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第84話 輔弼近衛は決行する(砦長視点) ~列を持たせるという仕事~

下では命がけで殴り合っているのに、上から旗を振って矢の本数を数えている自分の職種が、ますますよくわからなくなってきた。

雪は音を食う。だから今は、場のほうが先に鳴っている。

黒い靴跡が幾重にも重なった中庭に、焚き火の残り香はない。灯は隠した。息だけが白く浮いて消える。静けさは弱さではない。静けさのあとに漏れる余計な一言が弱さだ。だから言葉は削る。芯だけ残す。


「十人長、前へ」


四列の先頭が半歩だけ進む。擦れる雪の音すら立てない。

「一の列、旗を芯に、両脇で被せる。初撃は右へ膨らませ視線を奪え」

「二の列、梯子を倒して横転。退き路は要らん。横木は“遮り”に使え」

「三の列、礫袋れきぶくろ。角度を取って弧で投げろ」

「四の列、遅れて出て壁。殿下の位置は影のまま保て」

「矢は二十。初撃は十だけ。残りは“押し返し”に回す」


一拍おいて、最後の芯を置く。


「撤退の角笛は二短二長――」


(……使う気はない)


殿下は外套の襟を一度つまみ、頷くだけで何も言わない。いい。動かない拳は場の芯になる。

儂はアレンのほうへわずかに角度を変える。立ち姿は静かなまま、目だけが場の呼吸を測っている。こいつに“秤”をやらせるには、生かしておかねばならん。剣は足りるが、秤はいない。


「貴様は砦に残れ。旗で合図。出陣の後は油に火を入れろ」


短く言い切る。言葉を継げば迷いが漏れる。

奴が問う「生き残ったらどうする」と。喉の奥で笑って流す。返せる余裕がある――それでいい。


殿下と護衛三人は、こちらが言わずとも所を作る。ガーヴィンは絞り、ユリウスは振り返らず、ミカは前しか見ない。いい三人だ。言わずにやるのが護衛の仕事だ。


(任務は三つだ。列を“持たせる”。殿下を“消す”。砦を“消す”。順番は違えん)


儂は列の前に立つ。憔悴は顔に出ているが、悲壮はない。筋肉の震えが、順番を覚えている。順番を覚えた体は焦らない。

指の爪革は凍る。両手を同時に叩くな。片手ずつ感覚を戻せ。剣帯を締め直せ。短い具体だけを落とす。短い言葉は場に定着し、長い言葉は雪に吸われる。


アレンが梯子段を上がり、門楼の縁へ出る。

「敵はまだ静かです」――合図ではない、許可だ。押す許可。待つ許可。どちらへも動ける空白だ。

儂は角笛に触れて――離す。逸りは敵だ。だから時間を味方にするほうを選ぶ。


旗の“開門”が低く切られ、鎖が動き、扉が割れる。

ここからは儂の番。三短一長――吶喊の印。

一の列が旗の赤で目を奪い、二の列は梯子を横転させて突入路を潰す。礫袋が弧で落ちる。手順どおりなら雪上でも伸びる。着地で袋が裂け、小石が雪の皮を走り、足を取る。

四の列は壁。殿下の出口は黒い筋のまま残す。


鬨は短く刻め。長い声は弱る。

雪は公平だが、昨夜から踏んである。踏んだ地は味方する。

敵の斜突が伸びる位置を、儂は半歩ずらす。旗の指示で一の前半が右へ半歩。外れた斜突が雪を噛んだところへ、割れた袋から小石が散る。転ぶ音は雪に消え、転んだ数は雪に残る。


矢の初鳴り。裂ける空気。こちらは温存のまま。

儂は腰を落として前に出る。兵に向けるのでなく、敵に向けて声を落とす。


「来い」


この一言は敵を煽るためではない。味方の足を揃えるためだ。儂が一歩出れば、前列が半歩出る。半歩出れば、敵の足が一歩止まる。止まった足は次の礫に間に合わない。理屈は単純でいい。単純さは雪でも腐らない。


(ここからは“削り”ではない。“持たせる”だ)


雪が濃くなり、距離感が狂う。狂ったときに頼れるのは視覚ではない。触覚だ。盾の縁だ。縁が揃えば列は折れない。

前列の肩線に指先で方向を示す。それで足りる。名は呼ばない。呼べば誰かが振り向き、列に穴が空く。

声は一語でいい――「縁を合わせろ」。一直線なら折れない。


「二の列、横木もう一本。突っかえ(支点)を作れ」

「三、角度替え。膝下で石を跳ねさせろ。視線を奪え。盾列は上体で受けるな、膝で止めろ」


さらに言い切る。

「横木は二本にしろ。一本で塞ぎ、もう一本を突っかえにする」

突っかえがあれば、盾を当てて踏み切る面ができる。退く空きは要らん。前へ出る土台だけ作れ。


「三は軽い礫袋に替えろ。威力ではなく撒きでいい」

軌道で視線を上げ、撒きで足を奪う。重さは威力を連れてくるが、今は軌道と撒きが兵を助ける。


時間が薄く伸びる。音は低く、金は多い。倒れる音は小さい。

今は死傷と欠員を数えるな。盾を押せ。数は後だ。


敵陣の後ろで焚き火の黒輪が揺れ、影がざわめく。腹で鳴る角笛。間と返しが違う。同じ三短一長でも、雪の吸い方が違う。

援軍だ。負担は減らん。正面の仕事はそのまま、側面の圧が加わる。

なら指示を変える。中央は維持、右半列は北へ回り、左は斜に踏み込め。挟撃用に切り替える――それだけだ。


「援軍が来た。挟む。全列、前へ。右半列は北へ回れ。左は斜に踏み込み、旗を殺すな」


“旗を殺すな”は、旗を守れではない。旗で敵の目を殺せ、だ。

一の列が正面を押し、二の横転が突入路を二重に塞ぎ、散ったつぶてが踵を噛み、四の列が壁のまま斜めに刺さる。

見張り台のアレンが旗で“了解”を切る。言葉はいらない。合図は足りている。足りていないのは体力だけだ。体力は命令で増えない。配分でしか延びない。


「押せ。止まるな。盾で割れ。縁で押せ。足で踏め。旗は目で刺せ」

命令は短く置け。体に訳した言葉は途中で切れず、最後まで届く。


右半列は北から回り込み圧をかけ、左は斜に踏み込み、中央の旗で敵の視線を固定する。遠方で味方の角笛が重なり、敵の後列が裂けた。

儂は腰を落とし、縁を揃え、前列を半歩出す。輪は半歩の累積で詰めろ。大きく動かすな。


(殿下は“消えた”。砦はまだ“生きている”。順番は変えるな)


砦の焼却は勝敗の外だ。進むときも退くときも焼け。敵に宿を渡すな。

敵の冬営を奪うのは、城壁の高さを上げるより効く。


アレンに任せたのは、表では秤を守るためと言える。だが腹の底では違う。万が一、敗けた時――こいつだけは生き延びる、と期待した。

刃も声も尽きた後、場を起こせる者が一人でも残れば、国はまだ動く。

冷たい計算だ。だが、その冷たさで一人を前に押し出す。


列の間の白に穴が見て数えられるほど開いた。半分持っていかれた、と脳が告げる。だが基準線は揺らすな。揺れてよいのは雪と敵の背だけだ。

倒れた位置を見て、穴に盾の縁を差し入れ、体重で押し出す。膝で止め、足で固定する。

前列の呼吸が揃うまで、儂の呼吸は短いままでいい。指揮官は長く息を吐けない。吐いた途端に陣は緩む。緩みは戻らない。だから吐かない。


やがて、雪のただ中で挟撃が形になった。背の白がこちらの音で裂け、敵の肩線が内へ吸われる。


儂は笛に触れず、旗も見ない。前列の肩線だけを見る。肩が水平なら押せ。

沈んだ肩には、盾越しに合図して半歩だけ出させる。まだ押せる。なら押す。


十人長へ損害報告は禁じる。今は前へ。数は後でいい。

前へ出続ける理由は説明しない。説明は理屈を呼び、理屈は迷いを呼ぶ。必要なのは前進という“一手”だけだ。余白は儂が持つ。兵に持たせるのは縁と半歩だけだ。


もしここで儂が倒れたら、列はどうなるか――考えない。考え始めた時点で、列は儂を監視し始める。儂を見た目は、敵を見なくなる。だから、儂は前にいる。ただ前にいる。前にいること自体が命令になる。

それでも、心の底に薄い声は残る。若い頃からの悪い癖だ。――儂が倒れたら、誰が列の基準線を保つ。

今回は答えを決めている。アレンだ。だから生かす。だから砦を燃やしても生かす。基準は崩さない。順番は、最後まで違えん。


雪はまだ落ちている。だがもう静かではない。踏み鳴らす音が、ここが最期の場所であることを十分に説明している。

儂は半歩。兵は四分の一歩。縁は指幅。

積んだ半歩の先で、旗の赤が儂の肩の高さで揺れ、刃の金が一度だけ高く鳴り、すぐに低く沈む。

この沈みが来たとき、列は持つ。持たせた列は、ようやく人の顔に戻る。戻ってしまう前に、もう一声だけ置く。


「止まるな。割れ。踏め。目で刺せ」


短い四語。これで足りる。

援軍の角笛が腹で鳴り、敵の背が砕け、白がこちらへ流れる。

儂は背を向けない。砦の黒い筋が視界の端で保たれている。よし。順番は守られている。


列を持たせる――それが仕事だ。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】



次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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