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第93話 幕間 ~王朝秘史③ 霞丘役記(かぎゅうえきき)

今回の王朝秘史は、霞丘楔砦の籠城と「退進」の決断が、後世にいかなる名と評価で語り継がれたかを記し、当時の実際との齟齬についても史家の視点から示す章です。


堅苦しくなるのはご勘弁ください。

※本幕間は、霞丘楔砦における議定を記し、秤の責(君の生/兵の死)を戦場にて示す。

後段は「辨偽抄べんぎしょう」として、後世の脚色の混入を点検し、史の読み方そのものを添ふ。



霞丘之議定かぎゅうのぎてい

王暦九百五十四年、王子レオン、野に於て賊軍の挾撃をかうむり、軍勢退きて霞丘楔砦かぎゅうけっさいに入る。時に兵寡へいすくなく、糧また乏し。殿下みづから刀鋒とうほうを執りて撃ち出でんとす。輔弼近衛アレン進みていさめて曰く、「糧は五日にたえふ。これを薄く配すれば十日に足らん。その間に援兵必ず至らん」と。


王子問うて曰く、「もし十日を経るも援兵至らずば、いかん」。アレン復して曰く、「黎明に臨み、軍を一丸として東門より討ち出づべし。殿下は良馬を駆り、王都に急還せらるべし」と。

王子怒りて曰く、「兵をつるはくんの道に非ず。汝、我ひとりのがれて卑怯者と為れと曰ふか」。アレン対して曰く、「此の戦は殿下の存否を以て勝負と成る。身を以て殿下をふせひて死するは兵のほまれ、一時の汚名を帯びて社稷しゃしょくを存するは王族のほまれなり」と。

砦長ガルバ呵々大笑かかたいしょうして曰く、「我ついに死所を得たり。誓って末の一兵に至るまで討死を遂げ、殿下の誉に華を添えん」と。


於是ここにおいて議定ぎている。後史評して曰く、「兵の死に誉、君の生に誉、社稷しゃしょく是に存す。ここに秤は秤たり、君は君たる」と。世これを『霞丘之議定かぎゅうのぎてい』と称す。


     ◇


霞丘残忠之議かぎゅうざんちゅうのぎ

籠城六日に及び、敵勢の攻いよいよ激甚げきじんなり。七日にして糧穀・矢羽つひに尽かんとす。援軍の形なお現れず、戦運ここに極まれり。於是これにおいて、輔弼近衛アレン・アルフォード、出撃の議を起こす。


砦長ガルバ曰く、「我、馬五騎を備へ置けり。汝は主君レオン王子を護り、共に道を脱すべし」と。

アレン再拝して曰く、「兵に死を命じしは我が責なり。願はくは諸兵と倶に死を遂げん」。

ガルバ答へて曰く、「兵に死を命ずるは吾が権なり。汝、く去れ」。

アレン更に曰く、「我もし脱せば、理必ず壊る。故に我は残りて秤の責を全うせんと欲す」。

ガルバ其言きげんを聞きて愕然たり。「愚直なるかな。然れども其志そのこころざし、誠に仰ぐに足る」。

於是ここにおいて議定ぎていまた成る。


後哲評して曰く、「兵は命を捨つるに由りて國を繫ぎ、君は生を得るに由りて國を継ぐ。秤は秤たるが故に、理に命を奉ず」と。

世にこれを『霞丘残忠之議かぎゅうざんちゅうのぎ』と称す。


     ◇


霞丘死中之生かぎゅうしちゅうのせい

七日之黎明、輔弼近衛アレン遂に出撃を決す。拝して王子に曰く、「灯明いよいよ尽きんとす。我ら夜明直前、東門より打ち出づ。殿下は其に紛れ、北東の細道より王都に還られよ」と。

王子応へて曰く、「可なり」と。


既に暁気ぎょうき城隅じょうぐうを淡く染む。夜明に及び、へいいつし乱れずして東門より躍り出づ。旗高く挙げ、以て敵目を奪ひ、王子をおおふ。王子は護衛三騎と倶に北東の細路を馳せ抜け、王都にかえる。

砦長ガルバ、声をはげまして曰く、「今こそ我ら死力を尽くし、少しくも時をあがなふべし」。

兵は勇にして猛なり。ことごとく死兵となり、数はすくなきいえどはかりごとめぐらし、敵と互角に渡り合ふこと幾刻なるや知るべからず。


然れども衆寡しゅうかに敵せず、力尽かんとする其時、忽ち敵背に第二師団、援として駆け至る。軍陣角法に曰く、三短一長は吶喊とっかんの節なり。ガルバ之を聞き、すなわち二短二長の退却角を吹き、列を整へて秩を乱さず。


其時、北東の細道より逃れし王子、忽ち馬を返して陣に馳せ来たる。

アレン之を見て驚き、進みて曰く、「君よ、何ぞ還り給ひしや。何ぞ命を軽んずるや」。

王子応へて曰く、「余、援軍のときを耳にせり。其の音を聞きていずくんぞのがるべけむや、君の道に非ず」。

アレン曰く、「君の生き給ふこそ、我らが勝利なり」。

王子また曰く、「なんじかつて我に曰ひし、『王族の剣、ふるふ時あり』と。今まさに其時そのときならずや」。

史家曰く、援兵既に至り、敵勢背を断たる時は、王子の還る合力の礼に合す。


ガルバ曰く、「指揮は我が責。殿下は合せの印を賜へ」。


剣先一寸左に傾き、旗一拍遅れて之に追ふ。是れ号令の印なり。

列、きびすを返して呼応し、前を詰めて敵を包む。第二師団其後より奔り出でて敵陣を裂き行く。


敵、前にも背にも退くを得ずして散り始む。鎖をまとふ鎧乱れ、刃は雪に墜つ。攻囲こういの杭折れ、影広がる。其影の中に旗なびく。白地に砦印と双獅子とを染む。朝光、旗金具を照らして耀く。即ち列、前を詰めて敵を包む。


ガルバ曰く、「無理を致すなかれ。援軍至るを待つべし」。


かくて七日の間、霞丘楔砦の籠城、つひに勝利を収むるに至れり。世にこれを『霞丘死中之生かぎゅうしちゅうのせい』と称す。


老兵有言して曰く、「援軍の角音に先だち、既に空より一声のとどろきを聞けり。或は天の許し、或は魂の吶喊とっかんなるか。我、人の道の天に通ずるを見たり」と。


      ◇◇◇◇◇


霞丘役記辨偽抄かぎゅうえききべんぎしょう

本記、後世の筆交ることあり。故に辨偽べんぎを付す。

おもふに、霞丘かぎゅう会議かいぎ事蹟じせき、王暦九百五十四年の歳に及びて之を詳記しょうきす。

時に輔弼近衛アレン公、王子レオン殿下に奉仕し、賊軍挟撃の間、軍勢退きて霞丘楔砦かぎゅうけっさいる。

是、当年の実録記并びに将帥筆録を以て正本と為し、後の世学士等之に補編を加へ、一書のたいせり。

しかるに、今挙る『霞丘役記』は、その詞章美麗ししょうびれいにして、事実の真否判し難し。


臣某しんそれがしつつしみてその真偽をあんずるに、往古の伝説に交じる所多く、実録にのみるべからずと存す。

伏しておもふに、「秤」なる事、即ち輔弼近衛アレン公の唱ふる「理以て社稷しゃしょくを存す」之義このぎ後世王家こうせいおうけ統道とうどうの根元とす。


アレン公、曰く「身を以て兵と倶に滅ぶべし」云々。

其遺烈そのいれつ武略哀壮ぶりゃくあいそうにして、代々の記録深く之をしるす。ここに『役記』所載の諸臣問答、知らずして後世秤義こうせひょうぎ・忠節の論議に深く感化せり。


しかれども、且つ旧記・実録を案ずるに、楔砦長けっさいちょうガルバ君、脱出の勧説僅か一度、アレン公の固辞記載せず。按ずるに、物語的脚色の甚だしきこと、実録と典籍との照合を要すと存す。

又、末に伝へて曰く、「援軍の角音かくおん未至いまだいたらず、空より一声いっせい轟然ごうぜんたり」と。或は天意なるか之を疑ふ所なれど、臣某断じて曰く、戦陣の鼓声こせい、または将卒の叫喚きょうかんなるべしとす。


臣、慎みてかみけいす。



秤の理は戦場にて立つ。されど史は美に寄りて真を削る。ゆゑに辨偽なくしては、後世の道また歪む。

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