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19 形代納メヲ為スコト



「うむむ」

長屋で地蔵坊は顎を撫でる。ひげの感触がある。

久し振りに自分であることを実感する。


冥府の技術局現世のために用意した仮の体は、前の姿を象っている。

姿に執着するものではないが、落ち着きがいいのも確かである。


ただ、彼が今救おうとして共生の形になっている亡者は押し込められる形になるので、内側でむくれているのを感じる。

だから、仮の体から出る時間も小まめに取っている。

こういう女性を放置しておくと大変良くないのは経験上知っている。


しかし、今は別件がある。

白鴉(はく)殿の、応答がない。

お嬢から呼び出しがあれば、早々に戻って待ち構えているとすら思っていたが一向に姿を見せない。


連絡補助を務める冥界のカラスは「来れない」とだけ言った。

説明してくれる気はなさそうだ。

カラスの中身は、技術局の冥官である。

お嬢には忠心が持っているが、自分達には反感を持たれているのはなんとなく知っている。

親切は望めまい。


数え音の呼び出しに応じないとは考えられないので、多分困り事に遭遇しているのだろう。

それで、迎えに行くことにする。


「これはお坊様、お(とき)でございますか」

緋帯屋の裏口で老女が応対する。

「いや、こちらで世話になっている知り合いを迎えに来たのだが」

「ああ、そりゃひょっとして、」

老女が困ったように階段の上を見る。


「お願いですから、形代様っっ、御礼は如何様にでも」

「好きな娘を何晩でも精進落としに選んで構わないので、いなくなるなんて言わないでくださいましっっ」

「いえ、ですから姫様のお召しが」

「いやあああぁぁっ、嫌ったら嫌!! アタシを置いて行かないでよ、形代の兄さん」

「祟りが鎮まったのはあなたのお蔭なんですよ、何事もなく静かに寝れる上にお客から苦情の来ない安らかな日々を断ち切ろうと言うんですか」

「そうですよ、あたしらを見捨てないでおくれまし。ここの拝み屋なんて、到底払えない額を吹っ掛けるばかりでせせらわらってるばかりだってのに、あんた様はようやく現れた救いなんですよ」

「約束したじゃない、アタシをここから出してくれるって」


座敷部屋の前では妓楼主の夫婦が通せんぼして、なんとか押し戻そうとしている。

部屋の中からは亡霊の娘が、敷居を跨いで部屋から出ようとしている包帯の男の袖にすがって引き留めていた。

長くこの世とあの世を見ているが、なかなか見ない光景である。


「しろ殿、何事か」

声をかけると包帯越しでも、ほっとしたのがわかる。

白鴉(はく)です、地蔵坊どの。助けて下さい」

それでも、とっさに呼んでしまった名前に訂正が入る。


『姫君が黒いカラスを白いと言えば、白という』

数え音にひたすらくっついて歩いていくのを、白鴉は技術局の連中にそんな風に揶揄(やゆ)されている。


数え音に自分の名前を決めろと言われたとき、彼はそれを揶揄とも思わず自分の名前にした。


経緯を知っている地蔵坊は呼びにくく、なんやかんや理由をつけて白殿と呼んでいる。

しかし、本人は気に入っているらしく、その度訂正される。

『姫様がそう言うなら、カラスは白いから』と。


「あなたは、紹介のお坊様!」

女将が声をあげる。

形代様として緋帯屋に紹介したのは地蔵坊である。

現世には彼が一番詳しい。


「お坊様、彼を止めて下さいまし。彼がいなくなったら商売上がったりなんですよ」

「そうですよ、ここは廓ですよ。お客が干上がることが続いたら、あたしらはこれ以上身を売るところなんぞありゃしませんよ。お坊様を見習ってうちの女の子たちと托鉢(たくはつ)でもしろって言うんですかい」

女将に続いて、旦那が畳み掛ける。


「絶対離さないんだからね! ここから出してくれなきゃアタシだってあんたを出さないよ!! 約束、したんだから!」

地縛霊の遊女も喚いている。

「約束はありませんし、姫様がお呼びならわたしは行かねばなりません」


「うーむ」

想定外だった。

形代様は季節の縁起物と一緒で、時期が過ぎれば放り出されるものであり、一定期間務めれば去るのも自由。

うってつけだと思っていたが、効果がありすぎたらしい。

まさか、ここまで引き留められるとは。


が、今取りかかるべきは冥府の重大案件。


「喝!」

大声を出すと、一瞬一同は静まった。

「御仏の慈悲に思いを致しなさい」


つかつかと歩み寄って、顔の包帯を剥ぐ。

女将が悲鳴を上げた。

「や、八千代……!」


白鴉の顔は、後ろから引っ張る妓女の亡霊と同じ顔をし、同じように額から血を流していた。

亡霊の女の方も自分の顔が現れたことに驚いて、袖を離す。


その隙を見逃さずに袂から、瓢箪を取り出し板戸からべりりと札を剥がして瓢箪に貼り付け、亡霊に向けた。


「この世の有縁(うえん)もまた転変するものなり、その執着もまた移り変わるものなり、全てを空と知るその時まで」

ひゅるり、と亡霊が吸い込まれる。


地蔵坊たちは、一時冥土の地獄の亡者を、本物の地獄であるその心から剥がす能力を持っている。

それを少しずつ積み重ねて、本人の持つ地獄を昇華するのだ。


執着の凝り固まった地縛霊を剥がすのは本来は難しいが、白鴉が陰の気を吸ったせいで、この場所からいくらか剥がしやすくなっていた。

同時に瓢箪を結界化されたこの場所と同期させて、引き剥がしたものを吸い込ませ移して封をした。


「役目は果たされました。陰徳を積んで信心を保つように。怨みが降り積もれば娘はまたこの場所に帰りくるかもしれませぬぞ。今を以て形代納めといたす」

紹介者として仕事終了宣言をする。


聞いているのか、いないのか、主人夫婦は包帯を巻き直す白鴉を呆けたように見つめている。


「行きますぞ、万が一待たせる羽目になったりしたらお嬢は気が短い」

「はい」


女将の悲鳴のせいか、ちょうど起き頃だったか他の娘たちも顔を覗かせている中、階下を降りていく。


裏口で履き物を揃えていた老女が低く頭を下げた後、おずおずと声をかけてくる。

「お坊様、八千代のヤツ、成仏したんだか」

「いいえ」

馬鹿正直に白鴉が答える。

「今は瓢箪の中です」


意外なことに老女は笑顔を見せた。

「そうだべな。ありゃしぶとくて、そう簡単にはいかんべな。でも、外さ出してくれてあんがとね」

「こちらこそ、お世話になりました。お元気で」


人の社会で悪目立ちしていないか懸念していたが、うまくやっていたようである。


「地蔵坊殿、早く姫様の元へ参りましょう。その体を捨て、黒霧となってわたしを運んでくれるのはいかがでしょう?」

「いやいや、白殿。お嬢のところにではなく、待機ですから。それとこの空殻(うろ)、技術局の粋ですから。その辺に捨てたら、袋叩きにされますよ……」

多分、技術局の連中とうまくやれないのはこういうところである。

さまざまな相手を理解したコミュニケーションが取れるのはまだまだ先のようだった。


ちなみに白鴉に空殻は用意されてない。

彼はなぜか現世の物質でありながら地獄に潜り込めた謎の人形なのである。

技術局の局員が彼を厭うのは、解明できない悔しさもあるのかもしれない。

或いは意外に情の厚い連中だから、何度もばらばらに解体している者への罪悪感の裏返しか。


「ところで地蔵坊どの、その瓢箪はどうするのですか?」

あれこれ思考にふける持続に涼しい声で白鴉が言う。

──さて、どうしたものだろうか?

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