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歴史とDNA

細石器とハプログループ

作者: とびうお君

 ネットの中の常識って確実な話じゃなくて、一般レベルの本での楽しい書き手の推測レベルが多い。単純に言えば論理的飛躍が多すぎる。じゃ何故そんなもの疑いもせずにホイホイ食いつくのか?ネットの場合多くは目的があってハプロが使われていて、大体は思想的なものになる。


 うんざりする様な縄文人アゲが気持ち悪い。そういうつまらん話は良いからってなる。その中でこれもやっておかないとなる。元々は日本人バイカル湖起源説になる。これはもう散々やってきて、最後に残ってるものがある。細石器は誰が持ってきたか?これ考古学からも支持が多くて、いつも遺伝子系と対立する考古学が珍しくがっちりタッグで全く批判が無い。


 でもこれ雑なんだよな。いつも起きる両者の批判が無い分雑なんだ。まず第一に本当に細石器はバイカル湖から来たのか?私が書いてきたと思うが、バイカル湖に誰が居たの?で全くモンゴロイドと関係が無かった。これが分かると、じゃ細石器どこから来たの?ってなってしまう。細石器だけ来たんだよ。


 確かに物と人だから分離する事が可能だ。だがそもそもバイカル湖から当時もってこれたのか?実はバイカル湖から東北アジアに人が来た痕跡が無い。敢えて言うならmtDNAのAハプロはどこから来たのか?って問題がある。これも温暖化してから南下した居残りアメリカ組のQが持ってくれば成り立つ。しかも別ルートの可能性もある。


 だが細石器はじゃどこから来たのか?いやそのまえに前提が壊れた後疑ってみたか?ってなる。ネットの情報は皆古いのに、誰もがそれを知らずに撒き散らす。何故か?マリタ遺跡の集団がコーカソイドだった。これがすべてに繋がってるって分かって無いんだ。情報だけ知ってて、体系的知識になってないから、トリビアを撒き散らしてるようなものなんだ。


 そこで調べてみると、インドネシアあたりで、すでに絶滅した原人が細石器をすでに使っている。東南アジアから持っていたものを北上で発展させた可能性が0とは言えない。今までこういった視点が無かったのは、バイカル湖の人達がアジア一体に広がったって常識があったからだ。


 そもそもD系は細石器を創る技術があって、北海道ルートと九州ルートで2系統に別れて進化しただけじゃないか?こういう考えも出来る。なおかつ、人の出入りが無くて、物だけ移動したのじゃないか?交易があった可能性が排除されている。


 C2は縄文時代に日本に入ってくる必要があったのか?となる。


 私は、細石器からC2の流入を考えてるわけじゃない。mtDNAに北方の系統が確かにあるので、この集団はC2以外考えられないと見てるからになる。縄文時代に入ってきたG1BやD4Bの相方である夫が居ないのはおかしいからだ。次に日本の中央辺りでちょうどこれらが減少する。


 西日本の人口が少なかったからが原因だけど、ルートとしてわざわざ人口が少ないところから北に素通りで行くのはおかしい。どう考えてもこれは北方から入ってきた集団だと見てて、それが多分C2だろうと見てる。


 で、ここで私の前の推測が役に立つ。C2は東から氷河期終了後にバイカル湖に移動したのでは?


 バイカル湖起源は真っ赤な嘘で、東に居たC2が近くの日本に北海道ルートで入ってきた。こっちじゃないの?って見てる。その時東海岸で東南アジアから進化させてきた、細石器を持ち込んでそれが縄文人たちが使っていたものより良かったので変わったのでは?ただし、西日本にはいかずに。これで2系統可能になる。


 つい最近調査した富山がちょうど北方と南方のmtDNAが出たため、南北の縄文人の遺伝子の違いが顕著になった。元々関東で違いは分かっていたが、それがもっと西まで行っていたのが分かったとなる。まず知って欲しいのは私はネットで氾濫してる情報とは全く違う見方で同様にC2の話をしてる点。これになる。


 以前の話しの続きになるが、縄文時代と弥生時代のC2を見分ける事は可能か?ならある程度出来るかもしれない。まず分岐年代が1万年以下の系統は全滅で良い。誤差があったとしても、C2は実は特殊で、極端に分岐年代が新しいものと古いものがはっきりしてる。これは以前話したボトルネックになる。新しいものが増えだして分岐が増えたと成る。


 そもそもC2は騎馬民族誕生までは負け組みの典型ハプロだった。だからバイキングと較べた。本当にバイキングと良く似ている。特に面白いのが軍事より移動手段がキーになってる点。豊かな航海技術と船そして馬と騎乗技術になる。ハプロを多く残す原因として、移動距離が豊富である事が条件になる。出来る限りあっちこっちで種をばらまくのが望ましいようだ。


 1万年ギリギリで候補から外していたが、日本はC2C1と言う分岐があまりしてないハプロが豊富にある。これが誤差がすごい。誤差次第で、2万年にもなる。1万年以下は多分無いが、それより前はもう良く分からん。これがC2C1の正体になる。こんなハプロは滅多にない。


 何故私が今まで見落としていたか?で常識と違うから。通常±が分岐年代を超える倍なんてありえないから。何故コンナ事起きるか?は分かってる。気が付いたらあああれかとすぐ分かった。そもそも何故C2Aが大きく扱いが変わったか?Cは何度も変更をしてるとてもややこしいハプロだから。


 分岐の組み合わせがちょうどパズルの様に難解で、何度もああごめん間違えたのやり直しが起きてる。その結果が、ごめんこの分岐古い時代はもっと遡る可能性あるわーーって保留に近い状態になってる。原因は間が抜けてるから。これはボトルネックで説明したと思う。そのまんまこれ進化と同じなのでミッシングリンクに近くなる。後で見つかると、ああ最初から組みなおしーなんて事になって今に至る。もちろんすごく良くなってる。


 もちろん、これ絶対に古いハプロだと言い切れないけど、日本に多いC2C1は縄文時代に入ってきた可能性は高い。同時躊躇した理由は他にも有る。これ朝鮮にも普通に残ってる…。代表的なのが、百済の王族はその後分岐するけど、最初これ。要するにおそらく扶余族のハプロの1つ。


 ついでに扶余族と高句麗王族として同族らしい。じゃ日本の子孫は?この点勘違い虚偽もありだと思ってる。何故これ信憑性があるか?だと扶余族としての神話や習俗が2つの国の王族似てるから。ただこの程度だと2つが同じ扶余族なのは決定だけど、王族として直系なのは確定じゃないよね?って点。そっちが確定し無いと矛盾にならない。


 確かに、疑いは生じる。ただ建国神話2つあって、父親が違うって建国神話がある。扶余族の王様の后が王様死んだ後高句麗の王の后に連れ子を連れて結婚したとある。まるで東北の安部一族と清原一族のような関係。これが有名な奥州藤原氏。おかげでO1B2って結果出たけど、藤原氏って信じてもらえない。よりによって藤原氏からとったハプロが奥州藤原氏だったという、何か日本の歴史を明るくしたらあかん神の意思でもあるような笑う展開。


 この後百済に行く流れもうまく出来てる。うんわざわざいの元になるからね。扶余を吸収して高句麗作ったから、打倒したか?までは分からなかった。そもそも胡散臭い建国神話だけど、こうやって書いてあるならどのみちハプロ違うじゃねーかって突っ込める余地まである。


 ただ北海道ルート?に疑問がある血統では有る。その点は逆に九州の細石器との系統の違いで九州に入ってきたC2C1のせいでは?とは取れる。ただ普通に半島に居るので弥生にきたのでは?は否定できない。ただ百済崩壊後に日本に来たC2C1は子孫から調査でその後分岐した系統でハプロが長く表記されてるので区別が付く。まとめてデータしか見てないけど…。


 問題は王族じゃなくて、ごろごろありそうだって点。ただ基本的にC2C系って半島で少なくて、いかにも王族で増えましたよって感じなので半島に残った系統が増えたものじゃないか?とは見てる。多分中国東北部で増えたもので、そこから韓国に王族としてやってきただけじゃないか?とは見てる。韓国の下位系統まで詳しく集計したデータ見てない。


 満州の物は原型のC2C1は大きな割合じゃない。すでに分岐した系統が増えてしまっている。私が、高句麗O2A2もあるなと思ってるのは、満州族って一番多いハプロ始皇帝系になる。もっと言うとO2が一番多い。清として支配してたので、漢民族まるけで、女真が少ないと思うし、女真じゃなくて、中国東北全体は秦系が多い。万里の長城作っていたし…。弥生当時のものはもう分からない。


 一応周辺地域と重なる、縄文に来るのは無理やーって新しい分岐系統も日本にちらほら入ってる。こっちは確実に弥生系。んでC2B1A5(C-Z31698)ひょっとしたらこれ違うかもしれないので、識別英数字付け足しておきます。これがC2B系で日本に偏って多い系統になる。元々C2B2として独立ハプロになっていたほどなので孤立具合が分かると思う。後からC2B1系にやや外れて組み入れられた。これは誤差は良く分からない。んま元々特殊なハプロなので。後はとても少ないけど、確実に縄文系と言えるC2A。これが何故不味いか?最近の改変後判明したのは、日本の文化遺伝子に影響を与えるような割合じゃないから。Qより酷いと思う。


 弥生時代に遡って考えると、C2C1は古いことは認めるが、縄文弥生どっちでも入ってきた可能性が高いハプロになる。歴史時代にブリヤートがどこにいたか?となると候補は、モンゴル高原とその東に当たるアムール川付近の内陸部になる。ややC2Cの中では北方になる。どこが絞れないのは、モンゴル語を使う部族は数多く居たから、モンゴル部族がいたわけじゃなくて、それらの小集団がずっと居て、チンギスハンがそれらモンゴル系部族を統一したってなるかと思う。


 ちなみにモンゴル高原じゃないなら東胡が国家的な集まりで最初に国を作った集団だと思うけど、後の鮮卑もモンゴル高原を一度支配してる。ただこれすぐ消滅した気がする。それで後に隋唐に繋がっていく流れになる。ああ遼もモンゴル語族だったかもしれない。


 今のブリヤートから人が来たのじゃなくて、おそらくこのモンゴル高原、アムール川流域このあたりから来た事になる。とてもややこしいのが、狩猟採取をして居たモンゴル族はおそらくC2Bの可能性があって、C2Cじゃない可能性がある。チンギスハンがC2CかC2Bどっちか分からないって点と、そもそも他のハプロかもって問題があって。このどっちもモンゴル帝国にとって重要なハプロだから。


 後C系の移動はNと同時に移動したグループもおそらくいる。ただ今の様に5対1の割合は絶対無いと思ってる。それと言うのもスキタイの西方への移動に伴ってC系が一部人骨で見つかってるから。ただ全体の中のたった1人と言う少人数なのでアテにはならない。後N系は一人も居なかった。この点モンゴル高原もスキタイが混血した場所なので、こっちかもしれない。すべてのスキタイのデータを見たわけじゃないのでNが無かった事はあまり重視してない。


 別言語から言語を変えたとかそんな単純なものじゃないと思う。C2BとC2Cは当然その境界線に当たるグループが居る。多分これがブリヤート人の集団。全体としてはそれはモンゴル集団だと思う。ツングースに較べてその辺りごちゃ混ぜになってると見てる。例えば、満州なら今だとC2Cも混ざってるけど、おそらく元の女真はC2Bの純粋な集団だと予想できる。元々女真が居た場所がC2Cのあまり居る場所じゃないから。


 C2Bは北方と海岸沿いになる。それに対してC2Cが南方と内陸部になる。両者がぶつかる内陸部がモンゴル語族のテリトリーで、その外側をC2BやC2Cのツングースが覆う感じになる。その西側にトルコが位置すると思えば分かり易い。その上がN系がモンゴルトルコウラルで使い分ける。さらに東に行くとNはツングース語を使うようになる。Nはコロコロ言語を変えている気がする。おそらくツングース系。そもそも中国では中国語を使っていたのと思うので言語が良く分からない。


 C2C、C2Bどっちも現在住むモンゴル語族ブリヤート人と縄文人が重なるmtハプロ(D4B)をもってやってきたのではないか?と予想してる。


 余談だけど、まだ参考値程度だけど、以前書いてたO2A2A系のミャオ族の日本移住だけど、皆無ぐらいなさそう。もちろんあるが、南方系稲作民として入ってきたとしたら無視できるレベル。


 C2ばっかりやっていたら、やっぱ日本に来たモンゴルやりたいよなとなってくる。これ本当に問題。折角まだブリヤートが日本付近にいるかもしれない時代なのにブリヤートは低頻度。モンゴル高原だけ。そこで満州系では?となる。これが満州半島も低頻度。


 突然やって来た事に成る。万が一満州から小集団が来たとすると、じゃモンゴルは何故高い?となる。すべて日本に来てしまったから?仮に満州に残って北上としたとしよう。偶然満州だけ消えてしまうか?モンゴルから南下してきた集団。実はこれある鮮卑。で歴史を調べると扶余が強くて中国に向かったらしい。東湖崩壊直後は考えにくい。時代が合わない。近畿に政権が出来てからじゃないと当時近畿に向かう流れが不可解。そしてやはり馬に関係した事なんじゃないか?と思うと古墳時代になる。


 都合よく日本2度ほど軍事と馬に力入れてる。第一は最初。これがどれほど頑張ったか?と言うと半島から輸入していた馬を百済に援助するまでした。次の時期が軍馬だけじゃなくて、伝令とか兵站とかもっと包括的に馬の軍事活用をするために力を入れた。歴史に残ってるだけで絞って、この2回の方針で海外の馬の専門家をそれなりの数招きいれる必要がある。


 最初は百済から読んでいる。だがこの2回目の決意百済滅亡で日本が負けて決意したのが大きい。おや頼る先が無いとなる。高句麗と同盟を組んでるので交流していたのは間違いない。だが間に新羅が邪魔をしてる。新羅とはある程度緊張を緩和したけど。あまり良好な関係じゃなかった。軍事拡大のための技術導入を許すか?多分考えにくい。


 仮に出来たとして、高句麗の人達が何故モンゴルと関係するのか?となる。仮にモンゴルと関係してたとしても、それはモンゴルだけじゃなくて半島に影響を残すのじゃないか?って点。満州と半島に影響を残さすにこの集団はやってきた。


 謎だ…。これすごくブリヤートの問題と似てる。ブリヤートが今より近い位置に居て、縄文時代という古い時代だから出来た。国というものができあがってしまって、こんな奇妙な移動が可能だろうか?この辺りは解けない謎として残ってしまった。だが仕方ない、専門かも皆がこれは謎の集団だとして片付けているのだから。


 解ける集団もあるが、ハプロの集団のかなりの部分は痕跡が見えない謎集団が多い。

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