表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀狼(シルバーファング) 〜牙なき仔狼の異世界戦記〜  作者: beens
第1章:牙なき潜伏者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/12

プロローグ:鋼の死と、泥の生

戦場は、常に鉄と硝煙の味がする。

視界は、不気味なほど鮮やかな赤に染まっていた。

左肩を抉った弾丸の熱。脇腹を突き抜けた衝撃。防弾ベストはすでにボロ布と化し、傷口から溢れる生命の熱が、冷たい中東の夜気に白い霧を立てていた。

「……こちらブラボー1。目標の完全破壊を確認。……離脱は、不可能だ」

喉の奥からせり上がる鉄の味を吐き出し、俺は岩陰に背を預けた。

無線機からはベース(本部)の絶叫が響いている。撤退しろ、死ぬな、戻ってこい。

プロの軍人として、その命令がどれほど「非現実的」なものか、俺にはよく分かっていた。

背後には、脱出を待つ非戦闘員を乗せた輸送機が夜空へ消えていく。彼らの航跡が、俺の死に対する唯一の報酬だった。

「……最後に、美味いコーヒーが飲みたかったな」

俺は愛銃のボルトを引き、残弾を確認した。ゼロ。

タクティカル・ベストにあるのは、ピンを抜くだけの状態にした最後の手榴弾が一つだけだ。

砂塵の向こうから、無数の影が押し寄せてくる。敵の足音。銃声を遮る風の音。

「チェックメイトだ、クソ野郎ども」

足元まで迫った敵の群れに向け、俺は最後の手榴弾のピンを引き抜き、その上に覆いかぶさった。

閃光。

衝撃。

すべてを白く塗りつぶす、圧倒的な熱。

そして、心地よいほどの静寂が、俺を包み込んだ。

四半世紀にわたる戦士としての人生が、そこで幕を閉じた――はずだった。

(……熱い。いや、冷たいのか?)

意識が戻ったとき、俺を包んでいたのは「死」よりも深い冷気だった。

意識は霧の中にある。手足の感覚が、自分のものではないように歪んでいた。

爆発で四散したはずの体が、重く、粘り気のある何かに包まれている。

(……蘇生、したのか? 敵の捕虜になったか?)

特殊部隊プロの脳が、瞬時に生存へのプロトコルを起動させる。

だが、目を開こうとした瞬間、脳に飛び込んできたのは、前世の何十倍も鋭敏になった「音」と「匂い」だった。

鼻を突く野獣の匂い。

耳を劈く、原始的な殺意に満ちた遠吠え。

「アオォォォォォォンッ!!」

心臓が跳ねた。鼓膜を震わせるその振動は、文明の果て、野生の威厳そのものだ。

ようやくこじ開けた視界の先にあったのは、不毛な砂漠でも、清潔な病院の天井でもなかった。

見上げるほどに巨大な、二足歩行の狼――「銀狼族」の戦士たちが、月光の下で吠え猛っていた。

「……幻覚か? 薬物による、せん妄状態か……?」

脳が現状を否定しようとする。

だが、自分の手を見て、俺は息が止まった。

そこにあるのは、泥に汚れた「猿の赤坊」の手だった。

小さく、ひ弱で、産毛すらほとんどない。指の先には爪もなく、握る力すら宿っていない。

(……人間に。それも、赤坊になったのか?)

パニックが全身を駆け巡る。SASでの過酷な拷問訓練ですら、これほどの絶望は感じなかった。

武装もなく、知識だけを持ったまま、怪物の住処に放り込まれた。

「……なんだ、この醜い生き物は」

地響きのような声が降ってくる。

一際巨大な銀狼――族長ガザックが、俺を見下ろしていた。

彼は、下層へ続く断崖の縁に産み捨てられていた「揺り籠」を、ナイフのような鋭い爪で小突く。

「牙がない。爪もない。毛皮すら持たぬ、ただの『牙無し(キバナシ)』か。……ガラクタを拾ってきたものだ。今のうちに、ひねり潰しておく」

ガザックが巨大な腕を振り上げる。死の影が視界を覆う。

俺は逃げようとした。だが、赤坊の肉体は、ただ地面の上で無様にのけ反ることしかできない。

(……クソ。転生して数分で、おしまいか)

爪が食い込み、俺の細い首筋を断ち切る――その寸前だった。

「待ってください、ガザック!」

鋭い制止の声。

もう一匹の美しい銀狼、ミーナがその巨体で俺を隠すように割り込んだ。

「何を言う、ミーナ。群れの掟を忘れたか? 戦えぬ者は、群れの重荷だ。ましてや、これは人族の仔だぞ」

「掟は知っています。ですが、この仔を見て……ガザック。こんな深い奈落に捨てられて、なお、命を繋ごうとあなたを睨み返している」

ミーナが鼻先を俺に寄せた。

野獣の、圧倒的な圧迫感。俺は恐怖で身を竦ませた。

だが、彼女の鼻先から伝わってきたのは、殺意ではなく――信じられないほどの「温もり」だった。

俺は、死に物狂いでその毛並みに小さな指を絡ませた。

助かりたい。死にたくない。その原始的な生存本能が、前世の知性を塗りつぶしていく。

「……っ。ガザック、この仔には『炎』があります。私が育てます。私の乳を与え、私の獲物を分け与えます。群れの食料は一欠片も使いません。ですから……!」

「……フン。掟破りの母親気取りか。勝手にしろ」

ガザックは忌々しげに爪を引き抜くと、闇の中へ去っていった。

「銀狼の誇りを汚すなよ」という冷たい言葉を捨て置いて。

ミーナは俺を優しく咥え上げると、自分の腹の下、温かな毛並みの中に包み込んだ。

「……大丈夫よ、小さな戦士さん。あなたは私が守ってあげる」

(……温かい……?)

心臓の鼓動が、彼女の体温とシンクロしていく。

ようやく、俺の思考が追いつき始めた。

これは夢でも幻覚でもない。俺は死に、別の世界の、最も無力な「異物」として生まれ変わったのだ。

(……クソ。なんて、状況だ……)

ミーナの乳の匂いに包まれながら、俺は赤子特有の急激な眠気に抗えなかった。

恐怖と、困惑と、そしてわずかな安堵。

プロの軍人として生きた俺が、獣の腕の中で、ただの「牙無き赤子」として涙を流した。

銀狼族の里、その最底辺。

俺の、あまりにも情けない二度目の人生が、ここから始まった。

更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ