第二章70『幕切れ──その2』
「……っ! 痛ー」
「ほらもう。無理しないで僕達の肩借りてくださいよ、カケル先輩」
そうして『新種』と戦ったその場から撤退した翔達一行は、四人仲良く基地への帰還のため歩いていた。その最中、コハルに肩を貸して歩いていた翔の身体が痛み、結果翔はそんな情けない声と共にその場に倒れ込んだ。そんな翔の様子を見て、キラはため息をついて翔に言った。
「無理しないでくださいよ、カケル先輩。まだ『新種』と戦った時の傷が痛むんでしょ? コハルには俺が肩を貸しますから、カケル先輩はフィーリニさんに肩貸してもらってください」
「……うーん、でもなぁ……」
そのキラの提案に、翔は尚もそう食い下がる。そうして頑なに話を聞こうとしない翔に、キラは一つため息をついて言った。
「コハルを守るため、無茶してくれたんですよね? だったらもう十分です。俺らの力もちょっとは借りてくださいよ」
そのキラの言葉に、翔はとうとう根負けして言った。
「……分かったよ。じゃあ、ありがたく借りるとするわ」
そうして翔はコハルの身体をキラに預け、自らもフィーリニの肩を借りた。
「……あんたの力を借りるとか、マジで一生モノの後悔だわ、キラキラ君」
「勝手に言ってろよ。手助けされなきゃ歩けもしない状態で言ってもカッコ悪いだけだぞ」
その微かなやり取りの間にも、コハルとキラの間にはそうして険悪な雰囲気が流れていた。そんな二人のやり取りに苦笑しつつも、翔はフィーリニに肩を借りながら再び歩き始めた。
さくり、さくりと雪を踏む音が周期的にその場に鳴り響く。今や吹雪の勢いも弱まったその場は、四人の間に会話がないことも相まってただただ静寂に包まれていた。
「……あー、その、なんだ。色々すまなかったな、これまで」
その静寂に耐えきれなくなった頃、翔は静かにそう切り出した。その翔の言葉に、キラは首を傾げて返した。
「……突然どうしたんですか、カケル先輩。それに、それ誰に言ってるんですか?」
「お前ら全員に、だよ。俺は、『時間跳躍』のあの力のせいで、お前らに迷惑かけちまったからな」
キラの疑問に翔がそう返すと、キラはその翔の答えに一瞬目を丸くしてから、呆れたようにため息をついて答えた。
「今更何言ってるんですか。もう過ぎたことですし気にしてませんよ。カケル先輩も意図的に三年間の時を超えた訳じゃないみたいですし」
「……それは……そうなんだが……」
そのキラの一見優しい言葉に、翔は複雑な顔になる。そのキラの言葉は翔を赦すもののようで微かに異なっていた。翔は気付いていたのだった。そのキラの優しい言葉に甘えれば、翔は本当の意味で罪を償うことなど出来ないと。
「……俺がやったことは、たとえ意図的にやったことじゃないにしても、許されないことだ。だけど……」
そうして翔がその次の言葉を発しようとしたその時、翔の耳が奇妙な音を拾った。
「……? 何だ? この音……」
翔の耳が拾ったのは、何かが雪原の雪を引っ掻き回しているような、そんな奇怪な音であった。翔が必死に辺りを見渡してもその音の発生源は特定出来なかった。だが、その謎の音は確実に翔達との距離を縮めつつあった。
「……変ですね、ちょっと辺りを散策してきましょうか?」
「ああ、そうだな。今の俺だと雪兎も使いこなせるかもわからねぇし──」
翔がそうしてキラの提案を承諾しようとした時、『それ』は突然現れた。
「──っ! キラ!伏せろ!」
「──ぁ」
その翔の叫びにキラは超人的な反応速度で身体を屈めようとしたが、それでもその獣の一撃を避けることは出来なかった。鋭い獣爪がキラの身体をなぎ払い、その身体が宙を舞う。それと同時に、キラが肩を貸していたコハルの身体もキラの元から離れ、一人雪原に投げ出された。
──っ! こいつは……!
翔はその一撃の刹那、自分たちに襲いかかって来た獣の正体を識別していた。それは先程まで自分たちが戦っていた『新種』の獣──ではなかった。それは翔達が知らない未知の獣──などではなかった。
「……っ、剣歯虎!?」
それは、翔達遠征隊には見知った獣であった。決して油断の出来る相手ではないにしろ、しっかり警戒を払い力を尽くせば倒せないはずも無いはずの獣であった。
──だけど、この状況はまずい……っ! 今ここにはまともな戦力が二人しかいねぇ! それだってのに……!
その状況を最悪にしているのは、単純な戦力不足だけではなかった。その貴重な戦力さえも葬り去った、その獣の行動も問題であった。
──こんな奇襲、誰に教わったんだよ畜生……っ! 勘弁してくれよ……!
しかし、そんな翔の懇願もよそに現実は非情にも最悪の事態へと向かいつつあった。その一撃でキラの身体を吹き飛ばしたその剣歯虎は、雪原に投げ出されたコハルの身体目がけて突進を始めた。
「……っ! 止めろ!」
翔の叫びも虚しく、獣の足が止まることは無い。吹き飛ばされたキラはここから随分離れたところで傷口を押さえており、彼の助けは間に合うように見えなかった。事態を察知したフィーリニは瞬時に翔の身体を放り出して剣歯虎を追い始めたが、それでもその助けが間に合うには彼女と剣歯虎の距離が離れすぎていた。
──っ! じゃあ、じゃあどうすればいい! 俺の雪兎なら間に合うか!? いや、でも……
翔は先程自分自身の口で言ったばかりであった。今の翔には、雪兎の衝撃に耐えうるだけの体力は残っていない。それどころかその身体の平衡感覚も危うい今、翔が雪兎を使ったところでしっかりとした跳躍が出来る確証はなかった。
──っ! それに、俺が追いついたところで、俺にはあの剣歯虎をどうにかする力はねぇ! 一体どうすりゃ……
翔の戦闘能力は決して高くはなく、加えてその消耗度合いは激しかった。仮に剣歯虎がコハルを葬る前にそこへ辿り着けたとしても、翔には剣歯虎をどうにかするだけの力は残されていないのだった。
しかし、そうして焦燥に駆られる翔の目が、剣歯虎の身体にある特徴を見つける。
──あの剣歯虎の身体、よく見たら血だらけじゃねぇか……? 一体なんで……
そうして翔が自らの記憶を探った結果、出た結論はひとつであった。
「──っ! あの剣歯虎、キラとコハルが倒したやつなのか!?」
翔とコハルが遠征隊から別離するより前、キラとコハルの二人は一匹の剣歯虎を倒していた。その直後翔とコハルがあのクレバスに落ちてしまったためその後剣歯虎がどうなったかを翔は知らなかったが、それでも遠征隊の隊員がその場からはぐれたことで倒したはずの剣歯虎の生死確認を行っていなかったということは十分有り得る話であった。
「……っ! だったら、もう体力はほとんど残ってないはず。あとは剣歯虎がコハルを殺すより前に、あそこに辿り着けさえすれば……!」
翔の思考がそこまでたどり着くのに要した時間は僅か数秒であった。そしてその結論に至った翔は、一瞬躊躇ってからその足に力を入れた。
──今の俺の身体で、無事に使えるかどうかはわからねぇけど……!
「……雪、兎!」
そうして翔は一世一代の大勝負に出た。翔がそうして踏み切ったことにより、翔の身体は前方へと急加速を始める。そうして飛び出した翔の身体は、先に走り出していたフィーリニの身体すら追い越し、一直線にコハルへと向かっていった。だが……
──っ! ダメだ! これじゃ、間に合わない!
そうして最高の加速度でコハルに迫る翔であったが、その足を踏み切るのがあまりに遅すぎた。翔がそのことを察知した瞬間、翔はコハルまであと数メートルのところまで迫っていたが、その時点で既に剣歯虎の獣爪は振り上げ、コハルに向け振り下ろされ始めていた。
──クソ、クソ……っ! せめて、あと数秒あの剣歯虎から時間を稼げれば……っ!
その思考に至った瞬間、翔の頭に稲妻のようにひとつの考えが過ぎる。それはあまりに不確かで、危険で、馬鹿げているものであった。しかし、それでも……
「──っ! うおおおおぉ!!」
「──カケル先輩!」
そうして雄叫びを上げた翔の名を、コハルが悲痛な顔で叫んだ。それと同時に、剣歯虎の無慈悲な一撃がコハルに向けて振り下ろされ──
その瞬間、その場から剣歯虎の姿が消えた。
「……え?」
その予想外の事態に、今まさに殺されようとしていたコハルは呆然とする。そのコハルの元に、一瞬遅れて雪兎で急加速した翔の身体が追い付く。
「……っ!? カケル先輩!? これって……!?」
「……ああ、ホントにな……」
そうして急加速の勢いそのままにコハルを抱えその雪原を転がった翔は、虚ろな目になりながら空を見つめながら呟いた。
「……今度は成功するって、なんじゃそりゃ……」
そうして翔がその皮肉のような事態に苦笑いしたその瞬間、剣歯虎の身体が再びその場に現れる。
「……遠隔での、時間転送……」
そうして数秒の時を超えてコハルに当たるはずの一撃を繰り出した剣歯虎を見て、コハルはそう呟いた。その事態を理解できない剣歯虎は、今確かに殺ったはずの獲物がそこに居ないことに呆然とする。
「……フィーリニさん!」
「──ぁ!」
その隙に、キラの叫びに応じるようにフィーリニは剣歯虎へと駆け寄り、その傷だらけの身体に一撃を喰らわせた。その一撃によりとうとうその満身創痍の剣歯虎も力つき、その場に倒れ込んだ。
「……カケル先輩の『時間転送』、誰かを未来に送るのは、それに触れてる状態じゃなきゃ出来なかったはずなのに……」
コハルは呆然としながらそう呟いた。その発動条件は絶対のものであったはずであった。何故なら、翔が犯した三年もの時を超えるという過ちそれ自体も、その試みにより起こったもののはずであったからであった。
「……カケル先輩、貴方一体……」
そうしてコハルが傍らの翔の方を向くと、その当の本人は既に気を失い雪原に力なく寝転んでいた。
「……まったく。この人は……」
そうして苦笑したコハルの目には、ただ一人身を呈して自分を守った、一人の英雄の姿が映っていた。
そうして、遠征隊と代理遠征隊合同での初遠征は、ようやく幕切れとなったのだった。




