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7.

 何はともあれ、瓶長を操り、子狐狸を苦しませていた荒魂を退治することができた。

 用が済んだなら、早々に本性は封じ直すに限る。

 何せこの姿は、非力な妖怪にとっては何もしなくとも毒にしかならないのだ。先に封じなければ結界も解けない。

 花凰姫は独り結界を抜けてきた花崗へと体を向ける。

「さあ、花崗。いつものように封じてくれ」

 花崗はわかっているというようにうなずいた。

 そのあとで、「ああ」と小さく呟いた。

「そうそう花凰姫」

 なにやら改まった口調で呼びかけてきた花崗を、花凰姫は訝りながら見返した。

「花崗?」

「今回は花凰姫と一緒に私も封じることにしましたよ」

「……それはどういう意味だい?」

「言葉のままですよ。『花凰姫』だけでなく、『花崗』も封じるということです」

「それはわかっている。そうではなくて、そうする意味を問うているんだよ、あたしは」

 持って回った言い方をされた花凰姫は、眉を吊り上げた。

 そんな花凰姫の態度など意に介さず、花崗は自身の胸に手を当てた。

「これまでの私は、体の主導権は譲っていても、奥にいるというだけで、ずっと起きてはいたんですよ。つまり、こうして表に出ているときと同じように、外の様子を見聞きすることができるのです。でも、それですと、色々と気にして二の足を踏む者がおりましてね……」

 花崗は困っているようにもあきれているようにも見える顔で、笑った。

 そしておもむろに手を伸ばすと、花凰姫の頬にかかっていた髪をそっと直した。

「花凰姫。お前は私の娘のようなもの。とても愛しく思っているし、幸せになってほしいと願っている。ずっとお前を見守っていたいとも思っていた。けれど私が起きているとね、お前の……お前たちの幸せを邪魔してしまうんだよ」

 だからこれからは封じることで眠らせてしまうのだ、と花崗は告げた。

 封じるのは意識だけなので、花崗が持っている知識は櫂士が自由に取り出せるから何も問題はない、とも。

「共生を解いてしまうと、櫂士がこれまでと同じようには存在できなくなってしまうからね。私が眠りにつくのが一番いい方法なんだよ。元々私は眠っているような存在だったから、櫂士以外の者にはほとんど影響はないと思うしね」

 花崗は父親が娘にするような愛情でもって、花凰姫の頬を撫でた。

「花凰姫――千華。幸せにおなり」

 両の手を使って、花凰姫と自身の眉間に剣印をそえた花崗は、静かに封呪を唱えた。


 ゆっくりと瞼を持ち上げた千華は、目の前に立つ存在を見上げた。そこにいる青年もすでに櫂士に替わっていた。

 これまでと同じ。どこにも違和は感じない。それなのに。

 千華はそっと差し出された真っ白い扇子で、顔を隠した。

 後から後から溢れてくる涙。

 千華にとって、花崗が奥に隠れていることはいつものことで、変わったことなど何もないはずだった。

 それなのに。

 どこかが欠けたように感じて、なぜか物悲しくなっているのは、封じると聞かされたからなのか。

(あたしも好きだった)

 櫂士とは違う形ではあったが。

 それでも確かに。

(好き、だった……)


   ◇ ◇ ◇


 千華の涙が止まり、気持ちもいちおう落ち着きを取り戻してから、櫂士が朧車たちを守っていた結界を解いた。

 やきもきしていたのか、結界を解いた途端に、子狐狸が朧車から飛び出してきた。

 満面の笑みを浮かべて千華の元へと走ってきた子狐狸は、弾む口調で礼を述べた。

「おねえさん、あいつを退治してくれてありがとう!」

 千華は子狐狸の笑顔につられるようにして、ふっと微笑んだ。

「まあ、何とかなってよかったよ」

 笑顔を浮かべてはいるけれど、返ってきた千華の言葉には覇気がなく、子狐狸は眉を曇らせた。

「おねえさん、どうしたの? やっぱり疲れた?」

「さすがにね……」

 怪我はすべて日照り神が治してくれたが、疲れまでは取り除くことができなかったのか、しっかりと残っていた。

 作り笑いを浮かべながら子狐狸へ答え、それから大きく息を吐き出してしみじみと呟いた。

「散々走り回らされたからねえ。もうくたくただよ」

 そんな千華へ、遅れてやってきた瓶長が、自身の水瓶から汲んだ水を差し出した。

「嬢ちゃん、疲れただろう。ほれ、これでも飲んでゆっくり休むといいぞ」

 適度に冷えたその水は、ちょうど渇きを覚えていたのどを潤し、ついでに疲れなどから重くなっていた気持ちをもいくらか浮上させた。

 そういえば、瓶長に最初に会ったときも、こうやって水を飲ませてもらっていたことをふと思い出して、千華は我知らず穏やかな笑みを浮かべていた。

「じじ様、ありがとう。じじ様の水はいつもおいしいね……」

「そうじゃろう。嬢ちゃんは、わしの水を飲むと元気になるからのー。いくらでも飲ませてやるぞー」

 瓶長と視線を近づけるために膝をついた千華は、静かに、それでいて懇願するように問うた。

「だったらじじ様、里へ帰ってきませんか? あたしだけでなく、五体面や煙々えんえんらもじじ様のお帰りを待っているんですよ」

 瓶長は困ったような顔で後頭部に手をやった。

「じじ様?」

 どうしたのかと千華が呼びかける。すると瓶長は、観念したように口を開いた。

「わしは今江戸に住んでいると言うたじゃろう? 実は、江戸にな。連れ合いがおるんじゃよ」

 千華は目を瞬いた。

 そして続きを促すように、小さく相槌を打つような感じでうなずいた。

「どうしても江戸でなければいけないわけじゃないし、里に帰りたくないわけでもない。しかし、もうしばらくはあいつが生まれた江戸で暮らしたいとは思うておる」

 千華は目を伏せた。

「いつかは帰ってきてくれますか?」

 瓶長ははっきりと答えた。

「もちろんだとも。そのときはあれも一緒に連れて帰るから、よくしてやってくれ」

「……わかりました。里の者にも、そう伝えておきますから、絶対帰ってきてくださいね」

 念を押すように告げた言葉にも瓶長が了承すると、千華はこれで話は終わったというように立ち上がった。

「それじゃ、先に子狐狸を家まで送り届けますから、じじ様を江戸へとお連れするのはそれからでもいいですか?」

 否やは無いだろうと思いつつも、いちおう礼儀として千華は訊ねた。

 そこへ。

「瓶長殿は我らが江戸までお連れしよう」

 江戸へ帰ったはずの烏天狗たちが現れて、全員が驚いた。

 もっとも千華だけは烏天狗たちが後方にいたことに気づいていたので、驚いたのは現れたことに対してではない。烏天狗たちが無傷だったからだ。

 彼らも、花凰姫が唱えた大祓詞の影響を少なからず受けていたはずだったからだ。

 器用に片眉だけを持ち上げて、意外だというような顔をしている千華を見返した烏天狗たちは、その意味に気づいたのか、どこか居心地が悪そうに視線を逸らせた。

 そういう仕草をされると、余計突きたくなるものだ。千華はにんまりとほくそ笑んだ。

「怪我はしなかったのかい?」

 途端に、烏天狗たちが揃ってしかめっ面をした。悔しそうに、日照り神が、とだけ口にする。

 それだけで千華は理解した。

 どうやら日照り神は、花凰姫だけでなく、烏天狗たちの怪我も治していたらしい。

「そうか。あたしの忠告を聞かなかったのはお前さんたちだから、詫びは入れないが、礼だけは言っておこう。……ありがとう」

 子狐狸や瓶長たちが首を傾げる。

 千華はそんな彼らを見返した。

「大祓詞を唱えている最中に魃が攻撃してきてね。それを雷撃でもって相殺してくれたんだよ」

 そして烏天狗たちへと向き直り、

「そうだろう?」

 邪気の無い笑みを浮かべた。

 中央に立っていた烏天狗が、観念したようにうなずいた。

 それから表情も改めて、真摯な眼差しを千華へと向ける。

「あなたは我々が後方にいたから、あの時、あえて魃の攻撃を受け止められたのでしょう?」

 あの時とは、花凰姫が顔を攻撃された時のことだ。顔は扇子で庇うことができたが、力を殺すことはできなくて、体に傷を負う羽目になってしまった時のこと。

 櫂士たちが驚いた顔で千華を見つめた。

 代表して櫂士が真偽を確かめようとしたが、千華は顔を背けると、手に持っている扇子を開いて自身を扇いだ。

「何のことだかわからないね」

 言葉では否定していても、その態度はあまりにも稚拙すぎて、普通に首肯するよりもさらに強く肯定しているようにしか見えなかった。

 皆があきれた眼差しを千華へ向けると、ごまかすように、自身を扇いでいる扇子の動きが若干早くなった。

 その様子を見つめて、烏天狗は口元を緩めた。

「あの攻撃を受けたのがあなただったから、……こう言っては何ですが、怪我だけで済んだ、といえるでしょう。あなたが避けていれば、あれは我らに直撃していました。そうすれば、少なくとも私は命を落としていたでしょう」

 語られる内容に、その場の空気が硬くなる。

「いわば、あなたは私の命の恩人。確かにあなたが唱えられたことばで傷を負いもしましたが、これもあなたの忠告を無下にした我らの驕りから受けたもので、あなたに責任は無い」

 いったん仲間たちの顔を見返した彼は、改めて千華と向き合った。

「今度は一切の下心はありません。我らが犯した過ちを償うためにも、あなたやあなたのお仲間の力となりたい。あなた方がおっしゃられていた里がどちらにあるのかは存ぜぬが、少なくとも内海を渡る必要はあるだろう。少女を送り届けたあとで、また朧車ごとあなたたちを持ち上げて、内海を渡るところまでお運び致す。それからは我々も江戸の方面へと戻りがてら、瓶長殿をお望みの場所までお連れする。――それをわずかなりとも詫びの代わりとして受け取ってはもらえないだろうか」

 千華はため息をこぼして、烏天狗へと顔を向けた。

「卑怯な言い方だね」

「こうでも言わなければ、お受けいただけないと思いまして」

 頭痛を堪えるかのように頭に手をやった千華は、再び大きく息を吐き出した。そして。

「……勝手にしなっ」

 根負けしたようにも疲れたようにも受け取れる感じで投げやりに答えると、千華は若干足元をふらつかせながら朧車へと向かった。

 その後姿を見た子狐狸が、心配そうに走りより、千華に続いて朧車に乗り込んだ。

「おねえさん、大丈夫? 疲れているんなら、温泉に入る? 私の家の近くに温泉があるの。一緒に入ろう?」

「……は?」

 今、子狐狸は『一緒に』と言わなかったか?

 疲れていた千華は、反射的に訊ねていた。

「一緒にって……、子狐狸、お前は両性具有なのだろう? あたしに体を見られても平気なのかい?」

 一瞬きょとんとした子狐狸だったが、すぐに首を左右に振った。

「ううん、両性具有じゃないよ。そうじゃなくて、体だけが男で、外見と心が女なの」

 女の子として育てられたから、心もつられたのか。それとも元からそうだったのか。それはわからない。けれど現実として、子狐狸は女の子として生活することには全く苦痛を感じないが、体が男の子であることを思い出すと、とたんに胸が苦しくなったりするのだ。

「やっぱり、変、だよね……」

 子狐狸は顔をしかめて項垂れた。

「確かに見たことも聞いたこともないね」

 そのせりふを耳にした者たちが、ぎょっとしたように千華を見返した。小声でたしなめるような言葉を発した者もいたが、千華は一切取り合わず、子狐狸だけをまっすぐに見つめてさらに口を開いた。

「けれどそれが何だというんだい。お前はお前だろう。それに他人と違うから変だって言うんなら、あたしだってそうさ。妖力と霊力の両方を持っているだなんて、そんな妖怪、今まで例がない上に、今後も現れそうにないからね。十分『変』な存在だろう?」

 子狐狸は目を瞠った。

「あ、ごめんなさい!」

 そして慌てて首を左右に振った。

「でも、おねえさんは違うわ。だって元々霊力を持っていた阿古女扇が付喪神になって妖力も持つようになっただけでしょう?」

「お前だって、妖狐と妖狸の間に生まれただけだろう」

 生まれただけ。

 それは子狐狸が初めて耳にしたせりふだった。

 子狐狸の見開いた瞳から、静かに涙がこぼれ始める。

 千華はやさしく目を細めた。

「妖狐と妖狸の間に生まれただけ。体と心の性別が違うだけ。ただそれだけ」

 両性具有が存在しているのだから、子狐狸のような存在がいたとしても別におかしいことではないだろう。千華はそう考えている。

「そんなことよりも。子狐狸、お前自身はどう生きていきたいんだい?」

「え?」

「妖狐としてかい? それとも妖狸? そのまま狐狸としてっていう道もあるね。性別も、体に合わせて改めて男として生きることにするもよし。心にあわせてこれまでどおりに女として生きていくのもいいだろう。お前はどうしたい?」

 千華の顔を見上げたまま、固まってしまった子狐狸の頭を、千華はやさしく撫でた。

「今すぐ答えを出す必要はないし、あたしに答えを教える必要もない。ただお前自身がこれからも生きていくためには、いずれ答えは出さなきゃならない。だからじっくり考えるんだね」

 子狐狸は下を向くと、一度だけ深呼吸をした。そして顔を伏せた体勢のままで千華に訊ねた。

「ねえ、おねえさん」

「なんだい?」

「雲外鏡には、私が、おかっぱ頭のこの姿のまんまで映ってた、って言ってたよね。……それ、本当?」

「うそをいう理由も必要もないだろう。間違いなく見たままの姿で映っていたよ。だからこそあたしらはずっとお前を女の子だと思っていたんだ。その事実こそが証明になるだろう?」

 子狐狸は顔を上げた。千華を見返す瞳は潤んでいたが、それでも顔はほころんでおり、それが悲しさからくるものではないことを教えていた。

「おねえさん、私うれしい。だってそれって、雲外鏡が私を女の子って認めてくれたってことだよね。私、これからも女の子として生きていってもいいんだよね」

 胸の前で両手を握って、子狐狸は本当にうれしそうな笑みを浮かべた。

「だから言っただろう。子狐狸の好きなように生きたらいいと。雲外鏡だって、お前のことは女の子としてしか映さなかったんだ。胸を張って女として生きていけばいいさ」

 大きくうなずいた子狐狸は、千華に抱きついた。

「ありがとう、おねえさん!」

 この先もこんな笑顔で生きていけるようにと願いながら、甘えるように抱きついてくる子狐狸の頭を、千華はやさしく撫でてやった。

 そうして、子狐狸を親元へ届けるべく、朧車を走らせたのだった。


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