#パンの告白事件
購買の行列は戦場だ。
昼休み五分前、パン棚を囲む生徒たちは全員、狩人の目をしていた。
最後の一個になったあんパンを前に、俺――真嶋蒼汰は無言で睨み合う。
いや別にあんパンが命より大事ってわけじゃない。
ただ――負けたくなかった。
自分でも理由はわからない。こういうときだけ、妙な闘争心が湧く。
「お、まだ残ってんじゃん」
背後から軽い声。
振り返れば、悪友・神田悠真が、トレーを片手ににやりと笑っていた。
「お前、それ好きだろ?」
「……まあな。嫌いじゃない。」
「出た、真嶋の“嫌いじゃない”理論。」悠真が笑う。
「ツンでもデレでもねぇ。ただの評価だ。」
「その言い方、好きな子に言うやつっぽいな。」
「どこがだよ。」俺は眉をひそめた。
「“嫌いじゃない”って、“好き”より恥ずかしくね?」
「お前、国語辞典読んで出直せ。」
くだらない掛け合い。いつも通りの昼休み――のはずだった。
「つーかさ、七瀬もこのあんパン好きって言ってたぞ。」
悠真が何気なく言った名前に、俺は小さく反応した。
「へぇ。……センスいいな。」
「ほら、やっぱ好きじゃん。」
「パンにな。」
「そっちの“好き”じゃねぇよ。」
「どっちでもねぇ。」
このくだり、のちの地獄を生むなんて誰も思ってなかった。
だってそのとき、パン棚の向こう側に――七瀬ひより本人がいた。
スケッチブックを抱えて、購買の窓際で何かを描いていたらしい。
悠真が出した彼女の名前と、俺の「……嫌いじゃない」という一言。
そして、後ろから聞こえた「ピッ」というスマホの録音音。
――すべてが、最悪のタイミングで重なった。
昼休みが終わる頃、教室の空気は妙に騒がしかった。
みんなスマホを見て、時々こっちを見る。
嫌な予感しかしない。
「真嶋、お前……マジで告った?」
「え? 購買前で“嫌いじゃない”って言ってたって! 音声回ってるぞ!」
「相手、七瀬だろ!?」
机の上のスマホが震える。
通知が止まらない。
恐る恐る画面を開いた俺の目に、見覚えのある青と桜色のUIが飛び込んできた。
───────────────────────
StarChat #好きって言ってないのに
【匿名@2-B】
「購買で“真嶋くん”が“七瀬さん”に“嫌いじゃない”って言ってた!【音声あり】 #パンの告白事件」
コメント:
・「低音ボイスで“嫌いじゃない”は反則」
・「#照れ隠し告白」
・「#嫌いじゃない=好き説」
───────────────────────
「……は?」
再生すると、確かに俺の声だ。
“七瀬”という名前のあとに、“嫌いじゃない”。
前後の会話――“パン”のくだりは、きれいに切られていた。
「……編集がプロすぎる。」俺は額を押さえた。
「真嶋、お前、完全に告白動画化してるぞ。」悠真が笑う。
「笑いごとじゃねぇ!」
「もう拡散止まらんぞ。“#パンの告白事件”トレンド三位。」
「何ランキングだよそれ!」
そのとき、教室のドアが静かに開いた。
柔らかい声が、春の風と一緒に流れ込む。
「……あの、“嫌いじゃない”って、私のことですか?」
七瀬ひよりが、スケッチブックを胸に抱えて立っていた。
空気が一瞬で凍る。
周囲が息を呑む音が聞こえた。
「いや、その……違う。」俺はできるだけ冷静に答えた。
「パンの話だ。」
「パン?」ひよりが首を傾げる。
「あんパン。俺、あれが“嫌いじゃない”って言っただけ。」
ひよりは、数秒沈黙したあと、小さく笑った。
「よかった。……ちょっと、ドキッとしちゃいました。」
――終わった。
教室中が爆発したようにざわめいた。
笑い声、悲鳴、シャッター音。
そして、俺のスマホが再び震える。
───────────────────────
StarChat #七瀬ちゃんドキッと
【匿名】「“ドキッとしちゃいました”いただきました」
【2-B速報】「#パンの告白事件 第二章」
コメント:
・「#公式未認可カップル」
・「#嫌いじゃないの真意は?」
───────────────────────
「誰だよ第二章始めたやつ!」
「いやぁ、真嶋、お前マジでスターだな。」悠真が笑いながらスマホを向ける。
「消せ!」
「もう無理。拡散速度えぐい。」
笑いと混乱の渦の中で、ひよりは俺を見て、ほんの少しだけ申し訳なさそうに言った。
「……ごめんなさい、私が近くにいたから、勘違いされたのかも。」
「いや、悪いのは編集したやつだ。」
「でも、誤解って、悪いことばかりじゃないですよね。」
「どこに肯定入れてんだよ。」
「だって、ちょっとだけうれしかったです。」
またスマホが震えた。
新しい投稿通知。
画面を開くと、担任・桜井先生の名前があった。
───────────────────────
StarChat #好きって言ってないのに
【桜井先生@担任】
「青春は、誤解から始まる。」
コメント:
・「先生ww」
・「#見守り桜井」
───────────────────────
「先生まで参戦すんなぁぁ!」
教室が笑いに包まれる。
悠真が肩を叩きながら言う。
「もう観念しろよ、誤解王。」
「誰が王だ。」
「でも、いいじゃん。七瀬、まんざらでもなさそうだぞ。」
「……知らねぇよ。」
そのとき、ひよりが机の端にあんパンを置いた。
包装が少しへこんでいて、どこか温かそうだった。
「はい、半分こ。」
「……なんで。」
「お礼です。さっき“嫌いじゃない”って言ってくれたので。」
「パンの話だっつってんだろ。」
「知ってます。でも、うれしかったから。」
彼女は笑って席に戻る。
その笑顔に、俺は反論できなくなった。
教室中の視線があたたかくて、なんかもうどうでもよくなってくる。
───────────────────────
StarChat #パンの告白事件
【真嶋蒼汰@2-B】
「……誤解、もう慣れた。」
コメント:
・「#慣れたら恋」
・「#続報希望」
───────────────────────
投稿ボタンを押したのは、自分だった。
たぶん俺は――少しだけ、楽しんでいる。
誤解の始まりが、こんなにも騒がしくて甘いなんて思わなかった。
――#パンの告白事件。
俺の高校生活は、ここから盛大にバレ始めた。




