2 天誅屋小町
夜の市中を駆けている。
「誰かっ、誰か助けてくれ!!」
大店や番屋の戸板をこぶしで叩いても応答するものはない。
びぃ、ん。
背後から三味線の音が追い付いてくる。
──ふたあつ。 身分を謀り
数を唱える間延びした子どもの声もどこからかする。
男はびくりとして振り返ると、それ以上続く言葉を聞かぬよう、人気のない町を再び駆け出す。
曲がろうとした角の奥から、シャン、と錫杖の音が聞こえた。
──みいっつ。寺社に押し入り、仏を壊し、
慌てて体を捻って別の方向に向かう。
(なんで、なんで俺なんだっ! こんなに何十年も経ってから。悪党なんて掃いて捨てるほどいるじゃねぇか、俺より悪辣なヤツなんていくらでもッ)
夢うつつに聞こえてきた、子どもの声の数え唄。
それが始まりだった。
──ひとつ。親より引き剥がし幼き者を殺めしこと、無慈悲の所業。
親子連れを襲った。喚く子どもを崖に落としたこともある。
葬ったはずの追い剥ぎをしていた過去が鮮明に蘇った。
冷や汗で起き上がると隣で寝ていた妻の姿もなく、それどころか家も町も人が消えもぬけの空だった。
招かれたのだ、と悟った。
近頃、地獄の門から這い出て都をうろつくと噂されているもの。
それは過去の罪を数え上げて、生きながらに地獄を巡らせるのだと言う。
後ろ暗いところがないものにとっては快哉すら叫ばれていた。
庶民に憎まれている悪徳政治家すらその被害に遭ったとされているからだ。
だが、男にとっては──。
過去の罪が、自身ですら存在しなかったことにしていた罪が、復讐しにやってくる。
それでも誰かいはせぬかと、淡い期待にすがり通り抜けた道は大通りに通じていた。
ここに向かって追いたてられていた、と今さらながらに悟る。
幽青の色をした篝火の炎が、朱塗りの大門を妖しい色に染めて照らし出していた。
時代が変わるとき現れたという、幽り世に通じる門、本州には五つあるとされる。
狂い藤の咲くこの首都にあるのは、鬼と亡者が這い出すとされる地獄門だった。
通じているのは、勿論地獄。
シャリン。
人がいた。
門の前に立っていた僧衣の女が錫杖を鳴らしゆっくり彼の方に向き直った。
首に血の滲んだ符をいくつも貼り付けた異様な風体であった。
が、さらに異常このうえないことに僧衣の袂に恨めしい顔をした中年男の生首が、食らいついていた。
カッと血走った目を開いて男を睨む。
男は声にならぬ悲鳴をもらし腰をついた。
僧を殺したことも、若い女を殺したことも、ある。
それらが混ざりあって具現したようだ。
びぃん、びぃぃん。
三味の弦を鳴らして、白装束に白い髪の若い男も歩いてくる。
盲いた芸人を襲ったこともある。
男は時代の混乱に乗じて、多くを手にかけて財を築いた。
生ぬるい風が、徐々に開きつつある地獄門の向こうから吹き付けてくるのに男は気づいた。
この門は厳重に管理され普段開くことはない。
盆と暮れの時期だけ、払い浄めを行って開けられる。
開いたところで、一般人の目には向こう側の景色が見えるだけだ。
西洋に追い付こうとガス燈や石畳を敷設する工事風景。
──なのに、今、ゴツゴツとした黒い岩の突き出たどこかへ下っていく隧道が見える。
男はへたりこんだまま、それでも這って逃げようとした。
と、と軽やかに女給姿をした少女が遮る。
とんとんと手にした小ぶりの鉈で肩を叩いて口を開く。
「とお。願行にある僧を殺めしこと非道なり」
夢うつつに聞こえていた、唄の続きだった。
にっと笑って少女が鉈を振り上げる。
「地獄巡りへ一人様ご案内~」




