第95話 輔弼近衛は問題にされる(法務卿視点) ~暁の庭で閾を測る~
法務卿どのに「静止の所作」なんて上品な名前をつけてもらった時点で、これ絶対ろくなことにならないなって悟っていた。
鐘が四つを打つ前、法務省の中庭は石の色だけで立っている。夜露の気配が靴底に吸い寄せられ、息は白くはならないが、喉の奥だけが冷たい。卓の上には昨夜半、第二師団〈迅〉から軍務卿経由で届いた二通の控え――厚手の大封(急報/発:第二師団長ハンネス・オルドリン)と、同じ手の羅紗の薄封(親展・〈迅〉印の秘報)。
儂は薄封の文言を指でなぞる。「静止の所作」――そして末尾の重い一語。
――脅迫。
紙は軽いが、この語は軽くはない。誰の手に持たせるか、いつ持たせるか、まず決めねばならない。
詔の一節が脳裏で返る。「王族に直言して其の過を糺し、また志を容れて形を與へ、時に刃を抜きてその暴を止むべし」。長く比喩だと思ってきたが、比喩が現実に触れた以上、法は現実側に寄らねばならない。
戸が一度だけ叩かれ、気配が止まる。約したとおり、軍務卿ひとり。従者は外に残す。礼だけ交わし、向かい合って掛ける。奴の目は眠りの浅い色だ。
儂が問う。「先に『王子無事』を見たな」
軍務卿が頷く。「ああ。まず安堵を確かめて腹を据える。そうしないと、次の紙――秘報の言葉に判断を引きずられる」
それでいい。救いを先に置ける頭は、争いを短くできる。
薄封の核心を、二人で短く確かめる。これは軍律ではない。王族直轄の輔弼近衛に軍律は及ばない。照らすのは王国法だ。問題は、王権に対する不法な強制に触れたか否か、その一点だ。そして――今回の事件を奇貨として、秤を法のうちに入れる。
儂は結論を早める。「王子の証言は要らん」
軍務卿の眉がわずかに動く。「要らない、でいいのか」
「うむ。王族の第一声を待つ形式は場を濁す。帰還の足で裁けるよう、先に器を整える。王子に“選ばせる”筋ではない。王国法は、先に敷居を据える側が持つ」
ここからは、かねて定めた運用を使うだけだ。外は公報、内は評議。語は統一語彙(退進/在砦/合流/再編)で揃え、更新は三刻置換で拍を刻む。さらに、輔弼近衛に関わる報は“例外条項”で別線に乗せる。
今朝の適用はこうだ。公報は三行だけ――「敵撃退」「王子無事」「第二師団在砦」。“刃”“脅迫”の語は外へ出さない。内向きは例外条項を起こし、件名は「静止の所作」で受け、名は題に出さない。噂が走る前に、張っておいた糸に沿って紙を先に動かす。床は敷いてある。載せ替えるだけでいい。
儂は机に薄い紙片を並べ、段取りを短く刻む。
――帰還即時の予審ではなく、即時審理の支度に切り替える。
――王族は席外とし、審理成立後に結果のみ上申。
「近衛の身柄は?」と軍務卿。
「帰還口で“聴取のための留置”を執る。罪科の確定に非ず、逃散と火の拡がりを防ぐ措置だ。法務省の留置室に一晩。剣は預かり、護衛は一本帯刀を許す。屈辱の演出は要らん、手続の線だけ通す」
儂は小箱から用箋を出し、見出しを置く。
――王国法・王命妨害(仮)/大逆(留保)
――要件審理の焦点:
(一)強制性――所作が王族の自由意思を奪うに足る力を持ったか。
(二)目的正当――直言保護の範囲内だったか(詔の加護の内か)。
(三)代替可能性――その場に他の制止手段が現に存在したか。
(四)結果との連鎖――所作と決定の因果の近さ。
「列挙は硬いが、裁く側の頭を合わせるための杭だ」と儂。
軍務卿が肩で息を整える。「了解。じゃあ“脅迫”の語は?」
「評議が持つまで上げない。紙が先に走る。今は“静止の所作”のままで止める」
儂は続ける。「それから――前から考えておった。秤(輔弼近衛)を法のうちへ据える。詩では足りん。条の名にしておけば、現場は短く迷える」
軍務卿が目だけで探る。「名をつけるのか」
「うむ。“秤の直言行為”――その中に“制止”を置く。刃で威を示すことを無条件に許すのではなく、要件と限界、事後報告の義務、記録の語まで定める。今朝はその好機だ」
隣室から古い抄録を二本持たせる。城門前、刃の掲示で群衆の流れを止めた件は「示警」。殿中、柄に手を添えただけで言葉を止めた件は「制止」。いずれも人名は題から降ろし、末尾に回してある。
「前例はあるが、今日つくるのは原型だ。前例で押しつけると、秤がまた法の外へ逃げる」
「……分かった。俺は帰還時の経路と門の押さえを段取りする。留置は法務の管轄、俺の兵は外で“静かに”立てる」
儂は紙に三行、赤で打つ。
――帰還門にて近衛本人を分離、法務省へ直送。
――殿中召喚は法務で手配。王族は上申のみ。
――広報文:一行「霧丘方面、王都にて整理中」。他部局展開禁止。
「広報はこれで動かす。余計な名は出すな」
「了解。俺からも止める」
軍務卿が腰を上げる。「大逆は?」
「留保だ。要件を満たすかは、近衛本人の第一声と、三者の記録が揃ってから。先に掲げれば、他の語が死ぬ」
「分かった」
奴を見送る。室内がひと呼吸で静まる。儂は鈴に触れ、鳴らさない。呼べば人が来る。人が来れば流れができる。今は流れを細く保つ。
詔の一節をもう一度だけ目の前に置き、紙を裏返す。直言に刃を借りる――この一句に都全体を乗せるのは早い。儂が先に敷居を据える。秤の直言行為(制止)という名で。
支度に入る。
・留置状(聴取用)――近衛アレン、帰還時に提示。剣の一時預かり、立会人二名。
・審理次第(即時)――開廷、罪名の告知は「王命妨害(仮)」、大逆は留保の文言を明記。
・記録式――語を「静止の所作」で統一。比喩語の使用禁止。所作の記載は間合い・角度・声量に限定。
・秤執務細則(暫)草案――要件(正当目的・緊急性・比例性・代替不能性)、限界(王族身体への接触禁止・刃先の距離制限)、事後(即時報告・記録語の統一・評議提出期限)。
従者を呼ぶ。「評議の間を押さえよ。席次は、砦長、第二師団長、書記官、近衛の順。王族は呼ばん。結果のみ上げる」
「承りました」
「留置室の支度。護衛は近衛側から一本のみ許可、他は法務衛士で固める」
「承りました」
「広報は一行。“霧丘方面、王都にて整理中”。誰の名も出すな」
「承りました」
窓が白みはじめる。儂は外套を羽織り、廊に出る。石は夜より硬い色だ。
――閾を測る朝だ。
刃の一点に、法の敷居が触れている。越えたかどうかは、近衛の第一声と、現場三者の紙で決める。王子の言は要らない。王子は裁かれぬ側だ。
そして結び目を作るのは儂の役目。秤を“法のうち”へ迎えるために。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【皆様へのお願い】
面白い/続きが気になると思っていただけたら、
『ブックマーク』、『☆☆☆☆☆』、『感想』、『誤字報告』をいただけると大変励みになります。
(ついでにとても喜びます)
皆さまの声援だけが心の支えです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★




