表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/107

第76話 輔弼近衛は渇きを量る(砦長視点) ~勝利の汚名~

砦長さんの胃の音が聞こえてきそうな状況で、「もう少しだけ持ちますか」とか言っている自分のほうがよほどタチが悪いと思ってしまう。

油皿の火が低く唸り、芯の影が卓上の地図に揺れる。殿下は釘の白い頭を見据え、声は静かに保たれているが、刃の根だけが熱い。

――急きたいお気持ちはわかる。だが砦は、急がせて守るものではない。


殿下の口にしたのは、正面三十の突破――兵の棟木を折る手だ。

儂は腹の底でそれを退け、口に出す言葉は薄く短くする。

「……僭越ながら、現状での出撃はお勧めいたしかねます」

殿下の指が卓を二度叩く。返答は短い。

「出るのか、出ないのか」

「――今は“出ない”が勝ちにござりまする」

言い切った途端、室の温度が半分ほど下がった気がした。


剣は一撃で形になる。守りは配置と流れで決まる。見栄えはせぬが、いま要るのは後者だ。儂の務めは、その段取りで殿下を生かすこと。


扉が二度、乾いて鳴き、若い足が入ってくる。非常時の歩調――速すぎず、遅すぎず。

輔弼近衛アレン・アルフォード。言葉を削って結論から置く若者だ。

「糧は五日分。援軍まで十日。兵は三班輪番。粥は半椀×二、追い椀は四分の一」

必要と不足が明確になった。焦りは不要だ。次の指示点が一つ、確定した。


よくできている。机上の策ではない。現場を知る者の回し方だ。自分でも口元が緩むのがわかった。

この輔弼は、紙ではなく身で段取りを覚えてきた。炊き場の火の高さ、雪を溶かす鍋の口径、担架の向きを人の流れに合わせる勘――そういう細部を、言わずに置いていく。言わぬぶん、手が速い。


殿下は頷かれた。命は簡潔に落ち、儂は即座に線を引き直す。

――門前で敵を止める。荷車と防杭でV字の殺到路を作り、左右の胸壁から十字に落とす。

目に見えぬ段差を頭の中に積む作業は、いつだって孤独だ。孤独なうちに終えるのが腕というもの。儂の指先は卓の端から端へ、見えない釘を打っていく。伝達の釘も同じ順で打つと決めた。


やがて殿下と輔弼の問答が始まる。儂は口を挟まぬ。軍は二つの声では動けぬからだ。

「この戦の『勝ち』は何か」――輔弼の問いが聞こえる。殿下は即座に「敵を撃つ」と返される。剣の答えである。

儂は地図の東を見、街道の傾斜を頭で撫でる。雪は硬い。夜更けの冷えで踏み固まる。そこまで運べる砂は二十袋――いや十八。休憩班から担ぎ手を一人借りれば二十に戻せる。


輔弼は静かに芯を立てる。

「我らの勝ちは、殿下を生かして王都に届けること」

その一言で腑に落ちた。目標は同じ――殿下を生かして都へ送る。

目的が揃えば、手順は一つにまとまる。まとまれば動きは速くなる。


殿下の声がわずかに上擦る。「卑怯者の汚名」。

汚名――よい言葉だ。重いが、背負える。

戦はいつも、誰かが本当の重さを背負わねば終わらぬ。美名は軽い。風で飛ぶ。汚名は沈む。沈むものは人を地につなぐ。


儂は掌で卓を一度叩き、笑って見せる。刃を立てぬための笑いだ。

「見事にお逃げなされ」――ここで要るのは勇気ではない。覚悟だ。勇気は刃を抜くときに使う。覚悟は刃を収めるときに使う。


十日。輔弼はそれを限りとした。

十日までに援軍が来れば、儂らはただの堅物で終わる。来なければ、殿下を囲んで東へ出る。

突破の絵は、もう儂の中で出来ておる。先陣は重盾を基軸に荷車を斜に当てて狭め、中列は槍で楔を作る。後列は角笛と煙で合図と遮蔽を担う――馬は蹄鉄を改め、飼葉は今夜のうちに回す。

道は一つで足りる。街道まで届けばそれでよい。道を通るのは、殿下お一人で十分だ。

儂らは道の縁になる。縁は踏まれて崩れてもよい。軍の部品は、正しいときに壊れるのが最上だ。


輔弼が最後に小声で添える。

「……十日後までに援軍が来なかった時の話にて」

――そうだ。それでいい。殿下の前で絶望を名指しにしないのも、現場の作法だ。

殿下の眉間に影が差す。影は悪くない。光だけでは刃はもたぬ。影があってこそ鋼は締まる。


汚名の話を嫌う兵は多い。だが、兵の誉れは死ぬことではなく、正しい場所で壊れることだ。

殿下が生きて王都へ戻られれば、儂らは討ち死にして名が残る。殿下は「卑怯者」と呼ばれよう。よい。呼ばせておけばよい。王宮は言葉で空気が変わるが、国の土台は人の働きでしか支えられぬ。


夜更け、地図の白い釘は相変わらず白い。

儂は火芯を爪で整えた。炎が僅かに高くなり、影の輪郭がくっきりする。

十日を生き延びるための手順が一本にまとまった。迷いはない。

来い、援軍。来ねば、出る。

どちらでもよい。勝ちの形は、もう決まっておる。殿下を生かし、王都へ届かせる――それが儂らの勝ちで、殿下の誉れだ。


――そして、それでこそ王国は明日も回る。儂はそう信じている。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

数字だけ見れば、こっちはじりじり削られる側で、向こうは待ってるだけでいい側です。

次回は、矢の代わりに何を飛ばすかを必死で考える、「暇なようで全然暇じゃない」回になります。

石の重さを量りながら、「俺は一体何の専門職なんだろう」と少しだけ遠い目をしました。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★

【皆様へのお願い】


面白い/続きが気になると思っていただけたら、


『ブックマーク』、『☆☆☆☆☆』、『感想』、『誤字報告』をいただけると大変励みになります。

(ついでにとても喜びます)


皆さまの声援だけが心の支えです。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ