第87話 輔弼近衛は生き延びる ~戻ってきちゃったって~
「なんとか生き延びたな」と胸を撫でおろしたところで、次の瞬間には死者の数と報告書の山が目の前に積まれていて、人生の帳尻ってこういう形で合うのかと学んだ。
雪原の凍てつく空気に、朝日が高く昇る。砦前に並ぶ兵たちの吐息は白く浮かび、すぐに消えた。稜線には援軍の列──合流は計算済み、全員がこの瞬間のために研ぎ澄まされている。
「援軍との時合わせだ。前のめりになるな。踏みしろを残せ」
砦長の低い声が列を引き締める。俺は城壁から駆け降り、砦長のもとへ向かう。
敵兵は鎖帷子で固め、槍盾の隊形を崩さずじり寄る。こちらの挟撃に気づき、指揮官は伝令を走らせ秩序を保とうとする。雪煙の奥で第二師団が突撃準備。
戦場の「時」は濃く、「まだ終わらない」感覚だけが全員に残る。
(……考えてみれば、人相手に戦うのは初めてだ。田舎の魔物狩りとは匂いも音も違う)
その時、逃がしたはずの殿下が北東の道から馬で駆け戻る。剣を抜き、前線へ突入しようとする。砦長の目がわずかに見開く。
「殿下! 危険です、今――」
殿下の前に飛び出し、叫ぶ。
「なぜ今戻られたのですか?砦長の御命は――」
殿下は痛みも恐怖も見せず静かに答える。
「事情が変わった。援軍の声を聞いた以上、逃げるわけにはいかん」
「しかし――」
「アレン、貴様はこう言ったな。『王族の剣は振るいどきがある』。今こそその時ではないか」
(……“剣の振るいどき”、言ったの俺だけど、今それやる?)
砦長は殿下の手綱の高さに声を落とす
「指揮はこの隊で預かります。殿下の剣は“合わせの印”だけ、よろしいか」
「それでいい」
(……助かる。声の主は一人でいい)
殿下は剣先をわずかに下げる。印にするためだ
剣は追うためではなく、退却を“揃え切る”ための印だ。踏み切るのは砦長の号令だ。
俺も腹を括る
「決して無茶はされませんよう……」
(…せめて軽症まででお願いします。俺の首が飛ぶ)
砦長が砦前に声を響かせる
「慌てるな。無理はするな。砦へ戻れ。援軍を待て」
その声の余韻のまま、角笛を口元へ寄せて息を整える
二短二長――退却の合図。
砦兵の肩線が一斉に反転し、雪上を滑るように折り返す。手順は身体に染みついている。転びそうな肩を隣が受けて、足は続く。
殿下の剣先が旗と同じ角度で並ぶ。追う剣じゃない、“戻り切らせる剣”だ
砦長が角笛で拍を取り、伝令が繋ぐ。列は雪の上を滑る。
敵は混乱する。背の鬨に振り向き前を見失う。旗手は旗を地に突き、固まった。その隙に王国軍先鋒が雪を割って突入。金具が光を返す。背後の指揮旗――第二師団。その紋を認めた瞬間、冷えが熱に変わる。
(第二か。なら、あの押しは止まらない。こちらは踏みしろを貸せばいい)
砦長が角笛を掲げ、一拍置いて短く鳴らす。
「合わせろ」
殿下の剣先が一寸左へ、旗が一拍遅れて追う――印は砦長の号令に従う
列は踵を返し、援軍に呼応して前を詰める
敵を中央で挟むように左右から雪煙が寄り、鎧が低く長い音でぶつかる。弓兵が二度放つ。風の軌跡が敵を抉る。前列が抜け、面が潰れる。皆が不要な声を飲み込む。
敵は前にも背にも退けず散り始める。鎖帷子は乱れ、武器が雪へ落ちる。攻囲の杭が折れ、影が広がる。その影に援軍の旗、白地に砦印と双獅子。朝の光が金具を照らし、残りは雪に溶ける。
「無理はするな。援軍が届くまで待つ」
砦長が剣を下ろし、雪に触れる前で止める――この人らしい。
返事はない。白い息だけが膨らみ、消える。角笛を下ろし、門へ向きを変える。板目の凍りに細いひび。奥に焚き火の残り香。殿下は雪払わず頷く。その小さな頷きは強い。砦内に光が差し、影が薄くなる。遠くで援軍の角笛。“終わり”の調べ。人は余計な力を落とす。その瞬間こそ整えろ、落とすのは肩だけだ。
東の稜線、灰色の空は薄く裂け、白い光が覗く。雪片がきらめき、風が止む。足跡が筋になり、砦と旗へ延びる。
「……なんとか生き延びた」
小さな声は雪に吸われる。第二師団の伝令が短く終戦を告げる。帝国兵の影はもう薄い。
門の内側で医務係が担架を並べる。脚が雪に沈む角度で重みが分かる。軽い担架は嫌だ。
砦長は声を荒げず兵に命じた。
「死者はまとめるな。名を呼び、一人ずつ運べ。間違えるな」
(……こういう所作を、きちんと見せる人なんだよな。怒鳴って片づけるほうが楽なのに)
第二師団の団長であるハンネス・ヴォルクが副官を伴い馬で近づく。礼は短く、手順は早い。
「東門の防御、見事でした。追撃はこちらが引き受けます」
「感謝します。こちらは兵を下げ、負傷の手当てに回します」
(……助かる。“見事”は余計でも、その一声で皆の肩が下がる)
梯子は雪に倒れたまま。列の縁取りがまだ役に立つ。門の脇に立て直す。
(……もう少し遅かったら燃やしていた。そうなったら叱責どころじゃ済まない)
砦も殿下も“消す”必要はなかった。無傷で残った、それこそ勝ちだ。
外で第二師団の太鼓。追撃の区切り。雪煙は遠く細尾になって消える。痺れが引くと別の痛みが顔を出す。全部あとでいい。
「砦長。損耗報告まとめます」
「頼む。殿下には、俺から伝える」
「承知」
筆記板の革紐が冷たい。指がもたつく。簡単なはずが字が大きい。震えているのは寒さか、それとも――
(……今日は理屈より、息をつくほうを選ぼう。それで十分だ)
板を胸に当て息を吹きかける。見上げると二つの旗が同じ風を受けてはためいている。方向が揃えば音まで似る。
「殿下」
門の方角から声。殿下は外套の襟を指でつまみ、ほころびを気にする。
殿下は俺を見つけると近寄って声をかけてきた。
「――よく持ちこたえた」
「はい」
(……援軍は間に合わないって言っちゃったんだけどなぁ)
殿下はわずかに笑う。その短い笑いは強い。
「なら、今日はそれでいい」
「はい。今日は、それで十分です」
深く息を吸う。撃ち合いの音も命令も消えた。残るは雪上に続く静かな足跡。多いほど安心する。生きて戻った分だけ線が増える。
(――さて、片づけだ。燃やさず済む砦の片づけなんて、きっと贅沢だ)
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【次話予告】
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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