或るいつもの帰り道
「私、女の子が好きになった」
唐突だった。正直吹いた。
僕の帰り道からは遠回りになるいつも通りの帰り道も、10月も終わりかけな日の午後6時過ぎは秋の冷気に満たされ真っ暗な夜道に姿を変える。
あの日から少し経った今日も、坂が嫌いな隣の君に合わせて僕は自転車を押していた。
*
きっかけはよく分からないけど、いつの間にやら僕は君と親しくなっていた。
単純に気が合っただけなのかもしれない。
しかも、最近では似た者同士なだけ、で結論が出つつあるからおおかた正解だろう。
まあ僕としては行き着く到達点が似てるだけで根っこは正反対な気がするけど。
そんなこんなでいつの間にやら君の愚痴を聞き、僕も馬鹿話をし、なんて関係になってはいるが、それまでの距離感はとても複雑だった。というか微妙。いや、繊細?。
接点と言えば同じ中学出身って事くらい。でも共通の友人はいるし、機会があればそれなりに話す。言うならば"背中合わせのお隣さん"みたいだった。
我ながら上手いこと言えた気がする。気がしない?
一応小説が趣味だなんて気取ってるのに、ここら辺の感性は相変わらずピンとこないままなのが我ながら嫌になるな。
まあそれはともかく。
なにをどう間違ったのか、普段出来ないような趣味の話やら、悪口まがいの愚痴やら、たまに進路の真面目な話もしたりした。
話せば話すほどに素が出てきて、まあ控えめに言ってもそれは結構面白くて、結局すごい遠回りをしながら僕は君との馬鹿話に興じていた。
個人的に"相手を付き合わせている"って認識があるのと、なんとなく女の子は送るべきだろうって考えから、いつもこの馬鹿話をするときは相手の帰り道に合わせてる感じになっている。
けど、別に僕の方から帰ろうと言ってもそうはいかないだろうな。
あくまでも話したいと感じているのはこちらで、君からすればいないならいないで構わないんだろうなって思う。
そんなことがぽつりぽつり始まりだしたのが8月の後半くらい。
ああ、そうだそうだ。履歴書がキツすぎて愚痴り合い始めたのが始まりだったな。
そこから部活の愚痴になり、何故か僕が大会を見に行ったり、なんやかんやで今に至るのだから人っていうものは分からない。
それにしたって、女の子と普通そんな感じにお近づきになれるというのは案外おいしいのかもしれない。きっかけはともかくとして。あと相手がこいつなのもともかくとして。
しかし、生憎僕は向こうを女子の友達としか思ってないし、向こうに至っては男子とすら見てくれていない。泣きそう。いや泣かないからな。
そんな、あくまでどこまで進んでも友達な関係がお互いに心地いいから、進展の可能性が皆無なのは仕方ないのだろう。彼氏……じゃなくて彼女持ちなら尚更だ。
……正直なことを申し上げると、女の子だなーなんて感じるときもないわけではない。勿論、それに少し惹かれたことがあったのも。
ただ、今更アプローチするにはこの距離感は厚く高い壁のようで、そんな壁が何層も重なっているような君のパーソナルエリアを割ることなんて、と諦めた。
というか向こうには恋人もいるし、その恋人はよりにもよって女なのだ。
僕が男である以上、同じ土俵にすら立てない。
ならば、それならば――せめて友達では居させてほしい。なんて思うのだ。
……女々しい自覚はちゃんとある。
*
「――なんだけど……大丈夫?」
はっと考え事から意識を戻すと隣にはきょとんとした君がいた。
おぼろげに聞こえていた話は最近の惚気だったはずだ。
「いや、大丈夫だよ。続けて?」
流石にあなたとの知り合ってから今に至るまでをなぞってました、なんて本人に言えるはずもなく、適当に笑って誤魔化す。
それだけでなにか察したらしくれて、それ以上は詮索してこないのが本当に似た者同士って感じだ。
互いに一定のラインを割らない。そんな暗黙の了解を暗黙の了解だと自然に分かっている辺りが特に。
普段は楽でいいのだが、惹かれたことがあったと自覚している身としては今に限って結構辛いものがある。
「体調悪いなら別に無理しなくていいからねー。どこまで話したっけ」
最低限の気遣いを投げながら君はこちらに向けていた視線を前に戻した。
気がつけば道のりも最後の上り坂にさしかかっていて、そろそろお喋りの時間も終わりだ。
だから、そんなこと思ってても仕方ない。なにせ向こうにとって僕は友達という枠で収まりきっているんだから。
「大丈夫、あんがと。……あれ? ちょっと思い出せん」
「んー、まあいいか。そうだ、最近ね――」
話題が変わって、次は最近あったちょっといいこと。
そうだな、なんかいいことあったかな。
なんとか話のタネになりそうなエピソードを探しながら、僕は重みの増した自転車を押していく。
『実はあなたが好きでした』
「なんて、言えるわけ」
「なにが?」
「なんでもない。いいこと、なー。あ、一つあったよ」
ちょっと焦りながらもそつなく誤魔化して他の話題を探した。
つい昨日、ちょっといいところのプリンを食べたことを話しながら僕は小さく、本当に小さくだけどため息をついた。
別に笑い話で、でもいい。でも、真剣に話せるならそれに越したことはない。真剣に選択肢に入れてくれているなら最高だ。
ただ今は、そしてもう少し先までは、多分話すべきでもないし気取られてもならないだろう。
じゃなきゃ、こんなささやかな時間さえなくなってしまうから。
全く、難儀な話だ。
感傷的になりつつあって、気分転換になんてことのない話題を振った。
「この時期の夜は流石に冷えるな」
「そだね。ただ、景色とか綺麗にもなってくるよね」
「まあな。空気が澄んでくるし」
冷えてきているのは体か、それとも心の方か。それは正直自分でも分からない。
そんな自問自答していることなど知らずに笑う君に若干苦笑しながら、僕達はとっぷり暮れた坂道を自転車を押して上りきった。
君の家はこの坂の一番上。ということで、楽しかった時間ももう終わりだ。
「はい、到着ーっと」
「ありがとねー。それじゃあ気をつけて」
「ん。じゃあお疲れさん。また明日なー」
君が家に入ったのを確認して、僕はペダルを踏み込んで坂を駆け下りた。
秋の冷気が体を切り裂いて、あっという間に指先は感覚を手放す。
冷えたのはどちら?
それが分からないなら――両方冷えきってしまえば、きっと誤魔化せるだろう。
加速するにつれて響きを増す風音に曖昧な感情を置き去らんとばかりに僕はペダルを蹴る力を強くしていった。
*
――その結論を出したということは、本当はどちらか冷えていたのか理解しているとも言えなくはないのだが。
まあ、それに彼が気付くのかは、そして二人の仲が動くかどうかはまた別のお話。