第二章69『幕切れ』
吹雪の吹き止まないその雪原に威風堂々と立つ『新種』の顔色が、微かに曇り始めていた。それは決して自らが窮地に追い込まれたからではなかった。ただ、目の前で今にも仕留めんとしていたその獲物に、厄介な増援が来たからであった。
「……フィル」
翔はその増援の姿を今一度捉え、そう呟いた。その翔の呟きにフィーリニはにこりと微笑み、そして直ぐに気を引き締めて『新種』と向き合った。
「フィーリニちゃん……! 助けに来てくれたのね。
これで『新種』も怖くな……」
「……いや、安心するのはまだ早いぞ、コハル」
その増援の存在にひとつ安堵の息をつこうとしたコハルに、翔はそう注意を促した。翔自身、フィーリニがこの場に現れたことで多少なりとも気が緩んでいた。しかし、翔は気付いていた。目の前に立つ、『新種』の様子に。
「……『新種』はまだまだ戦うつもりみたいだ」
その言葉通り、『新種』は増援の出現に多少戸惑いつつも、未だその戦意を喪失していないようだった。加えて先程まで翔と戦闘をしていたにも関わらず、『新種』の身体にはあの爆発によるダメージ以外になんの傷もついてはいない。それは翔が防衛戦に徹していたからであるが、その結果『新種』の負うハンデは少なくなっていた。
──多少の傷はあっても『新種』はまだ目に見えるほど消耗してない。そんな『新種』相手に、果たしてフィーリニだけで勝てるのか……?
翔はフィーリニのことを決して弱いとは思ってはいなかった。しかし、『新種』が相手となると彼女の戦闘能力がどれだけ通用するかは分からなかった。時間稼ぎのために『新種』自身と戦っていた翔でさえ、『新種』の戦闘能力は未知数のものだったからだ。
「……フィル、『新種』は強いぞ」
そう注意を促した翔の言葉に、フィーリニはニコリと笑って、自らの背後を指した。
「……? あれは……」
フィーリニの指差す先から、一人の人影がこちらに走ってきていた。その人物の正体を遠目から察した翔は、思わず目を見開いた。
「……フィーリニさん、カケルさんがピンチだったからってのは分かりますけど、気絶してた僕を突然雪原に投げ飛ばさないでくださいよ」
その人物はそう苦笑しながら翔達の元まで辿り着いた。その意外な助けに、翔は驚いて声を出す。
「お前まで助けに来てくれたのか、キラ!」
「はい。助けに来ましたよ、カケル先輩。そっちもなかなか大変だったみたいですね」
翔のその言葉に、キラはそう颯爽と返した。その思わぬ救援に喜びつつも、翔はふと思い返してキラに問い掛ける。
「……いや待てよ? 隊長達はどうしたんだ、キラ。なんでお前だけここに来てるんだ?」
その翔の疑問に、キラは複雑な顔をして答えた。
「……隊長とベイリー先輩は今ちょっと別件の仕事をしてましてですね。俺は隊長に指示されてフィーリニさんと一緒にここに来ました。なので、フィーリニさんの他の増援は僕だけです」
そう答えたキラの心中は複雑であった。キラは翔の問い掛けに偽りなく答えていたが、翔に全てを話しているわけではなかった。キラの心中には今、先程翔達と合流する直前に入った元二からの通信の内容が嫌な重みを帯びて反響していた。
──それでも、今このことはカケル先輩に話す必要は無い。むしろ、話したらダメだ。
そんなキラの心中などつゆ知らず、翔は「……そうか」と呟いてから改めてキラの方を向いた。
「キラ、見ての通り相手はあの『新種』だ。しかも申し訳ないことに、俺とコハルは今の今まで『新種』相手に時間稼ぎしてたお陰でもう一緒に戦うほどの体力がない」
「…………」
翔が話すその現状に、キラは真面目な顔になって『新種』の方を見る。
「……つまりフィルとお前だけであの『新種』と戦うことになる。出来るか? キラ」
その翔の問い掛けに、キラは苦い顔になりながらも返した。
「……正直『新種』は僕にとっても未知数な敵です。でも、見たところやるしかなさそうですし」
そう言いながらキラはフィーリニと並んで立ち、『新種』と向かい合った。更に増えたその獲物の増援を見て、『新種』は再び不機嫌そうに眉をひそめてその新たな相手を見据える。
──フィルだけなら十中八九勝ち目は無いけど、これでキラも戦力に加わった。フィルとキラ、二人が相手ならきっと『新種』の相手もできるはず……。
そうして戦局を見つめる翔のその考察は、少しの希望的観測を含むものであった。否、それは悲痛な祈りに近かったのかもしれない。これ以上増援は来ないということが分かった今、キラとフィーリニの二人が『新種』の相手にならなかった場合いよいよ状況は絶望的であったからだった。
──どうなる。『新種』は、どう動く。
そうして翔は固唾を飲んで『新種』の次の動きを待った。そのすぐ側で同じく戦闘不能状態にあるコハルも、内心神にでも祈りながらその状況を見つめていた。この今の翔達の戦力を見て尚『新種』が向かってくるようであったら、その場が再び戦場になるのは防ぎようがなかった。
しかし、その直後『新種』は予想外の行動を取った。翔の前に立つキラとフィーリニの二人を一瞥してから、ひらりと身を反転してその場から立ち去り始めたのだった。
「……え?」
その『新種』の行動に、翔は思わず呆然とした。確かに『新種』の撤退は翔が最も望んでいたものであった。しかし、同時にそれは翔が最も『起こりえない』と予想していたものであった。
──『新種』の身体に未だ主だった外傷はない。きっと体力もそんなに消耗してないはずだ。それなのに、なぜ撤退したんだ……?
翔はその『新種』の行動の意味がわからなかった。いくら『新種』が高度な知能を持つ獣であったとしても、『新種』はこの猛吹雪の世界に住む獣である。目の前に弱った獣がいればそれを見逃すことなどありえない。少なくとも翔は、そう考察していた。
──だったらなんで……。
そうして翔は、同じく『新種』の撤退に呆気に取られているフィーリニとキラの方を見て、はっと気づいた。
──まさか、キラかフィルのどっちかが、『新種』から見ても勝てない相手だった……?
そう考察を続ける翔に、コハルは小さな声で呼び掛けた。
「カケル先輩、これってぼーっとしてないで早く逃げた方がいいんじゃないですか……?」
撤退を続ける『新種』の耳に届かないように声量を絞って言ったそのコハルの言葉に、翔はハッとして答えた。
「あ、ああ……そうだな。そうだよな、今は考えるよりも早く逃げるべきだよな」
コハルの言葉にそう思い直した翔は、前に立つキラとフィーリニの二人に小さな声で呼びかけた。
「とりあえず『新種』の動きに最大限警戒を払いつつ撤退するぞ。なんで逃げてくれたかはわからないが、向こうから撤退してくれるならこっちとしては願ったり叶ったりだ」
その翔の言葉にフィーリニとキラの二人は静かに頷いて、翔の指示に従いその場から離れ始めた。
そうして翔と『新種』との遭遇は、そんな呆気ない結果で幕を閉じたのだった。




