第二章71『歪んだまま進んでいく物語』
「……ん……ここは……」
次に翔が目を覚ました時、その目に映ったのはもう見なれてしまった病室の天井であった。
「……基地……ってことは……」
そうして現状を把握し、気を失う直前の記憶を少しずつ取り戻した翔は、その記憶の最後起こったことを思い出しハッとする。
「──っ! そうだ、コハルは!?」
「寝起き早々騒がしいですね、カケル先輩」
そうして翔が辺りを見渡そうとしたその瞬間、翔の視界の『下』からそう声が響いた。見るとそこには、翔が横たわるそのベッドに上半身を預け、眠そうな目を擦りながらこちらを見るコハルがいた。
「コハル! 無事だったんだな」
「あの剣歯虎を未来に送ってくれたどこかの誰かさんのお陰様で、ですね」
そのコハルの言葉に苦い顔になりながら、翔は心配そうな様子で辺りを見渡す。その翔の様子を見てコハルは言った。
「心配しなくてもあの剣歯虎はもうフィーリニさんが倒して、その後基地の食料庫行きになりましたよ。カケル先輩が気を失った後は特に問題もなく四人揃って基地に帰れました。少ししてから隊長達も無事帰ってきましたし、これで無事遠征は終了です」
「……そうか。それは、良かった」
そう呟きながらも、翔の顔は未だ晴れない。そんな翔の顔色を見て、コハルは一つため息をついて言った。
「『良かった』って……。全然そういうふうに見えませんけどね。何が不満なんですか? 途中で不運にもクレバスに落下したり、『新種』の獣と遭遇したりしたのに今回の遠征は全員無事に帰還出来ました。不満を抱く所なんてないと思いますけど」
「それはそうなんだが……、でもな」
そのコハルの言葉に僅かに励まされつつも、翔の顔色は未だ悪い。それもそのはず、翔は気付いていたのだ。自らが今回の遠征で何をしたか、何が出来なかったか。
「……俺は、フィルヒナーさんの言いつけを破って『時間跳躍』に関する力を使った。それだってのに、結局コハル一人守れずフィルとキラに頼って。挙句の果てには基地への帰り道の途中で気絶して」
翔はそうして今回の遠征を振り返り、そしてその顔をいっそう暗くしてその先を言った。
「……結局俺は、また『余計なこと』をしちまった。そのくせ、守れるものは何も守れちゃいない。これじゃ、俺が今回の遠征に参加した意味は無いんだ」
そう言い切って塞ぎ込んだ翔を見て、コハルは再びため息をついてから言った。
「じゃあ、その本人に処遇を聞いてみますかね」
「……?」
そのコハルの妙な物言いに翔が疑問を口にする暇もなく、コハルはその病室の外へ聞こえるように声を張り上げて言った。
「聞いてましたよね? どう処分を下しますか? フィルヒナーさん」
そのコハルの言葉から一拍置いて、病室の扉が開かれた。そこから顔を覗かせたのは、紛うことなきこの基地の基地長・フィルヒナーであった。
「──っ!? な、フィルヒナーさん今までの会話聞いて……」
「……カケル」
突然現れたフィルヒナーに翔が驚くのを遮って、フィルヒナーは冷徹な声でそう言い放った。その声の冷たさに翔は口をつぐみ、真剣な面持ちで彼女の次の言葉を待った。
「まず、何はともあれご苦労だった。今回の遠征はなかなか波乱に満ちたものであったようだが、その中でよく無事に帰ってきた。ただ……」
その表情も、声色も、何もかも変えないまま平然とフィルヒナーはすらすらとそう話していく。最後に付け加えられたその逆説の一言により、その話の内容が翔を褒め称えるものから一変することを察知した翔は固唾を飲んでフィルヒナーに向き合う。
そうしてフィルヒナーは平然としていたその口調をその時初めて崩して、その先の言葉をさらに冷徹な声色で言い放った。
「……『時間跳躍』の力を、使ったそうだな」
「────っ!」
そのフィルヒナーのより一層冷たい声色に、翔は思わず身を強ばらせる。しかし、もはや翔にはその時何もすることが出来なかった。何故なら……
「……弁解するつもりは、ありません。俺は確かに『時間跳躍』に関する力を使いました。それがたとえコハルを守るためにしたことであったとしても、それが命令違反であることには変わりありません」
翔は既に覚悟を決めていた。自らがフィルヒナーの言いつけを破り『時間跳躍』を使った時点で、基地長から処分を受けることになるというのは予期していたのだった。しかしそれでも、翔は『時間跳躍』の力を使った。基地に帰った後のことを捨て、その時コハルを守ることに専念したのだった。
「……そうか。自分がしたことは、理解しているようだな」
その翔の言葉に、フィルヒナーはその顔色を変えずにそう言った。そしてその後、何かを考え込むようにしてフィルヒナーの口が数秒の間閉じられた。
その数秒の間にも、翔の頭にはあらゆる考えが渦巻いていた。
──俺は、どうなる。フィルヒナーさんは俺に、どんな処分を下す?
翔が罰を受けることを覚悟していたということは、自分がどのような処分を受けることになるのか、少なからず考えていたということであった。その予想の中でも最悪のものが、考えないようにしても否が応でも考えてしまうほどに、翔の心にヘドロのようにこびり付いていた。
──俺は、遠征隊から除名されるのか? それとも……、この基地から、追放されるのか?
翔の頭にはその最悪の考えが渦巻いていた。そうして翔は、せめてその罰がその最悪よりも軽いものであるように祈りながら、フィルヒナーのその次の言葉を待った。
少しの沈黙の後、フィルヒナーが口を開いた。
「……理解しているようならひとまずいいだろう。次回以降の遠征もしっかりと気張れよ」
「……へ?」
そのフィルヒナーの予想外の言葉に、翔は思わず呆気にとられる。
──『ひとまずいいだろう』って……。いや、それより……、『次回以降』……!?
そうしてその思考がまとまらないまま、翔は口を開いた。
「……あ、あのフィルヒナーさん!」
「なんだ」
「俺は今回、フィルヒナーさんの指示を聞かずに『時間跳躍』を使ったんですよ!? それなのに、なんで……っ!?」
そうして混乱する翔に、フィルヒナーは一つ息をついてから言った。
「……処罰するつもりがないから処罰しないだけだ。今回の遠征では『時間跳躍』は暴発せずに問題なく使えたのだろう? そして結果その力はコハルを助けることになった。ならば、それを処罰する道理もないだろう」
「……っ! そんな……」
そのフィルヒナーの言葉に、翔はますます混乱して言った。
「……そんな、結果オーライだからいいみたいな、そんなことが許されるんですか!? 今回はたまたま成功しただけかもしれない。そもそも俺は……っ!」
「……カケル」
そうして自らを責める翔を、フィルヒナーはそう制した。そして、その顔に優しい微笑を浮かべながら、初めてその声色に温度を付けて言った。
「カケル、お前まだ気付いていないのか?」
「……?」
そのフィルヒナーの言葉に、翔は一瞬その意味がわからず沈黙する。しかし、その後すぐに気が付いた。フィルヒナーがその場に現れてから出現していた、ある違和感に。
目の前のフィルヒナーが、翔にどのような口調で話しているのか、ということに。
「────っ!」
「まったく。逆の時はあれほど早く気付いたというのに、何故今回はそんなに鈍いんだ。正直、平静な様子を保つだけでも辛いんだぞ」
そうして翔に笑いかけるフィルヒナーからは、遠征出発前にはあった翔への冷酷な態度は感じられなかった。否、それはまるで、ただの友人と話しているような、そんな砕けた様子であった。
「……っ! でも、フィルヒナーさん、俺は……」
「……分かってる。私もお前がした事の全てをなかったことにしている訳では無いよ、カケル」
それでも自らの罪の意識を拭うことが出来ない翔はそう食い下がるが、それもフィルヒナーによって阻まれる。
「カケル、私は全てを無かったことにするつもりは無い。お前が犯した罪は変わらないし、それは簡単に拭えるものでもない。ただし……」
フィルヒナーはキッパリとした口調でそう話す。そして、その続きを一呼吸置いて言い切った。
「……同時に、お前が今回した仕事も、無かったことにはならない。そうだろう?」
「──ぁ」
そのフィルヒナーの言葉に、翔は思わず言葉を失った。
「コハルがクレバスに落ちた時、彼女を庇ったこと。コハルが『新種』に襲われた時、その身を呈して彼女を守ったこと。基地への帰路で剣歯虎が襲いかかってきた時、迷いもなくコハルを助けるためにかつて失敗した『時間跳躍』の力を使ったこと。
全て、紛れもなくお前が今回した仕事だ。違うか?」
「…………っ」
フィルヒナーのその言葉に、翔は何も返すことが出来ない。そうして翔の目にじわりと涙が浮かぶのを見ながら、フィルヒナーは微かに笑って言い放った。
「分かったな? カケル。よって、今回の遠征でお前の処分はない。だから、次回以降の遠征でもお前の力を貸してくれ」
「……っ! はい……っ!」
そのフィルヒナーの言葉に涙ぐみながらも、翔はそうキッパリと答えた。
その返事をしっかりと聞いてから、フィルヒナーはその病室から去っていった。そうしてその場に少しの沈黙が流れた後、コハルが口を開いた。
「じゃ、私からも少しいいですかね?」
「……?」
そのコハルの言葉の意味が分からない翔は、理解の出来ない表情でコハルの方を向く。そんな翔に通じるように、コハルは単刀直入に言い放った。
「今回の遠征で私のことを何回も助けてくれて、本当にありがとうございました」
「……っ!」
その予想外の感謝の言葉に、翔は再び言葉を失う。しかし直ぐにそれを取り戻して、自嘲するように苦笑しながら答えた。
「……助けたって言っても、結局フィルとキラが居なけりゃ二人諸共死んでただけだしな。結局俺はコハルのことは助けられてないよ。だからその感謝の言葉は……」
「……違いますよ?」
その翔の言葉を遮って、コハルはキッパリとそう言った。
「確かに、結局のところフィルヒナーさんとあのキラキラ君が居なかったら私は助かってなかったかもしれません。でも、カケル先輩が居なかったとしても私は助からなかった。それも事実だと思いません?」
「…………っ」
そのコハルの言葉に、翔の脳裏にふいにある親友の言葉が蘇る。
『……あのな、翔。成功も失敗も、100%誰かのせいとか誰かのおかげとか言えることなんてないだろ』
その親友の言葉は、今しがた聞いたコハルの言葉と重なっていた。
──フィルとキラが居なけりゃ、コハルは助からなかった。でも、俺が居なかったとしても、コハルは助からなかった。
翔はその事実を反芻して、その事実に辿り着いた。
──俺も、コハルを助けた存在の一人なのか?
その翔の考えを後押しするように、コハルは微笑みながら続けた。
「……結局、あの時私の言葉通りにカケル先輩が私を置いて逃げてたら、きっと私はこうして基地に帰れなかったでしょうし。カケル先輩が私の言葉を無視して、私をあの『新種』から助けてくれたから、私は今こうしてここに居るんですよ」
その言葉の一つ一つが、翔の身体に、心に染み渡っていった。そのコハルの言葉に翔がまた涙を浮べ始めた時、コハルは照れ臭そうに言った。
「……だから、その……。
……カッコ良かったですよ? 英雄」
そのコハルの言葉に、翔は涙を浮かべながらも笑って言った。
「……礼なんて要らねぇよ。だって俺は──」
そうして三年前のある日のように、英雄は笑ってそう言ったのだった。




