第8話 怪異
頭のないと言ったが、厳密ではない。
首はある。口はある。
だが、鼻と耳の上、目と脳のある部分がまるまる抉られた様にないのだ。
その頭がない人影は、徐々に自分の方に近づいてきた。
明らかに異常な異形の者の存在。
闇に隠れて気が付かなかったが、それも一体ではなかった。
すぐ側には居なかったが、道路や畑などに目に見えてる人影を確認できるだけで、三十体以上は居た。そして、それらも近藤にゆっくり近づいてきていた。
昼間に続いての異様な状況。悪夢と言って良いだろう。
これが呪いの正体なのだろうか。
悪夢から逃れるために、自殺や失踪し、悪夢を見たために病気になったのではないだろう。
薬を使っているのか、催眠術か、どういう方法か知らないが、相手は幻覚や悪夢を見させる能力があると考えていいだろう。
さて、どうしたものか。
幸運なことに、畑が多い田舎なので、鉄パイプは落ちていないが、人を殴ることができる木の枝ぐらいは、探せば落ちている。
麻薬中毒者は、正常な人間も歪んで見えると聞いたことがある。ひょっとしたら、怪物に見える人影も、実は単なる人間なのかもしれない。
幸運なことに相手の動きは遅い。犯人の意図は判らないが、ここは無理に戦わず、逃げるのが正しい選択だろう。
だが、近藤が逃げようとしたとき、予想外のことが起きた。
暗く静かな街に、響き渡る少女の悲鳴。
団地のある方向からだった。
幻聴だろうか。それとも、近藤を呼び寄せるための犯人の罠だろうか。
本物の悲鳴の可能性が、ないわけではない。
この現象が、薬や催眠術などではなく、超自然現象な場合だ。その場合、この世界は特殊な異界と考える方がだとうだろう。そして、近藤を引き込む際に、誤って無関係の人間も引き込んでしまった。
自分のせいで、無関係な人間が巻き込み、危険な目に遭っていることになる。
それは、何としても避けなければならない。
行くか。
いや、罠だったらどうする。それに行ったところで、自分の力じゃ、どうしようもないかもしれないじゃないか。言っても無駄だ。逃げよう。
近藤は自転車に跨り、逃げようとした。
だけど・・・足が重い。早く逃げなきゃいけないのに、足が重い。心が重い、体が重い。
「バカだ。合理的じゃない」
近藤は、自転車の向きを変え、少女の声がした方に向かった。
不思議と、心も体も軽くなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
遅かった。
ピンクのスカートをはいた小学校らしき少女が、団地内の公園にあるジャングルジムの頂上に居た。
既に十体以上の頭のない異形の怪物たちに取り囲まれており、少女はジャングルジムをよじ登ろうとする怪物を必死に足で払っている。
良く見ると、その少女には見覚えがあった。たびたび家に来る。妹の友人のようこちゃんだった。
手遅れだ。助けられない。
もう自分に出来ることは何もない。不可抗力だ。
できない理由が次々と頭に浮かぶ。
いや、自分が囮になれば何とかなるかもしれない。妹の友人を見捨てるわけにはいかない。
近藤は怪物の気を引こうと大声を出した。
声に反応して、怪物は少女を探すのを止め、近藤の方を向いた。
上手く行った。後は、声を上げ、気を引きながら逃げるだけだ。
だが、その考えは甘かった。
「助けて!!」
近藤に気が付いた少女は、助けを求めるため声を上げた。
少女が自分の行為のうかつさに気がついたが既に遅かった。近藤に向けられた関心は再び少女へと向いてしまった。少女が近くにいることに気がついた怪物たちは、近藤が再び声を上げたようとも、もう関心を向けなかった。
近藤が声を上げても、遠方の怪物を引き寄せるだけだった。
近藤は覚悟を決めた。公園内に、幸運にも落ちていたバットを拾うと、ジャングルジムの周辺に集っている怪物たちに振り降ろした。
脳がない以上、どこが弱点で、急所か良く判らなかったが、とりあえず頭をぶん殴った。
良く判らないが、効果はあるようだ。
だが、なにぶん数が多すぎる。
怪物を殴った隙に、背後から襲われたり、倒しきれなかった怪物に咬まれることも一度や二度では済まなかった。
五体、六体、倒したところで、集まってくる怪物の数の方が、完全に多い。
怪物の爪は鋭く長く、掴まれたり、引っ掻かれたりして、既に腕や背中は傷だらけになっていた。
もう駄目だと思ったとき、銃声と共に怪物の胸から血が突然吹き出し、倒れた。
一体だけじゃない、銃声と共に、次々と怪物たちが血を流しながら、倒れていく。
誰だか判らないが、助けてくれているのだ。
近藤も力を振り絞り、さらに、二体、三体とバットを振り回し倒していく。
数分後、怪物たちが集まってくることはなくなり、怪物たちの死体の山が公園に出来上がっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
気がつくと、近藤はラジオを持ち、交差点に居た。ノイズが酷くて何も聞こえなかったラジオからは、いつも通りの洋楽が流れていた。
全てが夢のようだったが、腕や背中には痛みが残っていた。
場所をわきまえず、交差点で思い悩んでいると、「少し話に付き合ってくれないか」と突如、女性に声をかけられた。
凛とした顔つきの女子高生らしき女性だった。
ベージュのブレザーにジーンズと落ち着いた服装が長身でスリムなスタイルに良く似合っていた。
贔屓目に見ても、美人に入る部類の女性なので、同じ学校であれば覚えているはずなのだが、まったく顔に覚えはなかった 間違いなく他校生徒だろう。落ち着いた大人びた感じなので、女子大生かもしれない。
しかし、どこかで会ったような気がする。しかも、比較的近い時期に。
「交差点で話すのも、何だから場所を変えよう」
近藤は彼女の後ろを大人しく付いて行った。
無言であること数分。彼女は、近藤を先ほどの公園に連れて行った。その公園では、街灯の下、一人、野球の素振りをしている少年が居た。
彼女はブランコに腰を掛けるとようやく近藤に話しかけてきた。
「女の子の心配なら無用だ。怪我もなく、何も覚えていない。それより、問題は君だ。近藤信也」
なぜ彼女は自分の名前を知っているのだろうか。
「君は運が良い。彼女を助けに行かなければ、私の助けもなく、今頃、死んでいたかもしれないんだからな」
彼女は、先ほど銃で怪物を倒して、助けてくれたのは自分だと暗に言っているのだ。
なぜ、近藤が見て体験したこと知っているのだろうか。
そもそも、あれは何なのだろうか。
「あなたは何者なんですか」
「正直に言うぞ。魔法使いだ」
目の前の少女は、自分のことを魔法使いだと名乗った。1時間前なら、バカにされている怒っただろうけど、今は到底そうは思えなかった。むしろ、異常な現状では相応しい答えのように感じられた。
そう言うと彼女の顔は突然真剣なものになり、近藤の目を見て話し始めた。
「今のままでは、君は殺される。過去の彼氏のようにな。間違いなく」
「あなたは、彼氏が死んだのは事故ではなく、呪いだって言うんですか」
「君だって経験しただろ。彼女の側に、彼女の彼氏を呪い殺す人間がいる」
「警察の結果では、彼氏たちの事故や自殺ですよ。それも呪の結果ですか? 呪の結果、都合良く事故に合い、自殺すると」
「そうだ。結果的に、この世界ではな。もう、判っているだろ。彼らは異世界で悪魔に殺されたんだ」
「なんで、そんなことが断言できるんですか?」
「それは簡単だ。最初に言ってるだろ。私は魔法使いだ。『棘の魔女』。つまり。私も悪魔と契約した人間だ」