしていた。その時に比べれば今は多少なりともこの世界のことも知っているし、隣には少々獣臭いが仲間もいる。絶望するにも、諦めるにもまだ早すぎる。
「有言実行、やってやんよ」
この絶望に負けないために、この運命に抗うために、翔はそう呟いたのだった。
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牢屋から解放されると同時に、翔は一つのことに期待を膨らませた。この場所がどんな場所かは知らないが、その基地の内装は、きっと無機質な牢屋や一面銀世界の景色よりは何か見ていて安らぐものであろうかと。
しかし期待を裏切るように、翔が捕えられていたその地下の牢屋から階段を上がっても、周りは無機質なコンクリートに包まれており、外の様子を見ることは出来なかった。もしかしたら通常の通路を通っていないのかもしれないが、その真偽を知る術はない。
改めて考えてみると、この場所は恐らくこの女を代表とする避難基地のようなものなのだろう。外はあの猛吹雪だ。人の生態がこの二十五年で大幅に変わっていない限り、屋外の生活など到底不可能だろうし、長時間外を出歩くことも命取りであろう。そのための中継地点、もしくは永住地点。そのような役割なのであろうと推測した。
しばらく歩くと、目の前にいかにも厳重そうな扉が現れた。窓もないため確かではないが、その扉の向こうは吹雪の地のように思えた。扉は厳重に閉められ、一切の隙間がないように見えるのに、吹雪の音がたしかにそこから聞こえるからだ。
「ここから外に出ることが出来る。
もう一度確認しておくが、お前は本当に『氷の女王』を止めることが出来るんだな?」
女は厳しい目で翔を見ながらそう問い掛けた。恐らくこれが、後戻りする最後のチャンスであるのだろう。しかし、翔にはもうその選択肢は無いも同然であった。
「……ああ、止められる」
あの牢屋に逆戻りしないためには、翔は虚勢を張り続けなければいけない。隣には無理を言ってフィーリニも連れてこさせた。これに関しては予防策である。翔が『氷の女王』に対して何も出来ず力尽きた場合、彼女だけでも逃がすことが出来れば上出来だろう。元はと言えばフィーリニは翔と一緒にいなければこんなところには閉じ込められなかったかもしれないのだ。それに彼女には何度も助けられた。その借りを返せるのならば、安いものだ。
目の前の厚い扉を臨む。この扉の向こうはまたあの吹雪の世界なのだろう。そう思うとあの牢屋もこの基地も、何か暖房器具のようなものもないのに暖かく感じた。やはり風雪が凌げると言うだけで違うのだろう。しかしそれは裏を返せば、外に出ればまたあの氷点下の寒さに肌を刺されるということになる。無意識に翔は身震いしていた。
「では、行ってもらおう。
マスクはこちらが用意した簡易的なものしか渡さないぞ?」
「ああ、行ってく……る?
マスク? 何のために?」
あの防護服がしていたようなものであろうか、と翔は推測した。が、それにしても疑問は残っていた。
──思えば奇妙だ。あのマスクは何のためのものだったんだ?顔の寒さを和らげるため?
それならばもう少し他にもあるのではないか、と翔は自身の考えを否定した。それに、この世界に来てから数日の翔も、のんとか生きていけるほどの寒さだ。加えてもう翔は半ばこの寒さにもなれている。マスクとやらは翔には必要が無い。
だが、そんな翔の楽観的な考えと対照的に、女の目はどんどん見開かれていく。
「馬鹿な……! こいつ、本当にマスク無しで外を歩けるというのか!?」
「ええと、少し事情が掴めないけど、とりあえずマスクとやらは要らない。俺もフィルも、寒さには慣れてるからな」
そう言い翔は扉の前に進む。女は驚愕の色を顔に浮かべながらも、心を落ち着かせて言った。
「……まぁ、そちらから時間制限を設けてくれるのならばこちらとしては文句なしだ。隠していれば更に活動時間が伸びただろうに」
「とりあえず、マスクは要らないけどせめて武器くらいはくれよ。俺のポケットにビリビリする棒入ってたろ?」
マスクやら時間制限やら、何やら埒が明かないので翔は武器の支給だけは頼んでみた。あんなものがラスボス相手にどれだけ通じるのかいささか疑問ではあるが、ないよりはマシだろう。
「分かっている。今部下に取りに行かせているのだが……」
と、女がそう答えたその時目の前の女の目が小さな手に包まれる。そして彼女の背後から突如可愛い声がした。
「だぁ~れだ?」
「……おふざけはやめてください、アンリ博士」
見ると、彼女の後ろに白衣を着た──見た目的には「引きずった」の方が近いかもしれないが──十歳ばかりの少女がいた。幼くも顔にかけられた大きな縁のメガネと、ボサボサの髪。一見して変人であるな、と翔は思った。そしてその手には翔のスタン警棒が──何か少しごつくなった気がするが握られていた。
「ほら、約束のブツ!」
「まさかその警棒、分解などしてないでしょうね?」
「したよー?」
その無邪気な返答に、女は一つため息をつく。
「……まったく、もし何か仕掛けてあったらどうするんですか」
「へーきへーき!
あ、そこの彼が例の『原始人』?」
と、そこまで置いてけぼりにされていた翔が会話に巻き込まれる。翔はどんな表情をすればいいのかもわからなかったので、愛想笑いとともに軽く会釈をする。
すると、その少女はこちらにすたすたと歩いてきて、翔を「観察」し始めた。
「ほー、ほーほーほー、ホーホー」
しばらく翔の周りを回りながらそんな奇声を発してから、少女は結論を出した。
「……案外普通なんデスネ。凍気は出せたりする? 外にマスクなしで長くいれるって聞いたけど、なんで? この毛皮はマンモスの? 倒したの? ねぇ? ねぇ?」
怒涛の質問に翔は身体共にグイグイと押されるような感覚を覚える。翔も人のことは言えないが、目の前の少女は好奇心の塊のようだ。しばらくしてからその少女の身体が女によって軽々と持ち上げられ、ようやく翔は解放された。
「……あなたがいると少し話がややこしくなりそうです。お帰りください」
「ちぇー。
帰ってきたら色々聞かせてね! 原始人くん!」
そう言って最後まで元気いっぱいな様子で少女は帰っていった。まるで嵐が去ったあとのように、その場にしばらくの沈黙と気まずさが流れた後、女がこちらに向き直った。
「……気を取り直して、貴様の武器を返しておこう」
と、その色々と改造されたらしいスタン警棒を渡された。その改造のせいかは知らないが、以前よりもそれは重く感じた。
「はい、あざっす」
その武器を右のポケットにしまい、改めて、これから翔が挑戦する難関に思いを馳せる。
多少改造されたかもしれないが、武器はこの警棒一つ。そして相手は『氷の女王』。
──土台無理がある、ってやつだな。もしオッズがあったとしたら1:0だろ。
改めて状況を整理しながらそう考え、翔は苦笑した。仮にそんな賭けが存在していたとしたら、どれだけ一発逆転を狙ったギャンブラーでも翔に賭けることは無いだろう。必ず負ける賭けに金を突っ込む者などいないからだ。それほど翔がこれからやろうとしていることは無理があるのだ。
しかし、それでも、翔はその、0に賭けなければいけない。そしてそれに勝たなければ、未来はない。
牢屋からの脱出作戦は終盤まで来ている。『氷の女王』を追い払うことが出来るなどという嘘をかまして牢屋から脱出することは出来た。あとは実際に『氷の女王』を追い払うことが出来れば作戦は成功する。実にシンプルな話だ。
しかし言うは易く行うは難しという言葉がある。少なくとも『氷の女王』という存在に翔が勝つことは不可能であろう。ならば話し合うか?と問われれば、そもそも話の通じる相手かどうか、そして話を聞いてくれるかも定かではない。それこそ奇跡でも起こらない限り翔の未来はないだろう。
だから、だからこそ、内から湧き出る恐怖を嘲笑うように、翔は心の中で呟いた。
──やってやる、起こしてやるよ
奇跡というものを。この世界に翔を連れてきた、神様とやらがそれを望むのなら。
「……ふ」
ふと、後ろにいた女が口元を緩めた。
「本当に『氷の女王』を追い払うつもりなのだな」
「当たり前だ。そうしないと、俺はあのまんま牢屋に繋がれたまんまなんだろ?」
もしかしたらこの女は翔に情けをかけてくれるのかも、なんて甘い考えは起こらなかった。そんな「もしも」に思考を費やすのならば、もっとまともな、実際に翔が『氷の女王』を追い払うために何をすればいいかを考えた方がまだマシだからだ。
「気に入ったぞ。お前のその、道化ともしれない有り余る度胸が。
名前を聞いておこうか。もし骨を拾うことが出来れば、墓石にでも刻んでやるぞ?」
「……負ける前提かよ」
──まぁいいけれど。
自分でも勝率などないと踏んでいるのだ。他人に言われても何も湧いてこない。むしろ自分を含めた周りの予想をひっくり返すための負けん気をあげただけに過ぎなかった。
そうして女は、自らの名前を口に出した。
「フィルヒナー・ロンネだ。善戦を期待しているぞ? 原始人」
「……原始人じゃねぇ。冰崎翔だ。俺の遺体見つけたら、出来れば火葬してくれ」
そんなことを言ってから、この世界じゃ熱は貴重だから火葬は少し贅沢だったかな、なんて翔は思いながら目の前の扉を開ける。
「……カケル、だと!?
おい、お前!」
名前を言った直後後ろで女が何かを騒いでいたが、もう翔にはそれを気に止める余裕もない。代わりに隣のフィーリニを見る。彼女も少し緊張した面持ちで、こちらを見返した。
「さぁ、0の確率をひっくり返そうか」
そうして翔は、雪原の中を歩き始めた。




