薬ちゃんクリスマス2016
いやほんとクリスマスに間に合わなくてすみませんでした。
笛の音に起こされた都は、目をこすりながらガウンを羽織る。時刻はまだ朝の6時前だ。こんな早朝に、なんだと言うのか。実結はまだ寝ている。確かに、気にしなければそこまで大きな音ではないが。
少し寝ぼけながら都は部屋を出て、安っぽい螺旋階段を降りていく。酒場の様子を伺える、2階の陰から身を乗り出した。そこにいるのは、ユウキとタイラだ。
ユウキはリコーダーを口にくわえ、喜々として曲を演奏している。それを、タイラが腕組みしながら聴いていた。その光景にある種の狂気を感じ、都はまた目をこする。どうやら夢ではないようだ。なんなのだろう、この状況は。繰り返すが現在の時刻は朝の6時前である。そしてこの曲はなんだろう。確か、クリスマスソングであるはずだが。
やがて、タイラが首を横に振った。
「パッションが足りねえ」
もう、駄目だった。
思わず飛び出してしまった都の、その横を何かが駆け抜けていく。驚いて動きを止めた都を尻目に、その何者かが飛んだ。見事に1階へ着地し、叫ぶ。
「そういう問題じゃ! ないっつうの!」
ユメノであった。
ひどくご立腹な様子のユメノは、一瞬グッと言葉に詰まり、しかしすぐに口を開く。
「なんなの!? 今何時だと思ってんの!? 寝させろよ、寝させてくれよ、あと2時間は寝られる計算だったんだぞ、ちくしょう! そんでもって何でリコーダーなんだよ! なんで“恋人はサンタクロース”なんだよ! 説明してよ!!」
そうか、そんな曲名だったか。胸のうちで納得して、都はその様子を見守った。すると、また階段を降りてくる足音が響き始める。今度の足音は2人分だ。振り向くと、眠そうな顔をしたカツトシとノゾムがいる。
「先生も起きたのー?」
「てかなんで“恋人はサンタクロース”なんすかマジで。先輩とユウキは付き合ってんすか。色々とハードルを越えすぎじゃないすか」
「妬まなくてもいいのよ、あんたがタイラのこと大好きってことはちゃんとわかってるんだから」
「アイちゃんさんだって、いいんですか? ユメノちゃんが先輩と仲良くしてますよ」
というかユメノちゃんの怒声で起きた、とカツトシは真顔になった。わかる、とノゾムはうなづく。そして2人はゆっくりと降りて行った。下が一層に騒がしくなる。
結局は、いつもと同じ朝になりそうだ。都はふっと笑って、階段を引き返す。そろそろ実結も起きてくるだろう。あの子を抱いて、もう一度降りてこよう。そう、思っていた。
愛娘を起こすのに少々手間取った都が1階に降りるころには、なぜだか酒場はがらんとしている。そこにいたのは、行儀よく椅子に座ってトーストを食べているユウキだけだった。
「……みんなは」
どこか不機嫌そうなユウキは、咀嚼しながら何かもごもごと言う。「え?」と聞き返せば、飲み込みながらユウキが言い直した。
「ぼっちゃんとオーナーが来ました」
「ぼっちゃん……オーナー……」
しばらく考えて、ようやく都は思い当たる。そう、確か荒木章と若松裕司のことを、タイラはそれぞれぼっちゃんとオーナーなんて呼んでいたように思う。あの2人が来て、全員出かけて行ったのだろうか。
「仕事だって言ってました。ぼくはるすばんです」
拗ねたようにそう言うユウキに、都は微笑んで見せる。「ユウキだけじゃないわ」と言って、少年の隣に座った。
「私たちもお留守番よ。そう……仕事なのね、こんな日まで」
「こんな日……?」
「クリスマスイブ、だと記憶していたけれど」
ハッとした様子で、ユウキは目を丸くする。それから、尚更不機嫌そうに頬を膨らませた。都は苦笑して、なだめる。
「みんなが帰ってくるまで、料理でもしましょうか。ね、クリスマスの料理は何があるでしょうね」
ここぞとばかりに実結が手をあげた。「ちきん! こーんなにおっきいの!」と手を広げてみせる。ユウキも少し嬉しそうな顔をした。買い物に行かなくてはね、と都は笑う。留守番組だって、楽しくやるのだ。負け惜しみなどではなく。
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都が、実結を起こすのに手間取っている間の話である。降りて行ったカツトシとノゾムは、口々にタイラへ文句を言った。
「もう、何時だと思ってるのよ。しかも土曜よ、今日は」
「そっすよ。つか何でリコーダー? 学校の課題かよ」
いや、とタイラは飄々として瞬きをする。「俺にもわからん。ユウキがいきなり、な」と肩をすくめた。男子小学生は胸を張り、「クリスマスの歌だって勉強しました! 学校の先生が『お父さんお母さんがよろこびますよ』って言ってました。タイラもよろこんでます!」と自信満々に言ってのける。その勝手な物言いに、しかし「そうだな」とタイラがうなづいた。「甘すぎじゃない?」とユメノがムッとする。
その時だ。カランコロンと鐘が鳴り、人が入ってくる。まだ開店前だが、と一斉に振り向けば、朗らかに若松が笑っていた。
「やあ、お揃いかな」
その後ろから、人好きのする笑顔で章も歩いてくる。
「皆さん、メリークリスマスイブです。お元気そうですね」
一瞬だけ虚を突かれたような顔をして、タイラが立ち上がった。どこか苦い顔をして、「ちょっと煙草買って来るわ」と言って外に出ようとする。その腕を若松が掴んだ。
「なんだい、タイラ。冷たいじゃないか。私たちよりも大事な用なのかい」
「いやぁ、ニコ中的には命にかかわるっていうか」
「殺しても死なないタイラさんの、命にかかわる用事とは?」
はいはい久しぶりだな坊ちゃん、と言いながらタイラは章の頭を撫でる。「やはり僕を子ども扱いしますね、さすがです」と章が目を細めて言った。大体、とタイラは若松を横目で見てため息をつく。
「あんたら2人でやって来て、面倒事じゃないなら言ってみろって話だよ」
「面倒事なんてそんな」
「僕たちはいつも、困っているだけなんですよ。困っている人を助けるのはタイラさんのお仕事でしょう」
「そんな便利なもんになった覚えはないな」
「君のモットーは『肉体労働・家事援助・問題解決』じゃなかったかい。問題があったらとりあえずタイラワイチに金を出せと私は下の者に教えているが?」
「普及するな、そんなもん」
言いながらも、それなりに話を聞く気になったようだ。タイラは片目をつむって、「で? 今日は何の用だよ」と尋ねる。ふふん、と若松は腕を組んだ。「今日は何の日だと思うね、タイラ」と逆に問いかける。「クリスマスです!」となぜかユウキが答えた。
「その通り! そういうわけで、タイラ。私たちは今日、サンタクロースになる……いだだだだだ、なんだねタイラ」
いきなりタイラにアイアンクローをお見舞いされた若松は、悲鳴に近い声で「よせ、よしてくれ」と懇願する。ようやく若松を解放し、タイラは噛みつくような表情をした。
「なあ、坊ちゃん、オーナー。仕事の話は外でしようぜ。こんなところでする話でもないだろう」
確かに、と若松は言う。章も表情を変えはしなかったが、ただ高速でうなづいた。
タイラたちが外に出ようとすると、当たり前のように仲間たちがついて来る。「なんで?」という顔をしたタイラに、「偶然あたしらも外に出るところなんだよ」なんてユメノがうそぶいた。仕方なさそうに、タイラは振り向く。
「ユウキ、お前は留守番してろよ。そろそろ先生とミユちゃんも起きてくるから」
ひどく驚いたような顔で、ユウキは「どうしてですか? なんでぼくのこと連れてってくれないんですか!」と叫んだ。それには答えず、タイラは頭をかく。納得しえない様子のユウキを置いて、タイラたちは外に出た。
道の真ん中で、タイラは若松を睨む。
「あのなあ、オーナー。普通、あれくらいの年頃の子どもがいたら気を遣うもんじゃないか?」
「まさか……タイラの傍にいながらサンタクロースなど信じている子供がいるとは思わなんだ。すまない」
「どういう意味だそれは」
ふう、と息を吐いて若松は遠い目をした。「数年前までサンタクロースというのは100円均一コーナーに売っている置物を指していると信じて疑わなかった男が、まさか少年に夢を見せているとは思わないじゃないか」と一息に呟く。「やはり人の親になると変わるな」なんて続けて、タイラに肘で突かれた。
「誰が人の親だ、喧嘩売ってんのか」
苦笑しながら、章がなだめる。「タイラさん、僕もタイラさんなら『サンタクロースなんて見知らぬおっさんに頼むくらいなら自分で奪ってでも手に入れろ』くらいは言うものと思っていましたよ」と控えめに言った。きょとんとしたタイラが、「なんで?」と逆に問う。
「貰えるもんは貰っておけと、俺は教えるよ。それが信じてるやつ限定のプレゼントなら、いつまででも信じてる方がいい。案外本物のサンタクロースってやつがいてさ、信じているやつみんなにプレゼントを配るかもしれないんだぜ」
最後だけ冗談のように言って、タイラは笑った。「なあ、そしたら信じることも無駄じゃないだろ」と。若松と章が顔を見合わせ、ちょっと笑う。それから、親しみをこめてタイラを見た。「そんなタイラさんに、僕らお願いがあるんです」と言ったのは章だ。
「そういや、何か言ってたな。サンタクロースに……“なる”?」
そうさ、と若松がうなづく。
「1か月前から募集していた『サンタクロースへの手紙』だが」
「聞いたことねえけど、あんたら暇なんだな」
「集まったとも28件!」
「そこそこの数字出してこないで」
小さめの段ボールを出してきて、そこにぎっしりと詰まった手紙の束を見せる。話が見えてきた様子のタイラは、早くも断りたくて仕方ないような顔をしていた。構わず、章と若松が続ける。
「もちろん僕らは、それらの願い事を全て実行しようとしました。プレゼントも全て完璧に用意しました」
「しかしここで、ある問題が」
「僕らはプレゼントを全て用意しておきながら、なんと、サンタクロースだけは手配できなかったのです」
腕を組んでいたタイラが一言、「しょうもねえ」と呟いた。
「それで、俺にそのプレゼントを配れって?」
「ご名答。さすがです、タイラさん」
「金持ちの道楽は勝手にやってろよ。誰がこんな寒い中、見知らぬ家庭に突撃サンタクロースしなきゃならねえんだ」
「金持ちの道楽……と、言われればその通りかもしれません。しかし、クリスマスといえば家族で過ごすあたたかい行事であるはずなのに、この街と来たら歓楽街ばかり騒がしくなってファミリー層への配慮など皆無。僕らは憂えているのです、街を育てるのは未来ある若者や子供たちですから。ちなみにタイラさん、報酬は1件につき10万です」
「仕方ねえな、そういうことなら手を貸すのもやぶさかではない」
一体どの部分に共感を示したのか、と仲間たちはタイラに冷たい視線を送る。そんな仲間たちを尻目に話はとんとん拍子に進み、タイラは早くも手紙を1つ1つ読み始めていた。
不意にユメノが呟く。
「それってさ、あたしたちもやっていいよね」
ここでタイラから猛反発があるかと思いきや、タイラは何も言わずに手紙を読んでいるだけだった。「もちろん」と章が言う。ユメノは見るからにうきうきした顔で、手紙に手を伸ばした。カツトシも、「夢があるわね」と言いながらユメノの手元を覗く。「なんせ1件10万ですもんね」とノゾムがひとりごちた。
そんなこんなでクリスマスイブ、金持ちの道楽大作戦は始まったのだった。
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あのねえ、とぼんやり頬杖をつきながら麗美は言う。
「あなたの料理って病院食みたいなのよ。形だけ整ってて味気なさすぎ」
都は困惑しながら、「ありがとう」と答えた。「褒めてるわけないでしょ、馬鹿」と麗美が目を三角にして怒る。
なぜこんなことになったのか、と言うと。簡単なことだ。食材を買ってきた都たちの前に現れたのが、タイラにちょっかいを出しに来た麗美だった――――というだけである。都が「クリスマス料理を作る」とうっかり口にした途端に「米も研いだことなさそうな箱入りが」と噛みついて来て、そして今に至るまで文句ばかりを言っているというわけだ。
「でも、麗美さん。味付けは個人でやればいいと思うわ。そうする方が無駄がないもの」
「だから! あなたがやってることはトーストを皿に載せて『はいどうぞ』って言ってるのと一緒なの。料理じゃないのよ、加工よ、加工」
遠くで、ユウキと実結が遊んでいる。途方に暮れてその様子を見ていると、麗美がカウンターを叩きながら「聞いてるの」と言ってきた。都は困り果てながら瞬きをする。
「一緒に……作ってくれませんか?」
一瞬だけ不意を突かれた顔をした麗美が、ちょっと顔を赤くした。また怒られるのではないかと身構えた都の予想とは裏腹に「いいわよ」と麗美は言う。
「でも、あの男には絶対に言わないでよね。文句言うに決まってるんだから、ムカつく」
そんなことはないと思うけれど。
しぶしぶという風に立ち上がった麗美は、腕まくりをした。気づけば、ユウキと実結もちゃっかりエプロンをつけて準備している。麗美が冷蔵庫を開けて、「こんなバカでかいチキン、焼くオーブンがあるわけ?」と顔をひそめていた。
「大体、この店のマスターってば何してんのよ。クリスマスは稼ぎ時じゃないの?」
「稼ぎよりロマンを」
「は?」
「愛と勝利が友達」
「何それ、アンパ○マン? あの外国人、ア○パンマンなの?」
アン○ンマンの友達は愛と勇気だけですよ、とユウキが不服そうに言う。そうするとカツトシとユウキが友達になるな、と都は思って、ちょっと笑った。何笑ってんのよ、と麗美が言う。慌てて姿勢を正し、都は真顔を作った。大きなチキンが所在なさげに、まな板で調理待ちしているところを眺めながら。
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白手袋をしながら、タイラは車を撫でる。若松から借りたらしい、それなりの高級車だ。
「お前らの中で、運転できるやつは?」
仲間たちは顔を見合わせ、おずおずとユメノだけが手をあげる。
「マリカーでは負けなし」
「そうか、いないな。じゃあ俺が運転でっと」
ユメノの申告をまるで無視して、タイラは運転席に乗り込んだ。仲間たちも、黙って助手席や後部座席に乗る。「しかしこれじゃあ、忍び込むのはお前らに任せるしかねえな」とタイラは呟いた。
「うん、俺は車で待機していつでも出られるようにしておくから。お前らがプレゼントを置いてきたらすぐに戻ってきて逃げるってことにしよう」
思わず、ノゾムが「それ銀行強盗のやり方じゃないですか、やだぁ」と突っ込んでしまう。「なんで僕たちが『やる』って言った時にあんたが止めなかったのかわかった気がする」とカツトシは辟易とした。そうなのだ、物理的に1人では難しいと判断したから、タイラワイチはユメノたちを連れてきただけなのだ。そのことに思い当たったユメノは、少し拗ねて車窓の外を見た。
「大体、昼間からサンタがお宅訪問していいもんなんすかね」
「いいわけないだろう。つうか昼間だろうが夜だろうが他人んちに不法侵入したら、プレゼントを持っていたとしても不審者だ。泥棒と何ら変わらねえ」
ため息をつきながら、カツトシが後部座席のソファに寄りかかる。「せめてこの車が空飛ぶそりならねぇ」と唇をすぼめる。ユメノが身を乗り出して、「ショーくんならできそうだけど」と半分本気で言った。「これが小説なら、SFっすね」とノゾムは小声で呟く。
「でも、タイラの案には反対だから。そんなこそこそしてたらマジで通報されちゃうって!」
「通報される前に逃げれば捕まらないけどな」
「そういう問題じゃねー」
どういう問題なんだよ、と頭をかきながらタイラは車のエンジンをかけた。ゆっくりと、車が動き出す。トランクに入ったプレゼントたちを、ノゾムはぼんやりと眺めた。若松が車を貸したのは、恐らく距離の問題ではなくこのプレゼントの山を隠して移動する手段としてなのだろう。壮観である。大きいものから小さいものまで、ぎっしりと詰め込んであった。
しばらく走って、近くのバーの駐車場に車が停まる。どうやらここを拠点に何軒かプレゼントを配るつもりらしい。
「この駐車場、勝手に停めちゃっていいの?」
「オーナーの店だぜ。オーナーの車が停まっていて文句を言うやつもいないだろ」
なるほど、と言いながらユメノは手紙を一つ開いた。「これさ、たぶんここの近くだよ」と言ってそれをタイラに見せる。拙くも懸命さの伝わる字で、『ちいちゃんをなおして』と書いてあった。
「ちいちゃん?」
言いながら、ノゾムはトランクの中のプレゼントを手探りで見る。どうやらプレゼントには1つ1つ、贈る子供の名前が書いてあるらしかった。その子の名前は、と尋ねれば「ヒラナ、ユイちゃん」とユメノが答える。
あった。緑色のリボンと、『メリークリスマス! ともだちといつまでもなかよく』などと書かれたメッセージカードだ。それ以上は、何もない。
「……これ、アレだ。マジで自分らのポテンシャルにかかってるやつっすわ」
手紙の少女はこの近くのアパートに住んでいるらしい。メンバーは作戦会議を始める。
「ちいちゃんってのが何者かによるよな」
「なんにせよ、『治す』ってあたしらじゃ無理じゃないの」
「1回入ってみて、ちいちゃんっていう子がどういう状態か確認してみない?」
「じゃあ入り込む作戦を立てましょうよ」
よし、とユメノが胸を張った。「じゃあ、あたしがインターホンを押して、家の人の気をそらすからさ、その裏でベランダとかから入って」と簡単そうに言う。
「おいおい、4階だぞ。誰がベランダから」
「そこはどう考えても先輩」
「むしろそこでタイラが行かないのなら存在価値を問いたいわ」
「お前らのそういうところ、嫌いじゃない」
苦笑しながら、「そんなところを人に見られたらさすがにサンタクロースどころじゃないと思うけどな」と言うタイラに、ノゾムがプレゼントの山から引っ張り出してきたサンタ服を差し出した。それを受け取って、「あれ、ノゾムくんも来るんだよね?」とタイラは当たり前のように言う。
「えっ」
「玄関はユメちゃんとカツトシくんに任せるとして、お前は何をするつもりだったの? なあ、もちろん俺とベランダから侵入するつもりだったんだよな? わかっているよ、お前はやればできる子だって」
「えー……」
かくして、ユメノとカツトシは意気揚々と少女の家のインターホンを押し、タイラとノゾムはサンタ服を着てアパートの非常階段を駆け上がることになったのだった。
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麗美の作ったスープを飲んで、都はハッとする。「美味しい」と頬を押さえた。
「当たり前でしょ。何年1人でご飯作ってると思ってるのよ。言わせんじゃないわよ」
膨れ面の麗美が、しかしやる気はそがれていないようで、また包丁を持ち出す。都などすっかり味見係だ。「あなたは米でも研いでいなさい」と言ったきり、麗美がずっと料理を作っている。ユウキと実結だって手伝いをしているというのに、都はどうしてもこうやって人と何かを成すことが苦手だ。
ぽつりと、麗美が言った。
「レシピ、教えてあげましょうか。タダで」
都は思わず、「本当に?」と聞き返してしまう。ふん、と鼻を鳴らして麗美は腰に手をあてた。
「あなた、料理が下手なわけじゃないみたいだし。勘違いしないでほしいんだけど、あなたのことは好きじゃないから。むしろ嫌いだから。でも、まあ……なーんか見てると、家庭の味なんかすっ飛ばして来ちゃった感じで可哀想だし? 私のフッツーに美味しい料理でもベースにして、味付けとか勉強した方がいいわよ」
そういえば、と都は思う。都の生まれた家では、家庭の味などというものがなかった。両親とも忙しく、母の手料理といってパッと思い浮かぶものがない。大人になって生きるために自分で料理もしたが、味付けなどどうでも良く。基準になる味というものが、都の中になかったのだ。
それをタイラは『合理的』と評し、麗美は『可哀想』と言った。どちらがより的確かと言えば、それは確かに麗美なのだろう。自分では初めてそんなことを意識したのだけれど。
「ありがとう」と思わず微笑んでしまって、都は言う。優しいのね、と。麗美は顔を真っ赤にして、「嫌味を言ったのよ、礼なんか言われたら困る」と目をそらした。
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チャイムを押して数秒、出てきたのは年若い女性だ。おどおどとユメノたちを見て、「どちら様ですか」と囁く。ここぞとばかりに、2人は身を乗り出した。
「奥さん、今日って何の日かご存知?」とカツトシが言う。
「ねえ奥さん、今日ってクリスマスイブなんだよ」とユメノも合わせた。
「つまり明日は神さまの誕生日!」
「神は復活なされる!」
適当なことを言いながら、ユメノたちは女性を翻弄する。女性の方でもすぐに扉を閉めればいいのに、当惑しながら話を聞いていた。2人のでっちあげが終わるまで、続いては行けそうだ。
一方、非常用階段を上がりきったタイラとノゾムがベランダから部屋に入ろうとしていた。「鍵が閉まってるな」と言いながら、タイラは懐から曲がる針のようなものを出す。
「先輩のその犯罪者スキルはどこで培われたんすか」
「子どものころ蔵に閉じ込められた時から必死に勉強したよ」
「あんたを蔵に閉じ込める親がいるとはね。世も末っすね」
ガチリ、と重い音がした。タイラは軽やかにベランダの戸を開け、ノゾムを振り返る。行くぞ、と口だけを動かした。仕方なく、ノゾムはうなづく。もはや逃げる手立てなどない。背水の陣極まれり、だ。
気負いなく入っていったタイラに続いて、ノゾムも靴を脱ぐ。
「さて……ちいちゃんとは?」
リビングに、『ちいちゃん』らしき影はない。タイラが図々しくも他の部屋を見に行くが、何かを見つけたような声はしなかった。やがて戻ってきたタイラは、いきなりノゾムの首根っこを掴んで一緒に倒れ込む。
「何すッんんっ」
「しっ」
ソファの陰からそっと廊下の方を覗けば、そこには4歳くらいの少女が当惑しつつ立っていた。きょろきょろと辺りを見て、不思議そうに首をかしげる。それから、諦めたようにソファに座った。
やべえよ見つかっちゃうよ、と思いながらずっと待っていると、やがて少女は「ちいちゃん」と漏らす。
「ちいちゃん、まだなおらないねえ。サンタさんがなおしてくれるからねえ」
そう言って、少女はまた廊下を走って行った。
すぐにタイラがソファから顔を出す。ノゾムもそれに続いた。ソファの上にはテディベアが1つ。泰然とした雰囲気で寝そべっている。
「……これが、『ちいちゃん』?」
お手上げだ、という風にタイラがテディベアをノゾムに預けた。ノゾムも頭をかきながら、それを頭から足先まで見てみる。「あれ」と言いながら背中をさすると、やはりチャックがついていた。中を開ければ、小型の機械が入っている。
「なんだ?」
「あー、音が出る玩具ですね、これ。今は出ないみたいですけど」
「ってことはアレだな。それを直せばいいんじゃないのか」
「簡単に言ってくれますね」
ため息まじりに、ノゾムは「ドライバー持ってますか」とタイラに尋ねてみた。ごく自然に、小さなサイズのドライバーが手渡される。まさか本当に持っているとは思っていなかったノゾムは、驚いて目を丸くしてしまう。四次元ポケットかよ、と心の中で思った。
「ライター借りてもいいですか」
「煙草もか?」
「いや、そういうんじゃないんで。あと、あればピンセットとか」
「針金で何とかならねえかな」
「まあ……全然違うんすけど。あ、でも針金も欲しいっす」
玄関のカツトシたちも限界だろうか。女性の「いえもういいです」というきっぱりとした声が聞こえてきた。子どもの足音も近づいて来るのを感じる。ノゾムはじっと手元を見て、「これくらいなら」と呟いた。そう取り返しのつかない故障ではない。線をつなぎ直せば音は出そうだ。ライターの火が金属を燃やす、なんとも言えない臭いが鼻に突く。急いで繋ぎ直し、ドライバーでふたを閉めた。スイッチを入れた途端――――
『おっはよー!』
底抜けに明るい声が、テディベアからもれた。
いきなりタイラが、ノゾムを肩に担ぐ。驚いたノゾムはなんとか声を出さないように口を押さえ、テディベアをその場に放った。まだ小さな少女が駆けてきて、こちらを一生懸命に指さすのが見える。次の瞬間には、もう外を走っていた。そのままノンストップで、車まで戻る。
ようやくノゾムを地面に下ろしたタイラが、肩で息をしながら運転席に乗り込んだ。ノゾムも自分の心臓を落ち着かせつつ「体力なくなりました?」と煽ってみる。タイラがちらりとノゾムを見て、「お前、重くなりました?」などと煽り返してきた。一足先に戻って来ていたユメノとカツトシが、「ほんと仲良しだよね」「結婚すれば?」と呆れた顔をする。タイラは特にそのことについてはコメントせず、「次だ」と言った。
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小さな手で野菜をちぎりながら、実結は上機嫌に話し続けている。
「ミユね、サンタさんにね、おねがいしたの。おいしゃさんセットもらうんだ。それでね、それで、タイラのこともなおせるよ」
それを聞いた麗美が、都を振り返った。「あいつって病気なの? 性病?」なんてさらりと尋ねる。都は思わずむせて、首を横に振った。言ってしまおうかとも思ったが、なんせ相手は瀬戸麗美だ。情報に関しては慎重にならざるを得ない。そんなことを考えている都とは裏腹に、麗美は「興味ないけど」とすぐに目をそらしてしまった。
「それにしてもサンタさん、か。いいわね、子どものところには来るわけね」
その発言に首をかしげつつ、都は「大人になっても来る可能性があるわ」と控えめに伝える。それを鼻で笑って、「来ないわよ、それともあなたのところのサンタさんはそれだけ余裕があるのかしら?」なんて皮肉めいて麗美は言った。
「私のところに来るサンタと、麗美さんのところのサンタは違う?」
「え? ……ちがうんじゃないの。だって、あなたのところには……」
途中でハッと何かに気付いた様子の麗美が、目を丸くして都を見る。「まさか、ね」と言いながら目をそらした。「まさか?」と都は当惑する。空咳をして、麗美が「聞きたいんだけど」と口を開いた。
「サンタクロースって何かしら」
「クリスマスにプレゼントを配るおじいさんよ。去年は私たちのところにも来たわ」
少し驚いた様子ではあったが、「そう」とだけ言って麗美は料理を再開する。「私の仕事が真実を伝えるものじゃなくて本当によかった」とぶつぶつ呟きながら、鍋の火を見ていた。
「何か間違っていた?」
「いいえ。あなたたちがそれでいいならそれでいいんじゃないの。私の今の仕事は、乞われて情報を売るだけだから」
「情報?」
「私を誰だと思ってるの。情報屋よ、サンタの秘密なんてごまんと知ってんのよ。知りたい? でもダメ。こればっかりはトップシークレットだから、大金積まれなきゃ喋れない」
そう早口で言って、不意に麗美は笑いだす。置いてけぼりの都は、それをぽかんと見つめた。「ううん、何でもない」と言いながら、しかし麗美は笑い続ける。
「おっかしい。そうね、わかったわ。だーいぶ理解しました。前言撤回します。私、あなたのことそんなに嫌いじゃないわ。インテリぶってすました女と思っていたけれど、とんだ勘違いだった。外側だけ合理主義で固めたハイジね、あなた」
「ハイジって……アルプスの?」
「パンたべるでしょ、チーズたっぷりつけたやつ。ね、ハイジ」
やはりついていけずに立ち尽くしながら、都はうなづいた。麗美は目を細めてパンを焼く。
「そういえばあなた、私のこと『麗美さん』って呼ぶのね。いいのよ、レミで。ドレミでもまあ、いいかな」
「麗美さん、がしっくり来たから……」
「だってタイラのこと『タイラさん』って呼ばないでしょ。癪だけど同い年よ、私たちは」
「タイラ、さん」
口に出してみて、都は首をかしげた。違和感だらけだ。そういえば、あれだけ恐れられておきながら、タイラはこの街の大半の人間に『タイラ』と呼び捨てられている。『タイラさん』などと敬称をつけたりしているのは荒木章という少年くらいのものだ。
「麗美さん」
「結局、それで行くわけ」
「タイラは昔から変わらない?」
「……甘くなったわよ。でもまあ、諦めの悪さだけは一級品の、それなりに気のいい賭け師ね。昔から」
ふ、と力の抜けた笑顔を見せた麗美が厨房を離れる。それからごく自然に都の隣に座り、頬杖をついた。
ユウキと実結が、オーブンの中のチキンを嬉しそうに見ている。立派な七面鳥だ。味付けは麗美だが、ユウキと実結も手伝っている。自分たちの成果が食べられるというのは嬉しいものだろう。
やがて、麗美は口を開いた。
「あなたが可哀想だからレシピを教えてあげる、なんて私も大人げないこと言ったわね。あれも撤回しておく」
驚いて横を見た都の頬を人差し指でつついて、麗美は無理やり前を向かせる。顔を見ないまま、麗美は瞬きをして続けた。
「もう、随分昔のことよ。まだ学生だった時、家族の話になったの。まあ、誰が1番に結婚しそうとか、離婚しそうとか、そんな話よ。その延長線で、家族に求めることを……そういう話になったわけ」
「そういう話を……そんなよくあるような会話を?」
「したのよ、私たちだって。まあ、みんな勝手なもんよ。『嫁が綺麗で』とか『旦那は金持ちで』とか。『双子が欲しい』『家を買う』『とにかくこの街からは出ていく』なんて、真面目だったり冗談だったりはしたけど、みんなそんなことを言っていた。そんな中で、タイラがね、『飯が美味けりゃいいな』って、言ったの」
「それ、だけ?」
「そう。それだけ。未来に対する何の展望もなかった。ただ本当にうすらぼんやり、『飯が美味けりゃいい』って言っただけ」
都は少しうつむいて、まだ学生服を着ていたタイラ少年を想像してみる。なぜだろう、上手に思い浮かべられない。きっと、今と同じ笑顔でいるはずなのに。そう思っても駄目だった。『今と同じ』がさっぱり思い浮かばなかった。
「で、ムカつくことに」と麗美は続ける。「あいつ、自分で料理が上手くなったのよ。私よりずっと。要らないわけ、家族なんて。だって飯が美味けりゃいいんだから。ほんと、ムカつくでしょ。だから、ね」と、そこで麗美は悪戯っぽく都を見た。
「あなたに料理を教える。わかった?」
じっと、都も麗美を見る。麗美は返事を聞く前に立ち上がり、「そろそろ帰るわ」と言い放った。
「でも、そろそろみんな帰ってくるわ。もう少し」
「会いたくなくなったの。あいつ、腹が立つから」
そうきっぱりと言って、麗美は最後にニコッと笑う。「チキン焦がさないでよね、ハイジ」と微かに手を振った。都が手を振り返すころには、もう外に出ている。小さな、それでも堂々とした背中が遠ざかっていった。
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ライターの火がつかない。風に背を向けて手で守りながら、やっと一瞬だけちらりと顔を出した火に煙草を近づける。何度かやって、煙草の先端に火がともった。
「あーあ、幻滅ですよぉ。サンタさんが煙草吸ってるー」
振り向けば、言葉とは裏腹に嬉しそうな本橋がいる。タイラは頭をかいて、煙をゆっくりと吐き出した。
「何してるんですか、タイラ」
「見ればわかるだろ」
「サンタのコスプレして煙草吸ってる理由を聞いてるんですぅ」
「サンタのコスプレは仕事。煙草を吸ってるのは俺の勝手」
そう簡潔に説明するタイラを、本橋は携帯電話で撮る。ため息まじりに、タイラは「クリスマスイブだな」とだけ口に出した。途端に本橋は不機嫌になり、「そうですよ、どうせイブに本橋イブですよぉー」と膨れ面をする。
「まだ何も言ってないだろ。それともお前の鉄板ネタか?」
「よくわかりましたね。そーです本橋の鉄板ネタです。平和一の吸っている銘柄がピースだってことくらい鉄板ネタなんだから」
言って本橋は、タイラの胸ポケットから煙草のパッケージを取り出した。すぐに、予想を裏切られた顔をする。「あれ、わかば? なんで」と不満そうに言った。
「もう4年くらいピースは吸ってないけどなぁ」
「わかった、あのころお金なかったですもんね!」
「まあ、そうだな。それからずっとだ」
「いっそ煙草なんてやめちゃえばよかったのに。肺ガンになりますよぉ、そろそろ」
肩をすくめたタイラが、しっしっと手を振って本橋を追い払おうとする。本橋は舌を出して、不敵に笑った。それから両手を上へ向けて、タイラの方へ出す。
「……なんだ?」
「なんだってことないでしょう。プレゼントくださいよ、サンタさん」
タイラは驚いた顔をして、首をかしげた。煙草の灰が落ちる。瞬きをして、やっとタイラが得心したようにうなづいた。「そうだな、確かにそうだ。お前にプレゼントをやらねえ理由がない」とぶつぶつ言って、ポケットの中を確認する。
「しっかし、今はなあ。持ってるプレゼントは全部他人のもんだし、俺が持ってるもんといえば」
やがてタイラはポケットから何かを出した。煙草を口にくわえたまま、それを器用に指でもてあそぶ。覗き込んだ本橋の口に、いきなりそれを突っ込んだ。ころんと口の中に転がったそれは、どうやら飴玉のようで。
「……レモン」
タイラはと言えば、煙草を携帯灰皿に押し付けていた。そして「悪いな、それしかないよ」と言いながら自分の親指の腹を口に入れる。「ん、甘い」と笑った。
「ひどい、タイラ」
「なんだよ。善処しただろ」
「今、指をなめましたよね。本橋の唇に触れたその指を! 間接キスですからね、結婚ですよ、結婚」
「え……血痕? ついてねえよ、大丈夫だよ、清潔にしてるから」
呆れ果てた顔をして、本橋は「もういいんですけど」とため息を吐く。それから静かに踵を返し、「あんまり怪しい動きは見せないでくださいね、サンタさん」と言い置いた。「おう」と言って、タイラはサンタ服のポケットに手を突っ込む。
入れ違いのように姿を見せたのはカツトシだ。「あれ、本橋ちゃんじゃない?」と言いながら近づいてくる。
「イブが、サンタの格好をするんならプレゼントをよこせと」
「なんか渡したの?」
「飴玉だけな」
「あんたいつも飴玉持ってるわね」
それには答えず、タイラがぼんやり空を見た。こういう時のこの男の顔は、平和ボケと言う言葉がよく似合う。「まだ仕事残ってんのよ」と言ってやれば「あれは夜までかかるぞ」とあっさり言い捨てられた。それじゃあ、とカツトシは前を向いたまま呟く。
「ユメノちゃんたちにプレゼントを買う暇はないわね」
「本末転倒だな。早めに数こなすか」
なんとかなるだろう、とタイラは言った。だから、何とかなるのだろう。瞬きをして、タイラが「んなことより」と眉根を寄せた。
「お前は欲しいもんないわけ」
「僕?」
「そりゃお前の国じゃもう成人なんて遥か昔のことで、お前は大人なのかもしれねえよ。でもこの国じゃお前ぐらいの歳の学生はそこらにいるし、俺だってお前の歳のころには遊びまわってた。だから」
「だから?」
「サンタだって来ていいんだぜ、俺がいるうちは」
カツトシは思わず顔を上げて、タイラをまじまじと見る。自分が一体誰と話しているのか疑っている様子であった。涼しい顔をしたタイラは、指先でもてあそんでいた煙草のパッケージを指で叩く。それから煙草を1本口にくわえ、火をつけるわけでもなくカツトシを見た。どうやら現在カツトシが話しているのは、タイラワイチで間違いなさそうだ。
カツトシは腕を組んで、少し目を伏せる。タイラ、と呼びかけた。
「あんた、サンタクロースはいくつまで信じてた」
「ああ、そういう……そういう問いになるわけか。あまり得意ではないな」
「得意とか苦手とか、そんな話なわけ?」
「知らねえ。知らなかった。そもそもお前らと会うまで、クリスマスなんてもんをビジネス以外で聞いたことがなかった。信じるも何もないだろう、サンタクロースは百円均一ショップで売ってる小太りなおっさんのデザインだと思ってたんだぜ」
首を傾げたカツトシに、タイラは頭をかきながら「不思議だったよ。毎年毎年、知らねえおっさんのデザインが流行りまくるんだからな」とぶつぶつ言う。
「だからお前の質問には答えられない。いつまで信じていたかと言うより、いつから信じているか、の方が夢はある」
「今は信じているの?」
「信じていてこんな会話できめえよ。信じている人間は決して『信じている』と口にしないもんだ」
ふっと笑みをこぼしたタイラが、「お前はいくつまで」と逆に問うてきた。カツトシはどこか遠くを見て、「サンタクロースが奇跡でないと知ったのは13歳の時」と答える。
「その年のクリスマスの夜、いつものようにサンタさんからのプレゼントを――といっても飴玉なんだけど、貰ったわ。そうしたらおじいちゃんが冗談めかして、『来年のサンタはお前だぞ』って。盛大なネタバレを食らった気分だった。飴玉ひとつ分くらいの奇跡なら、起こるんだって信じてたのに」
「14でサンタクロース側か。流石に早いとは思うな」
「なれなかったけどね、サンタになんか」
だから、とカツトシは目をつむる。「だから?」とタイラが尋ねた。
「僕が欲しいものは、プレゼントをあげる相手。僕をサンタにしてくれる人」
依然火をつけないままの煙草をくわえたまま、タイラは何か考えている。燃えない煙草に何の意味があるのだろうか。たんに口が寂しいだけなら、そうだ飴でも舐めればいいのに。不意に、タイラが先ほど本橋に飴玉を与えてしまったということを思い出す。なるほど、飴など持ち歩いているはずだ。いつでも煙草が吸えるわけではない。
「そうか、それなら俺がお節介を焼くまでもなかったな」
「ほんとよ。気持ち悪いからやめて」
くっくっ、と喉を鳴らしてタイラは笑う。どうやらツボに入ったようで、「そうだな、そうだな」と言いながら腹を抱えた。それから気を取り直したように、くわえていた煙草を火もつけていないのに灰皿で押しつぶす。
「そんじゃあ、まあビジネスじゃない方のサンタやるために、もうちょっと頑張ってみますかね?」
「ここを頑張れば300万近くが手に入るんですもの? 今年のクリスマスは豪華になりそうね」
言って、2人は歩き出した。サンタクロースという奇跡を、ビジネスで演じて見せるために。そして、本当にプレゼントを贈りたい相手をこれ以上待たせないために。
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タイラたちが戻ってきたのは、辺りがすっかり真っ暗になった夜のことだ。疲れ果てた様子の仲間たちとは裏腹に、タイラは飄々と「今回は楽すぎて俺たちへのクリスマスプレゼントかと思ったな」なんて言ってみせる。それからタイラは、真っ白な箱を出してカウンターに乗せた。
箱を開けると、立派なホールのケーキが現れる。「メリークリスマスイブー」と、タイラは言った。
ふふん、と少し胸を張って、都もいそいそと料理を出す。「メリークリスマスイブ」と控えめに返しながら。
タイラが目を丸くして料理を見た。思わずという風にスープを手に取り、都が何か言う暇もなく口にする。「味がする」とだけ、信じられないことのように言った。あんまりな反応だが、しかし都は嬉しそうに笑う。
「先生、一体どうしたことなんだ。どうしてこんな、君らしくもない」
「それは……、褒められているのではないわね?」
「いや、褒めてる。うん、とても美味しい。……驚いただけだよ。君が味付けなんて時間のかかること、すると思わなかったから」
ムッとする都を見て、タイラが少し慌てた。その様子を珍しげに見て、ノゾムが椅子に腰かける。「食べていいんですか」と真面目に聞いてからフォークを持った。ユメノとカツトシも、顔を見合わせて席に着く。
未だ、タイラは都に対して弁解をしていた。
「そういうことじゃなくてな、本当に。本当に美味しい。君らしくないと言ったのは言葉のあやと言うかその、あー……うん。センセイこのスープ、とっても美味しい」
「私が作ったんじゃないもの」
「あっれー?」
何か騙されたような顔で、タイラはようやくいつものカウンターの席に座る。もそもそとサラダを食べ始めた。誰が作ったのか言おうと思ったが、麗美の言葉を思い出して都は黙る。『タイラには言わないように』と、麗美は言ったのだ。理由はよくわからないが――わからないこそ、その通りにすべきなのだろう。
「実結とユウキが作ったのよ」
「ほお? 偉いな、ミユちゃん、ユウキ」
言いながらタイラは実結とユウキの頭を撫でる。それから耳元で、「サンタさんが見てるぞ」と悪戯っぽく言ってみせた。実結とユウキが顔を見合わせ、「にひひ」と笑う。
なんとはなしに、都は「この中で誰が1番に結婚するのかしらね」と呟いていた。最初に反応を示したのはユメノだ。さすがに、女の子である。
「えー、あたし結婚したいよー」
その発言に、カツトシ、ノゾム、タイラの順で反応する。
「僕がいるじゃない、ユメノちゃん!」
「そっすよ。ユメノちゃんは結婚とかしなくてもいいんすよ」
「できるもんならしてくれ、って感じだな」
それぞれ好き勝手に言って、タイラだけがユメノに蹴られた。「なんだかんだ言ってユウキとかミユちゃんかもよ」とユメノは言う。実結がにこっと笑って、「タイラとけっこんしてあげる」と言い放った。飲み物を吹き出しそうになりながら、タイラは「ありがとう」と言ってむせる。
「結婚したら」とユメノが言った。「どこに住もうかな、この街じゃさ、子どもの教育によろしくないかなぁ」と未来に思いを馳せる。
「この街ですくすく育っている小学生もいるんだから」とノゾムがユウキの肩を叩いた。
「ぼくはこのまちでも、よろしくなくないと思います!」と、ユウキは胸を張る。
別にどこでもいいんじゃねえの、とタイラが興味なさそうに肩をすくめた。目を伏せたユメノが、「そしたらタイラ、ついて来る?」と尋ねる。当たり前のようにタイラは「行かねえな」と答えた。だよね、と言いながらユメノはチキンにかぶりつく。
「美味しい! センセ、これすっごく美味しいよ!」
「そうね、大丈夫。レシピは覚えたから、きっと今度作れるわ」
だから誰のレシピだよ、とタイラが突っ込んだ。そんなタイラを無視して、仲間たちは口々に『未来の家族の話』をし始める。誰も、『かつてあったはずの家族の話』はしないけれど、そんなことは誰も聞きやしない。
そんな仲間の様子を薄く笑いながら見つめているタイラに、都が尋ねる。
「タイラ、あなたは家族に望むことはない?」
「ん……」
そうだな、とほとんど吐息のような相槌を打って、タイラはケーキを切り分けた。全員にイチゴが同じ数行きわたるように等分していく、その手際はさすがだ。「飾り食うやついるか?」と聞けば、ユウキが手をあげる。
不満そうなユメノが、「先生の質問に答えろっつうの」と唇をとがらせた。「そうよ、ごまかそうったってそうはいかないんだから」とカツトシも口を挟む。ケーキを皿に取り分け終えた後で、タイラは口を開いた。
「こんな風に美味い飯が食えりゃあ、いいな」
ふふ、と都は思わず笑ってしまう。言ったタイラ本人がぽかんとして、「何かおかしなことを言ったか?」と首をかしげた。「いいえ」と都はきっぱり言う。
「麗美さんに、聞かせたいと思ったの。それだけ」
ますます怪訝そうな顔をしたタイラが、「なんで麗美が出てくるんだ?」と呟いた。何の説明もせず、都は自分の手帳を覗き込む。大丈夫だ、レシピはちゃんと書き留めてあるし、都も料理が下手なわけではない。カツトシの料理がタイラに教授されたものだと言うのなら、やはり都は別のところから習って精進するしかないだろう。そうでなければ、タイラを超える可能性がない。
気を取り直したように、タイラがケーキの載った皿を各人の前に置いた。
「おら、ケーキがありゃいいんだろ、ケーキがありゃあ」
「何なんすか、その投げやりなスタンスは」
「オールシーズン366日、ケーキがありゃあ、お前らは機嫌がいい」
「偏見じゃないっすかね、1日多いし」
そうは言っても、嬉しそうにノゾムは頬張り始める。ユメノや、カツトシだってそうだ。ユウキも、チョコレートでできた飾りを実結に分けながら笑っている。
カウンターに肘をつきながら、タイラが都を見た。目が合うと、やんわり笑ったまま「センセ」と声をかけてくる。
「今日は早めに寝て、部屋に鍵はかけないでね。って、サンタさんが言ってたよ」
「去年もそう言われたわね。もちろん、学習したわ」
楽しそうにけらけらと笑って、「そりゃあやりやすいだろうよ、“サンタさん”も」と言ってみせた。不思議そうな顔をする都にうなづいてみせて、タイラはすぐに前を向いてしまう。
「お前らも早く寝ろよ、サンタさん来ねえぞ」
はーい、とユウキや実結が手をあげた。ノゾムまで便乗して手をあげている。ユメノはカツトシを見て、ひそひそ声で「今年はどっち?」と尋ねた。カツトシはそれには答えず、苦笑している。
都は実結を抱き上げて、そっと仲間たちを見た。明日はクリスマスだ。また楽しくパーティなどするのだろう。サンタクロースからのプレゼントを、みんなで囲みながら。
タイユメとタイミヤが足りない。もっと書きたかった。
と、作者が申しております。