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第94話 輔弼近衛は問題にされる(軍務卿視点) ~王都の夜~

王都で軍務卿どのが俺の「剣ちょっと抜いた」をどうやって三行の公文書に押し込めるか考えてると思うと、申し訳なさより先に同情が湧いてくる。

軍務省の灯は夜半でも落ちない。油の匂いが薄く漂い、壁の軍図は凹凸だけを残して眠っている。戸を叩く音が二度、短く。門番の声――


「親展。第二師団〈迅〉より急使」


受領台に自署し、刻を記す。羅紗の薄封と厚手の大封、二通。外封に親展、内側に〈迅〉の印。封蝋は二重。手順が守られているのを確かめて、ようやく呼吸が一つ落ち着く。


机へ戻り、まず大封(公式急報)を割る。紙が一枚、室内の冷え方をわずかに変えた。

――霧丘方面・急報。

一、敵勢撃退

二、王子殿下、無事

三、第二師団、楔砦にて駐留継続


肺の奥がわずかにゆるむ。最初にこれを読むべきだ。安堵を確かめてから、次に進む。

つづけて薄封(秘報)を割る。指先から熱が引く。


――迅‐秘報‐第3号。件「霧丘楔砦『正面退進』背景」。行を追い、紙の縁をなぞる。

一、退進の進言に際し、近衛が刃を示し、動きを静めた所作。

二、殿下は即時の処断を行わず。軍律照合を要す。

三、評議での検分を求む。

四、王都方針は内議にて。

五、記録区分は厳格に。


読み終えるころ、胸の奥が再び固くなる。紙の上の「刃」でも、体温は奪われる。

指先の油が冷え、封蝋の欠片が爪に貼りついたまま離れない。


思わず、古い文句が口をついた。

「……王族に直言して其の過を糺し、また志を容れて形を與へ、時に刃を抜きてその暴を止むべし」

文言は知っている。詔は直言を守るための枠だ。だが、それは比喩だと、どこかで思っていた。まさか本当に刃で止めるとは――これは許されるのか。


ここで気づく。アレンは王族直轄、軍編成の外にある。ゆえに軍律は直接は及ばない。照合すべきは軍律ではなく王国法だ。詔の一句は直言を保護するが、王権に対する強制に触れれば条は一気に重くなる。極端に言えば――大逆。

許されるのか、許されないのか。線はどこに引かれるのか。紙の上で同じ問いに戻る。条文を積み上げても、今夜の結論は出ない。


明朝第一刻、法務卿の執務室へ直接赴き、内密に所見を仰ぐ。その見解を受け、王国法による予審を設ける。今夜は動かさない。記録語は当面「静止の所作」に統一し、題に人名は掲げない。まず起きた順だけ整える。


机に白紙を置く。今は結論を書かない。起きた順に整理する。

――まず記すのは出来事だけだ。輔弼近衛が刃を示し、殿下の前進が止まった――そこまで。

人名は伏せる。当面は事実だけを確定する。


窓硝子の向こうで風が鈍く鳴る。雪は都には降らないが、冷えだけは伝わってくる。

若い輔弼近衛――アレン。役目の細部はまだ把握していない。ただ、現場で「静止の所作」が起き、今回の介入は戦果を損ねていない。確認はここまで。拡散を避けるため、記録語は「静止の所作」に統一する。


陛下への内報用紙を新しく出し、三つだけ置く。

――霧丘、敵勢撃退

――退進は整然、合図は保たれた

――近衛に「静止の所作」あり(詳細は王都にて聴取)

刃の字は入れない。隠すためではない。紙が独り歩きしないよう、歩幅を合わせるためだ。陛下の呼吸は乱さない。勝利は冷やしすぎても、熱を足してもいけない。


次に第二師団長への返電。三行で足りる。

――秘報受領

――法務卿との協議後、王国法予審を設置

――当面の語は「静止の所作」で統一(題に人名は掲げず)

末尾に自筆で一行添える。――式は手順、名は後日。現場の呼吸に合わせる。


古い抄録を一冊取り出す。十数年前、城門前。騎士が刃を掲げ、群集の流れを止めた案件。評議は「示警」と判じ、人名は録の末尾へ退けた。紙を捲る音が静かに響く。

――示威、示警、静止。似ているが違う。語を選べば、次の場の力の流れが変わる。変わった流れは、またこちらで受ければよい。順番は分かっている。


暖炉の灰は冷え、鉄格子だけが鈍く光る。筆を持ち直し、予審の最初の一言を心の中で確かめる。

――まず、起きた順に。次に、当てる語の順に。

短くて足りる。長い言葉は場を飾る。飾りはすぐ剥がれる。


広報局へ回す文は一行でよい。「霧丘方面の状況、王都にて整理中」。問いは起こさせない。問いが先に立てば、答えは急がれて雑になる。兵站へは「報償は“継続確認”の語で」。過不足なく運ぶ。


秘報の「脅迫」という語に目を戻す。この語は王国法で扱う。今夜は私の責任下に留め、明朝、法務卿と評議にのみ開示する。現場には回さない。

文書を二重封に改め、配布先・開封者・開封時刻を余白に記す。**記録語は当面「静止の所作」とし、「脅迫」**の使用は評議決定まで禁止する。


鍵を回して抽斗に収める。一次整理は終わった。ここからは関係者を呼ぶが、順序は崩さない。まず法務卿に直談、次に王国法の予審を設置。必要があれば広報局へは最小限の一文のみ(「霧丘方面の状況、王都にて整理中」)。他部局への展開は禁ずる。基準文言は「静止の所作」**で統一し、評議決定までは他語の使用を認めない。


立ち上がり、窓外の濃い灰を確かめる。夜はまだ続くが、遠くで鐘が一つ鳴った気がした。角笛は雪の向こう。ここに届くのは紙の音だけ。

紙の音で、戦をもう一度終わらせる――そう決めて、机上の三通に目を走らせる。殿下、第二師団、そして明朝の訪問先。要件は整った。名は後に決めればよい。


小鈴に触れ、鳴らす前に手を止める。呼ぶのは、あとひと息だけ遅らせる。自分の中の拍を、もう一度確かめるためだ。

都は語で動く。語を手に持つときこそ、手を静かにする。静かにしていれば紙は暴れない。暴れない紙は、人を殺さない。

深く息を吸い、吐く。鈴が一度だけ鳴る。夜が、少しだけ薄くなった。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】



次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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