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第89話 輔弼近衛は生き延びる(王子視点) ~矜持の重さ~

私の間違いで88話を86話として投稿してしまったので、89話を同日に投稿致します。


名簿の最後まで殿下が顔を見て回る背中を見ながら、「矜持って便利な言葉だけど、背負う側にはだいぶ重量オーバーだよな」とそっとため息をついた。

雪は弱く降り、砦の内側は静かだ。担架が並び、濡れた布は冷えて硬い。俺は外套の襟のほつれを指で整える。癖だ。余計な動きは見せないと決めているが、指先だけは勝手に動く。


角笛が谷を渡ったとき、俺は馬の首を返した。逃げたわけじゃない。援軍の合図がこちらの拍と合うなら、合わせ直すのが筋だ。事情が変わったとだけ告げ、指揮は砦長に預けた。剣先で列の拍を揃え、前へ出過ぎないよう止める。それが今日の俺の役目だ。胸の奥にはまだ熱が残っていたが、飲み込んだ。飲み込むのが遅ければ乱れる。早すぎても臆する。間合いは短いほど難しい。


戦は終わり、第二師団の太鼓は遠のいた。門内では名を呼ぶ声が続く。死者は一人ずつ名を呼べ――砦長の声は低く、揺れない。こういう所作は残さねばならない。

列の端から顔を見て回る。布は最後に掛ける。顔は見る。見ないほうが残酷だ。名を呼ばれるべき人の顔を、王族が見ないわけにはいかない。


アレンに近づき、短く言う。

「――よく持ちこたえた」

奴はうなづいた。


「そうか」

それで足りる。続けて一言だけ置く。


「なら、今日はそれでいい」


これは慰めでも譲歩でもない。自分に引く最低線だ。王族の矜持は、見栄えのする動きだけを指さない。砦は守る場所で、燃やす場所ではない。今日の矜持は、剣を振るよりも、剣を印として留めること。欲と場の律がずれたとき、どちらを抑えるか。俺は欲を抑えた。抑え切れたかどうかは、今夜になれば分かる。


卓上の地図に目を落とす。釘はさっきまで“攻める理由”を指していた。今は“残すべきもの”に見える。砦、兵の肩、砦長の声、アレンの沈黙、そして名前。名は軽く呼べても、その重さは遺された者が背負う。だから名を呼ぶ。皆が見ている前で。一人ずつ。俺も覚える。矜持は、名を抱える背の強さでもある。


見張りの合図が低く鳴り、門がわずかに開いて外気が入る。伝令だろう。振り向かない。報せは砦長に通す。線は混ぜない。俺は王族であって王ではない。今ここで王を演じるのは矜持ではなく虚勢だ。


アレンは筆記板を胸に当て、指を息で温めている。字は少し大きい。寒さか安堵かは分からない。彼は言葉を減らしているのではなく、場の呼吸に間を合わせている。沈黙を使えるやつは強い。飾りとしての沈黙は要らない。


「殿下」

背後から砦長。俺は半歩だけ振り返る。担架から目を切らない範囲で。


「損耗、報告いたします」

「聞こう」

数と症状が淡々と並ぶ。

数字の合間にある沈黙の厚みを見る。軽いのは数字だ。重いのは沈黙のほうだ。

重いほうを抱えるのが俺の役目だ。報告の最後に、短く返す。


「働き、見事であった」


区切りがつくと、胸の奥で怒りがまた顔を出す。失った名が浮かび、胸が焼ける。冷え込む砦の空気は薄く、深く吸った息が喉を刺す。濡れた布に指を伸ばせば、冷たさが骨に沁みる。空気の奥に鉄の匂いがただよい、体内に沈黙が降り積もる。

俺は怒りを飲み込む。外に出せば、雪に混じって散るだけだと知っている。手を握りしめ、指先のかすかな震えだけが、心の奥の乱れを伝えていた。


雪の匂いに焦げの残りが混じる。ここを焼かずに済んだ――アレンの仕草がそう言っていた。小さくうなずく。許しているのは他人ではない。抑えた自分と、まだ抑え切れていない自分の両方に対してだ。


やがて医務が引き継ぎ、名簿の最後に印が付く。

「名簿、ここまで。以後は医務に引き継ぎます」


アレンが報せる。


「任せる」


短く返す。任せるという言葉は軽く聞こえるが、実際は重い。だからこそ短く置き、受け取る余白を残す。彼は一礼して戻る。旗の根元で二本の旗が同じ風を受けて鳴る。方向が揃えば音も揃う。


夕刻、見張りの交代を早める。城壁を巡り、足音と視線の動きだけを確かめる。声量、立ち位置、手の高さ。小さな差が明日の乱れになる。今のうちに整える。


「殿下、第二師団長より朱の封」


伝令が跪く。受け取らず、視線で砦長に渡すよう示す。線を濁さない。俺に必要なのは封の色ではなく、ここにいる者たちの顔の色だ。指先の血の気、唇の乾き、背の丸み。小さな変化が折れ目になる。折れ目は作らせない。


下へ降り、厨房の釜を見る。粥は薄い。今はそれでいい。重いものはもう十分だ。底を一度だけ掬い、任せる。手を出し過ぎれば混乱の種になる。王族が混ぜていいのは拍だけだ。


砦を一巡して戻ると、火番が薪を足したところだった。炎は上げない。足元が見えれば足りる。火の高さを見てうなずき、近くの兵に声を掛ける。


「見張りは薄く長く、声を抑えろ」


返事が一つずつ返る。拍は揃っている。門の前に立ち、降る雪を見る。旗は同じ音で鳴り、砦は静かに立っている。


外套の襟はもう触らない。ほつれは残した。今日の乱れは今日の証だ。整え過ぎた形は長持ちしない。欠けを抱えた形のほうが、明日につながる。


夜の前に、短く祈る。声には出さない。背筋を伸ばし、顎を引き、片手を外套の下で握る。名を一人ずつ思い浮かべ、順番を確かめる。目を閉じ、目を開く。仕事はまだ終わっていない。静けさの中でやるべきことは多い。


砦長を呼ぶ。


「交代計画を見直す。負傷の重い班は内へ回せ。門の周りは交代を短く回せ」

「はっ」


具体の段取りが積まれていく。必要な箇所だけ口を挟み、後は任せる。任せた以上は、口を出し直さない。


空は暗くなり、雪は細かくなる。提灯の明かりが壁に並ぶ。最後にもう一度だけ列を見回す。足の運び、視線の向き、返事の速さ。乱れは小さいうちに拾う。


門前に戻り、短く告げる。


「今夜は声を低く。要らない言葉を減らせ」


返事が揃う。うなずく。

線を整え、名を抱え、混ぜずに立つ――それが、俺の矜持だ。



お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

戦後会議、負傷者搬出・戦死者名簿・捕虜処理と、勝った側の「事務」が山盛りです。

そこへ「殿下が退いた」噂が飛んできて、殿下が「こいつに脅された」とか言い出す。

(やめてください殿下!)

結局「退進=恥じゃなく留めだ」って文言と角笛の型まで、議事録にきっちり固定されました。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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