第6話 #恋のデマ流通経路
朝の教室。
入った瞬間、空気がざわついていた。
妙に静かで、でも全員が何かを隠して笑っている。
俺の長年の勘が告げる――これは“嵐の前の誤解”だ。
「おはよう、真嶋」悠真がニヤつきながら近づく。
「今日もバズってるぞ」
「は?」
スマホを渡され、画面を覗く。
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StarChat #恋のデマ流通経路
【2-Bクラス情報部】
「“真嶋→七瀬”片想い説、信憑性90%。根拠:態度・視線・会話ログ・誤解回数。」
コメント:
・「#推しカップル確定」
・「#誤解は恋の予告状」
・「#観測される恋は実在する」
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「……もう観測される恋とか、量子力学の領域じゃねぇか」
「証拠が多いんだよ、証拠が」
「証拠って何だよ」
「昨日、下駄箱で“目が優しかった”って七瀬談」
「本人ソースかよ!?」
教室中がどっと笑う。
俺は机に突っ伏して、机に頭を打ちつけた。
誤解が“概念”から“統計データ”になってる。誰が分析班を作った。
「真嶋くん」
その声に顔を上げる。
ひよりが教室の入口に立っていた。
周りがざわめく。「うわ、タイムリー」「来た」「リアル流通元!」
「……おはよう」
「おはようございます。朝からにぎやかですね」
「うん、“にぎやか”で済ませる神経すごいな」
ひよりは小首をかしげる。
「また何か、広がってるんですか?」
「いや、“俺が片想いしてる”らしい」
「え……」
「デマだ。……たぶんな」
「“たぶん”なんですか?」
「やめろ、そこ突っ込むな」
ひよりは笑いを堪えながら、スケッチブックを抱えた。
「じゃあ、そのデマ、どうやって止めます?」
「止めるって言って止まるかよ。誤解ってウイルスだぞ」
「じゃあ、ワクチン作りましょう」
「なにその物騒な理系発想」
「名前は、“笑いで中和する”ワクチンです」
「効能:炎上抑制・照れ防止、ってか」
「副作用:顔が赤くなる、ですね」
教室の隅で見ていた悠真が、爆笑しながらつぶやく。
「いやもう、その会話が副作用出てんじゃん」
「お前、黙ってろ」
ひよりはそんな俺たちを見て、ほっと息をついた。
「……真嶋くん、怒ってません?」
「怒ってねぇよ。むしろ、ちょっと感心してる」
「感心?」
「デマ流通経路の特定スピードが速すぎて」
「研究テーマになりますね」
「誰が論文にすんだよ」
昼休み。
購買のパン争奪戦が終わり、俺は机に突っ伏していた。
ひよりがあんパンを差し出す。
「これ、最後の一個でした」
「……あんパン、またか」
「だって、誤解の始まりですから」
「そうだな。始まりって、大体甘いもんなんだな」
「じゃあ、終わりは?」
「たぶん……しょっぱい」
「なんで塩対応なんですか」
「お前と話してると糖度が上がりすぎるんだよ」
「じゃあ、ちょうどいいですね。バランスです」
笑いながら半分こする。
パンの甘さが、誤解の味に似ている気がした。
少し照れくさくて、でもどこか懐かしい。
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StarChat #恋のデマ流通経路
【桜井先生@担任】
「情報は広がる。だが、真実もまた拡散する。
それを“青春”と呼ぶのではないか。」
コメント:
・「先生ポエム界の覇者」
・「#真実もトレンド入り」
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スマホを見ながら、思わず笑ってしまう。
「先生、ほんとに毎回出てくんな……」
「人気ありますね、先生」ひよりが微笑む。
「いや、もはやインフルエンサーだろ」
「フォロワー、私より多いです」
「教師の権威ってそういうことか?」
「でも、いい言葉でした」
ひよりの視線が、ほんの少し俺のほうを向く。
その目が、何か言いたげに揺れているのに、
俺は結局、何も聞けなかった。
「なあ、七瀬」
「はい?」
「……もし、デマが本当になったら、どうする?」
「え?」
「いや、仮の話。もしも、だ」
「うーん……本当になったら、もう“デマ”じゃなくなりますね」
「……そりゃそうか」
「でも、ちょっとだけ嬉しいかも」
「……なんで」
「だって、“嘘から始まる”って、少しドラマみたいで」
「お前、ほんとポジティブの塊だな」
窓の外で、風がカーテンを揺らす。
ひよりの笑顔が、光に透けて見えた。
――この“デマ”が、いつか本当になる日が来たら。
そんな想像をしてしまう自分に、苦笑する。
誤解は、まだ止まらない。
でももう、怖くない。
だってその道の先に、
ひよりがいる気がするから。




